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空想のサクラ 〜Another Flower  作者: 秋山 楓花
2/7

不良品の僕たちは 2

 新学期からというもの、俺はずっと登下校は土手道を歩いていた。また春川さんと話せるような気がして。でも彼女は現れなかった。理由も分かっている。俺は部活をしていない、言うなれば帰宅部だ。会えないならば、きっと。


「……分かってるんだけど、なんで歩きたくなるんだろう」


 なんとなく呟いてみた。親友はサッカー部、あいつはバレー部。今頃熱心に取り組んでいるのだろう。その中、俺は一人だ。そしてこれからも、一人。


「――ただいま」


 ドアを開けると複数の甲高い声が耳へ飛んでくる。まただ、またいるのか。俺は静かにリビングの戸を開けた。


「ただいま母さん」


「そこの皿洗って。それでね――」


 顔を合わせずに目の前の二人の友だちと話し始める。俺は何も言わず戸を閉め、キッチンに視線を動かした。山積みになった汚れた食器が鎮座している。朝飯の時から一度も洗っていないようだ。


「はぁ……」


 消えるような溜め息をつき、バッグを床に下ろして腕まくりをする。どうしようもない虚しい気持ちは勢いよく出る水では流れてくれなかった。


「瑛太君、大学の研究で賞貰ったんだって? すごいわねー!」


「そうなのよ、新聞にも載ったみたいでね。私も鼻が高いわぁー!」


 俺の兄貴の瑛汰は昔からの秀才で有名大学理学部に通う二年生だ。それだけではなくピアノの才能もあり、とある楽団の演奏会に呼ばれることもあった。人当たりもよく、賢くて優しい自慢の兄ちゃんだ。


「あと凛汰君、中学生の県代表チームの候補に上がったみたいね」


「まぁそんなの、うちの凛汰がチームに入るなんて決まったも同然なんだけど!」


 俺の弟の凛汰はサッカーが大好きで努力と才能でのし上がった今注目のストライカーだ。テレビで紹介されたこともあり、今もぐんぐん力をつけている。反抗期からか少し突っぱねているが、強く逞しい自慢の弟だ。そんな俺たち三兄弟は地元では名の知れた有名人。


「……次男君は、何かあったかしら?」


「ないない! あの子は何もできないからね! 出来損ないよ、出・来・損・な・い!」


「いやぁだ、可哀想じゃないの!」


「だって事実だもーん! ギャハハハ!!」


 そんな俺も含めてこの兄弟は目立っている。頭の長男、体の三男、そして、出来損ないの次男()。外でもこの言われよう、家での格差はもっとひどい。


「何もできないなら、裏での仕事を完璧にすればいいのよ。サポート? アシスタント? そういう事を得意にさせてあげれば釣り合いが取れるでしょ?」


「さすが三人の男の子を育てただけあるわね、妃子ちゃん。子どものことよく分かってる」


「当たり前よー! 母親は常に()()でいなきゃね!」


 だから俺は部活をせずに帰ってきたら家のことをひたすらやっている。夕飯が遅くなれば飯を抜きにさせられる。洗濯物を取り込むのを忘れたら物を投げつけられる。床にごみを見つけたら夜中まで雑巾がけと窓拭きを強要される。『完璧』を愛する母さんは小さなミスを許してくれない。傍から見れば奴隷のような生活。しかし彼女は圧倒的な征服力で周りの人々に自分の行動を肯定させてしまう。敵にすると大変な目にあう、と恐怖心も添えて。まるで独裁の女王様だ。


「でもねー、旦那が優しすぎるのよ。誰に対しても。そうよ、昨日なんてね――」


 そんな生活の中で唯一の心の支えが父親である。父は俺の料理を美味しそうに食べ、いつもありがとうと頭を撫でてくれた。家で俺と二人っきりの時は好きな所へ連れて行ってくれた。母が僕に振り向かない代わりに、父は兄弟の中で一番気にしてくれた。そんな父親が大好きだ。


