悪魔退治は放課後で3
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第二部「https://ncode.syosetu.com/n1942fm/」
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
(1)
夏休みも明け、新学期も一ヶ月が経った頃。七緒たちが悪魔退治に駆り出されることも今では週に一、二回程度になっていた。
七緒と結、そして司の三人で、今日は部室でのんびりと、お茶を飲みながら駄弁っていた。
「――やっぱり現場に行ける人が二人だけだと色々大変ですねえ」
司がクラスメイトのハワイ土産だというマカダミアチョコレートを食べながら、ポツリとそんなことを言っていた。
「そうなんだよね。今まで一人で頑張ってたんだから結には少し休んで欲しいんだけど、休まないって言うんだもん」
七緒はそう言ってお茶のペットボトルを持っている結を見る。
「だって七緒さん一人にして、もし何かあったら――」
結界が強化されたとはいえ、夏休みに手こずった突然変異の悪魔がいつ出るかもわからないので、結の言ってることもわかるのだけど――
「今まで大丈夫だったんだから大丈夫だって」
大丈夫な根拠はないし、実力を過信してもいないけれど、今の状態なら七緒と結の交代制でも対応出来る程度のものだ。
「でも……」
結は多分頑固で用心深いほうだと思うが、夏休み以来輪をかけて顕著になっていた。
七緒を心配してくれてのことなので、強くも言えない。
「だって、昨日もサクッと倒せたし、今日は出な――」
七緒がしまったと思った時にはもう遅かった。校内放送のチャイムが鳴り響く。
「だからフラグ立てちゃ駄目ですって……」
司が溜息をついていた。案の定というか、七緒を呼び出すアナウンスが入る。
「……ごめんなさい」
アナウンスを聴きながら七緒は謝るのだが、これはやはり七緒が悪いのだろうか。
今後似たようなことは言わないようにしようと思った。
「あれ? 全員呼び出しです」
ロッカーから刀を取り出していた結が不思議そうに首を傾げている。
アナウンスには七緒と結の二人だけで終わらず、司も含まれていた。
「……って、先輩は?」
七緒が司に訊く。剣術部は七緒、結、司、先輩――本名不明――の四人だ。
先輩は滅多に顔を見せないが、部員全員なら先輩も居ないとおかしい。
「あ、なんか大学の研究に協力するって今週まるっと休むって言ってました」
司が空のペットボトルをゴミ箱に投げ入れながら、淡々とした様子で言った。
授業を休んでまで研究に協力することを学校側にも許可されている先輩は何者なのだろう。
「……受験生なのに大丈夫なのかな?」
七緒の素朴な疑問だった。疑問はそれだけではないけれど。
「頭良いから大丈夫でしょ」
サラッと司が返す。
「――そういうものなの?」
もっと何か他の――出席日数とかは大丈夫なのだろうか。との疑問が更に七緒に残った。
「一応、刀を持って行きます? どうします?」
結は謎の会話にも動じず、七緒の刀をロッカーから取り出してくれている。
「あ、ありがとう。それじゃあ一応持って行こっか」
七緒は剣帯に刀を差して、行き慣れた学園長室に向かった。
(2)
学園長室に入った途端、目を惹く少女が立っていた。
「アリーチェ・リナルディです。アリーチェと呼んでください。よろしくお願いします」
キラキラと輝く金色の長い髪に、翡翠色の瞳をしたその少女は――七緒と同じくらいの年齢だとは思うが――流暢な日本語でお辞儀も交え、フレンドリーに自己紹介をする。
「よ、よろしくお願いします」
七緒たちも慌ててお辞儀をして、挨拶を交わす。
「留学生でね。彼女も八瀬流剣術の使い手なんだ」
学園長が嬉しさを抑えきれない様子で話し出した。アリーチェも笑顔で頷いている。
「留学生――ってことは海外ですよね? うち、そこまで大きな流派じゃないですよ?」
七緒は否定をするが、アリーチェが得意気に取り出したのは紛れもなく日本刀だった。取り回しにも慣れている。
「総一君は三十年前くらいにヨーロッパ辺りを旅してたよ。流派を広める為だったんだね」
理事長が言った「総一君」とは七緒の父の名前だ。君付けで呼んでる人を初めて見た。
「そうですか……」
それにしても流派を広めるのは良いけど、海外にまで行っていたなんて、七緒はそんな話を聞いたことはない。あの父親は大事な話をせずに一体何をやっているのか――そういう人だけど。
「私も、師匠の師匠をマネして、道場破りしに来ました」
アリーチェが目を輝かせて七緒たちを見ている。
どうやらその昔、七緒の父親が剣術を教えた人の弟子に当たるようだ。
「道場……破られるの?」
この時代に道場破りとは古風な――七緒は思わず結を見ていた。
「七緒さん、負ける前提で話をしないでください」
結のもっともなツッコミだった。
「アリーチェ、武者修行の間違い。道場破りだと師匠たちと勝負しないといけない」
学園長が上機嫌に訂正をしている。今日の学園長はいつにも増して機嫌が良い。
「そうです武者修行――日本語が難しいですね」
アリーチェが困った表情で言い間違いを訂正しているが、基本、母国語ではない言葉なのに、「武者修行」や「道場破り」という言葉を知っているだけでも十分に凄いと思うのだけど――
「そういうわけで、アリーチェをよろしく頼むよ。同じ寮に入ってもらうことだし」
色々サポートもしてくれ――丸投げとも思える学園長の言葉だった。
「わかりました。これからは三人で仕事を――ということですね?」
結の言葉にアリーチェも学園長も笑顔で頷いていた。
それにしても、結は何故こういうことは飲み込みが早いのだろう――七緒が見付けた結の不思議のひとつだった。
「よろしくお願いします」
アリーチェも人懐っこい笑顔を咲かせて結と握手をしていた。
「いやー人手不足がこれでそれなりに解消できたー」
学園長が爽やかな笑顔でハッキリと言い切る。
それが本音か――七緒は心の中でツッコんでいた。
(3)
七緒たちは学園長に丸投げの状態でアリーチェの世話を任され、とりあえず剣術部の部室に招待していた。寮に帰るまでに軽い自己紹介を兼ねての雑談をすることが目的――仲良くなるにはまず互いの理解から――という皆の考えだった。
