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前編:72 hours immortal combat(1)


 木々の間から見える空の色は、行動を開始した時はまだ深い紺色だったのが、薄い紺色に赤がさしたようになっていた。変わり始めるとあっという間だ。

 荒い息を整え藪の中に身を沈める。なりふり構わず藪をかき分け時折悲鳴のような泣き声をあげながら進む音は、もうだいぶ遠くなった気がする。

 無事に逃げられればいいが。思いながらそっと藪の中を進む。木々や藪の影が作り出す闇が薄れていく。

 急に闇が晴れ、下の方から水の流れる音がかすかに聞こえる。数メートルほどの崖の下に、小さな沢がある。

 今のところ予定通りだ……肩からかけていたライフルを下ろす。用意は充分だが、少し不安になって弾倉を抜き、重さを確かめる。

 チャージングハンドルを少し引くと、装填されている弾がかすかに見える。笑顔の口からこぼれる牙のよう。

 この牙が、どれだけ役に立ってくれることやら。

 チャージングハンドルから手を離し、念のためボルトフォワードアシストを押して口を閉じさせる。

 息はだいぶ落ち着いた。逃げる足音はだいぶ遠くなった。水の流れる音。

 そしてそろそろ……思っていたより少し遅い。追う足音。必ずこの沢を渡る。

 がさっ。

 周囲を警戒しながら、男が一人。次にライフルを持った男が、沢に銃口を向けて様子をうかがう。

 それに続くように、一人、二人。縁の広がったヘルメットに、グレーの軍服。

 その襟から胸元、袖口、人によっては体の前ほとんどが、どす黒く汚れている。沢を渡る時に口元をゆすいでいる者もいた。

 それが何であるかを思い出さないようにしつつ、ライフルを構える。

 沢にライフルを向けている男が、こちらと別の向きに銃を向ける。今だ。

 ばばばっ。三点射の反動を受け止め、スコープの視界を男に戻す。ちょうど三発の牙が男の頭をとらえるのが見えた。

 セレクターを単射に切り替え、沢を渡りきろうとする男の頭に十字線を合わせる。音に反応して腰を落とした分、少し下。

 ばんっ。スコープを覗いていない方の目も、沢を見下ろす視界に慣れてきた。

 頭を撃たれた男がのけぞるのを確認するのもほどほどに、次の標的を探す。反応の速い奴。こちらに頭を向けた奴。

 空の色が変わるのはあっという間だ……沢を渡ろうとする男たちの姿が、だいぶはっきりしたシルエットになってきた。

 その頭に銃を向けると、スコープの視界に顔が飛び込んでくる、殺気だった、血まみれの顔。

 ばんっ。反動とともに、その顔をスコープから消し去る。

 シルエット。顔。ばんっ。何度か繰り返す。……沢を渡ろうとしていたのは五人。

 これが全部ではない。まだ沢に出ていない奴が、十人、それ以上。林の中に身を潜めている。

 ここから先、どうなるかわからない。念のため弾倉を交換する……

 林の中の敵が動いたようだ。崖の周囲の急斜面を避けて大きく回り込み、こちらの側面を突こうというのだろう。

 長くはいられない。しかしもう少しだけでも、時間を稼ぎたい。

 時間稼ぎ。できることはそれしかない。

 なぜなら。

 崖から沢を見下ろす。撃ち倒した敵は五人。倒れているのは……四人、三人。

 やつらは。

 落とした銃を拾って、これで二人。三点射を撃ち込まれた男が起き上がり、頭を振って銃を探す。一。ゼロ。

 不死兵。


 元々は、ナチスドイツの狂気の研究の産物であったという。

 第二次大戦後、アメリカとソビエト……当時のロシア……が研究成果の一部を持ち帰ったが、さまざまな理由で研究を打ち切ったと、公開された資料にはある。

 それを何者かが完成させたのだ。おそらくは、ヒットラーや米ソの指導者が思い描いたであろう夢の軍隊とは、だいぶ違う形で。

 東ヨーロッパからヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ。どこからともなく現れる奴らは、手当たり次第に人々を襲い、生き血をすすり、脳やはらわたをむさぼり、どこへともなく消えていく。

