プロローグ ~結婚は突然に~
「ティーナ、すまない…!」
いきなり私の目の前で頭を下げた父に戸惑う。
なぜ父は私に頭を下げているのだろう。
困惑している私を父は涙を滲ませて見つめた。
なにがどうしたと言うんだ、父よ。
早く続きを、と無言で促す私に、父は少し視線を彷徨わせたあと、悲壮な顔をして私に告げた。
「結婚してくれ!」
………はい?
*
とても豪華な真っ白のドレスに身を包んだ私を、父は涙目で見つめている。
娘の晴れ姿が見れて嬉しいのと、強い悔恨と、いろいろな感情が入り混じっているようで、父の顔は大変面白いことになっている。
そんな父の姿に心癒されつつ、隣に立つ人物を私はチラリと一瞥した。
艶やかな黒い髪。サファイヤのように輝く青い瞳。
人形のように整った顔貌をしている彼はブスっとしており、その表情は一切揺るがない。それが彼を余計に人形じみて見せていた。
私とお揃いの白いタキシードに身を包む彼は、本日より私の旦那様となる人だ。
今日は私と彼の結婚式。記念すべき結婚式であるにも関わらず、不機嫌そうな旦那様。
もう少し柔らかい表情をすればいいのに、と心の中で文句を言う。
そもそも、今日こうして彼──ヴィンフリート様と挙式をすることになったのは、父の借金のせいだった。
私の家は男爵家で、末席ではあるが貴族を名乗ることが許されている身分だ。領地はそれなりに豊かで、優しい父は領民たちから慕われている。領地の運営も順調で、私は優しい父と母と共にぬくぬくと育った。
しかし、父の優しさが仇になった。友人の保証人となっていた父は、その友人が失踪したため、その友人の借金を肩代わりすることになってしまったのだ。
その借金が莫大な金額で、家にあったものをほとんど売り払っても借金は大量に残った。
しかし、領民たちから税を巻き上げるようなことはしたくない…けれど、このままでは領地の運営も立ちいかない…そんな父の苦悩を知った領民たちは自らの貯金を父に渡した。
父は受け取りを拒否したが、領民たちも譲らなかった。結果、領民たちの貯金を受け取ることにした父だが、それでも借金は残った。
まさに四面楚歌───そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのが、隣の領地を治める伯爵家の前当主様だった。
借金を肩代わりをしてくれるという有難い申し出をしてくださったのだ。父は戸惑いつつもその申し出を受け、代わりになにかできることはないか、と申し出た。
そして帰って来た答えが、『では、アルベルティーナ嬢と我が息子ヴィンフリートの婚姻を希望する』というものだった。
ヴィンフリート様は御年二十三歳。そろそろ結婚を考えないとまずいお年頃である。
前伯爵様の申し出を父が断れるはずもなく、話は冒頭へと戻る。
ちなみに、私は旦那様と顔を合わせたのは今日が初めてである。
社交とは無縁だった私は旦那様の顔を見る機会が今日までなかったのだ。
初めて見た旦那様に対する感想はただひとつ。「なんで人形がこんなところに?」だった。
しかし人形だと思っていたものが急に動いた時は驚いた。
驚いている私を見て旦那様は「何を驚いている」ととても不機嫌そうに呟いた。
私は慌てて謝り、頭を下げるとフンというように旦那様は顔を背けた。フンとは言っていないけれど、効果音がそんな感じだった。
態度悪いな、この人…。
この人と上手くやっていけるのか、些か不安になった。
伯爵家に嫁ぎ、早くも一月。
どきどきの蜜月───になんてなるわけもなく。
そりゃそうだ。だってあの旦那様だもの。
この一月、旦那様の顔を見たことは両手で足りるくらいしかない。
寝室も、夫婦の寝室で私は寝ているのにも関わらず、旦那様が一緒の部屋で寝ることはない。キングサイズのベッドに一人寂しく寝ている嫁というのは私のことを指す。
その両手で足りるくらいの旦那様との会話も、「ああ」「うん」「そうか」で済まされる始末。その間、旦那様の表情は一切変わらない。旦那様の表情筋はどこかへ旅行に出かけているようだ。
…ええ、愛のない結婚ですよ?