「そういえばアリーチェは何処の国から来たの? 学園長はヨーロッパ辺りって言ってたけど」
七緒はそう言うと冷蔵庫から各種揃っている飲み物を取り出して、アリーチェにどれが良いか選ばせる。剣術部は何気にこの辺りが充実していて良い感じだ。
「イタリアです。ローマの近くの町で生まれました」
アリーチェは意外にも緑茶を選んだのだけど、口に合うのだろうか――
「じゃあずっとイタリアで剣の稽古してたんだ?」
「はい。私の師匠が総一師匠の弟子なので、私は孫弟子ですね」
そう答えるとアリーチェは緑茶を美味しそうに飲んでいる。とりあえずの心配は杞憂だった。
「よくそんな言葉知ってますね?」
司がマカダミアチョコレートを差し出しながら、感心したようにアリーチェに尋ねる。
「師匠が教えてくれたのと、ネットの落語と漫才で勉強しました」
礼を言ってチョコレートを一つ食べながらアリーチェが答える。
便利な時代をフル活用した語学学習方法が飛び出してきた。
「それは日本語の勉強法として合ってるの?」
悪いことではないけれど、それで会話を覚えられても七緒的にはなんとなく不安だ。
「落語も漫才も会話を楽しむものですから大丈夫だと思います」
結は落ち着いてそう返していた。動じないのは凄いと思う。
「はい。会話の勉強沢山しました。でも見ないとわからないこと沢山あります」
アリーチェは少し困ったような顔をしている。
「どんなことがわからないの?」
答えられることなら答えるよ――七緒はそう続けた。
「日本には刀持ってる人が多いと思ってました。でも空港に着いたら誰も持ってなかったです」
アリーチェはとても残念そうに溜息をついている。
「うん。一応こうやって持ち歩いてたら警察に怒られる物だからね……」
七緒はアリーチェを気遣って穏やかにツッコんだ。
今では七緒も剣帯で下げて歩くことに慣れてしまったのだが、それも学園内に限られている。
「私、武者修行に来たのに刀持ってる人誰も居ないと修行できないです。でも皆さんが来た時、刀持ってて安心しました。そして大和撫子が本当に居ました」
アリーチェはそう言って笑うと、結を見た。
「確かに大和撫子――」
七緒も視線を追って結を見る。
「え? 私ですか?」
七緒とアリーチェ、突然二人の注目を浴びた結が目を丸くしていた。
「結以外に居ないと思う」
七緒は自分でも大和撫子とは縁遠い位置に居ると思っている。司はどちらかと言えば活発そうな感じだし、何よりアリーチェが見ているのは結だ。
「ですね」
司も七緒に同意している。
「そう。結さん、私が考えてた大和撫子です」
アリーチェが憧れの眼差しで結を見ていた。
「――あ、ありがとうございます」
結が恥ずかしそうに返事をしている。何処か落ち着かないといった様子だった。
七緒は結が照れているのを初めて見たような気がする。良いものが見られたと思った。
(4)
アリーチェともそれなりに話が弾んで、今日はそろそろ帰ろうかという頃に、もう一度学園長室への呼び出しがかかった。
今度は七緒と結だけが呼び出されたので、司がPCモニターを確認していた。
「悪魔の反応出てる?」
準備をしながら七緒が司に尋ねる。
「まだ注意レベルですけど、出てます」
司は地下通路の結界レベルの数値を見ながら答えた。
「確認に行かないといけませんね」
そう言った結は既に準備万端で、ドアの付近に立っている。
「多分そうですね」
PCを操作しながら司がサラッと返す。
「じゃあ、行きますか」
七緒も準備を整えて、学園長室へ――
「私も行きたいです。悪魔退治したいです」
アリーチェがそんなことを言い出した。
「あー……どうなんだろう。長旅の疲れとか出てない?」
「はい。元気です」
アリーチェは即答だった。今にも飛び跳ねそうなくらいに活気が溢れている。
「でも、呼び出しは私と結だけだったし……どうしよう?」
七緒たちとの雑談の中で、アリーチェが日本に着いたのは昨日だと話していたので、ゆっくりして欲しい気持ちはあるけれど、目を輝かせているアリーチェを無碍にするのも心が痛む。
「私たちだけで判断するより、学園長に訊いてみましょう」
どちらにしても学園長室に行きますから――結の言う通りだった。
「じゃあ一緒に学園長のところに行こっか」
そう言って七緒がアリーチェを見た。
「はい!」
アリーチェは嬉しそうにしていた。
「一緒に? 構わないよ?」
学園長室――アリーチェを地下通路に連れて行って良いかと尋ねたら、上機嫌に学園長が許可を出した。本当に今日は上機嫌だ。
「いやー即戦力になってくれるだなんて、ますます良いことだ」
やっぱりそれが本音だった。
(5)
いつもの地下通路。七緒たちは周囲を警戒しながら――今日は慣れていないアリーチェが居るのでより入念に――歩いていた。
ふと、周囲の空気が変わった気配がする。
結にも、そしてアリーチェにも察知できたようで、三人とも自然に刀に手をかけていた。
やがて、ぼんやりとした悪魔の影が、その姿を明らかにする。
「うわ……今日のは図体が大きい……」
七緒は苦笑いで呟いた。地下通路の天井ギリギリまである体躯は、三メートルはある。
以前に対峙した突然変異の悪魔の気配ではないし、動きも遅いので、手こずることはないだろうが、普通に斬り込んでも急所に届くかどうか――それでも倒すしか方法はない。
七緒は刀を抜いて、悪魔の足元を崩すように斬り込んだ。
思った通り、悪魔の動きは遅い。七緒の動きに反応できず、地面に膝を着いた。
「――結!」
「はい!」
七緒の声に呼応して、結が七緒に向けて走り込む。そのまま――七緒の膝と肩を踏み台にして高く飛び、大きく傾いていた悪魔の急所――頭部を鋭く斬り付ける。
悪魔は大きな叫び声を上げて、倒れ込む。
――しかし、その中からもう一体、小さな悪魔が出てきた。
すばしっこい動きで、少し離れたところに居るアリーチェに向かって行く。
「分裂した――いや、元から二体だった? アリーチェ!」
七緒は叫びながら、後を追う。結も続いていた。
「任せてください!」
アリーチェは基本の構えで迎え撃つ体勢に入る。
