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生贄の心の拠り所

 ……それはとても温かいんだ。

 ……すごくふわふわしていて、体が埋もれちゃうくらい柔らかいんだ。

 ……いつの間にか、その温かさに、僕は救われていたんだ。


 **********


 扉の中は、真っ白なまん丸の部屋だった。

 今日は天気が良いから、ずうっと上にあるたくさんある小さな窓から、明るい日差しが差し込んでいて、地下だと言うのに妙に明るい。

 つるつるした白い床に、真っ白な壁。それしかない、がらんとした部屋の一番奥に、その化物は居た。


 最初は、黒い布か何かが山積みになって、置いてあるのだと思った。

 けれども、それは呼吸をするごとに、緩やかに身体を上下に揺らしていて、確かに生きている何かなのだと判る。

 そっと、足音を殺して近づいてみると、ひゅう、ひゅう、と寝息をたてて眠っているのは、真っ黒い艶やかな羽を持つ、とてつもなく大きな鳥だった。

 多分、鴉……なのだろう。黒く鋭く尖った嘴に見覚えがある。僕が街で見かけた鴉とは段違いの大きさだけれど。

 それは、3つもある目をしっかりと閉じて、自分の羽毛に嘴の先っぽをしまいこんですやすやと眠っていた。


 恐ろしく巨大で凶暴そうな魔女の姿に、僕は恐怖のあまり、思わず後ずさりをした。

 手が、身体が、震えて止まらない。


 ……これを、僕が起こすの……?


 このとてつもなく大きな鴉が、魔女が。目覚めたら僕を食べてしまうのかと思うと、自然と冷たい汗が流れた。

 僕は入り口の扉の方を振り返った。

 きっとあの扉の向こうには、さっきもいた兵士たちが武器を構えて、僕が逃げ出さないか見張っているに違いない。そして、逃げ出したが最後、きっと恐ろしい目に合うに違いない。


 それでも、構わない。なりふり構わず逃げ出したい――そんな気持ちが僕を支配する。けれども、逃げてどうなる、と頭のなかでもう一人の僕が諦め顔で囁いてもいた。

 ……どうにかして、この城から逃げ出しても、母親のもとに戻ることも出来ない。厄介者が戻ってきても、これ幸いと城に突き出されるに決まってる。かといって、独りで生きていけるかというと難しい。ただでさえ、魔力枯渇で苦しんでいる国内は荒れに荒れている。そこに世間知らずの子供が、ひとりで放り出されたら、どんな末路をたどるかなんて火を見るより明らかだ。


 ……なら、僕は歌を歌おう。

 魔女を揺り起こす歌。それで、魔女を起こして、頭からもしゃもしゃと食べられてやろう。このクソッタレな人生を、さっさと終わらせてやろう!

 僕は、決意を込めて魔女を睨みつけると、大きく息を吸って歌いだした。


 それから、毎日魔女のもとへと通った。

 けれども、何日通っても、一日中歌い続けても、魔女は一向に目覚める様子はなく、最初は緊張していた僕も、段々と慣れてきて、緊張感は薄らいでいった。


 ある時、とても寒い日があった。

 外はちらちらと雪が舞って、随分と冷え込んでいるのに、僕には特に防寒着も渡されずに、いつもの格好で塔の中に放り込まれたんだ。

 暫くは我慢して歌っていたのだけれど、指先はかじかむし、鼻はつんとしてくるしで散々だった。

 そんな状況で、目の前にちっとも目覚めない、ふわふわのもふもふがいるんだ。


 ……ほんの出来心で、魔女で暖を取ろうとしたって、仕方がないと思わないかい?


 僕は恐る恐る、魔女にそっと触れた。

 すると、ふんわりとした羽毛の手触りがして、あたたかくて……しかも、とてもさわり心地が良いことに気付いたんだ。


 ……もっと、触れてもいいかな……。

 僕は、目を瞑っている魔女の顔をみながら、そっと身体を押し付けた。

 万が一にでも、魔女が目を開けたら、逃げられるように注意しながらね。

 そうしたら、どうしたことだろう。

 魔女の身体は恐ろしくもふもふ、ふわふわ。魔女の体温のお陰で、とっても温かい。

 僕は思わず、うっとりとその感触を堪能してしまった。

 魔女は一向に目覚める気配もないし、僕の手つきは段々と大胆になっていった。

 ふわふわ、ふんわり。気持ちがいい。……魔女って最高じゃないか!