 それがもう三十年近く続いているのだ。


 不死兵の頭を撃ち抜いても殺すことはできないが、吹き飛ばされた脳の一部とともに、直前の記憶を失っていることが多いという。

 それよりも、

 沢の周囲に注意を巡らす。また少し明るくなった空は、林や茂みに潜んでいる影をよりはっきり写し出す。

 こちらが撃ってきた場所を大体把握して、ライフルを構えているのが二人。もう二人ほど、配置につこうとしている。

 より下流の方では、三、四人ほどが固まって待機している。マシンガンを用意しているようだ……

 最後の時間稼ぎ。それももう、たいした時間は稼げない。

 ポーチから閃光手榴弾を取り出す。もう半日は前だろうか、合流した自衛官にもらった手榴弾の、最後の一つ。

 彼らは無事だろうか。しかし今自分が行動を起こしているということは、少なくとも彼らの作戦は、まだ終了していない。

 自分の行動が、彼らの作戦の足を引っ張っている恐れもある。手助けになっていると信じたいが。

 ピンを抜き、レバーを離す。一、二。少し遅らせて。

 がさっ。藪の中から立ち上がって姿を見せる。すでに白み始めた空の下、血と泥にまみれているが、白いセーラー服はさぞ目立つことだろう。

 閃光手榴弾を軽く投げ落とす。

 その瞬間、後ろから吹いた風が体を軽く持ち上げたように感じた。

 その風に乗って行けば、どこまでも飛んで行けるような、そんな気がした。

 スカートが強くはためく。銃が重い。手を離して、体の力を抜けば、そのまま、すうっと……



……ねえキミ。

 君が転校生の、六郷ミユさん?


