6. ひと肌脱ぎます
あの日以来、旦那様の態度が目に見えて軟化した。
少し前まで顔を見るのも数日に一度くらいだったのに、最近では朝食と晩餐は必ず一緒に取っている。結婚当初ではあり得ないほどの進展ぶりだ。
まあそれも、お仕事が落ち着いたから、というも大きいようだけど。
旦那様は伯爵家当主の仕事や領主の仕事の他にも、王宮でのお仕事をされていて、ここ最近はそちらの仕事に追われていたようだ。それがひと段落し、朝食と晩餐に顔を出せるようになったらしい。
当然、その時は私と旦那様の二人きりなわけで。…まあ、給仕係はいるのだけど…。
その時に、ほんの少しだけだけど、旦那様と会話らしきものをすることができるようになった。とは言っても報告のようなものだけど。今日の予定とか、今日は何があったとか、そういう話をするようになったのだ。大きな進歩と言ってもいいと思う。
ただし、旦那様の表情筋は相変わらず仕事をストライキしているようだ。
会話の間も旦那様の表情は一切変わらない。筋肉が凝り固まってしまわないかと心配だ。筋肉というのは使わないと衰えるものだと言うし。
そんな私と旦那様の日常はさておき、お義姉さまのお婿さま探しの方は難航していた。
あれから色んなお茶会や夜会へ顔を出して、お義姉さまの婿候補を探しているけれど、なかなか良い人が見つからない。
お義姉さまは俗にいう“嫁ぎ遅れ”である。そんな女性を貰い受けてくださる方を探すのは難しいとは思っていたけれど、それ以上に、お義姉さまは女傑として有名であるそうで、そんな女性を嫁にと望むような気概のある方は中々おらず、余計に婿探しは難しいものとなっていた。
もちろん、相手さえ選ばなければお義姉さまはすぐにでも嫁にいけるだろう。華やかな美貌の持ち主であるし、持参金だって私と違ってたくさん持たせられる。その条件に食いつく好色爺やお金に目がくらんだ爺ならば、喜んでお義姉さまを引き受けてくださるだろう。
だけど、それではお義姉さまは幸せになれない。私はお義姉さまには幸せになって貰いたいのだ。旦那様のお話を聞いてから、その想いはより一層強くなった。
口を開けば毒ばかり吐くお義姉さまだけど、決して薄情な方ではない。私に対しては冷たい態度ばかりだけれど、家に勤める使用人にはきちんと気を遣っているし、私がヘマをやらかした時などはさりげなくフォローだってしてくれた。
それはもちろん、伯爵家の名を落とさないために仕方なくやってくれたことだとわかっているし、そのあとにグチグチと小言を言われたけれど、フォローしてくれたことには違いない。
そんなお義姉さまを追い出したいがために、お義姉さまが不幸になってもいい、と思えるほど、私はお義姉さまが嫌いではないのだ。
しかし、現実はこの通りで。
やはり、お義姉さまの婿探しは無謀だったのだろうか。
お義姉さまも幸せで、私も幸せになれる良い案だと思ったんだけどな…。
ここは私が腹をくくり、一生お義姉さまの嫌味や嫌がらせに耐える日々を送るべきなのか。
だけど、私はお義姉さまに女として幸せになって貰いたいのだ。きっとお義姉さまのウエディングドレス姿は女神が降臨されたのがごとく美しいだろう…。
「…アルベルティーナ。その表情はいったいなんなのかしら」
「はっ」
私が思考の海から意識を浮上させると、目の前には麗しい義姉が、気味悪そうに私を見つめていた。
…いけない。お義姉さまのウエディングドレス姿を想像し、ついついうっとりとしてしまった。それが思いっきり表情に出ていたのだろう。
「あなた、とても間抜けた顔をしていてよ。もっとしゃんとした表情はできないの?」
「も、申し訳ありません、お義姉さま」
私は顔をギュッと引き締めてお義姉さまを見つめると、お義姉さまはこれ見よがしに溜め息をついた。
「わたくしはあなたに散々言っているわね。伯爵夫人としての自覚を持ちなさい、と。どこで誰に見られているのかわからないのですよ。常に人に見られているものと意識して行動をしなさい。あなたの評価は、あなたの夫であるヴィリーの、そして伯爵家の評価にも繋がるのですよ」
「はい…」
ぐうの音も出ないほどの正論を言われ、私は項垂れた。
まったくもってお義姉さまの言う通りだ。
お義姉さまはそんな私を見て、ぐちぐちと「伯爵夫人とは」と説教をし出す。
神妙な顔をしてしっかりと頷きつつ、お義姉さまの説教が終わるのを待つ。
お義姉さまのお説教はとてもためになることばかりなのだが、長すぎるのが玉に瑕だ。
「……いいこと、アルベルティーナ。以後重々行動には気を付けるように」
「はい、お義姉さま」
「そしてヴィリーには決して迷惑をかけてはなりませんよ」
「はい…」
お義姉さまはふう、と息を吐くと不意にじっと私を見つめた。
な、なんだろう…私、またなにか粗相を…?
