化物と生贄のワルツ
……君とふたりでいると、まるで羽が生えたみたいに、心が軽くなるんだよ。本当はもっと一緒にいたいんだ。駄目かなあ。
……わたしもよ。だから、毎日帰ってしまう貴方の背中に、明日はもっと一緒にいられるようにって、願い事をしていたの。
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あの後、僕とエリザはふたりでこの塔、そして城から出た後の話を沢山した。
――エリザは魔女から受け継がれた知識を使って、薬を作って売って。
――僕は歌を歌って、お金を稼ぐ。
本当にどこまでうまくいくかは解らないけれど、未来を語ることはとても楽しくて、あっという間に時は過ぎていった。
暗くなってきたので、僕はエリザにお別れを言った。
本当はもっと一緒にいたいけれど、いつものように、部屋に戻らなければ、怒られてしまうかもしれない。
そう言うと、エリザは一瞬寂しそうな顔をしたけれども、また明日来るというと、ぱっと表情を明るくして、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、僕の胸の奥が、酷く苦しくなった。
塔の扉を開けると、そこにはあの女の人が立っていた。
女の人は、僕の顔を見ると、無表情な顔を珍しく緩ませて、僕を褒めてくれた。
「魔女を目覚めさせることができたのですね」
「……うん。けれど、封印は……」
「解っています。まだ、封印は解けていないのですね? そして、貴方の歌で、その封印が解ける。そうですね?」
「そ、そうだよ」
「では、これからも頑張って、魔女の封印を解いてください。国のために」
「…………わかった」
締め切られた塔の中の出来事を、女の人が知っていたことに、僕はぞっとした。
一瞬、ふたりで城を出よう、と相談していたことまで聞かれていたのかと、ひやりとしたけれども、女の人はそのことについては言及しなかった。きっと、聞いていなかったのだろう。
女の人は、僕に向かって目を三日月型に歪ませて笑った。その顔は酷く楽しげなのに、何故か僕の背筋に寒気が走った。
……次の日から、僕は前よりも軽い足取りで塔に通った。
僕が行くと、魔女はぱっとこちらを向いて、嬉しそうに声をかけてくれるんだ。
「オリフェ!」
「エリザ。待ったかい?」
「ううん。……待つ時間も楽しいもの。大丈夫よ」
エリザはそう言うと、肩を揺らして笑いだした。
僕が不思議に思って、エリザを見ていると「前にね、魔女の記憶でこういう場面があったのよ。……そう思ったら、なんだか面白くて」と言って、更に笑った。
今日のエリザは銀髪の令嬢姿だ。
エリザは、地面にちょこんと座ると、脚に絡みついている鎖を触った。
「今日も、オリフェの歌を聴かせてね」
「勿論さ!」
僕は、張り切って今日も歌を歌う。
歌い終わる度に、エリザの足の鎖が、パリンパリンと壊れて、段々と短くなっていく。
それはとても心が躍ることだった。
――この歌には、僕達の輝かしい未来がかかっている!
そう思うと、自然と笑みもこぼれたし、張り切りもした。
暫く立って、五個目の鎖の輪が壊れた頃。流石に僕は疲れ果てて、座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「大丈夫さ、少し疲れただけだよ」
「無理をしては駄目よ」
「無理なんかしてないさ」
僕がそう言うと、エリザはぷう、と頬を膨らませた。
「オリフェは全然自分のことを解ってないわ」とむくれるエリザに、自然と僕を心配してくれているのだと感じて、胸の奥が温かくなる。
そこで、僕はあることを思いついた。
僕は座っているエリザのもとに、立て膝のままにじり寄ると、エリザの目をまっすぐ見た。
途端に、エリザの頬が薔薇色に染まった。
人化したエリザはとっても綺麗だ。
睫毛がびっくりするくらい長くて、銀色のそれに縁取られた鮮やかな紅色の瞳も、思わず見惚れてしまうくらい。小さな唇は鮮やかに色づいていて、艶やかな銀髪は、腰ほどまでの長さ。ふわふわとしていて、触り心地が良さそうだ。
――だけどね。
「じゃあ、鴉の姿になってよ、エリザ」
「――ええ!?」
「君の羽に身体を埋めて休めば、あっという間に元気になるよ。――いいだろう?」
僕がそういうと、エリザは酷く驚いた顔をして、僕を見つめた。