驚くほど基本に忠実な八瀬流剣術の居合いの型で、飛びかかった悪魔を一閃で仕留めた。
「やるぅ……」
「――お見事です」
追撃を仕掛けようとしていた七緒と結からそんな言葉が出てきていた。
(6)
「さっきの作戦、いつどうやって決めたのですか? お二人何も話してなかったです」
学園長室での報告も終え、部室から自分の荷物を持って寮に帰る道の途中、アリーチェが不思議そうに七緒に尋ねていた。
「え? なんとなく結ならこう動くだろうなって」
訊かれてもそうとしか答えられない。七緒は結を見る。
「私も、七緒さんならこう思ってるはずだと――」
結もそう答えて七緒とアリーチェを交互に見ていた。
「だけど、言わないと思ってることわからないです。不思議です」
アリーチェも七緒と結を交互に見て、本当にわからないといった表情になっている。
「言われてみれば、どうしてだろうね?」
改めて言われると、何故結ならこう動くと思えるのか――不思議なことだと七緒は思った。
「どうしてでしょう?」
結も首を傾げている。
「目の前で見ても沢山わからないことあります。武者修行――難しいです」
アリーチェがそう呟いていた。
それぞれの謎が謎を呼ぶ帰り道だった。
(7)
「これが日本料理ですね? イタリアのコトレッタに似てます」
寮の食堂に並んだ料理を見て、アリーチェが目を輝かせていた。
「トンカツって日本料理なのかな? もっと懐石料理とかのほうが日本っぽい気がするけど」
いつものように美味しそうな料理だけど、日本料理なのだろうか。七緒は首を傾げる。
「日本の家庭料理ですね」
結が的確な言葉で言い換えた。
「はい。家庭の料理楽しみにしてました。これは何ですか?」
アリーチェは副菜に添えられた小鉢を眺めている。
「それは胡瓜とタコとワカメの酢の物――ビネガー? イタリア語でなんて言うのかな?」
アシッド――それでは酸だ。七緒は心の中でツッコんでいた。
「ビネガーわかります」
英語も出来る――アリーチェが言う。
「じゃあ良かった。ビネガーを使った料理」
「あの……それより、海外の人はタコを食べないって聞いたことがあります」
結が心配そうにしている。
「そうなの? 大丈夫? 無理だったら残しても良いからね?」
「イタリアではタコ食べます」
「そうなんだ?」
「海のほうに行くと良く食べます。ワカメも知ってます。師匠が教えてくれました」
他にもラーメンは熱いから気を付けろと言われました――とアリーチェが話す。
「良い師匠だね」
七緒は笑って返す。注意するところはズレてる気が少しするけれど――
「はい。優しい、強い師匠です。だけど困りました」
「どうしたの?」
「師匠の師匠から師匠を継いだ七緒師匠、なんて呼べばいいかわかりません」
アリーチェの師匠の師匠は宗家総代だった総一――しかしそれは七緒に譲られた。
それによって七緒の立場的な呼び方も、アリーチェから見れば悩ましいものになる。
「――普通に名前で良いよ?」
宗家と言っても入門してからの年数だって数年しか違わないはず――七緒が生まれた時から入門していたとしても、だ。
「失礼ではないですか?」
アリーチェが困ったように尋ねる。
「全然。結なんて気付いた時には名前で呼んでたくらいだもん。ね?」
そう言って七緒は結を見た。
「宗家に失礼を……」
結が痛いところを突かれたという表情で、後悔の念を表わしていた。
かなりマシになったけど、結は相変わらず家とか間柄とかに縛られている。全面的に悪いことではないが、もう少し自由になって欲しいと思うのは七緒のワガママなのかもしれない。
「いや、責めてるわけじゃないからね? それくらい気軽で良いってこと」
七緒の言葉に「はい」と答えた結が、少し安心したように笑った。
「それじゃあ、七緒さんと呼びます」
アリーチェも安心したように笑っていた。
「うん。じゃあ温かいうちにご飯食べよっか」
七緒はどうして自分が仕切っているのかよくわからないままに、三人で「いただきます」と、手を合わせて夕食を食べ始めた。
「七緒さん、ソースどうぞ」
結がテーブルの真ん中にある調味料入れから、トンカツにかけるためのソースを取り出して、七緒に渡す。
「あ、ありがとう。アリーチェもソース使う?」
味覚に合うかわからないから、最初は少しにしてねと言いながら、七緒はソースのボトルをアリーチェに渡した。
「はい。食べてみたいです――結さん、七緒さんは何も言わないのに、またわかってました」
アリーチェはソースを受け取って、皿に少しだけ注いで味見をしながら、また不思議そうに七緒と結を見ていた。ソースの味は気に入ったみたいで、追加で注ぎ足していた。
「あれ……ホントだ」
トンカツにはソースは付き物なので、七緒も自然に受け取ってはいたけれど、改めて言われると謎だし、結が気を利かせてくれているというのを、改めて感じる。
「言わないのにわかる。大和撫子の能力――不思議です」
これが大和撫子の能力なのかは、七緒にもわからないけれど、アリーチェの言う通りだった。
(8)
翌日の放課後――今日は呼び出しがなく、まったりとした放課後だった。
アリーチェは司と同じ学年らしく、学園長権限で同じクラスに編入したそうだ。
長旅の疲れも見せずに元気に過ごして、早速クラスの人気者になったということだった。
帯刀した姿で教室に入って来たので余計に――と司が話していた。
「そうだ、アリーチェの歓迎会どうする? 先輩は来週まで登校してこないし、来週かな?」
七緒はそう訊きながら冷蔵庫から飲み物を取り出して、部室に居るそれぞれに渡した。
結には緑茶、司にはコーラ、アリーチェにはまた好きなものを選ばせて。
「歓迎会――とても嬉しいですけど、それより稽古したいです」
それぞれ礼を言ってペットボトルを受け取る。アリーチェはまた緑茶を選んでいた。
「あ、先輩なら明日留学生を見に来るってメッセージ入ってました」
司がPCを立ち上げながら、サラッと答えていた。
「じゃあ明日歓迎会で、今日は稽古しよっか」
七緒は烏龍茶のボトルを手にして、稽古場に行く準備を始める。
「歓迎会の調整しておきまーす」
司がひらひらと手を振ってPCに向かっていた。
「ここが日本の道場――大きいです。練習の刀も沢山ですね?」