 ……これで、目覚めなかったら。更に、僕を食べなかったら、もっと最高だけどね。


 それ以来、僕は魔女に躊躇なく触れることにした。

 どうせ魔女が目覚めたら、ぱくっとやられちゃう運命なんだ。

 なら、魔女のことをもふって機嫌を損ねてもいいや。僕はそう思った。


 魔女はとても温かくて――触っていると、何故か安心した。

 僕はいつしか魔女の温もりを求めるようになっていた。歌い終わり、暗く冷えきった部屋に戻っても、思い出すのは魔女の温もりばかり。

 母親に抱きしめられた記憶がない僕からすると、他人の温もりというのは、とても心地いいものだった。


 ……ずっと魔女が目覚めなければ、あの温もりをこれからも、感じていられるんだろうか……。


 そんな、ありえないことを想像しては、魔女の元に行くことを心待ちにするようになった。


 **********


「今日も来たよ。魔女さん」



 この部屋に訪れるようになってから早数ヶ月。

 僕はいつもの習慣となっている声掛けをした。

 お城の真ん中に聳え立つ塔の最奥。そこの丸くて何もない部屋で、今日もそれは眠っているはずだ。

 僕はいつもの通り、ひとりで部屋の中に入っていった。



「魔女さんは、今日もふわふわだね……触るよ?いいかい?」



 魔女のもとにたどり着くと、僕は軽く触れたあとに、そう呼びかけた。

 答えが返ってくる筈はないのだけれど、僕はいつもそうすることにしている。

 ひゅう、ひゅう、と魔女の寝息が聞こえる。

 そのリズムはいつもと変わらない。そのことを確認して、僕は思い切り魔女の身体に抱きついた。


 途端、ふわっふわの羽毛が僕を包む。

 とても柔らかで、滑らかな手触りの魔女の身体は、とてもさわり心地が良い。

 僕は体全体でそれを楽しむ。すり、と頬を擦り付けて、匂いを思い切り嗅いだ。

 魔女の眠っている場所は、塔の天辺から丁度光が差し込んでいる場所だ。

 だから、天気のいい日は太陽の光がたっぷりと当たって、魔女の身体はおひさまの匂いがする。

 僕は、その匂いが大好きなんだ。



「うん、今日もいい感じ。さて、君の身体に抱きつくのは素晴らしく心地いいんだけど、僕には仕事がある」



 僕は真面目くさった顔を作って――勿論、誰も見てくれる相手はいないから、そういう風にみえるかな? という妄想のうえでの表情だ――身体を反転させて、魔女に寄りかかった。……ぽふん、と僕の身体は魔女の羽毛に埋もれて、まるで魔女に包まれているみたいだ。



「今日も僕の歌をきいておくれよ、魔女さん。僕のショーへようこそ!」



 そういって、僕は歌いだした。

 遠い昔、魔女が自分を起こすために遺したという、歌。 

 魔女を開放するための儀式の一貫であるその歌は、僕の知らない言葉で綴られている。だから、結構覚えるのに苦労したんだ。

 歌い始めると、途端に僕は気持ちよくなって、調子に乗って大きな声で歌った。

 目覚めの歌が無いと起きれない、お寝坊な魔女に向けて。教えてもらったより、幾分調子が明るい気がするけれど。

 ららら、なんて本当は無い歌詞を適当に付け足して。


 僕の歌声は、今日も塔の中に響いて、魔女を目覚めさせようと頑張っている。

 歌いながら、こっそり魔女に触れて、手触りを楽しむのも忘れない。

 そして、一日中歌い続ける。喉が枯れて、痛んできたら、高価な回復薬を使って喉を直して――そんなことの繰り返し。

 時折、みっつもある大きな瞳がぴくぴく震えて、もしかしたら起きるのかな? なんてどきどきするけれど、今日も魔女は眠ったままだ。


 だからその日も、僕は魔女はきっと起きないだろうな、なんて思いながら、温かい魔女に寄りかかって歌を歌っていて――気がつけば、僕は眠っていたんだ。

 ――そして、目が覚めた時。

 目覚めた僕の視界に飛び込んできたのは、血よりも尚、真っ赤な紅い瞳だった。


 **********


 ……眠い。とても眠い。


 私は真っ暗な暗闇の中を当てもなく揺蕩っていた。

 ふわり、ふわふわと宙を支えのない状態で浮かんでいるような感覚は、まるで揺り籠の中にいるようで、なんとも眠りを誘う。

 更に暖かなものが全身を包んでいて、それがまた気持ちいいのだ。

 なんとなく、それは魔女の匂いがするような気がして、私は幸せな気分で微睡んでいた。


 ……王子様と会えるはずだったのに、どうして、こんなところでうとうとしているんだろう?


