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2. 旅行中ではなくストライキ中でした



 散歩に付き合えと言われて伯爵家が誇る庭園を歩くことになった私。

 しかし、付き合えと仰った旦那様は終始無言で、私は旦那様の数歩後ろを歩くという、夫婦の散歩というよりも、使用人を引き連れて歩く旦那様の図だ。

 なぜ旦那様は突然散歩に付き合えなどと言ったのだろう。旦那様は私に関心の「か」の字も向けていないはずなのに。


「……」

「……」


 私たちの間には気まずい雰囲気が漂っている。

 そんな中でも私の前を歩く旦那様は堂々としていて、伯爵らしい貫録を感じる。

 生まれながらに伯爵となるべく育った人と、ただの貴族の娘として育った私の間には見えない大きな壁のようなものあるような気がして、私はこの人の隣に立つのに相応しくないと見せつけられた気がした。


 不意に旦那様が立ち止まり、私もそれに合わせて立ち止まる。

 旦那様はゆっくりと振り返り、いつも通りの不機嫌そうな顔で私を見つめた。


「なぜきみは俺の隣を歩かない?」


 ……どうやら旦那様は私に背を向けるのが嫌らしい。

 別に背後からぐさっとやる気はありませんよ。安心してください、暗殺する度胸なんて私にはありませんし、そうする理由もありませんからね!


「別にそんなことは心配していない」

「えっ。も、もしかして…私、声に出していました?」

「思いっきり出ていたぞ」


 う、嘘だ…! そんな馬鹿な…!

 しかし旦那様は嘘をついているようには見えない。

 …いやまあ、いつもこの顔なんですけどね? なんとなくそういう雰囲気? と言いますか…。


「も、申し訳ありません…!」

「なぜ謝る?」

「私、旦那様に大変失礼なことを…!」

「俺は別に気にしていない」


 そう言われたら、なにも言い様がない。

 俯いて、もごもごと口を動かしてごめんなさいと小さく謝った私に、プッと吹き出すような声が聞こえた。

 え? 今の誰の声?

 ま、まさか…。


 私が恐る恐る顔を上げると、口元を手で覆い、笑いを堪えている旦那様の姿が、そこにあった。

 え? なんで旦那様笑っているの? ていうか、これレア物ですよ。旦那様が噴き出すとか、レア物ですよ!


 というか、旦那様、不機嫌な顔以外にも表情作れたんだ…。


 私が呆気に取られて、ぽかんと旦那様を見ていると、それを見た旦那様はとうとう声を出して笑い出した。

 ええー…いったいなんなの。ちょっと人の顔見て笑うとか、失礼なんじゃない?


 段々と腹が立ってきた私はブスッとした顔をして旦那様を睨む。

 本当は頬を膨らましたかったのだけど、それはあまりにも子供っぽいし、余計に笑われそうな予感がしたのでやめた。


「……いつまで笑っているんですの?」


 一向に笑い止まない旦那様に私はブスッとした声音で言った。

 どうやら旦那様は笑いのドツボにはまってしまったらしい。私がそう言っても笑いの収まらない旦那様に、私は怒りを通して呆れた。

 しばらくして笑いの収まった旦那様が目尻に浮かんだ涙を拭いながら「すまない」と謝った。


 …涙が出るほど面白かったですか、そうですか。

 面白い顔をしていてすみませんね。ケッ。


「きみは、素直だな」

「…は?」


 元の不機嫌そうな表情ではなく、笑いの名残りなのか幾分か柔らかい表情を浮かべて旦那様は唐突に言った。

 素直? 私が?


「思っていることがすべて顔に出ている。それで社交界でやっていけるのか些か不安になるが…」

「顔芸が出来なくて申し訳ありませんね」


 どうせ私はポーカーフェイスなんてできませんよーだ!


「卑屈になる必要はない。社交界では致命的だが、俺は好ましく思う」


 …社交界では致命的ですか。そうですか。


 って…えっ?

 今旦那様、なんて言った?


「あの、旦那様…今なんと仰いまして?」


 私の耳がおかしくなければ“好ましい”とかなんとかと聞こえたような気がするんだけど…。


「社交界では致命的だと言った」


 いや、そっちじゃなくてですね…。

 まあ、いいや…私の気のせいってことにしよう…。


「はあ、そうですか…」

「ああ」


 またしても舞い降りる沈黙。

 気まずい。非常に気まずい。どうしてこうなるんだろう。仮にも夫婦なのに。

 まあ、世間一般の夫婦とは違って一緒に過ごす時間が少ないから仕方のないことだとは思うけれど、こうもすぐ会話が途切れるとは…。


 私は話題を一生懸命探すが、これと言った話題が見つからない。

 お茶会に行ってきました、と報告する?