 がたっ。

 地面に叩きつけられたような衝撃。……いや、居眠りしていただけだ。

 教科書に引かれた短い線。シャープペンシルの芯が砕けていた。

 パッと視界に入ったのは、見慣れない制服。うちのじゃない……そうじゃない。朝からずっと見てきた。

 不良みたいに短いスカート。そこから伸びる足は太くはないが、ほどよくついた筋肉は引き締まっていた。

 足が長く見えるのは、スカートを短くしているからというだけではない。長くて、しっかりした足。そんな印象。

 仕立てのいい、濃い紺色のブレザー。運動選手のような引き締まった体をしているのは、そこからでもわかるようだ。

 青いリボン。三年生。

「……まあ、聞くまでもないけど」

 自分の胸元に視線を落とす。代わり映えのしないセーラー服。見慣れすぎているだけかもしれないが。

 量販店のコスプレ衣装よりは仕立てがいいが、何度も洗濯したせいで生地がくたびれている。

「ずいぶんよく寝てたみたいだね。大丈夫?指何本見える?」

 ぱっと目の前に、手が突き出される。三本。自分でもバカみたいに思える声が出る。

 すっと手が動き、それを目で追う。右、左、上、下。もう一回。

「二回目の左から二本」

 手が下ろされると、いたずらっぽく、しかし満足げな笑顔がこっちを見つめていた。

 瞳の色は濃い緑色。宝石のように光を放っている、そんな風に見えた。

「起きた?お弁当はある?早速うちのチームを紹介しようと思うから、来て」

 ひらりと身を翻し、そのまま彼女はスタスタと歩いて教室から出ていく。

 シャープペンシルを筆箱にしまい、教科書を閉じて上に筆箱を置く。かばんに手を突っ込み、コンビニエンスストアで買った昼食の袋を取り出して席を立つ。

 教室を出ると、彼女はもう隣の教室の真ん中あたりまで歩を進めていた。

 身長はおそらく170センチ近い。手足も長く、歩幅も大きい。それで元気よく歩いている。

 たっ、たん、と飛ぶように駆け寄って距離を詰める。

「あの……まだ名前を聞いていませんが」

 顔を見ようとして目に止まったポニーテールがシュッと回り込んで消える。

 振り向いたと思ったその瞬間には、もう彼女はこちらに向き直っていた。もう真後ろについたことに、満足そうに微笑みながら。

「そうだったね……わたしは、池上ナオ。馬潟高校三年A組。不死兵対策武装民兵協会、民間即応部隊東京第四区、馬潟高校小隊第一分隊副隊長」


 振り返って後ろ向きに歩いていたナオの足がピタリと止まる。それに合わせてミユも立ち止まると、ナオがすっと、手を差し出した。

「実際のところ、定員割れの分隊が一個だけなんだけどね。プラムLチームへようこそ、プラムL6こと、六郷ミユさん。今後ともよろしくね」



 そもそも、どうして高校生が不死兵と戦うのか。

 不死兵が出現し世界中で猛威を振るい始めた当初、日本には出現例がほとんどなく、あっても米軍による封じ込めがうまくいっていた。

 そのため日本政府としての対応や法整備は与野党ともにのんびりとしたものであった。

 人口密集地や都市部に小規模な自衛隊や米軍の駐屯地を設置する計画や国民の自衛のために銃刀法を改訂する法案などが否決された。

 その矢先、1999年八月。

 昼下がりの東京渋谷に、不死兵が出現したのだ。

 現場が大混乱で事態が正しく認識されず通報が遅れたのもあったが、自衛隊の到着までに一時間半、対不死兵装備を整えた米軍の到着に二時間。

 事態の収拾に六時間以上がかかり、その間の死者総数は二千人を超えた。

 この事件を機に日本政府も不死兵への本格的な対応を迫られる事となったが、それにあたって以前に否決された法案や予算案を回避する方向で話は進められた。

 個人の武装は否決されたが、会社や学校の施設内に限って、民間でも自衛用の銃器の購入、使用が許可されることとなった。

 その後不死兵の研究データの一部が公開され、対策や警戒体制も整えられ自衛隊の即応部隊も設立された。

 しかしその駐屯地はいまだに都市や人口密集地にはなく、不死兵出現直後の数十分は被害が避けられない状況であった。

 そこで各施設の武装民兵が民間即応部隊として、不死兵出現から自衛隊の即応部隊到着までの時間稼ぎを行う案が出され、守備範囲が施設内から一定の地区内に拡大された。

 そしてそれに際し実行部隊として白羽の矢が立てられたのが、皮肉にも子供たちの身を守るためと優先的に予算や装備の配分された、学校……武装高校生であった。


 軍隊を街中に立たせたくないばかりに、子供を不死兵と戦わせる世紀の愚策、との声も少なくなかったが、彼らが一定の活躍をして不死兵による死者が目に見えて減ってきたことで、その声も下火になっていった。