 そして、俺の生きる意味を与えてくれる人だ。


「ほんと……結婚する前は完璧な人だったのに、いざ結婚して約二十年、欠点ばかり見えちゃってね。まぁもう慣れたし、今でも好きだからいいんだけど」


「……嫌いになればいいのに」


 呟いてみた。泡を流す水の音で声は消されていく。嫌いになれば離婚して俺と父、二人だけ。そうしたら、こんな日常からおさらばできる。俺だって部活ができる、好きなこともできる。テレビが見れる、本も堂々と読める。なんて幸せな日々だろう。


――突如息ができなくなった。いけないことを願っている自覚もある。毎度皿を洗い終わって水を止める時、いきなり静かになるこの場所に吐き気を覚えてしまう。今だってそうだ、冷たい手の痛みで目眩もする。何かをし終わった直後に来る虚無と沈黙。ひしひしと感じる孤立感。幸せな夢から覚めて現実だと知る早朝のような、いや、もっと質の悪い時間が俺を襲う。


 そして


「ねぇ! 皿洗い終わったんでしょ! だったら風呂掃除やって!!」


 女帝の合図で空想の夢を繰り返した。



*



 夕焼けの空に似合わない紺色のカーディガンを上から見つめる。いつも覗く教室の窓から桜先生の姿を見つけてから何分経っただろうか。もう桜も散り終わる頃、彼はまだ木の側に寄り添っている。そんな景色をじっと見続ける俺も傍から見ればおかしいのだろう。


「ねぇ、委員会も終わったし、私部活行くけど」


「好きに行ってればいいだろ」


 同じ委員会のあいつが後ろから声をかけてくる。掲示委員会の仕事を終わらせ、俺は家に帰りたくない病を発症中だ。半ば強引に余り物の委員会の候補に挙げられ、あのときは渋々黒板に名前を書いたっけ。しかし今では家に遅く帰ってもいい言い訳ができた。こうやって机に突っ伏して窓から外を眺めることが最近一番の落ち着く時間だ。そんな一ヶ月に一回の貴重な時間をあいつは潰そうとしている。不機嫌な声になるのも当然なことだった。しかしあいつはその場から離れない。


「んだよ、早く部活行けよ」


 俺にもう用事はないはずだ。それでもあいつは動かない。


「……ねぇ、私あんたの力になれてるかな」


「は?」


 思わず振り返った。あいつは神妙な面持ちをする。久しぶりに真剣な顔を見た気がする。


「一応私はあんたの幼馴染で、色々なこと知ってるつもり。そこらへんのやつらが知らないことも私だけ知ってる。例えば……過去とか」


『過去』。

 俺が一番触れられたくない、聞きたくない言葉。


「確かにあんたは他の人と比べて沢山苦労してきて、それだけ人の波に揉まれてきたのも私は知ってる。その中で生きるためにあんたは変わったよ、私が困惑するくらい、大きく」


 それが幼馴染の声だとしても、嫌だ。


「家庭環境も改善されないままなんでしょ? そんなんじゃ、あんたがただ辛いだけ、苦しいだけ。過去をひとりで背負い続けて、あんたが自分の長所を潰していくのを私は見てらんない」


 嫌だ、聞きたくない。


「だからせめて私の前だけでは無理しなくていいんだからね。素でいていいんだから。分かってるから、過去も辛さも分かるから」


 嫌だ、嫌だ、止めろ、やめろ。


「だって……私は今まで一番近くで見てきたから。私は、あんたのことが」


「やめろ!!」


 椅子が転がり、机が倒れる。騒音に加えて一瞬の悲痛が空間に充満する。勢いよく飛び出した感情は簡単には収まらない。


「何が分かるだよ!! 何が知ってるだよ!! 知ったかすんじゃねぇよ!! 家のことも本当に見てるわけじゃねぇだろ!!」


 あいつに一歩近づく。


「普通の家庭に育って、キツい一言も悪口も簡単に言えて、誰かに怯えたこともねぇお前が分かるわけねぇだろ!! さも当然のように過去がどうとか言うんじゃねぇよ、お前に俺の過去を比べられる器なんてねぇくせによ!!」


