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振り向かない彼女を飼う方法  作者: 一会
第4章
61/81

61 弟 19


 

 姉の退院の日に義兄(あに)と病院に行くと、僕は姉の新しい異変に直ぐに気がついた。

 姉は、僕の声に続いて、僕の姿が見えなくなっていた。


 姉のすぐ目の前に立っていても、姉に僕の姿は見えていない。

 声もかけてもらえない。


 僕がショックで立ったままでいると、姉の進行を邪魔する位置にいた僕を綺麗に避けて、姉が普通に歩いて行く。

 肩に手を乗せると、そのまま動かなくなる。


 

 ーー僕は姉にとって、邪魔な存在なのか?

 目の前が一段と暗くなる。

 


 「弟は、元気にしてる?」


 個室を出る前に、姉が義兄(あに)に尋ねる。

 義兄が一瞬動きを止め、答えた。



 「してるよ。」

 「そう、よかった。」


 姉が微笑む。

 義兄は、新しい話題を出す。



 「妹が、マンションに空き室があったら、先輩と暮らしたいと言ってるんだ。

  どういう理由か知らないけれど。どうする?」


 「私には、何も言えない。弟はなんて言っているの?」


 義兄が僕を見る。



 「好きにしたらいいよ。でも、子供の教育環境は整えた方がいいと思う。」


 義兄は僕の言葉を、僕の目の前にいる姉に伝える。



 「私も弟の意見に賛成よ。マンションの空き室は、お兄ちゃんにきいておくね。」


 姉が笑顔で言う。






 タクシーでマンションに帰り、姉の自宅に入院の荷物を持って入る。


 「おかえり。」

 「ただいま。」


 義兄(あに)と姉が、挨拶を交わす。

 僕は「おじゃまします」と言って家にあがる。


 義兄が姉をソファーに座らせ、お茶を用意し、入院の荷物を片付けている。

 僕は姉の横に座らせてもらい、姉の様子を伺う。


 義兄が姉のところに戻ると姉が立ち上がって義兄に抱き着いた。

 そのまま義兄にキスをし、愛らしい表情をみせる。

 義兄が姉にキスを返し、姉が喜びの表情を浮かべた。


 僕はソファーに座ったまま、映画のワンシーンを見る観客のように姉達の表情が見える角度で二人を見ている。


 姉が義兄を見たまま、愛情が深くこもった声で愛を告げる。

 義兄が姉を抱きしめた。



 僕は姉を見続けた。

 姉が僕を見ることができないならば、僕が姉を見ていなければならない。


 しかし、二人がベッドに入るところまでついていく勇気はない。

 今日はこの後、姉だけが自室で休むようだ。



 義兄を残し、僕は姉について姉の部屋に入った。

 僕はこの部屋に入ったのは初めてだったので、少し辺りを見回す。


 姉はパジャマに着替えていた。

 久しぶりに見た姉の裸は、()せすぎて肉がついていなかった。

 僕が姉に妊娠を強要したために、姉は心身のバランスを崩している。


 姉がベッドに入り、枕元に置いたスマホを触り出した。


 僕のスマホが鳴った。

 姉は自分のスマホを確認し、少し首を傾げた。

 気にしないことにしたらしく、スマホを枕元に置いて寝始めた。




 姉は病室でも移動中でも自宅でも、人の目につくところでは表情があった。

 ところが、自室に入った後は、姉に表情が一切見られない。


 人間は、ここまで無表情でいられるものなのか。


 僕は先ほど鳴ったスマホの内容を確認した。

 

   『会いたい。』


 姉が無表情で僕に宛てたメッセージ。

 僕は姉に返信した。


   『今、会ってるよ。』


 僕は姉の前髪部分の頭を優しく撫でた。




 姉の頭を撫でながら、僕は今日の出来事について考えた。


 姉に感情が欠落していることを確認した。

 リビングで姉が義兄に向かって示した愛情は、どういう(たぐい)のものなのか。


 普通の夫婦の愛情か。

 僕は普通の夫婦を知らないので、判断できない。


 あれほど深い感情を込めた言葉を、姉は義兄にあげていたのか。


 僕は姉に脅迫されるようにして始めた深いキスや、以降の隠さないといけない姉との行為の数々を思い出していた。

 今となっては、遠い、遠い記憶だ。


 僕は姉の頬にキスして、姉のスマホに『帰るね。』と送信した。





 姉の目に僕が映らない。

 姉の耳に僕の声が届かない。


 姉は僕とのことを、全部なかったことにしたいのか?