 不死兵を送り込み殺戮を続ける首謀者……ブットゲライト准将が何を目論んでいるのかは未だ不明である。

 しかし現代社会の平和と安全を乱し、世の中を悪くする事であるのならば、それは成功していると口にする識者は少なくない。



「活躍の噂は聞いているよ。履歴書の備考欄にも担任の先生から、射撃の腕は少なくともエキスパート相当とお墨付きがあったけど……認定試験は受けないの?」

「事件が認定試験の三日前で……受ければ取れるとなれば、そう焦らなくても、クラス1のパークを揃えてからでもいいと思っています」

「いい心がけだね。ていうか真面目だねー」

 昼休みが始まって間もないというのに、一階の廊下は人通りが少なかった。

 購買の混雑もひと段落つき、教室や校庭、思い思いの場所で生徒たちが昼食を取っていた。

「いつもお弁当は一人で食べてるの?チームの子と、話とかはしない方?」

 校庭の花壇のそばでマットを敷いて車座に座っている女子生徒をみながらナオが聞いた。

「世間話とかは苦手で……みんなが見てるテレビ番組も、笑いの……ツボ?みたいのが、わからなくて」

 必要なコミュニケーションは取れてるつもりですと、慌ててミユは付け加えた。

「わかったよ。一応信じておく……必要な時に声が出ないのは困るからね。……そうだ復唱して」

 ちらりとこちらを見たとき、いたずらっぽい笑顔。

「二時方向六十メートル、敵三名。stg二名とライフル一名」

 二時方向六十メートル、敵三名。stg二名とライフル一名。近くにいた生徒が驚いて振り返る。

「郵便局付近で銃撃音、職員が交戦中と思われる。敵はMGを使用し優勢に立っている模様。敵MGを捜索し、発見次第これを攻撃、牽制する」

 郵便局付近で。内容は正確に復唱できている。寡黙だが、声を出すと意外に張りがあって大きい声だ。

「おいしくなぁれ、萌え萌えキュン」

 おいしくなぁれ、萌え萌えキュン。

「」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはまさにこういう顔なのだろう。すかさず振り向いてミユの顔を見ながらナオは思った。

「ありがと。からかってるみたいだけど、ワケわかんない命令にもちゃんと反応して動いてくれるのって、不死兵相手だと結構大事な事だよ?」

 不死兵の存在そのものが、ワケわかんないものだからね。そう続けられるともう言い返せない。

「ワケわかんないついでと言っちゃなんだけど」ナオが続ける。

「さっきの続きだけどさ、協会からクラス3パークのバッジが届いてるよ。先の事件の功績を受けての認定だって」

 ナオがポケットから紙を取り出す。認定証のコピー。クラス3パーク、ニンジャをここに認定する。

 ニンジャー。変なポーズをしながらナオが言う。ふざけている……ミユは思った。

 しかしもっとふざけているのは、書類の書式やサインは本物で、このふざけた名前のパークも実在する、国際的に認定された資格なのだ。

 自衛隊即応部隊の入隊基準の目安として、クラス1パーク二十種類以上の取得が挙げられている。クラス3があれば、レンジャー試験や特殊部隊への採用にも有利に働くと言われている。

 それにしたって。ニンジャ。ふざけている。

「実際のところはおいおい見ていくけど、バッジを揃えるのが趣味、とかでなかったら、積極的にクラス2クラス3のパークを取ってバッジを装備してほしいな。クラス2以降のバッジには、不思議な力が込められてるってね」