 けれどそれに旦那様との会話が続くような噂は聞かなかったし、また今と同じように沈黙してしまうに違いない。

 まだまだ結婚生活は始まったばかりなのに、こんな調子で大丈夫なのだろうか、私は。


「…姉上が、きみに何か困ったことをしていないか」

「え…?」


 唐突に聞かれた質問に、私は目を見開いた。

 私をじっと見下ろす旦那様の目はとても澄んでいた。その瞳に嘘を見透かされてしまうような気がして、「いいえ」とは答えられなかった。

 かといって、「はい」と肯定するのも違うような気がして、私は黙り込んだ。

 その沈黙が、旦那様にとって答えとなったようだ。


「…しているんだな?」

「えぇっと、その…」

「言い淀む必要はない。姉上も困ったものだ。いい加減、弟離れをして頂きたいのだが…」


 そう言った旦那様の眉間には皺が寄っていて、とても困っている、というのをその表情から感じられた。

 そんな旦那様をフォローしようと、私は口を開く。


「お義姉さまの小言も、とても勉強になっていますわ。こう言われたらこう返す、というシミュレーションになるといいますか…夜会などで、怖いご婦人がたに囲まれた際の対処法を学ばさせて頂いているといいますか…」

「きみは一体、夜会をどんな場所だと思っているんだ」


 それはもう…。

 腹の探り合いをする、ドロドロした場所だと認識しておりますがなにか?


「……きみは、面白いひとだ」

「そんなことはないと思いますけれど」


 生まれてこの方、面白いなどと言われたことは一度もない。

 旦那様は呆れた顔をして私を見つめた。ため息をつきそうな雰囲気だ。

 むっ、失礼な。そんな顔をされるようなことをした覚えはないのに。


「いいや、そんなことはある。…そうだな」


 そんなことはあるって…ちょっと旦那様。

 私の抗議の視線を軽くスルーし、顎に指を当て、私から視線を逸らし旦那様はなにやら考え事をしていらっしゃるようだ。そしてその考え事がまとまったのか、私に視線を戻し、「…夜会に参加してみるか」と言った。


「…突然どうしたんですの?」


 あまりにも唐突すぎて、なにか裏があるのでは、と疑ってしまった私を旦那様はムッとしたように見つめ、不機嫌そうに言った。


「きみが夜会にあらぬ誤解をしているようだから、その誤解を解いてあげようとしたまでだ」

「はあ、そうですか…」

「それで、どうするんだ」


 行くのか行かないのか、と旦那様に詰め寄られる私。

 なぜ私、こんな風に旦那様に怒られているのでしょう。解せぬ。

 …まあ、行くか行かないかと聞かれたら、


「もちろん行きますわ」


 と答えるに決まっている。

 夜会だ、夜会! ドロドロしたものが見れる!

 と、心の中でスキップをしていた私はふと、旦那様にお願いしようとしていた事を思い出した。


「あの、旦那様?」

「なんだ」

「ぜひ行ってみたい夜会があるのですが…」

「行ってみたい夜会…?」


 はい、と私は神妙な顔をして頷く。

 レオさまの婚活パーティーに出席したい、と旦那様に申し出てみた。

 良いと言ってくれるだろうか。私はどきどきとしながら、旦那様を見つめた。


「ハラヴァティー侯爵家の夜会…?」

「えぇ、そうなのです。とある方が聞いた話では、この夜会でレオさまがご結婚相手を選ばれるのだとか…お義姉さまは、そのう…失礼ですけれど、まだ独り身でいらっしゃるでしょう? ですから、お義姉さまはどうかしら、と思いまして…」


 本音はレオさまを取り囲むご令嬢方のいざこざが見たいだけなのだけど。

 いえ、お義姉さまに嫁いで頂きたいのも本心ですよ?


「…それで、なぜきみが参加をしたいんだ? 姉上だけで十分だろう」

「私の義姉ですもの。心配なのですわ」

「…ふーん」


 ふーんって…。旦那様、信じてないな…。


「…まあ、いい。きみの初めてのお願いだ。これくらい聞いてあげるのが夫の役目だろう。姉上には俺から話をしておく。……まあ、上手くいくとは思えないが」

「ありがとうございます、旦那様!」


 旦那様の最後の方の台詞を聞き飛ばした私は嬉しくて、思わずぎゅっと旦那様の腕に抱き付いた。

 あら。意外と逞しい腕。

 旦那様はすらりとした細身の長身でいらっしゃるから、筋肉はそんなにないと思っていたけれど、意外とついている。

 ぎゅっと腕に抱き付いた私に、旦那様がぎょっとした顔をした。

 

 …もしかして、抱き付かれて嫌だった?


「旦那様?」


 嫌でした? と視線で尋ねた私から旦那様は慌てて視線を逸らした。

 その様子から嫌だったと判断した私は少ししょぼんとして、旦那様の腕から離れようとしたが、その前に旦那様が「…屋敷に戻るぞ」と、腕に抱き付いたままの私を促して歩き出した。


 ええっと…? 抱き付いたままいいの? 嫌じゃなかったってこと?


 おずおずと見上げた旦那様の顔と耳はほんのりと赤い。

 だ、旦那様が照れている…!?

 貴重なものを見てしまった。その貴重なものをまだ見ていたくて、私はさらにぎゅっと旦那様の腕に強く抱き付きながら歩く。


「……」


 旦那様は何も言わない。だけど、顔と耳は先ほどより赤くて、私は初めて旦那様のことを可愛いと思った。

 なんだか今日だけでいろんな旦那様の表情を見れた気がする…。

 旦那様の表情筋は旅行から帰って来たみたいだ。



 そう思っていたけれど、屋敷の中に着いた頃にはいつもの旦那様の表情に戻っていて。

 ……そうか! 旦那様の表情筋は旅行中じゃなくてストライキ中なんだ!

 遠くへ行っているんじゃなくて、仕事をしていないだけなんだ。だから、さっきは表情が変わったのね。なるほど納得。

 でもまたストライキをし始めたのか…。


 年中無休で働いてくれる表情筋、大募集中です。




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