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8. お菓子の食べ過ぎには注意です


 夜会の翌日からレオさまの猛烈アタックが始まった。

 突然の突撃訪問。先触れこそあったけれど、それは「今からそちらに伺います」というだけで、こちらの都合を完全に無視したものだった。

 とても無礼だけど、大きな薔薇の花束を持って現れたレオさまを見たら、仕方ないか、と思えた。

 こちらのお伺いなんて立てていたら、お義姉さまは逃げてしまうに決まっている。


 レオさまの狙い通りに、突然のレオさまの訪問に逃げることが出来なかったお義姉さまは、大きな薔薇の花束を持ったレオさまの姿に、目を丸くしていた。

 最初こそは険しい表情を浮かべてレオさまをあしらっていたお義姉さまだが、その回数が二回、三回と増えていくたびに少しずつだけどお義姉さまはレオさまに心を開いていった。

 しかしそれでもお義姉さまはレオさまを疑っており、「わたくしのことを揶揄って遊んでいるのでは…」と思い悩んでいる様子だったので、私はレオさま協力のもと、お茶会や夜会に行くたびにレオさまはアリーセお義姉さまに夢中である、と言って回った。


 その噂は瞬く間に社交界に広がり、レオさまとお義姉さまの復活愛か、とあちこちで囁かれるようになった。

 その噂のお蔭か、最近ではお義姉さまがレオさまに笑顔を見せることさえあるという進展ぶりだ。

 きっとお義姉さまとレオさまが幸せになれる日も近いに違いない。うんうん、良かった。




「最近、姉上がとても活き活きとしていらっしゃるようだ」

「ふふ。レオさまのお蔭でしょうか?」


 旦那様は紅茶を飲みつつ、いつも通りの不機嫌そうな顔でそう仰った。

 今日は珍しく仕事に余裕があるようで、こうして私とお茶をする時間を作ってくださったのだ。

 甘い焼き菓子をごくりと飲み込んで私がそう言うと、旦那様も心なしか和らいだ表情を浮かべて「そうだろうな」と肯定した。


「まだ少しぎこちないが…まるで昔のお二人を見ているようだ。本当に、良かった」

「ええ、本当に。文句を言いつつも、お義姉さまは幸せそうですもの。お義姉さまとレオさまが夫婦になったのなら、とても仲の良い夫婦になるのでしょうね」

「…どうだろうか。喧嘩をして家に帰って来る姉上の姿が目に浮かぶが…」

「まあ、知りませんの? ああいうお二人の事を『喧嘩するほど仲が良い』と言うのですのよ」

「言い得て妙だな」


 旦那様は納得したようにしきりに頷いている。

 そして少し悩むような仕草をして、私をじっと見つめた。

 

「…旦那様? どうかされまして?」

「いや…その…ずっと君に言いたかったことがあるんだ」

「言いたかったことですか…?」


 なんだろう? お菓子食べ過ぎ、とか? だって美味しいのだもの、このお菓子。

 ハッ。もしかして、お菓子の食べかすが口についているとか!?


「ああ。その…ずっと言おうと思っていたんだが…」

「……」


 ごくり、と私は知らず知らずのうちに唾を飲み込んだ。

 なにを言われるんだろう。食べかすは付いていないはずだ。そんな感覚はしないし…。


「俺は、ずっと君が…」


 あれあれ? なんだか急に心臓がバクバクとし出してきた…。

 旦那様、勿体ぶってないで、ズバッと言っちゃってください! 私の心臓のために!


「す」

「『す』?」


 心臓の音がうるさい。なんで私、こんなに緊張しているの?


「す………す……き…なもの!」

「…はい?」

「君が好きな物はなにかと考えていたんだ」

「はあ…」

「ここにある焼き菓子の中で、君が一番好きなものはなんだろうかと…」

「……はあ…そうですね。この中でしたら、フィナンシェが一番好きですわ」

「なるほど、フィナンシェか」

「ええ。フィナンシェです」


 旦那様は難しい顔をしてフィナンシェを見ている。

 ……この質問の意味はいったいなんなのだろう。

 旦那様はやはり私のことを子供だと思っているのだろうか。甘い物でも与えて置けば機嫌がよくなるとでも考えているのか。

 私はそんなに子供ではない。誠に遺憾である。


 だけど…。

 告白でもされるのかと一瞬だけ思っちゃったなぁ…ちょっと期待しちゃった。自意識過剰だな、私。でももしそうだったら、とても嬉しいのに。


 って。あれあれ?

