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おいで、アルテシア

作者: 川本千根
掲載日:2016/08/19

石の世界の支配者である夫に「おいで、アルテシア」と呼ばれると憂鬱になる


その後必ずお説教が始まるからだ




「アルテシア、君は今日の集まりでゲストにひどく気まずい思いをさせてしまったことに気がついているだろうか?」


「今日は君の…この石の世界の支配者である私の妻の誕生会だった」


「つまり君は主役だ」


「それなのにどうしてそんなに小さなイヤリングや指輪をつけているのだ?」


「主役の君がそんな小さな真珠のアクセサリーを付けているせいで、君の誕生日を祝福しようと張り切って着飾ってきた貴婦人たちを主役を立てない礼儀知らずのような立場にさせてしまった」


「君の服装をチェックしなかった私にも責任はあるが…」



「…申し訳ありません、ラガーノルド様」



「君は嫌がるが今後は会の出席の前に必ず私に姿をチェックせてくれ」



「はい、ラガーノルド様」




私は夫の説教を申し訳ありませんとはいと言う言葉でやり過ごす

石の世界の支配者であるこの人と泡の世界の支配者の娘である私は年が離れている

だから夫もお説教しやすいのだ

親が子供にそうするように



  

世界をまたいで縁組することはあまりないのだけれど、この人のたっての希望で私は泡の世界から石の世界に嫁入りした


石の世界の人たちは重厚なものを好む

建物や家具、衣装や装飾品などあらゆる物が重々しい

そしてあらゆることが形式ばってる


それに比べ泡の世界の人たちは儚げで可愛らしいものを好む

みな自由に振る舞っている

誰がどんな格好をしていても気にしない


今日付けている淡水パールのイヤリングは私の一番のお気に入りだ

ここでは自分の誕生日でも好きなものを身に着けられないのか…


育った世界と違う価値観のなかで暮らすというのは難しい

それにしても夫はどうして泡の世界の私を妻にしようと思ったのだろう




「ラガーノルド様」


「ひとつ質問してもよろしいですか?」



「質問を許そう、アルテシア」



「真面目でご立派で規律を重んじるラガーノルド様がどうして泡の世界の私《わたくし》と結婚しようと思ったのですか?」


ふうと夫はため息をついた


「アルテシア、なにも覚えていないんだね…当然と言えば当然だが」


「私にプロポーズをしたのは君なのに」



「えっ?」



「私は君がまだほんの子供だった時会っているのだ」


「海の世界の王の戴冠式の場で」


「親に連れられて来ていた君は、少し遊んであげたら公衆の面前でいきなり私にプロポーズした」


「まだサ行が言えない喋り方で」


「あまりにその様子が可愛らしくて私はうっかりプロポーズを受けてしまった」


「私が真面目で規律を重んじるからこそ約束を反故に出来なかった」


「だから私は君が結婚できる年になるまで待っていたのだ」




驚いた…

全然覚えていない

両親からもなにも聞いていない


きっとそんなことを覚えているのはラガーノルド様だけだ

それにしても、そんな理由で私と結婚したのならばこの人は真面目を通り越している


クスクス

なんだか可笑しい









私がこの世界に嫁いで一年を過ぎたある日


その日、私は請《こ》われて夫の部屋でハープを弾いてていた

ここのところ体調が悪くベットに臥せっている日が多かった夫が、きちんと王の衣装を着て、窓辺に佇み演奏を聞いてくれたのがとても嬉しかった


演奏が終わると


「おいで、アルテシア」


と夫が言った


…2ヶ所ほど音を外した場所があった


練習不足を咎められるのかしら


「はい、ラガーノルド様」


そう言って窓辺に向かうと夫は以外なことを言った




「私は…君と結婚したことを後悔している」


…?…!!えっ


「アルテシア、君に話さなければいけないことがある」


聞きたくない…

そう思ったけど、言葉にすることができず私はただぽかんと口を開けて次の言葉を待つしかなかった


「私の命は長くない」


「体にヒビが入っている」


「石の世界の人間は皆、多少なりともヒビが入った体で生まれてくる」


「けれど私のヒビは体の中央にある、場所が悪い」


「このヒビが体を2つに割《さ》いたたとき、私はこの世から去らなければならない」


「私の体のヒビは日毎《ひごと》に伸びている」


「自分の命が長くないのはわかっていた」


「なのに私は君を妻に迎えてしまった」


「寡婦に…させてしまうのを…承知の上で」


「残り少ない時間を君と共に過ごしたいがゆえに」


「すまない、許してくれ」


「こんな自分勝手な私を」


そう言って夫は私の手を強く握った




許すも許さないも…

私はあなたを責める気なんかこれっぽっちもありません




私は少し前に気づいていた

夫が私を呼んでお説教する理由《わけ》を

夫はお説教した後、必ずやんわり私を抱いた

お説教されてむくれる私を、しょんぼりする私を

まるで壊れやすいシャボン玉を抱くようにそおっと


それが、私を呼ぶ本当の目的なのだと気づいていた

夫は恥ずかしがり屋なのだ

なにか若い私に遠慮があり「おいで、アルテシア」と言っていきなり私を抱擁することができないのだ




私はこの人にとても大切にされてきた




「ラガーノルド様」


「私《わたくし》があなたを死なせはしません」


「体のヒビが伸びてしまうのは…多分この世界の乾燥がいけないのです」


「私があなたの周りを常に潤いで満たしましょう」


そう言って私は夫をふんわり抱いた

頑強なその体をシャボン玉の中に閉じ込めるように






あれから夫の体のヒビは伸びていない

それでも前のようにお元気にはなられず、私をお説教することもなくなった




今は…




「おいで、アルテシア」


そう呼ばれ夫の枕元に行くと夫は体を起こして私を抱く


愛の言葉をささやきながら









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