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生贄を化物に捧げよ

 王はその日も王城にある自室から街を見下ろしていた。

 既に日も沈み、空には星が瞬いていた。けれども、町中で焚かれている明かりはまばらで、眼下に広がる街並みは、暗く、闇に沈んでいる。まるで街中が息を潜めているようだ。


 この国を支えていた魔法陣。それが崩壊してから10年。

 嘗ては栄華を誇った、この国の王都。沢山の民が生活し、人生を謳歌していた筈のその場所は、今は見る影もなく寂れていた。

 今、王都を支配しているのは、民が王族に向ける、冷たく痛いほどの殺意だ。


 ――魔力枯渇に喘いでいた民は、一時期は魔女狩りに熱狂した。


 魔法陣が崩壊した当時は、原因は全て魔女のせいだと発表したせいで、国中で魔女狩りが行われ、人々は鬱憤を晴らそうと魔女を血眼になって探した。

 ……関係のない魔女には気の毒だが、国民の不満が、王族ではなく、魔女に向かったのは僥倖であったと王は考えていた。民というものは恐ろしい。従順な羊だったかと思えば、何かの調子にいきなり牙を剥く。……民の不満を受ける皿は多ければ多いほどいい。


 王は敢えて、魔女狩りをする民を諌めることもしなかった。自分たちにさえ、民の不満が向かわなければ、国に勝手に居座っている魔女がどうなろうと関係ないと考えていたからだ。


 しかし、それは誤算であったと、王は悟ることになる。数年で収まるだろうと見られていた魔女狩りへの民の熱は一向に冷めやらず、国中の魔女を虐げ、生き残った魔女もこの国から粗方去ってしまった後、不満をぶつける先を見失った民は、次の標的(・・・・)を見つけたのだ。


 ……民たちのなかで燻り続け、覚めやらぬ不満、殺意が向かったのは、勿論王族。

 未だ魔法陣を修復できずにいる王族に、民は矛先を向けた。


 静まり返った王都の通りの中を、沢山の松明が蠢いているのが見える。

 彼らは反乱軍だ。嘗ては国のため、その命と能力を捧げていた彼らは、その優秀な能力でもって王族へと牙を剥いた。

 彼らの言い分はこうだ。



「禁じられた術でもって、目先の利益のために、大地を無理やり富ませていた王族は罪深い!

 魔女の呪いなどが発動しなくとも、このような状況は早晩崩壊していただろう! 今こそ王族を打倒し、不自然な状態から国を回復させるべきだ!」



 奇しくも、魔法陣に寄って富んだ大地の恩恵を受けて、健やかに育った人材で構成された反乱軍は、鼻息も荒く王都を取り囲んだ。有力な貴族たちはさっさと反乱軍へと同調し、いまや王都は孤立している。


 王は町中を殺気立って蠢く松明の明かりを眺めながら、手元の葡萄酒を煽った。

 ――ごくり、ごくりと葡萄酒を飲み込む度に、王の首を覆う脂肪が膨らんだ。

 やがて、幾ら飲んでも飲んでも、自身を優しい酔いの世界へ誘ってくれないその酒に、王は苛立ちを隠しもせずに、グラスごと部屋の隅へと投げ捨てた。それでもなお、収まらない身の内を渦巻く不安感、苛立ちに、部屋中を醜く太った身体でうろうろと歩き回った。

 その時、無表情な女が部屋へと入ってきて、王へ一礼した後、静かな口調で報告した。



「……王。生贄は今日も魔女を開放することができなかったようです」

「……くそ……忌々しい」

「生贄には、一日中、塔に篭もらせて、儀式にあたらせています」

「それでも封印は解けていないのだろう? 一体、いつになったら、あの化物は開放されるのだ!」

「……順調に封印は解いているようではありますが」



 王はこんな状況であっても、無表情で淡々と報告してくる女に苛立ちを覚えた。

 血走った目を見開いて女に詰め寄ると、胸ぐらを鷲掴みにして、女に酒臭い息を浴びせる。

 途端、ふわりと女から、不思議な香りがして、王の鼻をくすぐった。



「……本当に、あの魔女を開放すれば、魔法陣は復活するのだろうな」

「ええ。あの魔女は、長い間、魔法陣から余分な魔力を吸い続けていました。……過去の王族の成したこと。ご存知でしょう?」

「馬鹿にするな! 王である私が知らないはずがないだろう!」



 女の何処か王を見下したような言葉に、王は激高して太くまるまるとした手で女を更に締め上げた。

 けれども、女はそれを意に介さずに、更に淡々と続けた。



「……あの魔女は自分の生命活動を保つために、その魔力を使っていた。けれども、その魔力は多すぎたのですよ。魔女は、余った分の魔力を無意識にあの塔の地下へと溜め込んでいる(・・・・・・・)

