愛を乞う生贄
……愛して、なんて贅沢は言わないからさ。
……せめて、目を見て、手を握って、微笑んで欲しかった。
……その温もりを、感じてみたかった、それだけなのに。
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――僕が一番嫌いなもの。
それは夕暮れ時に、昏く影に沈んでいく部屋。
だってそれは、僕の寂しさを象徴するような風景だから。
愛を与えてくれる誰かを、何もすることが出来ずに、ずっと待ち続けていた愚かな僕の象徴だから。
小さかった僕は、灯りのない部屋で、只管母親を待ち続けていた。
寒くないように、母親の脱ぎ散らかした洋服を掻き集め、母親の匂いを感じながら、ただただじっと扉を見つめて、母親が帰って来るのを待つ日々。
時折気まぐれに戻ってくる母親が置いていく、黴の生えたパンや、母親の食べ残した残飯だけが僕の命を繋ぐものだった。
「おかあさん……」
そう呼びかけても、振り返りもせずに、男の元へ通う母親の後ろ姿を、僕は暗い部屋の中から、じっと見つめて母親の帰りを待った。……それだけが、僕にできる唯一のことだったから。
一人で出歩けるようになっても、母親は相変わらずで、僕は、スリ、盗み、強盗……生きていくためになんでもした。
それこそ、屑みたいな野郎の仕事を手伝ったりした。それは、僕自身も紛れもなく屑だったから。屑は屑同士、自然と寄り添い集まるものなんだ。まるで、部屋の隅で転がる、埃みたいにね。
勿論、悪いことをしているんだ。捕まったり、酷い仕返しを受けて、ボコボコにされることもあった。
……もしかしたら、僕は母親に構ってほしかったのかもしれないね。悪いことをすれば、怪我をすれば、僕の母親が、世間一般の母親と同じように、心配して、慰めて、叱ってくれるんじゃないかって。
けれども、大怪我をして帰ってくる僕を、母親は冷めた目でみるだけだった。
僕はその度に落胆して、それでも希望を捨てられず、また悪事に手を染める。
そして、何度も何度も仕出かした悪事相当の戒めを受けて――また、僕に興味を持たない母親に落胆するんだ。
そんな、僕の最低な生活は、ある日突然終止符が打たれた。
いつものように、母親が居ないはずの部屋に戻った僕は、沢山の立派な身なりをした大人が部屋にいる状況にとても驚いた。僕の住んでいた地域は決して治安がいいとは言えない場所だった。だから、住んでいる人間の格好も、みすぼらしい格好の奴らばかり。それが僕の日常だったから――だから、その日うちにいた沢山の大人たちの格好は、酷く奇妙なものに見えた。
驚きのあまり、扉の前に立ち尽くしている僕とは違って、母親は酷く上機嫌で、いつもはボサボサの頭を綺麗に整えて、そこにいる大人に媚を売っていた。母親の甘えるような声を聞きながら、戸惑っていると、大人たちのなかにいた、ひとりの女の人が僕に近寄ってきて、しゃがみこんで僕の目を覗き込んだ。
そして、その女の人は――僕を迎えに来たと言ったんだ。
そのあと聞かされた話は、まるで冗談のようだった。
僕はこの国の王様の血を引いているらしい。
若い頃、踊り子だった僕の母親に、王様が手を出した。そして、望んでいないのに生まれてしまった赤ん坊。それが僕だという。
それならば、もう少しいい生活をしていそうなものだけれど、当時の僕の母親は、妊娠したことを知ると、王様から多額の口止め料を受け取って姿をくらました……そういうことらしい。
王様から貰ったのは、結構な額だったようだけれど、僕の母親はすぐに使い果たしてしまったようだ。
……僕が王子様!まったく、冗談にしても笑えない。
そう思っていた僕に、更なる衝撃の事実が告げられた。
「……生贄?」
「はい。黒羽の魔女。知っているでしょう?」
その女の人は、無表情な顔でそういった。
大人たちに連れられてやってきたのは、王都の真ん中に聳え立つ立派な王城。
その中の一室に僕は居た。
その部屋は、恐ろしく豪華で、見たこともないきんきらきんの装飾に、宝石がたくさんついた剣が壁に飾られ、天井からは贅沢にガラスが沢山使われている、これまた豪奢なシャンデリアがぶら下がっていた。
僕は、その部屋のあまりの豪華さに落ち着かないのと、キラキラ光る装飾に気を取られて、キョロキョロしながら、女の人の質問に答えた。
「……知っているよ。国の魔法陣を壊しちゃった、悪い魔女だよね」
「そうです。その悪い魔女、それを開放するための儀式の生贄に貴方が選ばれたのです」
「悪い魔女を開放しちゃうの?ふうん。そうなんだ。……で、生贄っていうのは、一体何をするのかな」
「魔女を儀式で揺り起こし、そのあと、魔女に食べられる。それが生贄です」
「……へ?」
「貴方には、その生命を国のために捧げてもらいます。貴方の母親もそのことは承知しています」
女の人は、なんでもないことのように、僕にそういった。
僕は女の人の顔をまじまじと見て、その人の正気を疑った。
……だって、この人、初対面の僕に、いきなり死ねと言っているんだから。
「冗談だよね……?冗談にしても、趣味が悪いよ」
「いいえ。冗談ではありません」
――ぐらり。その言葉に、世界が歪んだ気がした。
喉が一気にからからになって、息が詰まる。
……僕は、聞きたくないけれど、恐る恐る質問をした。
「じゃあ、母さんが、知っているというのも……」
「ええ。本当です。貴方をこちらに差し出す代わりに、母親には大粒の宝石をいくらか渡しました。母親は喜んでいましたよ。厄介払いが出来るうえに、金になったと」
「……」
僕は零れそうになる涙を、ぐっと奥歯を噛み締めて堪えた。
――つまりは。
僕の母親は、僕を売ったということか。
……厄介者。そう思われていたのか。
胸が痛い。心が、身体が、全てが悲鳴を上げている。
宝石。あのきらきらした石より、母親にとって、僕の価値は低いものだったらしい。
……愛されている、自信はなかったけれど。
……いつかは、愛してくれる。そう、信じていたのに。
そこまで考えが及ぶと、僕の瞳からは涙が溢れ出した。
ぽろぽろと零れる涙で視界が滲む。拭っても、拭っても涙が止まらない。
思い出すのは、母親の横顔と、去っていく後ろ姿。そして、時折、気まぐれに向けてくれた、疲れたような笑顔。
……母さん。僕は、いらない子だったんだね。
……母さん。僕を、どう思っていたの? 一瞬でも、愛しく思ってくれたときはあったのかな。
……母さん。僕を売って手に入れた宝石で、母さんは何を手に入れるの……?