そして、口元に手を当てると、不安げに視線を彷徨わせた。
「嫌よ。貴方を怖がらせてしまう。怯えた目で見られるのは、嫌」
「そんなことしないさ」
「嘘! だって、刺されたもの! 拒絶されたもの! とても、とっても、痛かったの……!」
つらい過去を思い出してしまったのか、エリザは目に涙を浮かばせて、嫌々と首を振った。
僕はそんなエリザを呆れ顔で見た。
「……僕が、君の知る王子様と別人だって、何度言ったらわかるんだい?」
「だ、だって……!」
「僕は少なくとも、君を刺したりしないさ。怯えもしない。絶対だ。自信がある」
僕はエリザを優しく抱きしめた。
ふわりと、甘い香りがする。
そんな僕をエリザは不安げに見上げた。
紅い瞳が涙で滲んで、大粒の涙が今にも零れそうだ。
僕はそっと指でエリザの目元を拭うと、視線を合わせたまま、優しく微笑んだ。
それを見たエリザは、小さな口を引き結んで、眉を寄せた。そして、小さく「じゃあ、目を瞑っていてくれる?」といった。
僕は言われたとおりに、目を瞑った。
すると腕の中のエリザの形が、みるみるうちに巨大なものへと変化していく。
少しして「……目を、開けて」と、エリザの声が聞こえたので、僕はゆっくりと目を開けた。
――そこには、見上げるほど大きな鴉がいて、不安げに瞳を揺らしながら僕を見下ろしていた。
僕はそれをみて、頬を緩めた。
初めて見たときは、あれほど恐ろしかった目も、大きな嘴も、見上げるほど大きな巨体も。
エリザと言葉を交わし、エリザの心に触れた今となっては、ちっとも恐ろしくなかった。
だから、僕は思い切り、エリザに抱きついた。
ふわっふわの黒い羽に身体を埋めて、頬ずりして、手触りを楽しんだ。
「――え、ちょっ……! きゃああああ!」
「うーふーふーふー! エリザは可愛いなあ! エリザはもっふもふだなあ! 気持ちいい!」
「嫌! 駄目! くすぐったい! もう! やめてええええ!」
エリザは僕が抱きついた瞬間から、悲鳴をあげて逃げようとした。……照れているのだろう。けれども、僕はそれには構わずに、思う存分エリザの感触を楽しんだ。
――……ゴン!
少しやりすぎてしまった僕の脳天に、エリザの嘴が落ちるまでは。
…………痛い。
痛みを堪えながら、エリザを見上げると、僕は息を飲んだ。
……だって、またエリザの紅い瞳から、ぽろぽろと涙が溢れていたんだ。
「え? あ。……ごめん! ごめんよ! エリザ、やりすぎたね! 謝るから……!」
「ち、違うのお……」
「ええええ? じゃあ、なんで泣くのさ!」
「う、うええええええん」
「わあああ! エリザ! 頼むよ……泣き止んで……!」
その後暫く、エリザは泣き続けた。
そして、やっと泣き止んだかと思うと、大きな嘴で僕の頬に軽く触れて、小さく「ありがとう」って言ったんだ。
**********
ある日、オリフェは私に言った。
「僕、街から出たことがないんだ。それも、薄汚いスラム街にいたから、綺麗な景色というものに、とんと縁がないんだよ」
確か、私が魔女と一緒に住んでいた森のことを話していた時のことだと思う。
正直言って、私もそんなに沢山綺麗な景色を見たわけではないけれど、今でも王子様を探して、うきうきして通った、秋色に染まった森のことを忘れることが出来ない。
オリフェは「君が羨ましいよ」というと、少し淋しげな顔をした。
私は、オリフェにそんな顔をしてほしくなくて、どうにかできないかと考えた。
――ああ! そうだ!いい方法がある!
私は浮かんだアイディアを実行するために、大鴉の姿から、人へと変化した。
すると、私に寄りかかっていたオリフェが姿勢を崩して後ろへと倒れてしまった。ぶうぶう文句を言っているけれども、構わずすっくと立ち上がる。そして、今だに転がったままのオリフェを笑って見下ろした。オリフェは私の行動の意図が読めずに、ぱちぱちと碧眼を瞬かせていた。
「な、なんだい。急に」
「オリフェ。見せてあげる!」
「へ?」
「見せてあげるわ! あの景色を――……!」
そう言うと、私は魔力を身体に漲らせた。
そうして、口からふう、と魔力を乗せた息を吐く。
最初は細く、段々と強くしていく。イメージは、塔の中全体を包み込むように……だ。
都合のいいことに、ここには魔力が有り余るほどある。それを遠慮なくたっぷり使って、私は塔の内部全体に幻惑の魔法をかけた。
――ひゅううううううう!