 あいつは一歩下がる。


「ふざけんなよ、どいつもこいつも、俺を貶して見下して。そんなに人を下に見るのが楽しいか? お前も一緒だ」


 そのかわりに指をさす。


「お前は俺を下に見て、分かってないくせに同情して、助けようと手を差し出す自分に酔ってるだけだ! そうやって自分を上に見せようとしてんだろ?」


「ち、ちがう、私はただ、居場所を作りたくて」


「ふざけんな、理解もクソもねぇな。どっかの名言借りるけどよ、同情するなら金をくれ。今の状況を打開できるくらいの大金よこせよ。できねぇだろ? そのくせ勝手につっかかりやがって、お前と絡まれてすんげぇうざいんだよ。お前とテスト合戦とかつまらねぇ夫婦漫才とかこっちはやりたくねぇんだよ。静かに本読んでたいんだよ」


 リュックを持ち、棒立ちになるあいつの横を通り過ぎてドアに手をかける。


「今のお前は俺にとって邪魔なんだよ。もう話しかけんな」


 そしてドアを開ける。


「……っまって! どこに」


 遮った。帰りたくもない、だからといって行く宛もなく廊下を歩き始める。

 

「……ちっ」


 歩数を進める事にさっきの棘のある言葉たちに苛立ちを覚え始める。それはあいつに向けても、自分に向けてもだ。

 相手が自分の気持ちなど分かるはずがない。分かったとしても同じ経験を味わったことがある人だけだ。気持ちの押しつけはなんとも浅ましい。こんなの玩具を買ってくれなくて駄々をこねる子どもと一緒だ。

 そして何よりも言葉足らずで独りよがりだ。あいつはあいつなりに励まそうとしてくれていた。しかし自分の勝手な気持ちだけで跳ね除けてしまった。こうして欲しいと言えばよかった、なぜ感情的になってしまったのだろうと後悔が渦巻き始める。

 僕は、どうしようもないバカだ。

 

「柳田先生、これでいいですか?」


 職員室手前の曲がり角で春川さんの声が聞こえた。柳田と話しているのか。俺は咄嗟に身を隠し、棚に手を置いた。


「あぁありがとう、助かったよ」


「いいえ、今日はなんだか気分が乗らなくて。お手伝いしている方が落ち着きました」


 ちらりと角の奥を見る。少し遠くに二人の姿が見えた。春川さんは後ろを向いている。別に柳田の顔を見たいわけじゃないのに。

 まぁいいや、ただの手伝いみたいだし。帰るしかないか。


「その、どうだ。家庭環境とか。」


 体が止まった。


「……やっぱり辛いです。何も変わらなくて。」


 彼女の声が小さくなる。


「そうか、そうだよな」

 

「でも学校生活は全く問題ないので。大丈夫です」


 俺でも分かる、無理した笑い声だ。

 

「何かあったら相談すること、何度も言うが溜め込んではダメだぞ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 春川さんも家で悩んでいることがあるのか。俺と一緒だ。家庭内暴力だろうか、もしかしたら同じ家庭格差かもしれない。いや、実はそこまで深刻じゃないのかも。いやいや、先生にも聞かれるほどだ、俺よりもっと辛く大変な可能性だってある。

 

 君の悩みを知りたい。

 

 何かに突き動かされ、右手が空を切る。

 棚の上にあった冊子に触れて、崩れた。

 

「あっ!」

 

 廊下に滑り、音を立てる何冊かの本。二人はその音源に目を向ける。また合わさる彼女との瞳。そして少し優しく微笑み、口を開いた。

 

「あぁ……聞かれちゃった」

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