5. お義姉さまの幸せ
「あなたは確か、ヴィンフリート…フレンツェル伯爵の奥方だったね」
「は、はい…申し遅れました。フレンツェル伯爵ヴィンフリートの妻、アルベルティーナでございます」
本日はお招きいただき、ありがとうございます、と一礼をする。
きちんと伯爵夫人らしく見えるといいのだけど…どうだろうか。
レオさまはそんな私を見て目を細めた。
「こちらこそ、来て貰えて嬉しいよ。どうだろうか、楽しんで頂けているだろうか?」
「ええ、それは、もちろん…」
レオさまを囲むご令嬢がたのドロドロとした争いとか、旦那様を囲む令嬢がたのドロドロした争いとか、それをブスっとした表情のまま、『我関せず』とどこか彼方を見つめる旦那様を観察したりして楽しんでおりますよ。
「それはなにより。……それで? あなたはここで一体なにをなさっていたのかな?」
ぎくっ。
私はピクリと動きそうになる体を必死で押さえ、「少し風に当たりに歩いていたのですわ」とお上品に笑って答えた。
もちろん、呪文を唱えるのも忘れない。
私は伯爵夫人、伯爵家の名を背負っている、旦那様の嫁…。
「風に当たりに…なるほど」
レオさまは頷く。
ほっ。どうやら誤魔化せたようだ。フッ。『女落としの騎士団長』も私には敵うまい…。
「随分と、長く風に当たっていたのでは? ほら、こんなにも頬が冷たい」
そう言ってレオさまは手を伸ばし、私の頬に触れた。
ひぃっ。これが『女落としの騎士団長』の技なのか…! だが、私は負けない…! 負けないぞ…!
「…まぁ。ご心配してくださいましたの? とても光栄ですわ。えぇ、そうなんですの。少し風に当たりすぎてしまって、ちょうど引き返そうと思っていたところなのですわ」
「旦那様に言わずに出て来てしまったものですから、旦那様が心配なさっているといけませんし…」と逃げる口実を作るのも忘れない。
まあ、旦那様が私の心配してるなんてことはないだろう。だって、あの旦那様だし。
あれ、いないな、程度にしか思っていないんじゃないだろうか。
……ちょっとそれは寂しいかも?
「……なるほど」
レオさまはとても面白そうな顔をして頷いた。
わかってくださいました? では私は戻りますのでごめんあそばせ。
「さすが、ヴィンフリートの嫁だ。手強いな」
「……なんのお話でしょう?」
私が手強い? まさか、そんな。私は普通の女の子ですよ! 力なんて大して持ち合わせていない、普通の女の子ですよ! だから私が手強いなんてあるはずがない。
「…ふふ。面白いな」
またしても言われた、“面白い”という評価。
そんなに面白いだろうか、私。至って普通のつもりなのだけど。
私が首を傾げていると、ふと何かを思いついた顔をレオさまはされた。
なんだ?
「不躾だが、あなたはアリーセ…あなたの義姉と上手くやっているのだろうか?」
唐突に言われたその一言に、私はすぐに返事が出来なかった。
一拍遅れて「エエ、モチロンデスワ」と答えたけれど、それは明らかな棒読みとなって響いた。
…まずい。つい、素直な気持ちが声音と共に出てしまったようだ…。
そのせいで、私とお義姉さまとの仲をレオさまは察したらしい。
…察しなくていいのに。
「アリーセは弟を目に入れても痛くないと豪語しているほどヴィンフリートを可愛がっているからな。その嫁であるあなたにきつく当たっているのではないかと、心配していたんだ」
「まぁ…お気遣いありがとうございます。そのお心だけ受け取っておきますわ。…ところで、レオさまはアリーセお義姉さまと親しいご様子ですけれど、どういったご関係なのでしょう?」
分厚い猫…そう、昔見た野良猫のボス(恐らく虎猫)のように大きな猫を被り、私は不思議そうな顔を作りつつ、レオさまに訊ねた。
心の中では好奇心の虫がブンブンと羽音をたてて飛んでいる。
お二人はどんな関係なのだろう?
