15 弟 6
ある夜、ぼくはリビングで座っている母さんを見た。
母さんはテーブルの上のマグカップに両手を添えたまま、ずっと動かない。
何か考え事をしていると思った。そしてそれは、父さんか兄さん、どちらかのことなのだろう。
ぼくにとって、母さんと兄さんは反面教師だ。
苦しいのに一緒にいたがるなんておかしい。
他人なのだから一生会わなければ、いい思い出になって、幸せに生きていけるはずだ。
それなのに母さんと兄さんは連絡をとりあい、家族として会って行動し、家族としているにもかかわらず恋人のように見つめ合う。
ぼくは決してそうはならない。
ぼくは姉ちゃんに苦しみを与えない。
姉ちゃんにぼくの気持ちを悟らせない。
姉ちゃんは母さんよりも鈍感だから、きっとぼくの想いに気付かない。
それでいい。
姉ちゃんとぼくは、母さんと兄さんのような他人ではないから、一生別れて会わないというわけにはいかない。
ぼくは弟という枠組みからはみ出さないよう、生きていかないといけない。
そうしないと、ぼくたちは幸せになれないから。
姉ちゃんが夜の9時を過ぎても帰って来ない。
ぼくは姉ちゃんのスマホに連絡を入れた。少し待つと、姉ちゃんから返信がきた。
例の手作り夕食の男の家で酒を飲んでいる、という内容に、ぼくは焦った。
姉ちゃんは、酒を飲むのは初めてのはずだ。
ぼくは不安になって、すぐにでも迎えに行きたくなった。
タクシーで迎えに行くから住所を教えるよう姉ちゃんに伝え、ぼくは兄さんに協力をお願いした。
ぼくは残念だけど、まだ中学生だ。
中学生一人での夜の外出は世間的よくないし、相手の男がどんなやつかわからない。
あと半年たてば高校生になるのでできることが増えるけれど、それでも姉ちゃんを護るには足りない。
ぼくは姉ちゃんよりも年下で、頼りない存在なのが嫌だった。
迎えに行った先は、一人暮らしの男の住まいだ。
姉ちゃんは愛想よく男に挨拶し、兄さんとぼくもそれぞれお礼を言って、姉ちゃんをタクシーに乗せた。
兄さんが助手席に座り、姉ちゃんとぼくは後部席に座った。
タクシーの中で姉ちゃんは眠そうだった。
ぼくは姉ちゃんの頭をぼくの肩に寄り掛からせて、少し寝かせた。
家に着くと、母さんが玄関で迎えてくれた。
姉ちゃんは母さんに心配をかけたことを謝って、そのままシャワーを浴びて自分の部屋に入った。
ぼくもすぐにシャワーを浴びた。
姉ちゃんの部屋に行こうとして、帰宅して姉ちゃんと別れたあとで、兄さんに言われたことを思い出した。
目を閉じて、「魔法の言葉」を唱える。
ぼくは姉ちゃんの部屋に、勝手に入った。
姉ちゃんはバスタオルを身体に巻いて、髪を梳いていた。
「今日はありがとう。」
姉ちゃんがまだ赤い顔でぼくにお礼を言った。
ぼくは姉ちゃんの後ろに立って、ドライヤーで髪を乾かす準備をする。
姉ちゃんの髪を乾かしている間、ぼくはききたいことをきいた。
「あの人と、付き合っているの?」
「そうよ。」
ぼくは悔しくなった。
「姉ちゃんは、あの人がいいの?」
「あの人で、いいの。」
ぼくは何も言えない。
姉ちゃんの髪を根本から乾かし、最後に冷風をあてた。
ブラシで梳かし、姉ちゃんの天使の輪を作る。
ドライヤーを片付けて部屋を出ようとすると、姉ちゃんに腕を引っ張られた。
急なことで慌てて脚に力を入れて、倒れないようにする。
びっくりして姉ちゃんの方を見たとき、姉ちゃんが僕の唇に自分の唇を触れさせた。
ぼくは声を出せず、姉ちゃんを見た。
「口直し。」
姉ちゃんの言っている意味を考える。
ぼくは姉ちゃんを見続けた。
気づいてはいけないことに、ぼくは気付こうとしている。
期待してはいけない。
気持ちを育ててはいけない。
母さんと兄さんのようになってはいけないのだ。
「ファーストキスじゃないわよ。」
姉ちゃんが言ったことに、ぼくは反応する。
「あの人としたのがファーストキス?」
姉ちゃんは微笑んだ。
「違うわ。最初のキスは、あなたとしたのよ。」
「覚えてないよ。」
ぼくが否定すると、姉ちゃんが嬉しそうに言う。
「私が小学生のとき、あなたが私にもたれてきて、口にくっついたの。」
「それって、キスではないよね?」
ぼくが客観的に言うと、姉ちゃんはついでのように言う。
「あなたが小学6年生のとき、私たちはキスをしたわ。」
ぼくは驚いた。
「どこで?!」
姉ちゃんは強気な目でぼくを見る。
「あなたのベッドの中で、明け方に。
私があなたにキスをすると、『もう一回』って言うから、またキスをしたわ。すると、次はあなたからキスをしてきた。」
ぼくは目を開いて姉ちゃんを見続けた。
キスの夢は、現実のことだった。
理由をきいてはいけない。
ぼくたちは、正しい方法で幸せになるのだから。
「他には? 何かした?」
姉ちゃんはぼくの質問に、目を輝かせた。しまった。
「あなたは私の弟よね?」
ぼくは頷いた。
「お姉ちゃんは、口直しをしたいの。」
姉ちゃんの要求に、ぼくは「魔法の言葉」で心の均衡を保とうとする。
「何をしてほしいか、わからない?」
姉ちゃんがぼくを挑発する。
ぼくは弟の領分でできることをする。
ぼくは姉ちゃんの頬に、唇をあてた。
ぼくの精一杯の誠意だ。
姉ちゃんは嬉しそうに、ぼくにまた要求する。
「目を閉じて。」
ぼくが言われた通りにすると、少ししてから唇に柔らかいものが触れた。
離れていくと寂しさを覚えたので、ぼくは夢の中で言ったことを繰り返した。
もう一度、唇に温かさが戻った。
離れていこうとする熱を追って、ぼくの方から唇で触れた。
ぼくたちは長いこと、そのままでいた。
この行為を、弟の領分だと、どうか認めて欲しい。
そうでないと、これがぼくたちの不幸の始まりになってしまうから。