「……アレですか、ブットゲライト准将の潜伏先が魔法の国で、それに抵抗している勢力が協会に協力しているとかいう」

「信じてないの?」

「信じて、って……池上先輩は信じているんですか?」

 返事はない。振り向いた瞳がいたずらっぽく揺らめくだけ。

 荒唐無稽な話だ。しかしブットゲライト准将の潜伏先を、世界中の諜報機関が三十年以上血眼になって探しているのに発見できていないこともまた確かだ。

 真面目だねぇ。ナオがつぶやく。

「お言葉ですが」ミユが口を開くまでに、少し時間がかかった。

「私は、母が殺され妹が連れ去られるのをこの目で見ました。それ以来、不死兵と戦い、倒せる人間になること……その事だけを、ずっと考えてきました」

 振り返ろうとしたナオだったが、途中でやめて前を向いたまま足を進めた。その横顔を遮るように、ポニーテールが揺れる。

 そっか。そう小さくつぶやいたようにミユには聞こえた。

「悪いこと聞いちゃったね……でも、そういうのが聞きたかった。なんで君は、帰宅命令を無視してポータルを探したのか。単独でネストを襲撃したのか」



 ネストに連れ去られた者がどうなるか。情報として聞いたのも、あの日から数日後でした。

 ネスト跡にあった遺体の身元が確認され、妹の死が確定したのは、そのさらに数日後のことでした。


 ポータルの向こう側、敵の本拠地から照射されるものに比べ、持ち運べるシュリンゲンズィーフ線源の線量は低く、範囲も小さい。

 ポータルのシュリンゲンズィーフ線と重なってしまうと、アナログの簡易線量計ではポータルのゆらきなどから来るノイズと区別がつかなくなる。

 だが、届かないところもある。そういった所こそ、シュリンゲンズィーフ線源を持ち歩く必要がある……の、だろう。

 敵は複数のポータルを展開している。合流した自衛官の話では、そういう実験または演習らしい……ポータルの数に比べて、不死兵の数が少ない。

 数は少ないが、広範囲に分散して行動しているため、自衛隊も一気に攻撃を仕掛けられず、人の住む場所に近い所から順に一つ一つポータルを攻撃するしかないという。

 しかし不死兵は、シュリンゲンズィーフ線源を持ち歩いて少人数で行動し、小規模な襲撃を繰り返し周辺の人々を襲っている。

 ポータルから出現した直後の不死兵は弱っており、本格的な活動を始めるには栄養が必要だ……生きた人間が。

 君が帰還して防衛任務に就くことで、人々を守り敵の増援を遅らせるか阻止できるんだ。弾薬や装備を分けてくれた自衛官はそう言っていた。

 そうなんだけど。

 地図とコンパスで大まかな現在位置を確め、線量計の数値を書き込む。自衛隊が把握しているポータルの位置と照らし合わせると、シュリンゲンズィーフ線が山に遮られる死角がわかってくる。

 死角を見渡せる場所。林の中。目立たない影に身を潜ませ、死角全体に目を凝らす。気になる所を、時折ライフルのスコープで覗き込む。

 このまま何もなく、自衛隊がポータルを制圧して事態が収拾したら。

 そうなれば、自衛隊からも協会からも出ている帰宅命令を二重に無視したことがばれるのだろう。大目玉だ。後々の評価にも影響が出るだろうか。

 遅くなったことは道に迷ったことにして、帰ってしまっても何も悪くない。民間即応部隊としてやることはやったのだ。

 今のところ、見渡す範囲内に不死兵はいない。このまま立ち上がって山を降りれば。……体が動かない。疲れが一度に出たのか。

 そうじゃない。立ちたくないだけだ。不死兵と、戦わなくては、帰れないのだ。



「……七年、八年前ですか。小学三年生の夏休みに、仕事をしている父を残して、母と妹、私の三人で遊園地に行ったんです」

 ここまで勢いで言ってしまったような気がして、言葉と一緒にミユの足も止まる。

 考えている間足が止まっていることに気づいて、ふと前を向く……ナオも合わせて足を止め、話している時と変わらない距離で待っていた。

「何があったのかは、履歴書に書いてある。何を思ったか、どう思ったか、わたしはそれを聞きたいな。話したくない、……でも、いいよ。それは君がそう思っているってことだからさ」