私の魔法が完成すると、秋特有の冷たい風が塔の中に吹き込んできた。
すると、色とりどりの落ち葉が、くるくると回りながら空へと舞い上がる。
オリフェはそれを、ぽかんと口を開けて見ていた。
塔の中に作り出した光景は、秋色に染まった湖畔の景色だ。
少し離れたところに、風でさざめいている綺麗な湖がある。
その湖畔には、黄色、紅色、緑色、茶色――様々な色に染まった木々が生えていて、その姿が湖面に映っている。
湖のはるか向こうに見えるのは、紅葉した秋の山々だ。
空は、秋らしい薄曇り。うろこ雲が遠くまで広がっていて、うっすら太陽の光を透かしていた。
そして、湖の周りだけではなく、私達の周りも紅葉で囲まれていた。
はらり、はらはらと落ち葉が舞い散る秋の森は、沢山の小動物が顔を覗かせている。
地面にふんわりと積もった落ち葉の下から顔を出したのは、野うさぎだ。
兎は鼻をひくひくさせて、こちらを伺っていたかと思うと、ひょい、とまた木々の中へと消えていった。
辺りには落ち葉の湿った匂いが充満していて、なんだか落ち着くのは私だけだろうか。
「――……凄い」
「これが、私が見た景色なのよ。……綺麗でしょう?」
オリフェは驚きの表情から、満面の笑みへと表情を変化させると、勢い良く走り出した。
落ち葉でふわふわの地面を、感触を確かめるように踏みしめて、紅葉した木々へと近づいては、触ったり、匂いを嗅いだり――湖面に近づいて、手を水に浸しては「わああああ!」と楽しそうに声を上げた。
――よかった。とっても、楽しそうだわ。
オリフェのはしゃいでいる姿を見ていると、何故か胸がぽかぽかしているのを感じる。
オリフェを喜ばせることができた。それが、とても嬉しい。
「エリザ! 君も来なよ!」
オリフェが私を呼んでいる。
私は、笑みを浮かべて、オリフェの方へと向かった。
「ねえ、エリザ」
「なあに?オリフェ」
幻惑の秋の森の中で、いつものようにオリフェに歌を歌ってもらっていると、歌い終わったオリフェが私に声をかけてきた。
オリフェは、私の脚に繋がれている鎖に触って、何やら考え込んでいる。
「……一日、頑張っても八個ぐらいが限界だね。……君を開放できるのは、一体いつになることやら」
「ふふふ。毎日、オリフェが頑張っているのだもの。大丈夫よ。いつかは、開放されるわ」
「それだったら、いいのだけどね。……最近、城が騒がしいんだ。なんだか、嫌な予感がする」
「そうなの? 私は塔に篭っているから、よくわからないわ」
「僕にもはっきりとは解らないんだけどね。……まあ、解らないことをいつまでも、言っても仕方がないね。そうだ! 今日は良いものを持ってきたんだ」
オリフェはそういうと、懐から白い布に包まれた何かを取り出した。
「お菓子だよ。昨日の夕食に出たんだ。君と一緒に食べようって思って、持ってきた」
「……」
「どうしたんだい?」
「食べられないわ。私、食べたものを身体の一部として生やしてしまうの……昔、それでとても恐ろしいことになって……」
私が、牛の角や鹿の脚が生えてきたことをオリフェに言うと、オリフェは驚いた顔をした。
オリフェはうーんと一瞬考え込んでいたけれど、ぱっと顔をあげると、そのお菓子を私に差し出してきた。
「……オリフェ。私、化物らしい姿には戻りたくないのよ」
「でも、これには肉は使われていないよ。小麦に、バターに、牛乳に、砂糖に……それぐらいかなあ。生えてくるとしたら、小麦の穂くらいじゃないかな。……ね、試してみようよ」
「でも……」
「何が生えてきても、僕は君を化物と罵ったりはしないよ。それとも、君は一生なにも食べないでいるつもりかい?」
……確かに、今は繋がれた鎖からの魔力供給のお陰で、お腹は空かない。
けれども、私はこれからオリフェに開放してもらうのだ。もし、開放した後、何も食べないでいれば直ぐに死んでしまうだろう。
オリフェは期待の篭った眼差しを私に向けている。
私は、ごくり、と唾を飲み込むと、そっとそのお菓子を指で摘んだ。
茶色い板状のお菓子。それはクッキーと呼ばれるものらしい。
くん、と匂いを嗅ぐと、香ばしくて甘い香りがした。
私はちらりとオリフェに視線をやると、オリフェはどうぞ、と言わんばかりに頷いた。
そっと、前歯でほんの少しだけそれを齧る。
――さく、と軽い音がして、小さな欠片が口の中に入ってきた。
奥歯でそれを噛みしめると、ふわっと優しい甘い味が口の中に広がる。
小麦の香り、優しい甘さ。――とっても、美味しい。
……だけど。
私は、ぎゅっと目を瞑った。
ああ、きっと何か私に変化が起こっているに違いない。
そう思って、オリフェの反応を待った。
…………?
