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七つの樹に七つの果

オーレリアの泉

作者: 七ツ樹七香


 オーレリアは、水の精です。


 ノアという小さな村で、いちばん豊かな南の森。

 その大きな湖のみなもと。

 深く澄んだ泉にひとりでくらしていました。


 海の人魚たちの住まいのように立派なものではありませんが、泉の中にとってもすてきなおうちをもっています。

 きよらかな泉の深い深いところ。

 水晶をけずって、きらきらした泡でかざったすばらしい家です。


 けれど、オーレリアはうまれた時からたったひとりだったので、誰もここに招くことができません。

 たとえば、人間。なんて――。

 こんなところに連れてきたら、たちどころに溺れて死んでしまうでしょう。

 だから、ここに帰るのは夜だけです。


 それでいいのです。

 オーレリアには、水の上にはおともだちがいたからです。


「オーレリア!」


 その日も、彼はやってきました。

 ダレルです。

 やさしい木こりの青年で、ふたりはちいさな時からの親友でした。

 静かに泉の底にたゆたっていたオーレリアは、待っていた声を聞きつけると、すぐさま岸辺に浮きあがりました。

 水辺にひじを乗せて、うつくしい顔でにっこりします。


「ダレル、ねえ。そろそろ町へ行ったのでしょう? 私におはなししてちょうだい」 

 さしだされるおみやげのキャンディよりも、彼の話すにぎやかな町のようすが、オーレリアは楽しみでしかたありませんでした。


 夜になっても明るい町。

 目が回るほどのたくさんのお店や、ツンとすました街人たち。

 ドレスをまとって、はなやかな舞台に立つおどり子も、見たこともないような美しい衣装を来た貴族の婦人のことも。

 町の熱気が彼の口をとおして、いきいきとかたられます。


「みんなクジャクみたいにすましてるんだ。ここに帰るとホッとするよ」

 地べたにすわりこみ、片目を閉じて笑う彼はとってもステキでした。


 いつまでも、そばでわらってくれたらいいのに。

 オーレリアはずっと、そう思っていました。


 ずっと……。

 そう、ずっとまえから――。




 すきとおった銀の髪にくしを入れながら、オーレリアはため息をつきました。

「なあ、オーレリア。お願いだ」

 そういわれたら、決して断ろうなんて思いません。

 けれど、さみしげな面持ちで、彼女は水晶の家のかたすみに転がる、かがやく透明な玉を見やりました。


 ダレルはまずしい木こりです。

 それだけでなく、ちょっと前には病気のお父さんだっていて大変だったのです。

 だから、いつだったかお金がなくて困っていた彼に、オーレリアはうつくしい腕輪を渡しました。


「こういうもの、きっと人間も好きじゃないかしら? ほら、私の首にも何連か下がっているでしょう?」

 オーレリアは自分の首にかかる、まばゆい首かざりを見せました。

 水晶に泉のきらめきをまとわせて、水の精はすばらしい宝石にすることができるのです。


 もちろんそれは、人間だっておおよろこびするほど美しいものでした。

 ノアのきらめく水を詰めたビンに、七色にかがやく腕輪を沈め、半信半疑でそれを町にもっていったダレルは、その翌日ころげるように駆けて泉にやってきました。


「オーレリア、すばらしいよ! とても高値で売れたんだ。父さんに薬が買えたんだぞ」


 戻ってきた彼は、オーレリアをみつけるとよろこびのあまり、岸辺の水の精を抜き上げるように陸上に引き上げ、濡れることもかまわずにきつく抱きしめました。


 そして、オーレリアの冷たいほほにキスをしたのです。

 オーレリアは真っ赤になって彼をつきとばすと、泉の中に逃げ帰りました。


 ごめんよ、と申し訳なさそうに泉をのぞく彼に返事もできませんでした。

 ただ繰り返される「ありがとう」が、水の精の胸をあたためます。


 たったひとつ。たったいちど。

 オーレリアの恋が、彼の近くまで届いた瞬間でした。


「なあ、オーレリア。お願いだ」


 そのダレルが、オーレリアにまたあの宝石を作ってほしいというのです。

 それも、ひとつふたつではありません。

 十の腕輪がほしいというのです。

 またお父さんが病気なのかと尋ねると、ダレルは首を横にふりました。

 お金持ちになりたいのかと尋ねると、すこし彼はむずかしい顔をして、どうしてもたのむと頭を下げました。


「わかったわ、ダレル。あなたの頼みだもの」

 オーレリアが腕輪を作り上げて渡すと、ダレルはとてもよろこびました。

 けれど、たくさんの宝石を作るために力を使い果たしたオーレリアは、もう眠くてたまりませんでした。

 しばらくは会えないと告げ、オーレリアは水の底の水晶の家にかえります。

 そしてうつくしい水の精は、それから一ヶ月の間、眠り続けたのでした。


「オーレリア、オーレリア」


 まだ眠っていたいのに、その声はいつでもまっすぐに彼女の耳にとどくのです。

 大好きな声でした。

 名前をよばれると、くすぐったくて、うれしくて。

 しあわせな夢から覚めて、オーレリアは岸辺へ浮き上がります。


「ダレル」

 きっと今日も楽しい話を聞かせてくれるのです。

 よろこんで名前を呼んだオーレリアは、岸辺に上がるとすくみあがりました。


「はじめまして、オーレリア」

 おどろいて声もあげられないオーレリアに、知らない女の人がほほえみかけています。 


「オーレリア、結婚したんだ。君に祝福して欲しくてきたんだよ」

 早く伝えたくて毎日泉を訪ねていたのだというダレルの笑顔は、胸が苦しくなるほどに幸福そのものでした。

 オーレリアはおめでとうと言いました。

 ふたりはよりそって、しあわせなおとぎばなしのように、顔を見合わせて笑い合いました。


 オーレリアの腕輪を左手につけて。

 岸辺から手の届かない陸の上で。


 水の精はほほえみました。

 悲しみ、なんてさとられてはいけません。

 大好きな友達がしあわせになったのです。


 それに、初めからわかっていたのです。

 この恋が、むくわれることなどないと――。


 


