化物と憧れ
……全てが上手くいっていた。
……何が悪かったのだろうか。
……何を、間違えた?
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「ほら、食べなさい」
「……」
あれから、私は何かを食べるのをやめた。
脳からは相変わらず、絶え間なく空腹の信号が送られ、酷い飢餓感が私の全身を包んでいる。
魔女は私に肉を用意して、食べさせようとするけれども、私はそれを拒み続けた。
……それを、食べるとその元となった肉の特徴が私に受け継がれてしまう。
また、人間からかけ離れた姿になってしまう。
また、化物と呼ばれる姿となってしまう……。
今の私の姿は、余計なものをすべて取り去ったあとだからか、巨大な鴉にしか見えないと魔女は言った。
もう……醜くは、ない。そう信じたい。
それでも人間とは程遠いけれども、前の姿よりかは幾分かましな筈だ。
引きちぎったり、噛みちぎった腕や脚の痕は、不思議な事に目が覚めると綺麗に傷が塞がっていた。
どうやら、魔女が手当をしてくれたらしい。死んでもいい、そう思っていたのに、生命があったことに安堵してしまった自分がとても意外だった。
魔女は心配そうな顔で私を覗き込んでいる。
「どうして食べないのかしら。……死んでしまうわよ?」
「イイノ……醜イ姿ニナルヨリハマシダモノ」
あの日の王子様の怯えきった顔が、頭から離れない。
触るな、醜い、おぞましい……きれいな顔を歪ませて、私にそういった王子様の声が、ずっと耳の奥でこだましている。
同時に、王子様の声を思い出して、うっとりと浸っている自分もいる。
……好き、好きよ。王子様、大好き……。
私の恋心は、激しく傷つきながらも、それでも尚、王子様を求めていた。
そんな私を見ていた魔女は、ふう、とため息を吐くと、私の頭を撫でながらそっと耳元に唇を寄せて、囁いた。
「……いいものを、見せてあげるわ。お前がずっと見たがっていたもの」
「イイモノ……?」
「ええ。とぉぉぉっても、いいもの、よ?」
そういった魔女は、とても楽しげに嗤った。
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当代の王であるその男は、高台に建つ白く美しい王城から、眼下に広がる王都の町並みを眺めた。
既に日が沈んで久しい。
王都のいたるところでは、松明や篝火が焚かれ、炎のちらちらとした明かりが街を明るく照らしている。
その微かな明かりは、眼下一面に散らばっており、まるで星空が地上に降りてきたようだ。
それほど広大な王都。それを、男は複雑な気持ちで見つめた。
過去の王族により、敷かれた魔法陣は、国土を魔力によって富ませ、この国を急速に発展させた。
ただのしがない小国だった過去はもう影すら無い。
王都はどこの国にも負けぬよう、美しく整えられ、白い王城は贅の限りを尽くした、金色の輝きを放つ装飾品で飾りたてられた。名匠といわれる絵師に命じて、時間をかけて素晴らしい壁画で埋め尽くしもした。
城の中で使っている品物も全てが一級品。貴族たちも、宝石で身を飾り、この国に相応しくあろうと日々努めている。
――今や、この国を侮る相手はどこにもいない。
強国として名を知られたその国は、今も遠い他国へ遠征軍を差し向け、新たなる領土を得ようとしている。
あと数日もすれば、嬉しい報告が舞い込んでくるに違いない。
それほど、この国の擁する人材は優秀であり、男は彼らに全幅の信頼を置いていた。
――強くて、富んだ豊かな国。
そのことをその男は今までは誇りに思い、これからもそうあるべきだと考えていた。
国王である自分がなすべきこと。それは、この国の栄華をこれからも保ち、更に発展させることであると。
けれども、年が経つにつれ、可笑しな報告が王城に上がってくることが増えてきた。
――生まれた赤子に、恐ろしい角が生えていた。
――死にかけていた老人が、奇っ怪な動きで急に飛び上がり、奇声を上げてどこかへと去っていった。
――鼠が異常繁殖をしている。鼠の駆除に向かった青年団の行方がしれなくなった。
――先ごろ、魔物の数が急激に増えてきて、強大な力を持つものが確認されている。
ひとつひとつは些細なことだ。
本来であれば、王である男の元へ上がるはずもない、小さなこと。
けれども、それも数が多ければ話が変わってくる。
ここ数年で、この国の至るところでそういった『事件』は確認されていた。
男は、手の中の杯に注がれた葡萄酒を煽った。
芳醇な葡萄の香り。仄かな苦味。頭を酔わせるほどよい酒精。いつもなら、心地よいはずの葡萄酒が、今日は何故か癪に障る。
それらの事件について、男は早急に魔術師たちを調査に向かわせていた。
すると、問題のあった土地は、尽く異常なほど魔力を含んでいることがわかった。
それはどうみても、例の魔法陣の影響であることは明白だった。
程々であれば、そこに住まう生き物に良い影響を与える魔力であっても、度を過ぎれば異常を引き起こす。