「……」

「魔女を封印から開放し、呪術で縛って、その莫大な魔力を魔法陣へと注がせるのです。そうすれば――魔法陣は生き返る。ついでに、思いのまま動く、魔女という生物兵器も手に入る……素晴らしいでしょう?」



 女は、そこで初めて表情を変えた。

 にんまり、と不気味な笑みが、室内の仄かな灯りに照らされて、暗闇の中で浮かび上がった。



「それが、本当に成せるのであればな。今の今まで、魔法陣を修復できなかった無能が、簡単に事を成せるとは思えぬ」

「大丈夫。そのための生贄です」

「……あの、小僧か」



 王の脳裏に、金髪碧眼の美しい少年の顔が思い浮かんだ。

 若気の至りで、気ままに手を付けた踊り子の孕んだ、誰にも望まれずに生まれた――哀れな子供。



「ええ。貴方の愚かな行いのせいで生まれた、不幸な王子様。

 彼は、あの化物が嘗て恋した王子様にそっくり。……ああ、なんて素晴らしい奇跡。あれを、魔女の目の前で殺します。そして、怒りに正気を失ったところで――呪術で縛るのです。計画は完璧です」



 ここまで話が進むと、女は王に対する侮蔑の態度を隠すことをしなくなっていた。

 けれども、ゆらり、と揺らめく灯りと、女から香る不思議な香りのせいか、王はそれに気づくことなく、女の話に聞き入っている。



「とはいえ、封印が解かれれば、の話。……王よ、今暫く辛抱を」

「急がせろ。あの愚か者どもが、城に攻め込んでくる前に」

「はい。承知しております」



 そういうと、女は音もなく部屋を出ていった。

 王はその背中を憎々しげに見つめながら、壁に思い切り拳を打ち付けた。

 眼下に見える松明の灯りが、王の首を狩りに来る死神のランプの灯りに見えて仕方がない。



「死んでなるものか。死んでなるものか……!この国の王は、支配者は、俺だ……!」



 王は、唇を強く噛み締めた。

 やがて唇が裂け、真っ赤な血が溢れ――王の口の中を、鉄の味に染めた。


 **********


「やっと、あとひとつだね」



 僕たちは身体を寄せ合って、ふたりでエリザの足に絡みついた最後の鎖の輪を見つめた。

 今までは忌々しいとしか思えなかったこれも、最後のひとつだと思うと、なんだか感慨深い。



「オリフェ、頑張ったね」

「エリザも。頑張ったよ?」



 僕がそういうと、エリザはぱっと顔を赤らめた。

 すると僕から視線を外して、小さな声で「そうかしら……」と、呟いている。



「エリザも頑張ったよ。僕が言うのだから、間違いないよ」

「ふふ、嬉しい……」



 エリザは嬉しそうに笑うと、視線を僕に戻した。

 その笑顔を見ているだけで、堪らなく嬉しい気持ちがお腹の底から湧いてくる。

 胸が苦しくなって、甘い感情が僕の中を駆け巡った。


 そっと、エリザの手に指先で触れた。

 すると、エリザは益々赤くなってしまった。エリザは恥ずかしそうにしていたけれど、僕の手を振り払うことはしなかった。

 僕は、ほっと胸を撫で下ろして、じっとエリザを見つめた。

 エリザも潤んだ瞳で、僕を見つめていた。


 ――静かな時間が、二人の間を流れた。

 交わす言葉はないけれど、気持ちが通じ合っているような不思議な感覚。

 その時間は、とても心地よいものだったと思う。


 どれくらい、そうしていたのだろうか。

 僕は、エリザの手を離して、徐に立ち上がると、ぱっぱっと服を手で払って、身だしなみを整えた。

 今日は記念すべき開放の日だ。

 きちんとしなければならない。

 そうして、全てが終わって、エリザが開放されたら。


 ――僕の気持ちをエリザに伝えよう。

 この胸に、体中に渦巻いている、甘やかな気持ちを、エリザに。


 僕はそう、決意をすると、いつかのように大仰に礼をして、エリザに笑顔を向けた。



「さあ、最後の歌だ。今までで、一番心を込めて歌うよ」

「オリフェ、楽しみだわ」

「期待しておくれよ」

「そうね――……」



 エリザがそういった時――塔の入り口の扉が乱暴に開かれる音が聞こえた。そして、微かな剣戟の音と、誰かのけたたましい悲鳴。