剣術部はその重要性から何気に優遇されている。稽古場の道場も一般的な体育館の半分の面積くらいは確保されている。
アリーチェが言うにはイタリアにはここまでの広さの道場はなかったらしく、嬉しそうに色々と見学をしている。
「七緒さん手合わせお願いします。武者修行!」
アリーチェは数多ある練習用の刀から、自分の刀とよく似た物を即座に選んで素振りをしながら七緒に頼み込んできた。
「了解。じゃあ、行くよ?」
七緒もいつも使っている練習刀を取り出し、剣帯に装備して、構える。
「はい!」
アリーチェも刀を構えて、七緒に相対する。
――稽古場の空気が静かなものになった。
七緒はアリーチェが先に仕掛けてくるように、構えを少しだけ変える。
予想通り、アリーチェが先に動いた。
上段からの袈裟懸け――七緒は刀身で受け流してセオリー通りにアリーチェを狙った。
基本とされる一連の型なのだが、アリーチェもしっかりと受け止めて、流す。
そして、変則的な突きを放ってきた。七緒もこれには一瞬驚いたが、見切って刀で打ち払う。
アリーチェは八瀬流剣術の基本に忠実、かと思えば西洋の剣術――フェンシングに近い――のように切っ先で突いてくる変則的な刀の使い方をしている。
東洋と西洋が混ざるとこうなるのか――七緒は刀で攻撃を払いながら、感心していた。
トリッキーな動きでも、慣れるとやはりアリーチェの攻撃の癖がわかるようになる。
基本の型から独自の型に移る手前に大きな隙が出来る。
七緒はその隙を突いての一太刀をアリーチェの首元に浴びせた――勿論寸前で止めて。
「参りました。七緒さんやっぱり強いです……」
そう言うとアリーチェは悔しそうにしていた。剣術向きの性格だと七緒は思った。
「アリーチェも強いよ? あのフェンシングみたいな動きは参考にしたいくらい」
「見慣れない動きもありましたし、勉強になりました」
七緒と結がそう答えると、花が咲くみたいにアリーチェが笑う。
「本当の人にほめられる。嬉しいです」
「――本当の人?」
「はい。私の剣術間違ってるかもしれない。心配でした」
自分の国に居た時は稽古していても確認のしようがなかったと言う。
「大丈夫、合ってる」
七緒が笑顔で返すと、安心したようにアリーチェが笑っていた。
「お二人の手合わせが見たいです」
七緒が一息ついて烏龍茶を飲んでいたら、アリーチェがそんな提案をしてきた。
「でも七緒さんは連続に――」
結が困ったように答える。
「大丈夫だよ?」
七緒はあっさりと返して稽古場の真ん中に移動した。
連続での手合わせくらいは何度も経験している。一応宗家の名は伊達ではないのだ。
「――では、行きます」
結も対面に向かい、柄に手をかけて構えを取る。最初は居合いで行くようだ――
今度は七緒から仕掛けてみることにする。居合いで止められる場所に刀を振り下ろす。
結は即座に刀を抜き、七緒の攻撃を弾いた。
そこから手首だけを切り返して、七緒の手元を狙うが、七緒もそれを刀で弾く。
やはり結のほうが七緒よりも若干動きが速い。
その分、攻撃する力は少しだけ軽いので、単に腕力だけでは七緒のほうが有利だった。
七緒はわざと重い一撃を結が受け止められるように繰り出す。
「く……」
鍔迫り合いで押し合う形になるが、次第に結の腕が七緒の力に耐えられないという感じで小さく震える。結としてはここからなんとか力を逃して攻撃に転じたいところだろう――
七緒は一瞬だけ押す力を緩めた。その隙を逃すような結ではないので、即座に攻撃に転じる。
結ならこの次の攻撃は胴に来る――七緒は刀を切り返して結の一太刀を確実に受け止めた。
「……読まれてました。参りました」
結が残念そうに呟くと、刀を引いた。
「――読まれる。また、言わないのにわかってました。今度は七緒さん」
どうして二人だけがわかる――アリーチェはまた不思議そうに二人を見ていた。
「何度も手合わせしてるから見えて来ちゃうんだろうね」
「まだ見えてないのに見える?」
「結だったらこうするだろうなーってわかっちゃう」
「どうしてですか?」
至極単純なアリーチェの問いかけだった。
「――どうしてだろう?」
七緒にもわからなかった。
「わかるまで、もっと稽古します」
アリーチェはそう言うと、稽古場の真ん中に進み、先程の七緒の一連の動きを真似するように素振りを始めた。大まかだけど動きはほぼ合っている。剣術を見る目も確かなようだ。
「おお、大体の動きもちゃんと合ってる」
七緒が感心した声を上げる。
「アリーチェさん、可愛いですよね」
結が緑茶を飲みながら、素振りを続けるアリーチェを見て、そう呟いた。
「まあ、流派の大事な弟子にもなるし、一生懸命で可愛いよね」
七緒は弟子を持ったことはないけれど、弟子が居たらこんな感じで見守るのだろうか。
「――私は可愛くないですか?」
結が急に変なことを七緒に訊いてきた。
「いつも近くで見てるけど、結は可愛いって言うより綺麗だよ?」
取り乱してても綺麗――七緒はそう続けた。
「……じゃあ良いです」
質問したのは結なのに、答えを聞いた途端、何故か照れている。
わかるようでわからないことも沢山あるなと七緒は思った。
(9)
翌日――今日も放課後の呼び出しはない。とても平和だ。
しかし、それを口にしたら多分呼び出しフラグが立つので七緒は黙っていた。
結と司は歓迎会の買い出しに行ったので、部室には七緒とアリーチェ、そして先輩が居る。
ちなみに先輩は部室にやってきてアリーチェを見るなり何かに納得していた。
「そういえば、アリーチェが『どうして言ってないことがわかるのか』って言ってたでしょ? あれからちょっと考えてたんだけど、結を信じてるからかなあって」
七緒はここ数日、アリーチェに指摘されてから自分でも不思議に思っていたことの一応の結論を話していた。
結本人を目の前にして「信じてる」なんて、多分照れて言えないので、居ない時を見計らったのはちょっと卑怯かなとも思ったけれど。
「信じるだけで、言わないことがわかる……難しいです」
「それなんだよね。私もどうしてなのかがまだわからないんだ」
七緒はそう言うと笑って烏龍茶を一口飲んだ。
「アリーチェ。愛しあう二人に言葉はいらないのよ」
静観していた先輩が、話に割って入る。
「――ごほっ」