そんなことは、考えなくとも誰でもわかることだ。
――この事態を放っておくと、今後この国は一体どうなってしまうのか。
男は、頭の中に浮かんだ恐ろしい光景を、ぶるぶると顔を振って振り払った。
我が国へ富をもたらした、先祖が作り上げた、未来への遺産。
……そのお陰で、今日もこの国に生きる国民は充実した暮らしを得られている。
簡単に捨てられるものではない。捨てる――いや、一時的に使用を差し止めるとしても、国民を納得させるだけの理由、時間が欲しい。
何かいい案はないのだろうか。
男はそう考えるも、中々いい案が出てこずに眉を顰めた。
そして、特に深く考えもせずに、するりと適当に思いついたことを呟いた。
「――悪魔とでも、取引をすればいいのだろうか」
「……悪魔ではないけれど、魔女なら居るわよ?」
誰にも聞かれるはずがなかった、男の呟きに。
毒々しいほど紅い唇を、三日月型に歪ませた、邪悪な魔女が答えた。
**********
私は魔女と一緒に、あの日目指していた城の中に忍び込んでいた。
きらきらと輝くシャンデリアの上に魔女の魔法で姿を消して隠れて、赤い絨毯が一面に敷かれた大広間を見下ろす。
「お前、舞踏会の話が好きだったろう?」と言った魔女は、落ち込む私を見かねて、気晴らしにここに連れてきてくれたらしい。
そこには、色とりどりの美しいドレスを纏った人間の女たちと、タキシードを着込んだ男たちがいた。
オーケストラの素晴らしい演奏が奏でられる中、彼らは、大広間の中心で、体を寄せ合ってくるりくるりと回りながらダンスを披露していた。
その度に、ドレスや胸元に飾られた宝石がきらきらと輝いて、上から眺めている私の目には、夜空に輝く星々が楽しげに踊っているように見えた。
まさしく物語の中の光景に、この時ばかりは、体中を蝕む飢餓感も忘れて、軽快なリズムに合わせて踊る男女にうっとりと見惚れた。
赤いドレス、青いドレス、黄色いドレス。くるりと回る度にふんわりと膨らむドレスの裾に、ああ、いつか着ることが出来るのなら、あのドレスがいい、なんて妄想しながら眺めていると、魔女が私を指先でつついてきた。
「……ねえ。お前。これをみて、美しいと思う?」
「ウン。トッテモ綺麗。素敵……」
「ふうん」
私の答えを聞いた魔女は、目をうっすらと細めて、何事かを考えている。
私はそんな魔女の様子には気付かずに、大広間を飽きることもなく眺め続けた。
そのとき、眼下の大広間に居た人間たちがざわめき始めた。
皆、踊るのをやめて、大きな扉の方を見ている。
私もそちらを見てみると、そこには先日会った――王子様が居た。
王子様を見た瞬間、私は息を呑んだ。
王子様は、今日は真っ白なタキシードを着ていた。タキシードには金糸で素晴らしい刺繍が縫いとられており、王子様の金髪と見事に調和していた。……そして、あの時の怯えきった表情とは全く違う、優しげな眼差して、隣に立っている美しい令嬢をエスコートしていた。
私は王子様よりも、その隣に立つ令嬢に目を奪われてしまった。
なんという美しい銀の髪。紅い瞳はまるで宝石のように煌めいて、隣に立つ王子様を潤んだ瞳で見つめている。ほんのりと色づいた頬は薔薇色。小さな口には、春色の紅が落とされ、その唇はまるで可愛らしい花弁のよう。
纏っている碧色のドレスは王子様の瞳の色だ。ふんわりとした形のドレスが、令嬢の華奢さを強調して、なんとも庇護欲を唆る。きらりと胸元で輝いている宝石に、嬉しそうにそっと触れている姿はなんとも幸せそうだ。
「……綺麗」
私は、思わずそう呟いた。
そして、王子様の隣に当たり前のように立っているその令嬢に、心底嫉妬した。
……きっと、この令嬢は王子様に醜いなんて罵られることも、ナイフで刺されることもないのだろう。
注がれるのは、恐怖の視線ではなくて、愛情溢れる甘い眼差し。
色鮮やかな令嬢と、視界に入ってくる、自分の醜くて黒々とした身体を見比べて、気分が沈んでいった。
「ふふふ。あれだね?お前が、傷つけられたという王子様。……驚いたね。本当に王子様だったんだねえ」
「魔女?」
「ねえ、お前。あの王子様が手に入るって言ったらどうする?」
「……エ?」
魔女は酷く楽しげだ。笑いが止まらないと言った風で、肩を揺らしてずっと小さく笑っている。
口紅で真っ赤に染まった口端が、きゅう、と吊り上がって、いつもと違って少し怖い顔をしている、そう私は感じた。
「あの王子様をお前にあげよう。すぐには無理だけれどね。いい話があるのよ……」
「イイ話?」
「お前は醜さからも脱却できるし、美しさも手に入る。もしかしたら、王子様の心まで手に入るかもしれないわねえ」
「本当……!?」
「ええ。本当よ。魔女は嘘をつけない。前に言ったでしょう?」
魔女はそういうと、私の嘴をつるりと指先で撫でた。
そして、美しい令嬢と、王子様を見下ろしながら、
「お前にあの王子様をあげる。――約束よ。そのためにも、お前にしてほしいことがあるのよ。……ねえ、手伝ってくれるわよね?」
と、にんまりと私の頭を撫でながら笑った。