 そう言うとナオは振り返らずに歩き始めた。ただ、その歩幅は小さかった。

 ナオが数歩足を進めたところで、ミユは一足飛びに距離を詰める。そこから小さく、一歩、二歩。ナオは一瞬後ろを見て、歩幅を合わせて歩き出す。

「いついつに行こうって感じではなくて、ふっと思い付いて行ったみたいな感じで……父には内緒で、と。それが不思議にワクワクしたのを覚えています」

 一歩、二歩。ナオの足の振りは普通に歩いている時と変わらないが、軽く空振りして、ミユの歩幅に近い間隔に足を下ろしている。

「妹がまだ小さくて、乗れるものもあまりなくて……遊具コーナーみたいなところにいると、突然サイレンが鳴り出して、職員の方がやって来て避難誘導を始めました」

 今思うと、警報が鳴ってからの反応が早く、優秀な職員だったのだなと。思わず口に出る。

「よくはわからないけど、今日は遊園地はおしまいなのかなって……そうしたら、職員や回りの人たちがバタバタと倒れていって、……その時初めて見ました。不死兵を」

 大柄な軍服姿。血まみれで、銃を持っている。見るからに恐ろしい。お化け屋敷のおばけとは、まったく違う。

「たぶんその時、母は撃たれて負傷していたのかもしれません。とにかく母は、私たちを連れてトイレに逃げ込みました」

 足が止まりそうになる。ナオの歩調がミユに合わせて、小さくゆっくりしたものになる。……一歩、二歩。

「すぐに不死兵が追い付いて……妹を個室に入れて、私を用具入れに。ドアを閉める前に、母は不死兵に捕まりました」


 不死兵が母の首に銃剣を突き立て、一直線に引き切る。ホースの水漏れのように、血が噴き出す。その瞬間、おかあさんがまな板の上の魚のように見えた。

 傷口に顔を突っ込んで、貪るように血をすする不死兵。こぼれた血が足元に大きな血だまりを作る。

 不死兵が顔を離したかと思ったら、首の肉を食いちぎっていた。不死兵が母を押さえる力を緩めると、母の体は力なくずり下がる。

 それで終わりではなかった。不死兵が母の顔に銃剣を突き立て、体重をかけてその上にのし掛かった。

 顔は見えなかったが、力なく垂れ下がっていた母の手足が、痙攣するようにバタバタ動いていた。それが唐突に、スイッチが切れたように垂れ下がる。

 その時ミユは直感した。母が死んだと。魚のように殺されたのだと。

 少しの間両手と銃剣で格闘していた不死兵は、何かをこじ開けたような音の後、銃剣をしまうと何かを取り出し、一心不乱にむさぼり始めた。

 その不死兵が、何かを食べるのを中断して入り口の方を見た。何語かわからないが短く話し、トイレのドアを指差すと食事に戻った。


「……仲間の不死兵でした。そいつはドアを蹴破ると中にいた女性を殺して食べ始めました。その隣に妹がいて……次に入ってきた不死兵に、見つかりました」

 詳細に思い出せば、今でも。

 いまでも。

 身がすくんで、体が硬くなって、動かなくなる。

「……妹は抵抗しませんでした。たぶん、あの時の私と同じように、恐怖で体が動かなかったのだと、思います。動かなければ、声を出さなければ、見つからないと、思っていたのかも」

 固く握った手が震える。

「あとでわかったことですが、私が助かったのは、私がいたのが用具入れで、母と不死兵がもみ合った時にドアが壊れて、それて後から来た不死兵も、開けた後だと思ったらしいと」

 そのあと、

「その後、私はずっと、動けませんでした。静かになって、暗くなって、自衛隊の人も気付かなくて、現場の調査に来た警察か救急隊員の方が見つけてくれるまで、ずっとそのままで、そこにいました」

 後から思い出すたびに、思うのです。

「動かないこの手がいやだ、進まないこの足がいやだ。隠れていただけの自分がいやだ……だけど、動かなかったから、見つからずに済んだんですよね」

 だから、だけど、

「父に黙って遊園地に行ったから、あんなことになったんだと。父は父で、自分が仕事を休んで一緒に行かなかったからだと、今でも悔やんでいます」

 だから、だけど、

「私が生きて普通に暮らす事が、父の救いであり慰めになっているのだと思っています。ですが、不死兵に奪われてからっぽになったところには、何も戻ってこない」

 だから。あの時も。スコープの十字線に、捕虜をネストに運ぶ不死兵の一団を見た時も。

「……私が不死兵を倒す事ができるのならば、不死兵から誰かを救う事ができるのならば、母と妹の弔いになると。私と父が、少しでも苦しくなくなると」

 顔を上げようとすると、何かにつっかかって動かない。視界が濃い紺色で塞がっている……ナオの背中だ。

「ありがと。だけど……言いたくないことも言っちゃった?無理してない?……わたしバカだからさ、頑張ってる子がどれだけ無理してるかって、わかんないからさ」

 ナオがまだ背中を向けてくれているのがありがたかった。「少し……無理しました」自然にこぼれる。

 ごめんね。空気を伝わるよりも早く、ナオの背中から伝わってくる。

「ですが……話せてよかったです。誰にも話した事がなかったので。少しだけ、楽になった気がします」

「そっか」額に感じていた感触がすっと消える。それをとても淋しくミユは思った。

「復唱」振り返ったナオの顔は、またいたずらっぽい笑顔。

「ニンジャー」

「忍者」

「だめ。もっと外人っぽく」

「にんじゃー」

「そうそう、よろしい」ナオが歩を進める。大きな歩幅で元気よく。自分のペースで。

「さっきの話だけどさ、なんで君がニンジャなのか、わかった気がするよ。無理をせずに、話せるようになるといいね」

 君は無理する子だってこともね。だから無理するなって言うんだ。ナオが言う。

 話せたのはきっと、あなただからです。とても小さく、口に出す。聞き取れない小さな、ニンジャのつぶやき。





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