予想外の話の展開に、七緒は飲みかけていたお茶を盛大に気管に吸い込んでしまった。
当たり前にむせて、咳き込む。
「愛しあう――恋人ですか?」
「そう受け取ってもらっても構わないわ」
先輩は活き活きとアリーチェに色々なことを暴露しようとしている。
「せ、先輩――勝手に話を進めないで」
七緒は吹き出したお茶を拭きながら暴走しかけている先輩を制した。止まるとは思えないが。
「違うの? あんなにいちゃついてて? 証拠映像もあるのに? 今も惚気てたのに?」
「いや、その……色々と……」
あの時の映像はハッキリと残っている。他の人たちは何も言わないけれど、先輩はそれを言う人なのだ。悪いことじゃないけど、証拠があるのは問題だと思った。
「……わかったわ。言い換えましょう。アリーチェ、以心伝心って言葉知ってる?」
慌てている七緒を見かねてくれたのか、先輩はガラッと話を変えてくれる。
「ん……知らない。難しい言葉です」
「元は禅宗の考え方だけど、言葉を持たなくても、心と心が通じ合うことを言うの」
先輩は自分の心臓の辺りを軽く指差して説明を始めていた。
「言葉を持たない……心と心――?」
先輩には悪いけど、余計ややこしくなりそうな気配がする。
「アリーチェは大事な人が悲しそうにしてたらどう思う?」
「私も悲しいと思います。心配。大事な人の近くで、悲しくなくなるまでずっと居たいです」
七緒は二人の話を聞きながら、アリーチェは本当に良い子だなと思っていた。
こういう人に自分の家の流派が伝わったことを少し嬉しくも思った。
「それ。言葉で言わなくても、同じように悲しくなる――共感、シンパシー、イタリア語ではシンパティーア。お互いに大事な人のことを想っていると、それが強くなるの」
先輩が珍しく真摯に話している。別にいつもふざけているわけではないけれど、多分珍しい。
「んん……恋人みたいに大事な人がないとイシンデンシンならない?」
難しいとアリーチェが溢した。
「恋人に限らず、アリーチェが大事に想う人のことを考えてると、そのうち出来る」
一番大事なそこをぶん投げるのか――七緒は聞きながら心の中でツッコミを入れていた。
「大事な人、沢山居ます。みんな大事です」
自分の国の人も、この国で出会った人も――アリーチェはそう続けている。
「じゃあ、心配しなくてもそのうちにわかるようになるわ」
先輩がドヤ顔で言い切っている。この自信はどこから来るのだろうと七緒は思った。
「イシンデンシン、真髄、掴むまで頑張ります」
アリーチェはまた謎の語彙をフル活用して決意を新たにしている。
何故「真髄」を知っていて「以心伝心」を知らないのだろう――謎だ。
「私の研究テーマのひとつだから、七緒ちゃんと結ちゃんには被検体になって欲しいのよね」
アリーチェの疑問がそれなりに解決したみたいで良かったとは思うけれど、先輩はまたマッドサイエンティストみたいに物騒な言葉で締めていた。
(10)
「ねえ、こんなに本格的なお寿司は予想してなかったんだけど……」
七緒が目の前にあるテーブルを見て誰に聞かせるでもなく呟いた。
テーブルの上には十人前の特上寿司が――パーティー用のデリバリーによくある使い捨てのトレーではない、大きな漆塗りの寿司桶で、職人の手によって配達されてきた。
「でもアリーチェさんの希望ですし、予算もそれなりに」
お菓子などの買い出しを終えて帰ってきた結が静かに七緒に答えている。
「剣術部の予算ってどれだけあるの……」
「その辺りは先輩が管理と運用してるはずですよ」
司もお菓子をレジ袋から取り出しながら七緒の疑問に答えた。
「……じゃあ詳しく聞かないでおく」
管理はともかく運用――先輩のことだから、尋ねたら何か怖い答えが返ってきそうだ。
「お寿司、本物ですね?」
アリーチェが嬉しそうにしているのが救い――それにしても、生魚は大丈夫なのだろうか。
「早速食べましょうか――じゃない。アリーチェ、ようこそ我が剣術部に!」
先輩が先輩らしい言動をしていたけれど、若干不穏な言葉だった。
「美味しいです」
アリーチェはそう言って嬉しそうに寿司を食べている。
なんでも日本に来たら食べたかったものの一つだったらしい。
「良かった。好きなの食べて良いからね?」
七緒は自分の食べる分をセーブして、アリーチェに好きなネタを選ばせる。サーモンを気に入ったらしく、遠慮がちに選んでいた。十人前もあるのだから遠慮しなくても余ると思うけれど。
よく見れば、アリーチェは箸の使い方も綺麗だった。
「結は海老好きだったよね。もっと食べる?」
七緒は自分の好きなネタを食べながら、結に訊く。
豪華な寿司だけあって、甘海老と車海老の二種類が寿司桶に納められている。
「――良いんですか?」
結が一瞬嬉しそうに、七緒を見た。こういうところが時々可愛いと七緒は思った。
「うん。沢山あるし、みんな適当に好きなの食べてるし」
「じゃあ、いただきます」
結も少し遠慮がちだけど、自分の好きな車海老を選んで食べていた。
寿司が半分くらいになったところで、七緒たちを呼び出す校内放送が入る。
「あれ、呼び出しだ。行かなきゃ」
七緒はお茶を飲んでから、ロッカーから刀を取り出して剣帯に装備する。
正直なところ、もう少しこの高級なお寿司を味わっていたかったと思った。
「わかりました」
結も箸を置き、七緒から刀を受け取って装備している。
アリーチェはずっと帯刀しているので準備は万端だ。
「お寿司食べてから行けばいいわよ」
先輩がスマートフォンで結界の警戒レベルを確認してから流すように軽く言う。
「そうですね」
PCで確認していた司もそれに続いている。
「……そんなものなの?」
七緒もこの生活にだいぶ慣れてきたつもりだが、まだまだ謎が多いと思った。
(11)
「歓迎会楽しかったかい?」
学園長室――結局、呼び出されてからここに来るまでに、一時間以上かかっていた。
かなり遅くなったことを謝ろうと思っていたのだけど、機嫌の良い学園長にかき消される。
「お寿司美味しかったです」
アリーチェが天真爛漫に答えていた。
「それは良かった。ところでまたちょっと警戒レベルが上がってるみたいなんだよね。モニタでは確認できていないから、その目で確認してきて欲しい」