「あなた…最近、ヴィリーと仲が良いようね?」
「え、えぇ…まあ…旦那様のお仕事がようやく落ち着いてきたようで、私と話をする時間を作ってくださるようになったのです」
とはいえ、旦那様はいまだに執務室のベッドで寝ている。
仕事は落ち着いたとはいえ、忙しいことには変わりはないらしい。朝と夜一緒にご飯を食べる余裕が出きた、程度の落ち着きようなのだ。暇とは言い難い仕事状況らしい。
「まあ。それはとても良い事ね。あとは、あなたが伯爵家の跡継ぎを産めば、伯爵家も安泰ね」
「あ、跡継ぎ…ですか」
跡継ぎか…。私たちは夫婦の関係というものがない、所謂“白い結婚”状態だ。
そんな状態で跡継ぎを望まれてもなぁ…そもそも旦那様が寝室に近寄って来ないのだし、そればかりは私にはどうしようも…。
「なにを驚いているの? 伯爵家の血筋を絶やさぬように跡継ぎを産むのがあなたの一番の役目でしょう」
「そ、それはそうですけれど…」
「まさか、その覚悟がないとでも仰るおつもり?」
「い、いえ! 決してそのようなことはありませんわ。立派な継嗣を産み育てるのが私の役目と心得ております」
「そう。ならばいいのだけれど。……わたくしには、決してできないことだから」
「お義姉さま…」
少し俯き呟いたお義姉さまの顔には諦観の表情が浮かんでいて、見ていて切なくなった。
きっとお義姉さまはこのまま独り身でいることを覚悟している。いや、レオさまの婚約話がなくなったときから覚悟をしていたに違いない。
だけど、やっぱり女としての幸せをまだ諦められなくて、修道院に入ることも出来ずにこうして伯爵家にいるのだろう。
「あの、お義姉さま…」
「なにかしら?」
顔を上げて私を見たお義姉さまの顔からは先ほど見えた諦観の表情は綺麗さっぱり消え去っていて、いつものアリーセお義姉さまの顔をしていた。
「もし、もしもなのですけれど…時間を巻き戻せることができたならば、お義姉さまはいつに時間を巻き戻したいですか…?」
「……そうね」
唐突に尋ねた私にお義姉さまは一瞬だけ目を丸くし、そしてその質問の答えを考え始めた。そして、とても小さな声で、答えた。
「もし、時間が巻き戻せるのなら…十五年前に、戻りたいわ」
そう呟いたお義姉さまの表情は、見たこともないくらい愛おしそうで、同時に切なそうでもあった。
そんな悩ましい表情をされているお義姉さまを、私は不謹慎だけど綺麗だと思った。今まで見たお義姉さまの表情の中で、一番綺麗だと。
…嫌味をいうお義姉さまは別の意味で活き活きとしていて綺麗ですけどね。
お義姉さまと別れて部屋に戻った私は、お義姉さまの呟いた『十五年前に戻りたい』の台詞について考えた。
十五年前というと、旦那様が八歳の時だ。その頃にお義姉さまになにがあったのだろうか…と考えて、先日旦那様から聞いた話を思い出す。
旦那様は『十にもならない子供の頃に、母親を亡くした』と仰っていた。そしてその少しあとにお義姉さまとレオさまの婚約話が流れたとも。
そして『十五年前に戻りたい』と呟いたお義姉さまのあの表情。それから考えて、お義姉さまが『十五年前に戻りたい』と言った理由は、レオさまとの関係のことではないだろうか。
恐らくだけれど、お義姉さまは婚約の話が流れたことは後悔していないのだと思う。あんなに旦那様を溺愛しているお義姉さまだ。幼い旦那様を放っておいて嫁ぐ、なんてことは今も昔も考えられないに違いない。
だからきっと後悔しているのは、レオさまと仲違いをしていることなのではないだろうか。
レオさまはお義姉さまと仲直りがしたい、と仰っていた。もしかしたら、お義姉さまも同じ気持ちなのでは?
お義姉さまはあの通りのキツイ性格だから、きっと素直になれずにいるのだろう。
あと、レオさまが自分を放って色んな女性に囲まれているのが許せないっていうのもあるんじゃないだろうか。嫉妬、という奴だ。
だから余計に素直になれなくて、先日の夜会でもあんな風にレオさまに言ってしまったのだ。
考えてみれば、あのあとのお義姉さまは少し落ち込んでいるようだった。私への毒もいつものキレがなかったし、いつもならすかさず言われる嫌味がこなかったこともあったし。
…まあ、これは私の妄想だけど、遠くもない真実なのではないだろうか。
そういえば、レオさまの婚約者が決まったという話も聞かない。
ならば、これを機にお義姉さまとレオさまに仲直りをして貰ったらどうだろうか。
十年以上拗れている関係だし、そう上手くいくとは思えないが、やってみる価値はあるのはずだ。
よし! 私がお二人の愛の天使となろうではないか!
お二人のために、アルベルティーナ、ひと肌脱いじゃいます!