「……待って、エリザ。誰かくる――……」

「……え?」



 そして、バタバタと階段を激しい足音が降りてくる音が、段々と近づいてくると――とうとう、僕達のいる部屋の扉が、勢いよく開かれた。



「――誰だ!!」


 **********


 ――オリフェとエリザのいる塔に、何者が侵入したときから遡ること、数刻。

 王城のなかは、反乱軍によって既に蹂躙しつくされて、長い間国を治めていた王も、今は地へ伏せられ、男によって剣を首筋に突きつけられていた。



「王よ。言い逃れはあるか。お前達が……王族がしてきた、愚かな行為について」



 謁見の間に、血でまみれた鎧を着込んだ男の声が静かに響く。

 豪奢なマントを纏い、白い髪を乱れさせ、その場にいる誰よりも醜く太っているこの国の王は、苦しそうに息を吐いた。



「知らぬ。愚かな行為とはなんだ。――我ら、代々の王族は、この国の為を思って――ガハッ」



 そういった王の背中を男は無言で何度も足蹴にした。

 ごぼっ、と王の口から汚らしい液が撒き散らされ、謁見の間に王が足蹴にされる鈍い音と、酷く苦しそうな息づかいが響く。暫くして、ようやく男の足が止まると、王は痛みに喘ぎながらも、男から遠ざかろうと床を這いつくばって移動しようとしたが、無駄に豪奢なマントを剣で床に縫いとめられてしまった。



「確かに、魔法陣は国を富ませた。けれども、現状はどうだ。この国は滅びへと向かっている!」

「ぐ、ぐっ……。魔法陣の恩恵を受けて、魔力を扱う才能に満ち溢れて生まれることが出来た、お前たちがそれをいうのか! その魔法陣がなければ、お前たちは力を得ることは出来なかった……! それは、全て、魔法陣と、それを作り出した過去の王族のおかげではないか!」



 王がそう叫ぶと、誰かの笑い声が謁見の間に響き渡った。

 王は痛む身体に鞭打って、その笑い声の主の方へと視線をやると、そこには見慣れた女の姿があった。



「誰も――誰も(・・)才能が欲しいなんて、言っていないわ」

「お前……! お前か! 全ては、お前が裏で糸を引いていたのだな!?」

「失礼なことをいわないで頂戴。……私は、ちょっとだけ。反乱軍が城に攻め込みやすいように、色々と火種を投げ入れてやっただけよ。……臆病な、高位貴族とか。……ねえ?」

「貴様……!」



 貴族たちが、揃って掌返しをした原因を目の前にして、王の視界は真っ赤に染まった。

 ……この女が、この女が全て……!



「では、あの魔法陣復活の計画も、嘘だったというのだな!?」

「いいえ。あれは、ほんとう。……私、とても優しいのよ。だから、この国が滅んでもらったら困るの」

「……どういうことだ」

「私はね。あの生贄を、魔女に捧げて、魔法陣を復活させ――再び栄光を取り戻したこの国で、悠々自適に暮らすの。歌を歌って、歌を聴いて――、劇場を作るのもいいわね。旅の劇団も呼び寄せましょう。

 街を、娯楽の街に作り直すの。――そう! 私は、新しいこの国の支配者のもとで、自由を手に入れる」



 女のあまりに自分勝手な言い分に、王は目眩を覚えた。


 ……こんな女が寄生する国。考えるだに恐ろしい。この女は、まるで、うまい汁にたかる虫のようだ。

 ……自分の欲望に忠実な、女――……ああ。そうか。


 そこで、王は目の前の強欲な女にぴったりの言葉を見つけた。

 そして、ありったけの侮蔑を込めて、言った。



「この、魔女め――……!!!!」



 その言葉を受けた女は、また、あの(・・)にんまりとした嫌らしい笑みを浮かべた。



「……失礼しちゃうわ。あんな、引きこもりの趣味の悪いババアたちと一緒にしないで」



 そして、女は這いつくばっている王の前にしゃがむと、血で塗れた王の片頬を――思い切り平手打ちした。

 そのあと女は、血で汚れてしまった手を、王の豪奢なマントで拭うと、



「さあ、偉大なる王よ。――生贄を捧げる、儀式の時がきたわ」



 と、歪んだ笑みを浮かべた。

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