「じゃあ、行ってきます」
七緒が気合いを入れる。腹ごなしに丁度良い――少し食べ過ぎたかもしれないけれど。
「よろしくー」
上機嫌の学園長が手を振っていた。
「今日は空振りかな」
地下通路を慎重に進みながら、三十分――七緒が呟いた。今日は悪魔の姿も、気配もない。
これは結界の警戒レベルが上がった時でもたまにあることなので、珍しくはなかった。
詳しくはわからないけれど、結界師の話では、結界の精度を上げた分、些細な変化でもすぐに警戒レベルが上がるという仕組みらしい。
「空振り?」
耳慣れない言葉だったのか、アリーチェは首を傾げている。
「思ってた結果が何もないことです。今だと悪魔が居ない――」
結が七緒の言葉をサポートするように説明をしていた。
「悪魔が出てこない――武者修行できませんね?」
飲み込みが早いアリーチェはすぐに意味を理解できたようだ。
「そういうこと」
三人は第一の結界が張られている扉の前に辿り着いた。
それなりに注意深く進んできたのだが、ここまで一切の気配がなかった。
「戻ろうか。一応報告もしなきゃね」
七緒は結と共に結界を構成する機器をチェックしてから、ゆっくりと来た道を戻る。
武者修行をしたいアリーチェには残念だけど、何事もなくて良かったと言うべきだろう。
「残念――でも、空振り覚えました」
何処までも前向きな――しかも少し好戦的なアリーチェだった。
(12)
「はい、アリーチェお茶」
「――!?」
学園長室での報告を終え、部室に戻った七緒がアリーチェにペットボトルの緑茶を渡した途端アリーチェが驚いて七緒を見た。
「あれ? 別のが良かった?」
「七緒さん、私、何も言わないのに、お茶飲むのわかりました」
そう言ってアリーチェが目を輝かせている。
「ん? いつも飲んでたから、気に入ったのかなって思っ――わぁ!」
アリーチェが急に七緒に抱き付いてきた。
近くで結の驚いた声が聞こえた気がしたけど、思いっきりの良いハグでそれどころではない。
「嬉しいです――以心伝心です」
「わかったから、離れて……苦しい」
「七緒さん、大丈夫ですか? アリーチェさん、離れましょう?」
珍しく結が慌てている。
「若い子は情熱的で良いわね」
先輩が達観した人みたいな感想を漏らしていた。一年しか違わないのに、すごい落ち着きだ。
「アリーチェ、驚くからいきなり抱き付いたりしちゃ駄目だよ」
解放された七緒は少しだけアリーチェを嗜めるように諭す。
「ごめんなさい。私、まだ七緒さんのことわからないです……」
「……それは少しずつだね」
文化も風習もコミュニケーションも違う国から来てるんだから――と七緒は続けていた。
「頑張ります」
こういうところでもめげないアリーチェだった。
(13)
七緒と結は放課後の仕事が終わってから、夕飯を済ませて、自分たちの部屋に居た。
今は就寝に近い時間だけど、結の機嫌がいまいち良くない感じがする。かといって直球で機嫌が悪いと指摘するのも問題だし――
「今日はなんかいつもより元気ない。調子悪い?」
結局、調子の良し悪しのほうからアプローチすることにした。
「アリーチェさん、可愛いですよね」
結は急にアリーチェのことを持ち出してきた。
「? 可愛いね」
七緒は事実だけを返して結の言葉を待つ。
「……私は七緒さんにあんな風に抱き付いたことないです」
そんな理由で機嫌が悪かったのか――
「抱き付いてるじゃん……」
七緒はそう答えたけれど、結が抱き付いてくるのは寝惚けてる時だった。
あとは――初めて会った頃くらいに一回――結は覚えてないかもしれない。
「そうですけど……ちょっと、寂しいです」
結は不満そうにしている。
「それで拗ねてたの?」
「――拗ねてなんて」
「結、ちょっと」
七緒は手招きをして、結を呼んだ。
「はい――」
結は無防備に七緒の傍にやってくる。
手が届く距離になったので、七緒は手を伸ばして結の身体を引き寄せて、強く抱きしめた。
「――な、七緒さん、苦しいです」
結は昼間の七緒と同じ台詞を口にしている。
「寂しい思いさせてごめんなさい」
少しだけ力を緩めたけれど、結を離さないままで、七緒がそう呟く。
「七緒さん……どうして急に……」
結は七緒の腕の中で少しの抵抗を見せて小さく藻掻いている。
「んー、結は大事な人だから、寂しいのとかそういうの半分こしたい。出来ないかもだけど」
結の疑問に七緒はそう答える。今まで一人で頑張ってきて、やっと頼れる相手が出来たのに、また一人にして寂しくさせてしまうなんてことは、七緒にはできない。
「……七緒さんが七緒さんで良かったです」
まだ抱きしめられたままの結は、半分諦めたような――それでも照れたように七緒に返す。
「へへ、ありがとう」
結の触り心地の良い髪を撫でながら、七緒は笑っていた。
(14)
翌朝――結が早朝のトレーニングから帰ってきた音で、七緒は目を覚ました。
「あ、おはようございます」
結が爽やかに挨拶を投げてくる。
「おはようございます――調子良さそう?」
七緒は欠伸をしながら結に返事をした。今日の結は調子だけではなくて機嫌も良さそうだ。
結が不機嫌を表に出すことはほとんど無いし、不機嫌になったこともないけれど。
「はい。今日は倍の時間、走り込みが出来ました」
結はキラキラと輝く笑顔で七緒を見る。
「凄いね、私も少しはトレーニングしなきゃだー」
言いながら七緒はもう一度ベッドに寝転んだ。時間が許すならもう一度寝たい。
「いつでもご一緒しますよ?」
「ありがとう。じゃあ放課後に基礎のトレーニングと手合わせお願いします」
七緒の本音を言えば、みんなを誘って遊びに行きたいところだけれど、一応、宗家としてしっかりしなくてはという意識が働いていた。
「わかりました」
結は快く了承してシャワールームに消えていった。
(15)
七緒と結は放課後の稽古場で、朝の約束通りにトレーニングをしていた。
アリーチェも参加、司もアリーチェの動きをモニターしたいということで、色々な撮影機材を持ち込んで稽古場に居る。
「――七緒さん強いです。攻撃を読むことできないです」
七緒はアリーチェから手合わせを頼まれて、三本勝負をしていた。七緒がストレートで三本を取ったところでアリーチェが悔しそうに呟いていた。