 違う。姉は、僕のことを弟として大切に思ってくれている。


 ではなぜ、僕を見てくれない? 

 なぜ、僕の声を聞いてくれない? 

 なぜ、僕を感じてくれない?


 姉の感情が消えてしまった。

 姉が通常の人間を(よそお)っているのが見ていて辛い。


 僕に対する感情は、そこまで辛いものだったのか? 

 全部捨てないと生きていけないくらい、辛かったのか?


 僕を残して、姉が逃避した。

 姉を現実に連れ戻さないほうが、姉にとっては幸せなのか?





 翌日、僕は父に姉の状態を報告した。


 僕は姉が現実逃避するほど過酷な状況に追い込んだ。

 父に怒られるのを待っていたのに、父は怒ってくれなかった。


 「最大限努力した結果なんだ。受け止めるしかない。これからを考えるんだ。」


 父はいつでも冷静で、的確なアドバイスをくれる。


 僕はいつも父の子であることを誇りに思い、父のように冷静かつ理性的に行動しようとするのだけれど、姉のことになると、なぜかうまくいかない。





 母は病院にも姉に付き添ってくれているので、報告していない。

 お叱りも後から受けることとし、兄さんにも報告した。



 「君と奥さんの妊娠のことで、特殊事情ってある? 例えば、愛し合っていないとか、通常と違うやり方をしたとか?」


 「どうして?」 


 僕はいつも兄さんに見透かされているような気がしている。



 「お姉ちゃんから、連絡をもらった。君の奥さんが同居したい先輩というのは、奥さんの同性の恋人だ。」


 僕は知っていたので(うなず)いた。

 兄さんは急に真面目な顔になった。



 「君は奥さんを全く愛していないね。そして奥さんも君を愛していない。


  愛し合っていないどころか他に好きな人がいる者同士が、子供を作る。

  君のお姉ちゃんに対する執着心の強さから考えて、一般の方法で子供を作ったと思えない。


  お姉ちゃんがそのことを知ったとしたら、どう考える?」


 兄さんが僕の目をじっと見る。



 姉が知っていた? 

 それほど問題ない方法だ。

 双方の心にダメージが少ない方法を選んだ。

 何が問題なんだ?



 僕が考えていると、兄さんがダメな生徒を教える先生のように、丁寧に教えてくれた。


 「もしも、お姉ちゃんが君のような体験をしたとしたら、君はどう思う?」



 僕は、姉が、僕の結婚相手が妊娠した経緯について知っている可能性を考えた。

 僕の結婚相手が"子供をなす行為"について、僕に嬉しそうに話していたことを思い出した。


 姉が彼女からあの話を聞かされたとしたら、どう捉える?



 僕<姉>が、初めての体験で、姉<僕>のことを想い、そこの部分だけを必要とされ、最小限の接触と最短時間で、愛し合わない交尾をする。



 僕は愕然(がくぜん)とした。


 これは、なんだ? まるでモノ扱いだ。


 第三者の観点でみると、僕と結婚相手の考えていた"姉を想っての行為"の話と、余りに印象が変わっている。



 「まあ、推測だけどね。もしもお姉ちゃんがそのことを知ったら、ということ前提の。」


 もしも姉が僕の"体験"の話を否定的に考えたとしたら?




 姉は、自分に責任があると考えるだろう。


 姉はいつでも僕の姉であろうと努力していた。

 自惚(うぬぼ)れではなく、姉は僕のことを愛してくれている。


 僕を弟ではなく男として愛していることに、罪悪感を持っている。

 これ以上、愛さないで済むように、相手の存在を感じないようにする。


 でも、姉は姉でありたいから、弟の存在を消せない。

 僕の存在を消せないから、せめて僕の声を聞こえないようにする。


 声だけでは足りないから、僕の姿を見えないようにする。

 姉の心が動くと僕が引きずられるから、感情を消して、何も感じないようにする。


 他には? 姉は他に、異常を抱えているのではないか?




 僕は両手で顔を覆った。涙がだらだらこぼれてくる。


 姉の愛が深すぎて、僕には愛が大きすぎて、どうしたらいいのかわからない。



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