 やだ…それじゃあ私、旦那様に恋しているみたいじゃない?

 ないない。そんなこと…ない…よね?


 「…俺のヘタレ…!」と呟く旦那様の台詞は、ふっとわき出た疑問をいったん宙づりにして、お菓子を味わうことに夢中になっていた私の耳には届かなかった。




 ある日の夜会で、私が一人でぼんやりと飲み物をちみちみと飲んでいると、レオさまがやってきた。旦那様は所用で今は席を外している。

 レオさまは朗らかな笑顔で挨拶をしてくれたので、私も同じように挨拶を返す。

 そしてレオさまは唐突に「ありがとう」と私に告げた。

 …はて。私はなにかレオさまにお礼を言われるようなことをしただろうか?


「私はレオさまにお礼を言って貰えるようなことをした覚えがありませんが…」

「アリーセの件だ。あなたの協力のお蔭で、少し前までは考えられないほどアリーセと共に時間を過ごせるようになった。あなたには心から感謝している」

「いえ、そんな…。感謝されるようなことではありませんわ。仲の良いお二人の姿を見れるようになれて、私も嬉しいですもの」


 ついでにお二人が結婚してくださればもっと嬉しいけどね!

 という心の呟きは声に出さずに私はにっこりと微笑んだ。

 レオさまのお義姉さまについての話に微笑みながら相槌を打っていると、レオさまがおや、という顔をした。いったいどうしたのだろう。


「どうかなさいまして?」

「失礼。髪飾りが少し曲がっているのが気になってね。私が直してもよろしいだろうか?」


 律儀に聞いてくるレオさまに「お願いします」と頷き、髪飾りの位置を直して頂く。

 レオさまは真剣な面持ちで私の髪飾りに手を伸ばし、髪飾りの位置を調整する。そして満足そうに笑い、「これで大丈夫だ」と頷いた。

 私は笑顔で「ありがとうございます」とレオさまにお礼を言おうとした時、「…アルベルティーナ」と私の名を呼ぶ旦那様の声がした。その声は、いつもよりも堅い。どうして?

 旦那様の声音についビクリとしてしまい、旦那様がいると思われる方へ振り向く。


「旦那様」

「ここで、レオ殿となにを?」


 旦那様は声だけではなく、その表情も硬かった。

 どうしてそんなに硬い表情を浮かべているのだろう。


「…あの……」

「俺に答えられないようなことをしていたのか?」

「いえ、ちが…」

「───勘違いしないでほしいな、ヴィンフリート。君が考えているようなことは一切していない。ただ少し…」

「レオ殿は黙っていてください。俺たち夫婦の問題です」


 ぴしゃり、と旦那様の声がレオさまの言葉を遮る。

 普段から不機嫌そうな旦那様。それが通常の旦那様の顔で、旦那様にとっての普通なのだ。

 だけど、今は。

 今は、本当に旦那様が不機嫌なのだとわかった。

 ───ちがう。不機嫌なのではない。これは“怒っている”んだ。


「旦那様…あの私は」

「アルベルティーナ」


 口を開いた私の台詞を、旦那様は私の名で遮った。

 そして旦那様の青い瞳を見て、息を飲む。旦那様の青い瞳がギラギラと燃えていた。まるで青い炎のように。


「詳しくは家で聞く。帰るぞ」

「あ…」


 いつになく乱暴に旦那様は私の手を取り歩き出す。

 レオさまへの別れの挨拶をしていないのに。

 レオさまの旦那様を呼ぶ声する。だけど旦那様はそれを無視し、ぐんぐんと歩く。

 私とコンパスの長さが違う旦那様に合わせて歩くと自然と駆け足になる。いつもはこんな風にならないのに。

 馬車につく頃には私の息は上がっていた。こんな風に駆け足で歩いたのは久しぶりだ。


 無言で馬車に乗り、馬車の中でも私たちは無言だった。

 旦那様からはいつになく不機嫌オーラが醸し出されており、とてもじゃないけれど話し掛けられなかった。

 旦那様はきっと誤解をしている。それがどんな誤解なのかはわからないけど、その誤解を解かねばと思うのに、私の口はとても重くて開かない。

 この気まずい雰囲気の中、先に口を開いたのは旦那様だった。


「…きみは、レオ殿のような人の方がいいのか?」

「え…」

「とても楽しそうに話をしていた」

「それは…違うのです。ただ私は…」

「違う? 何が違うと言うんだ? 君は俺と話をしていてもあんな風に楽しそうに笑わない。俺はこんな性格だから、レオ殿のようには話せないし君に喜んで貰えるようなことも言えない」