「慣れれば癖とかわかるよ。大事なのは観察すること」
手加減をして一本くらいアリーチェに取らせてあげようかとも考えたけれど、それは真面目に挑んでくる相手に失礼なことなので、手加減は無しだった。
七緒はそのお詫び代わりにちょっとしたコツをアリーチェに教える。
「観察――よく見ることですね?」
アリーチェがすぐにそれを実践しようと、綺麗な翡翠色の瞳で七緒を見た。
「うん。例えば、右から斜め下に斬った後の攻撃は、結なら速さがあるから手首を返して真上に斬り上げる。で、更にもう一度反対側に振り下ろす。だけど、私は手首を返さないで、もう一度真上に持ち上げてから振り下ろすか、真横に振り抜く」
七緒は説明しながら、一連の動きの違いをアリーチェに見せる。
「結さんと七緒さん、攻撃の回数が違います」
「そう。結は速さで攻撃して、私は力で攻撃するって感じかな」
「同じ剣術なのに違う――不思議です」
「二人とも得意な方法を選んでるってわけだね――どうしたの?」
七緒は不意に近くに居た結の視線に気付いて尋ねる。
「いえ、七緒さんが宗家らしいなって」
珍しい物でも見たかのように結がそんな言葉を口にしていた。
「はは――いつも宗家らしくないもんね」
「あ、そうじゃなくて、格好いいです。とても」
少し照れたように結がそう言った。
「――あ、ありがとう」
七緒も照れながら答える。そんなに真っ正面から褒められるとは思わなかった。
「そういえば、昨日あれから結界に変化は――」
その後で流れた静寂に耐えきれなくなった七緒が、司に訊く。
「あー、一応データ見てたんですけど、特に異常なしです」
やり取りを見ていたはずの司だが、驚くくらいいつも通りだった。
多分ここに先輩が居たら、冷やかされていただろう。先輩には悪いけど、居なくて良かった。
「穏やかなのは良いこと――じゃなくて、たまには悪魔退治しないと勘が鈍るかも!」
こういう穏やかな時に七緒がそれっぽいことを言うと呼び出しがかかってしまう。
反作用を期待して、七緒は慌ててやる気を出した。
「七緒先輩、今フラグをへし折ろうとしましたね」
司が冷静にツッコミを入れている。
「……わかった?」
途端、校内放送のチャイムが鳴る。やっぱりか――七緒は小さく溜息を吐く。
「行ってらっしゃい」
半笑いの司が三人を送り出していた。
(16)
「やあ、連日悪いね。今日はモニタにも映ってるからまず間違いない」
三人が部屋に入るなり、相変わらず上機嫌の学園長が爽やかにそう言い切っている。
「そんなに自信を持って言われても……」
七緒は思わずツッコんでいた。戦いの最前線に立っているのは七緒たちなのに――
「君たちを信頼しているからこそだよ。行ってらっしゃい」
学園長は七緒のツッコミを気にすることなく、大体の悪魔の位置を伝えて手を振っていた。
「行ってきます!」
アリーチェも相変わらず張り切っていた。
いつもの地下通路――七緒はもうここに来た回数を覚えていない。ほんの数ヶ月で、地下通路に来ることが七緒の日常になっていた。
いつものように生体認証で扉を開けると、地下の冷たい空気が外に漏れ出す。
今は、その風が涼しいと感じられる季節だけど、冬になるとどうなるのだろう――七緒は素朴な疑問を抱いた。
「ねえ、結。ここって冬になるともっと寒いよね?」
七緒は地下通路を歩きながら結に尋ねた。
結はこんなところで一人で悪魔と戦っていたのかと考えると、それだけで大変だったと思う。
「いえ、地下なので一年中気温が安定して、暖かいですよ」
七緒の予想に反する返事だった。
「そういうものなんだ……」
「噂ですけど何処かに学園長のワインセラーがあるみたいですね」
結によると以前先輩がそんなことを言っていたらしい。
「あの人何やってるんだろう……」
私物化も良いところ――と思ったけど私立の学校なので元から私物なのかもしれない。
「ワイン。飲みたいです」
アリーチェが呟く。確かイタリアはワインも有名だったような気がする。
「二十歳になるまでの我慢だね」
その時はみんなでお祝いのパーティーでもしよう――七緒はそう続けていた。
「イタリアは十六歳からお酒飲んで良いです」
「え、じゃあ私たちもう飲めるんだ? 学園長のワインセラー見付けたら飲んじゃう?」
七緒自身、それほど積極的にアルコール類を飲んでみたいとは思っていないが、楽しそうに酔っ払っている人たちを見ていると、自分が飲んだらどんな風になるのか興味はある。
「七緒さん。ここは日本です」
結の冷静なツッコミが入った。
「……そうでした」
「郷に入っては郷に従う――ですね?」
アリーチェは相変わらず謎の言語能力を発揮している。
無駄とも思える話をしながら、三人は目的地に進んで行った。
(17)
学園長に示された場所の付近に、悪魔が居た。
七緒たちが目で確認する前から周囲の空気が少し変わっていたのだが、実際に悪魔を見ると、慣れていることとはいえ、気分は引き締まる。
「今日のは力が強そうだね」
七緒は刀の鯉口を切りながら、視認できたその姿を見てのんびりと言った。
悪魔の姿は馬に似ている。悪魔はその見た目に近い行動をするので、今日の悪魔は突進に注意しなくてはならないだろう。
もっとも馬のような形をしているとは言え、その目は赤く光っているし、現実の馬にはあるはずのない牙も確認できる。荒く唸るような呼吸音も聞こえ、ある意味で少しの恐怖感もあった。
七緒が軽口を叩くのは、その少しの恐怖感を和らげるためだ。
最後に立つ者は笑っている――これが七緒の家に伝わる家訓のようなものだった。
悪魔がその見た目に近い行動をするなら、おそらく横からの攻撃には弱いはず――七緒はそう見当を付けてアリーチェに指示を出し、一緒に悪魔の側面に回り込む。
結は何も言わなくてもその対面に向かっていた。
「また、七緒さん何も言わないのに、結さんわかってます」
七緒と共に行動しているアリーチェが小さく呟く。
「慣れだよ――気を付けて」
悪魔が一人で居る結の方向に視線を動かしていた。足を鳴らして、体を結の方向に動かす。
そのまま結に向かって突進をする――結はぶつかる寸前で鮮やかに身を躱し、身体を半回転させて後ろ手に斬り付けた。悪魔から小さな咆哮があがる。