私の妄想によると、きっとレオさまとお義姉さまは幼馴染みで二人はお互いを憎からず想っていて、いずれは婚約者になる予定だったのだ。
しかし色んな事情が重なってその話がなくなってしまった。いや、苦渋の決断の末にお義姉さまから断ったという方が美味しいな。よし、それでいこう。
それにショックを受けたレオさまは自棄になって、女の子をコロコロ変えて連れ歩き、それを見たお義姉さまもショックを受け、カアッとなったお義姉さまはついついキツいことをレオさまに言ってしまい、二人の関係は拗れ、それを直せないまま今に至るわけだけど、やっぱりまだ想い合っているのだ。
はぁぅ…っ! なんて美味しい…!
まぁ、すべて私の妄想ですけどね?
「私とアリーセの関係、か。まあ、有体に言えば、幼馴染みだな」
えっ。まさか、本当に幼馴染みだったの?
第六感はまあ、大袈裟にしても、今日の私の勘は冴え過ぎではないだろうか。
これはまさかのまさかで、私の妄想が現実のものとなったりするのでは…?
「昔はそんなことはなかったのだが、今ではすっかりとアリーセに嫌われてしまったようだ」
そう言って苦笑いしたレオさまだけど、ほんの少しだけ瞳が揺れていた。まるで痛みを堪えるかのように。
先ほど耳にした『君を愛してる』の言葉は、本気だったのだろうか。だとしたら、その人に自分の気持ちを信じて貰えなくてとても辛い思いをされているのだろう。
…まあ、レオさまの自業自得なところもあるのだろうけど。
「レオさまは…お義姉さまと仲直りをされたいのですか?」
「出来るならば。…まあ、望みは薄そうだが。あなたとこうしてお喋りをするのも楽しいが、あなたの夫に勘違いをされたら困る。なので私はこれで。夜会を楽しんでいってほしい」
そう言って流れるような動作で一礼をすると、レオさまは立ち去っていった。さすが現役騎士。一礼すら優雅で格好いい。
ぼんやりとレオさまの後ろ姿を見送っていると、後ろからとても不機嫌そうに声を掛けられた。
「ここで何をしている?」
「旦那様…?」
振り返るといつもよりも数倍不機嫌そうな旦那様が立っていた。
なぜこんなに不機嫌そうなのだろう。
ご令嬢がたのお相手が大変だったのだろうか。
「少し風に当たりに来たのですが、ついつい歩きすぎてしまいまして…」
ご立派な庭園ですから、と言い訳がましく言う。
旦那様はそんな私に疑わしそうな視線を向けた。
…私ってそんなに信用ないですか?
「…探したぞ。これからは外に出るときは俺に一言言ってから外に出るように」
「はい…申し訳ありません」
しゅん、として謝ると旦那様は少し慌てたように「いや、きみを一人にしてしまった俺も悪かった」と仰った。
旦那様は普段からとても不機嫌そうで表情筋がストライキ中で冷たい人だと勘違いしていたけれど、本当は優しい人だ。
旦那様の優しさに触れるたびにふわっとした気持ちになる。
「…そろそろ帰ろう」
「はい、旦那様」
私は旦那様の手を取り、馬車の待つ方へと向かう。そして馬車に乗り込んだところで気づく。
「あの、旦那様。お義姉さまは…?」
馬車の中にはお義姉さまの姿はない。
だというのに馬車は走り出してしまった。
まさかお義姉さま置いてけぼり…?
「姉上は気分が悪くなったそうで、先に帰られた」
「…まぁ」
時間的にさっきのアレかなぁ…?
お義姉さま、すごく怒っている様子だったし、それで逆上せてしまったのかもしれない。
「…こうなるのでは、とは思っていた」
ぼそりと呟いた旦那様に私は首を傾げた。
旦那様はお義姉さまが一人で帰ってしまうのを想定していたってこと?
「きみは、姉上とレオ殿が婚約していたことを知っているだろうか?」
えっ。ほ、本当にそうだったの?