 ダレルは、泉に立ち寄ることがすくなくなりました。

 木を切るために森に来て、水鏡ごしに、オーレリアにちょっとだけ声をかけて帰ります。

 オーレリアは、泉の淵には上がりませんでした。


 もし間近に顔を見たのなら――、思うだけで胸が詰まります。

 だから、そっと彼を水底から見つめるだけでいようと決めました。

 あとはこの水晶の家で、ふたりですごせた頃の思い出を、きらきらした泡に映して。

 それでいいと、思っていました。


 でもダレルは、幸せなはずなのに、その横顔は日に日に憂いを帯びていくのです。



「オーレリア、お願いだ。腕輪を作っておくれ」

 水の精を呼び、ダレルが手で顔をおおっています。

 オーレリアはその声を聞きつけると、すぐさま岸辺に浮かび上がりました。


「ダレル、ダレル。そんなに悲しい顔をしてどうしたの」

「オーレリア、もう一度、腕輪を作ってくれるかい? どうなんだ」

「……ダレル」

「お願いだ」  

 ダレルの目は真剣です。

 でも、こんなに悲しげな目は見たことがありません。


 オーレリアのそばにいるときは、いつでも楽しそうに笑っていたのに。

 どうしてなのでしょう。


「ごめんなさい、今は。作ることができないわ」

 オーレリアはかなしい心持ちをみせぬよう、でも正直にいいました。

 こんな気持ちのままでは、きれいな宝石をつくることはとてもできないのです。


「そうか、悪かったな」

 ダレルは肩を落としながらもほほえんで、ありがとうと言って帰っていきました。

 こころがチクチクとします。

 やさしい水の精の胸は、その日、いつまでもいたんだままでした。





「オーレリア、オーレリア、来てちょうだい。ダレルが大変なの!」

 ある日、水の底にうつぶしていたオーレリアは、水鏡ごしのダレルの妻の必死の顔に、おどろいて岸辺に上がりました。


「どうしたのっ、ねえダレルは――」

 血相を変えたオーレリアの首元に、女がつかみかかりました。


「その首かざり、よこしなさい。町で売れば、当分遊んで暮らせるんだから」

 女の目は欲にくらんでいました。

「いつまでもいつまでも、貧乏暮らしよ。お前が腕輪さえ作ればいいのに、断ったって?」

「いやっ、やめて!」

 ふたりはもみ合い、水しぶきが立ちます。



「あの男がたくさんのお金をもって求婚しにきたから受けてやったのに」

「えっ?」

「本当はまずしいただの木こりだって知ってたら、こんな村にこなかった!」


 あんなに幸せそうに笑っていた彼女は、ダレルを。

 あのやさしいダレルを愛していたわけではなかったの?


 オーレリアの胸は、まるでナイフでひとつきにされたかのようでした。


「ほおら、取った! すばらしいわ、こんな美しい首かざりみたことない」

 オーレリアのきらめきの首かざりは女の手に奪われてしまいました。

 首飾りはオーレリアの力の源です。

 美しい水の精は、いっぴきの虹色のサカナになってしまいました。


「ほら見なさい! やっぱり魔女なのよ。ダレルもいつだってオーレリアオーレリアって、バカみたい!」

 頼りないちいさなサカナを、指を差して笑います。

 少し淵の高くなった所で、勝ちほこって首かざりを掲げる女に、すぐ後ろから声がかかりました。

「なんてことを!」

 ダレルです。

「えっ――」

 おどろいて振り返った女は、足をすべらせて深い泉におちてしまいました。

 高い淵からです。ざぱんと水しぶきがあがりました。


 やわらかい服が重たく水をすって、もがくたびに水に沈んでいきます。

 すぐさまダレルもそれを救おうと水辺から飛び込みましたが、水を飲んで暴れる女につかまれて、うまく岸辺にたどり着くことができません。

 

 救いを求める声も、届かぬ深い森の奥。

 やがて、ふたりはまるで吸い込まれるかのように、深い深い泉の底に沈んでいきました。 


 ――静かに。

 一匹のサカナだけが、その様を見守っていたのでした。



「ダレルに横恋慕した水の精が、夫婦を水の中にひっぱっちまったって!」

「ひえー、くわばらくわばら。おっそろしいこったなあ」

「まだ、男の方は死体があがらねってよ!」

「ひでえ話だ。あの泉から水を引くのはやめたほうがええな」


 オーレリアは、そんなうわさ話を聞くことはありませんでしたが。

 二度と、水晶の家から水面に上がることはありませんでした。


 力を取り戻した美しい水の精オーレリアは、大好きな大切な――友達を、水底に花咲く小さな水草に変えました。

 時折はそのかたわらで、かつての夢を見るのです。



 深い泉はノアの南の森で、美しい水をたたえています。

 昔を知らぬ少女達の笑い声を水底で聞きながら、オーレリアは、そっとほほえむのでした。



※拙著:連載「玉編みと彫金師」中のちいちゃなエピソードから童話風悲恋話を一遍。

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