七緒は悪魔が次の行動に移る前に、足元を狙って走り込んでの一太刀を浴びせた。
後ろ脚を斬られた悪魔は嘶きをあげて、残った片方の脚を激しく後方に蹴り上げている。
結も即座に急所と思われる悪魔の正中線を主点に攻撃を浴びせていた。
しかし、悪魔の体躯が大きいのでなかなかコアの部分にまで攻撃が届かない。結の攻撃は速い分威力が少しだけ軽く、深くまで届かないことがあるのだ。
悪魔は首を大きく振って、七緒たちを近寄らせないように抵抗していた。
それでも確実にダメージは与えられているので、此処でリーチの長いアリーチェの突きが出れば良いのだけど――と思っていたところでアリーチェが突きの前動作に入った。
瞬時に察知した七緒と結は、アリーチェの刀の軌道を確保するように身体を避ける。
「――行きます!」
一瞬驚いた顔を見せたアリーチェだったが、そのまま突きを放ち悪魔にとどめを刺していた。
「やったね。言わなくてもわかった」
悪魔が霧散するのを見届けてから、七緒はアリーチェに笑いかける。
「以心伝心――嬉しいです」
アリーチェは照れ笑いで答えていた。
「良かったですね」
結も悪魔のサンプルを採取した後に、七緒たちのほうに歩み寄る。
「――でも、どうしてわかったか、わからないです」
七緒と結の二人を見て、アリーチェが不思議そうにしていた。
「アリーチェが敵をよく観察してたから次に必要な行動がわかったし、私も結も、戦いながらアリーチェの行動を観察できてたから、すぐにどうするかわかった――のかなあ?」
七緒は首を傾げる。戦う者だけが持つ、この感覚を言葉で説明するのは難しいものだ。
場数と、慣れと、信頼と――その他の色々なものが絡まり合って、言わなくてもわかる関係性というものが築かれていると七緒は思っている。
今日のアリーチェの一件はその関係性が築かれていく過程だ。
「観察――大事です」
決意も新たに、アリーチェが気合いを入れていた。
「うん。相手をよく見ることって大事だよね。好きな人だと見てて飽きないしさ」
「好きな人――結さんですか?」
「あ……」
思わず余計な一言を添えてしまっていた。案の定アリーチェにそこをツッコまれる。
どうして七緒の周りはこういうことを聞き逃さないのだろう。
「違いますか?」
アリーチェが首を傾げて尋ねている。
「ち、違わないけど……恥ずかしいからさっきのナシでお願い」
とは言っても、一度口にしたことはもう取り戻せないものが言葉なのだけれど。
「恥ずかしがらなくても良いと思うんですけど……言ってもらわないとわからないですし」
結が少し拗ねたように、そう呟いていた。
「ええ? 結?」
まさかそんなにストレートに結が拗ねるとは思わなかった。
「なんでもありません」
そう言って、結はいつも通りの結に戻る。
「言わなくてもわかるのに、言わないとわからない。不思議、増えました」
アリーチェはまた不思議の国に入っていた。
(18)
あの後、学園長に報告をして、寮に帰って夕食までの間、七緒と結は自分たちの部屋で宿題に向かっていた。それぞれのデスクで宿題をしても良いのだけど、わからないところを教え合うために、部屋の真ん中に折りたたみテーブルを置いて、向かい合う形でノートを広げていた。
「結は最近、少し変わったよね」
今日の宿題も終盤――数学の問題があとひとつ残った辺りで、七緒が結に話しかける。
「……そんなに、変わりましたか?」
結も三角関数の問題をあとひとつ残したままで、シャープペンシルを止めていた。
「あんまり我慢しなくなった。あ、悪い意味じゃないよ? いつも家のことだとか悪魔退治だとかで大変そうだなって思ってたけど、それが少し軽くなったみたいな感じ」
手の中で持て余したシャープペンシルをクルクル回しながら、七緒が結の問いかけに答える。
結はほとんどの場合、自分の気持ちを後回しにしがちだ。それが悪いわけではないけれど、少しくらい気分を楽にして欲しいと思っている七緒としては、歓迎すべき結の変化だった。
「アリーチェさんを見習って、わからないことはわからないって言おうと思ったんです」
「そっか。急に方針転換したみたいからちょっと不思議だなって思ってたんだ。今日もいきなりあんなこと言い出しちゃったし」
地下通路で七緒が思わず言った言葉を取り消そうとした時の結は、わかりやすく拗ねていた。
「だって、七緒さん、私に直接好きだとか言ってくれません……」
あれ、今もわかりやすく拗ねだした――と七緒は思った。
しかもその原因がとてもわかりやすいもので――
「それは、その……もしかして、言って欲しいから方針転換?」
「……はい」
少し躊躇った後で結が返事をする。
「言わなくてもわからない?」
「……わからないです」
結はわかっているような顔で、そんな風に答えている。
「えっと、じゃあ言うね?」
改めてこんなことを言うのは七緒としても恥ずかしいのだけど、結がそれを望むのなら――
シャープペンシルを回す手を止めて、七緒は大きく深呼吸をする。
「私は、結が――!?」
好きです――と言おうとした唇を、結がテーブルに身を乗り出して、キスで塞いでいた。
「――やっぱり言わなくていいです」
唇を離しはしたが、まだ七緒の目の前に、結の綺麗な顔がある。
「なんで……折角言おうとしたのに……」
言って欲しいと言っておいて、言わなくてもいいとはどういうことだろう――
「もっと大事な時に言ってもらいます」
「今も大事な時だと思うんだけど……」
こうしている時間だって、どんな時間だって、七緒は大事で特別だといつも思っている。
大袈裟だけど、悪魔と命がけで戦っているからこそなのかもしれない。
「七緒さんのそういうところ、好きです」
「なんでそっちから先に言っちゃうの」
「色々と、見習おうって――」
まだ何か言おうとしていた結の言葉を遮って、七緒から結にキスをした。
「とりあえず、さっきのお返しだけしとく。これで私の言いたいことわかる?」
「わかります」
結は短く答える。
「じゃあもう絶対言わないからね? あ、もっと大事な時を除いて」
それがどんな時なのかはわからないけれど、言わなくても、それがわかる時は絶対に来る。
こんな関係が、これからも続くように、願いを込めて――二人はもう一度キスをしていた。