けれども、暫く待っても、オリフェの反応がない。
もしかして、なんの変化もなかったのだろうか。
そう思って、うっすらと目を開けてみると――オリフェが、肩を震わせて笑っているのが見えた。
「ええ?」
意外なオリフェの反応に、思わず変な声をだすと、オリフェが私の頭を指差してきた。
なんなのだろう、そう思って頭に手を遣った。すると――何故か、そこには沢山の花や植物が生えていた。
「あ、あははははは! なんだいそれ! 小麦に、さとうきびに……後はなんだろう、はちみつでも入っていたのかな。蜂を通り越して、蜜の元の花!? 牛は流石に生えてこなかったんだね……! 頭の上が、植木鉢みたいになってる」
「なななななな……! なんてこと……!」
「や、やめて! 動かないで! 麦とさとうきびが左右に揺れて……! 可笑しい……! お腹痛いー!」
オリフェはとうとう地面に蹲って笑い始めた。
私は無性に恥ずかしくなって、顔が真っ赤になっているのがわかる。
オリフェに笑うのをやめてほしくて、彼の肩を揺らすけれど、益々オリフェの笑いが止まらなくなってしまった。
暫くして、やっとオリフェの笑いが収まった頃、頭の上に咲いていた花やさとうきびは、しおしおと萎れてしまった。今はもう、頭の上には何も生えていない。
「君は、肉じゃなければ問題なく食べることが出来るようだね」
「なんだか、すごく複雑な気分だわ……頭の天辺に花が咲くなんて」
「いやいや、とっても可愛かったよ?」
「……笑っていたじゃない!」
私がオリフェに抗議をすると、彼はとても楽しそうに笑って、徐に立ち上がった。そして、私の手をぐい、と引っ張った。
強い力で引っ張られて、私もつられて立ち上がる。
すると、オリフェは私と向かい合って、腰に手を添えた。
それはまるで、魔女に連れられて見た、舞踏会で踊っていた男女のようで――。
私は自分の顔が熱くなるのを感じた。
「綺麗な花を頭に乗せて。冠みたいに見えた。まるでお姫様みたいだったよ」
オリフェは碧眼をすっと細めて、柔らかな笑みを浮かべた。
「私なんかが、お姫様なんて」
――化物なのに、と私が口を開こうとした瞬間、オリフェが私の言葉を遮って言った。
「僕だって、似非王子様さ。そんなふたりなら、ちょうどいいと思わないかい?」
「似非って……」
「よし! 似非姫様と似非王子様で、それっぽい事をしよう。そうだ! 丁度いい。ダンスをしよう! 僕はダンスなんて踊れないから、くるくる回ることしか出来ないけどね!」
「え、や、ひゃあああああ!」
オリフェはそう言うと、くるくるとその場で回りだした。
あの日見た舞踏会のカップルと比べると、優雅さのかけらもない。
ただ、勢いをつけてくるくると回るだけ。
しかも、力いっぱい回るものだから、目が回ってきた。
「め、目が……!」
「あはははは! あれ? なんか、僕も気持ち悪く……うわあ!」
終いには、私の脚に絡みついていた鎖を踏んづけて、ふたり倒れ込んでしまった。
ドサッと音がして、地面に積もっていた落ち葉がふんわりと宙を舞った。
ぐるぐる回る視界が収まるまで、ふたりでじっと耐える。
そして、漸く視界が正常に戻ってくると、お互い顔を見合って、吹き出した。
「あははははははは!」
私達の笑い声は、偽りの秋の森に響き渡って、それに驚いた兎が、ぴょん、と跳ねて逃げていった。