「旦那様、私の話を聞いてください」


 話の雲行きがどうにも怪しい。

 先ほどは怒っていた旦那様だけど、どうやら今は落ち込んでいるようだ。

 なにがどうしてそうなったのかという理由はこの際どうでもいい。なにかとんでもないことになりそうな予感がする。だから、早く旦那様の誤解を解かねば。


「俺は。…君に『旦那様』と呼ばれるべき存在ではないのかもしれないな…」

「そんなことありません! お願いです、旦那様。私の話を聞いてください…!」

「……すまない。家で聞くと言ったが、今の俺では君の話を冷静に聞ける自信がない」


 そう旦那様が言ったとき、まるでタイミングを図ったかのように、馬車が伯爵邸へ到着して停まった。

 旦那様は馬車のドアを開け、馬車を降りて歩き出す旦那様に、少し呆然としていた私は慌てて声を掛けた。


「旦那様…!」

「…申し訳ないが、しばらく一人にしてほしい」


 旦那様はそう言うと、私の方を振り返ることなく屋敷の中へ入っていった。

 そんな旦那様の背中を私は呆然として見つめた。

 どれくらいそうしていただろう。「…奥様、お体に障りがあるといけませんので、そろそろ屋敷の中へお入りください」と遠慮がちに声を掛けられて、ハッとした。

 そこには私を心配そうにして見つめている、旦那様の従者であるオスカーの姿があった。


「オスカー…」

「僕の手でよろしければ、どうぞ」


 そう言って差し出されたオスカーの手を見つめ、「ありがとう」と礼を言ってその手を取り、馬車を降りた。

 旦那様とは違う手。旦那様よりも少し小さい手だった。

 いつもと違う感覚に戸惑う自分を見つけて、私はすっかり旦那様の手を取ることに慣れてしまったのだな、と今更ながらに実感した。


 屋敷の中へ入ると「お帰りなさいませ、アルベルティーナさま」と、リアナが笑顔で出迎えてくれた。

 私はそれに応えようと笑顔を作った。なのに、なぜかリアナは目を見張って私を見つめている。

 いったいどうして?

 そう疑問に思うのと、頬に温かいものが伝うのは同時だった。


「アルベルティーナさま…?」

「あ、ら…? やだ…私、いったいどうして…」

「夜会でなにかあったのですか? なにか、辛い思いを…?」


 心配そうに私を見つめ、リアナは頬を伝う涙をハンカチで拭ってくれた。

 私は首を横に振る。だけど次から次へと涙はポロポロと零れた。


「…もしかして、旦那様となにか…?」


 リアナの問いかけに、私はああそうか、と思った。

 旦那様にあんな態度をされて、私は悲しいのだと、ようやく気付けた。

 せっかく仲良くなれたと、思ったのに。


 でも、こうなったのは他ならない私のせいだ。

 旦那様に誤解をさせてしまったのは、私の気遣いが足りなかったせい。

 そして誤解を解けなかったのも、私が意気地ないせい。


 旦那様の言葉を遮ってでも、私は旦那様の誤解を解くべきだった。レオさまと話した内容をきちんと伝えるべきだった。

 最後に見た旦那様の顔。

 相変わらずの不機嫌顔だったけれど、でも瞳は揺れていた。まるで何かに傷ついたように。

 ああ、違う。私が、旦那様を傷つけたのだ。


「私…なんてことを…」

「アルベルティーナさま…?」


 私は泣く資格なんてない。

 ないはずなのに、涙はなかなか止まらない。

 こうなって、初めて気づいた。


 いつの間にか、旦那様の存在が私の中で大きくなっていたことに。



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