第9章~全力でやっていたら、いつかは心が限界に達する。~
「Kさん、ちょっとついてきて下さい」
詩織はそう言って、サンガンピュールと稜のいる居間に向かった。Kも一緒に向かった。時刻は午後10時過ぎだ。これから何をする気だろうか。
「あなたはここで待ってて下さい」
詩織はKに対し、居間に通じるドアの手前で待つように指示した。
「サンガンピュールちゃん」
詩織がそう呼びかけた時、2人はまだ「ウイニングイレブン」で遊んでいた。詩織はその光景を見て思わず言った。
「あら、すごく楽しそうじゃない」
「そうなんだ!フランスの選手がたくさん出てて、びっくりしちゃったもん」
楽しそうな表情のサンガンピュールを見るのは、本当に久しぶりだ。
「俺も!俺も!なんか、お姉ちゃんができたみたいで楽しいもん」
稜もすごく楽しそうだ。2年前の初対面の際にはとても驚いたが、今はすっかり打ち解けたようだ。
「そう。でも、今何時?」
詩織が稜に問いかけた。
「えっと・・・10時5分!」
「『ゲームは何時までOK』という約束だったっけ」
「・・・10時」
「そうだよね。もう消しなさい」
「はーい」
稜は素直に応じた。
「ええ・・・もっと遊びたいのに・・・」
サンガンピュールは不満そうだ。Kの自宅にはゲーム機なんて1個もない。娯楽といえばテレビしかない。テレビゲームで遊ぶという機会は滅多にないからだ。
「ごめんね、お姉ちゃん。母さんとの約束なんだ」
彼女には稜が羨ましく見えた。
「さぁ、サンガンピュールちゃんも今日のところは寝なさい。あたしたちの寝室を貸してあげるから」
Kは愕然とした。普段から保護者としてサンガンピュールに接してきたはずなのに、何か自分の接し方とは違う。目から鱗のように感じた。
その最中、居間から出てきたサンガンピュールと目が合った。
「あっ・・・おじさん・・・」
「・・・」
Kは何も言えなかった。わが娘のような存在である彼女に対し、今日は気持ちに寄り添うようなことを何もしなかった。ただただ、学校を抜け出したことにばかり目が行って、つい怒鳴ってしまった。彼女に対して急に申し訳ない気持ちになった。
詩織はその後、寝室でサンガンピュールにこう言った。
「どうする?明日、学校に行く?」
「・・・・・・」
自分の言いたいことをはっきり言うサンガンピュールにしては珍しく無言だ。そんな彼女に対して詩織は、
「学校に行きたくない時は、行かなくてもいいのよ」
と言った。
「いつもいつも全力だったら、いつか疲れちゃう。だったら、少しくらい休んじゃおうよ」
サンガンピュールはうなずいた。
「学校、休む?」
詩織の問いに対し、サンガンピュールは首を縦に振った。今日の出来事は、彼女にとっても相当気まずいものだった。
「分かったわ。Kおじさんには、私から言っておくから」
子どもには、学校に行く権利がある。それは日本国憲法第26条、そして教育基本法第3条(2003年当時)で保障されている「教育を受ける権利」の中の一つと考えられる。子どもたちは自分の夢を実現させる手段として、また、やりたいことをやってみるための手段として、学校に行くことができる。
だがそれと同時に、子どもたちには学校に行かない権利もある。詩織はそう考えていた。
翌日のこと。
Kは取手のM宅から職場に向けて出発した。途中、北千住駅で常磐線快速電車から千代田線に乗り換える際、ひかり中学に電話をかけた。
「おはようございます。塩崎ゆうこの保護者ですが」
「はい、お世話になります」
「あの・・・ゆうこについてですが、昨日は先生方にご迷惑、ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」
保護者としては、けじめをつけなければならなかった。
「ゆうこは、今日のところは『休みたい』ということで・・・」
「かしこまりました。森に伝えますので」
「はい、失礼いたします」
サンガンピュールの意思は昨夜、詩織から聞いていた。今まで全力でやらせてきたけど、果たして彼女に心の余裕はあったのだろうか・・・。そう考えさせられる出来事であった。