とうとう、耐えきれずに僕は地面に崩れ落ち、蹲って泣き出してしまった。
そんな僕を、女の人は無表情にじっとみつめているだけで、声をかけるでも慰めることもしなかった。お城の豪華な部屋に、只々、僕の泣き声だけが、暫くの間響き続けた。
**********
その女の人は、僕の教育係だったらしい。
文字も読めない僕が、生贄として役割を果たすためには、教養が足りないらしく、僕につきっきりで色々と教えてくれた。
僕が売られたことを知ったあの日、散々泣いた僕は、あの後数日間は泣き暮らしていたけれども、今は心のなかが空っぽになってしまったようで、どこか無感動だ。
何を見ても、何を言われても心が動かない。今までの生活から考えると、信じられないくらい豪華なご飯が出るけれど、それを食べてもどこか味気ない。ふとした瞬間に思い出す母親のことが、段々と忌々しくなってきて、その度に僕は唇を噛み締めて、地面を睨みつけた。
そんな僕には構わずに、女の人は僕に淡々と教育を施していった。
「国のための生贄です。名誉なことなのです。王の血を引くものとして、さあ、立派に役目を果たしなさい」
相変わらずの無表情で、女の人は何度も何度も僕にそう言い聞かせた。
それを聞きながら、いつも僕は心の中で悪態をついた。王の血は引いているかも知れないけれど、今までその恩恵を一切受けなかった僕が、どうしてその「立派なお役目」とやらを引き受けなければならないんだ……!
彼女が教えてくれたのは、文字の書き方から、読み方。そして、歌の歌い方。
……なんで、歌なのかというと、魔女を開放する儀式の呪文が、歌になっているのだという。
歌なんて歌ったことが無かった僕は、戸惑いながらも女の人から、歌を教わった。
……今でも覚えてる。
初めて僕が歌った時、いつも無表情な女の人が、びっくりしたみたいに目を見開いたんだ。
僕の歌声は、どうやらとても素晴らしいらしい。
街で酔っ払いが歌っている下手くそな歌ぐらいしか聞いたことしか無かった僕には、歌声の良し悪しなんて解らないけれど、それでも、女の人のびっくりした顔を見たときは、爽快な気分だった。
けれども、女の人が、びっくりした顔をしたあとに、苦しそうに顔を歪めたのは、なんでなのかはわからなかったけれど。
それ以来、僕にとって歌というのはとても大切なものになった。
歌を歌うと気分が良くなる。夢中になって歌っていると、忌々しい母親のことも忘れられる。
僕の歌には、誰も見出してくれなかった、僕の唯一の価値が詰まっているような気がして――楽しくて、楽しくて。僕は、それが僕が魔女に食べられるための前段階に必要なものであることをすっかり忘れて、それに夢中になった。
暫くして、僕にある程度知識が身についてくると、とうとう魔女を目覚めさせるための儀式に臨むことになった。
その日は、朝から知らない部屋に連れて行かれて、沢山の人に体中をいじくりまわされた。
伸びっぱなしだった髪も綺麗に整えられて、綺麗な服を着せられた。
眉毛や顔周りの毛まで、剃刀で整えるものだから、くすぐったくて笑ってしまった。
その時、不思議な事があった。
その人達は小さな絵姿と、僕を何度も見比べていたんだ。
その絵姿には、僕と同じ金髪で碧眼の男の人が描かれていた。
……しかも、顔は僕とそっくり。
そのあまりにそっくりな姿に、もしかして僕は双子だったのかと疑っちゃったよ。
その後、僕が連れてこられたのは、城の中心に聳え立っている、真っ白な塔。
扉を開けると、直ぐに階段が現れて、その螺旋状の階段は、ずっとずっと地下まで続いていた。
その階段をゆっくりと降りていく。僕のまわりには、逃走防止のためなのか、沢山の兵士が睨みを効かせていた。
階段を降りきると、大きな扉があった。
女の人は、扉から頑丈そうな閂を抜くと、僕に中に入るように促した。
……どうやら、この先は、僕は一人でいかなければいけないらしい。
僕は、ごくりと唾を飲むと、ゆっくりと扉を押し開けて、部屋の中へと入っていった。
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