 そんな疑問も涌いてくるけれども、それ以上に心地いい微睡みが、私の思考能力を奪っていく。


 ……うう、駄目。もう耐えられない。


 私はとうとう、誘惑に負けて、眠りに落ちていった。


 どれくらい経ったのだろう。

 よくわからないけれど、次に目が覚めた時、目の前に魔女の顔のドアップがあった。



「……っ、わあ!」

「あら。人の顔を見てそんなに驚くなんて。失礼ね」

「もう、魔女。わざとでしょう」

「うふふ。そうね、わざと」



 私はぷん、と頬を膨らませた。それをみた魔女は、意地悪そうな笑みを浮かべた。そして、ふたり視線を合わせると、ぷっと吹き出して、けらけらと笑った。


 ひとしきり笑い終わると、魔女は私にこう言った。



「さて、愛しい化け物。お勉強の時間よ」

「お勉強?なんの?」

「何って、魔女の勉強」

「どうして、いきなり」



 そう言った私に、魔女はいつもの少し怖い笑みではなくて、柔らかな笑みを浮かべ、更には優しげな声でこう言った。



「……お前が、幸せになるためによ」



 途端、魔女は細かい黒い粒子となって、その場から掻き消えてしまった。

 それを、私は呆然として眺めたあと、魔女を探して暗闇のなかを彷徨った。けれども、魔女の姿はどこにもなくて、途方に暮れてしまった。

 ……その時、頭の中に魔女の知識が流れ込んできた。


 ……これが、魔女の勉強なの?


 恐ろしいほどの情報量に、私は思わず目を瞑って耐える。

 ああ、また、頭に霞がかかってくる感覚がする。

 目を瞑っている私の顔に、誰かがそっと触れた。

 それは、とても優しげな手つきで、ぎゅうっと時たま、私を強く抱きしめる。

 撫でられたことならあるけれど、誰かに抱きしめられたことなんて無かった私は、そのあまりの心地よさに、頭の中に知識が流れ込んでくる嫌な感覚も、耐えられるような気がした。


 長い、長い時間をかけて、私は頭に流れ込んできた魔女の知識を噛み砕いていった。

 時折、魔女の記憶の断片なのだろうか。優しげな男の人と、魔女が笑いあったり――抱きしめ合ったり、そして、口づけをしたりする姿が見えた。

 不思議と、魔女の甘くて、切ない気持ちを、私も同時に体験することが出来た。


 好き、大好きよ――愛してる。


 王子様に私が感じた感情よりも、もっともっと深いその気持ちは、魔女の中でとても重要な部分を占めていたのだと、実感する。

 そして、私もいつか――魔女のように、好きな人と、こんな風に触れ合えたら。

 そう思うようになった。

 けれども、私は醜い化物。化物には、こんな風に触れ合ってくれる人なんて居るわけがない。

 そのことに気がつくと、私の気持ちはどうしようもなく沈んでいって、それを紛らわすために、私はまた深い眠りの底に落ちていった。


 そして、次に意識が浮上した時。

 どこからか、綺麗な歌声が聞こえた気がした。

 澄み切った高い声。男の子の声なのだろうか。綺麗なボーイソプラノは、聞いていてとても心地いい。

 たまに遊ぶように適当な節で歌い出すから、思わず笑いそうになることもある。

 不思議とその歌声が聞こえてくると、私の中の眠気は薄れていって、その歌が終わると途端に強烈な眠気に襲われる。そんな浮き沈みを毎日繰り返していたときだった。


 ある日、何故かいつもより歌声が近くに聞こえた。

 それに、誰かが私の身体を撫でている感触がする。

 優しく優しく何度も撫でてくるのだけれど、その触り方が、心地いいというよりはどちらかと言うとくすぐったくて。

 どうにも耐えられなくて、とうとう、私は――永い間、閉じていた目を開けた。


 ――久しぶりに目を開けた私の目の前に飛び込んできた光景。

 それは、私の大好きな王子様が、何故か私の羽に埋もれてすやすやと眠っている光景だった。

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