今日の私の勘は冴えすぎだ…何かの前触れじゃないだろうな…もちろん、悪い方の、だ。
「いいえ。存じませんでしたわ。…お義姉さまと、レオさまが…」
「正確に言えば婚約をする一歩手前だったのだが。ちょうどその頃に母上が亡くなり、父上も仕事で忙しく家にいることがあまりなかったため、母上が亡くなったことのショックで呆然としていた俺を姉上は放って置くことができず、結局婚約の話はなかったことになってしまった」
「…まあ。そのような事情がありましたの…」
「その当時の姉上はちょうどきみと同じ年齢だったはずだ。俺は十にもならない子供だったが…姉上には、申し訳ない事をしたと思っている」
俺のことさえなければ、姉上は今頃、レオ殿と幸せに暮らしていただろうに。
と、旦那様は心なしか陰のある表情で呟いた。
「でも、旦那様の上には、アリーセお義姉さま以外にもお姉さまがいらっしゃいましたよね? そのお姉さまがたは…」
「あの頃、アリーセ姉上以外の姉たちの婚約もほぼ決まっていたんだ。アリーセ姉上は姉たちを笑顔で送り出し、俺の傍にいる道を選んだ。だから、俺は姉上には感謝しているし申し訳ないとも思っている」
「旦那様…」
「姉上とレオ殿は、子供の俺から見ても仲の良いお二人だった。それがいつの間にか…婚約の話が消えてから、ぎくしゃくとするようになって、レオ殿の女性関係が華やかになった。きっとお二人の関係が壊れたのは、俺のせいなんだろう」
そう言って目を伏せた旦那様の姿がとても切なくて、私は旦那様の手をぎゅっと握った。
これで、ほんのわずかばかりかもしれないけれど、旦那様を励ませればと思ったのだ。
旦那様はほんの僅かに目を見張った。
「旦那様、お義姉さまに幸せになって頂けるように、頑張りましょう?」
「…しかしきみは姉上に随分と困らされているんだろう?」
戸惑った口調で旦那様は仰った。
…旦那様は知っていたのか。まあ、そうだよね。馬車の中でも舌戦を繰り広げていたしねえ…あれはまだまだ序の口だけど。
「確かにお義姉さまには困ったものだわ、と思うことも多々ありますけれど、私に危害を加えるようなことはなさりませんし、ほんの少し…いえ大いに……口うるさい程度ですわ。その程度のことでお義姉さまが不幸になればいいなんて思うほど、私は落ちぶれてはいないつもりです」
お義姉さまが私に対しての風当たりが強いのも、旦那様を心から愛していらっしゃるからだということはわかっているし、お義姉さまは自分の幸せよりも妹弟の幸せを選ぶくらい愛情深い方だというのも、旦那様の話を聞いて伝わった。
それを知ってしまったならなおの事、お義姉さまの幸せを願わずにはいられない。
そもそも、お義姉さまの嫌味は巡り巡って私のためになることばかりだ。礼儀を欠くな、服装には気を付けろ、作法には気を付けろ…どれも伯爵夫人としての自覚を持て、と遠回しに私に伝えているのではないだろうか。
…まあ、言い方に毒がありすぎて、素直には受け止められないんですけどね。
「…きみは……人によくお人好しと言われないか?」
私の台詞に対しての旦那様の回答にムッとする。
確かに良く言われるけど、そんな言い方をしなくてもいいじゃないか!
反論しようと口を開きかけた時、旦那様はフッと柔らかい笑みを浮かべた。
初めて見る旦那様の笑顔に、私は目を見張って、ぽかんとした。
だって、あまりにも綺麗過ぎて。
いつもは冷たく輝く青い瞳が今はとても優しい色を宿して私を見ていた。
「アルベルティーナ」
「は、はい…?」
「───ありがとう」
初めて、名前を呼ばれた。そして笑顔でお礼を言われた。
そのことに、私の心臓が突然バクバクと音を立てだして、顔が急に熱くなった。
不意打ちなんて、ずるい。
私は火照った顔を隠すように俯いて、「どういたしまして…」と答えるので精一杯だった。