所詮は売られた花嫁ですよ、私は。
だけれど、もう少し、私に歩み寄ってくれてもいいんじゃないだろうか。私は旦那様との会話を持たそうと、必死に話題を集めて話しかけているというのに。
そりゃ、確かに私は旦那様に比べれば容姿は見劣る。ええ、それは認めます。
私は普通の茶色い髪にちょっと大きな緑色の瞳の、ごくごく平凡な容姿の娘ですよ。旦那様の隣に立つに相応しい容姿をしていないと自覚はある。
これといった取り柄もないし、すべてに置いて普通な娘ですよ。誇れるのは健康な身体くらいなものですよ。
でも、結婚したのだから、多少はコミュニケーションを取ろうとするのが普通でしょ?
跡継ぎの問題だってあるのだし。
もしかしたら、私が旦那様よりも七つも年下なのを気にしているのかもしれない。
よくよく考えてみなくとも、旦那様が私と同じ年齢の時に私は九歳。九歳の子どもに魅力を感じるか、と聞かれれば私ははっきりとノーと答える。だから、旦那様もそういう気持ちで寝室に来ないのかもしれない。
まあ、寝室に旦那様が来ないのは正直助かっているのだけど。
最初の数日はそわそわして旦那様の帰りを待っていたけれど、旦那様が寝室に来る気配は一切ない。馬鹿馬鹿しくなった私は一週間を過ぎたあたりから待つのをやめた。
しかし旦那様がどこで寝ているのかは気になるというのが女心というもの。もしかして愛人でもいるのかと思って探りをいれても、それらしき気配は見当たらない。
じゃあ旦那様はどこで寝ているの? ってことになるわけなのだけど、旦那様はどうやら自分の執務室で寝ているらしい。旦那様の執務室の奥には仮眠室があって、そこで寝泊まりをしているようだ。
旦那様は仕事LOVEな人なようだ。それはそれでなによりです。
私は旦那様を放置することにした。だって向こうが私を放置しているのもの。お互いさまという奴だ。旦那様が好き勝手やるのなら、私も好き勝手させて頂きます。
……そのつもりだったのだけど……。
「ごきげんよう、アルベルティーナ。相変わらず芋臭い格好をしていること。あなた、もう少しマシな格好はできないの? あらいやだわ、あなたは何を着ても芋臭くなってしまう才能の持ち主だったわね。言うだけ無駄なのを忘れていたわ」
ごめんあそばせ、と扇を口元に当てて笑う美しいけど性格が捻曲がっているこのお方はアリーセ様という。
アリーセ様は旦那様の実姉───つまり、私の義姉になるわけだけど…。
「ごきげんよう、アリーセお義姉さま。お義姉さまこそ、いつもながら大変素敵な服装ですこと。まるで孔雀が美しい羽根を広げているようですわ。…あらいやだわ。羽を広げるのは雄の孔雀でしたわね」
孔雀のごとく派手なドレスに身を包むアリーセ様は、悔しい事にそのドレスでさえ様になって見える。美人ってずるいとこういう時に思う。だけど、そんなことをこの義姉に言ってはならない。褒めても貶しても毒を吐くのがこのお義姉さまなのだ。
「……あらあら、いやだわ。これだから教養のなっていない方は…本当にあなたはヴィリーに相応しくないわ。ああ、わたくしの可愛い可愛いヴィリーが可哀想…こんな猿のような嫁を貰ってしまって…」
大袈裟に嘆く義姉に私の頬が引きつる。
ちなみにヴィリーとは旦那様の愛称のことだ。
この義姉、美人で性格に難ありだけならまだしも、もう一つ大きな欠点がある。
それは極度の旦那様好きということである。
旦那様の事を目に入れても痛くないほど可愛がっているのだ。もう二十三歳になる今の旦那様でさえも、この義姉に言わせると「可愛い可愛いわたくしのヴィリー」になるらしい。愛は盲目とはこのことを言うに違いない。
このお義姉さま、可愛い可愛い弟の嫁が平凡な私であることが気に入らないようで、あの手この手を使って嫌味やら嫌がらせやらをしてくるのだ。
一応、新婚である私たちに気を遣い、離れの方に住んではいるのだが、顔を合わせるたびに先ほどのように毒を浴びる。
やられっぱなしは私の性分ではないのでやり返す。
私の最近の日課と言えば、お義姉さまとの舌戦である。
……新妻としてどうかと思う日課ではあるけれど。
お義姉さまとのバトルを終えた私が部屋に戻ると、私付きの侍女であるリアナが出迎えてくれた。
リアナは赤毛とそばかすがチャーミングな可愛い子である。私と同じ十六歳なのに、私よりもしっかり者だ。
そんなリアナはとても明るく社交的で、彼女と話をしているとお義姉様で疲弊した心が回復する。リアナを私付きの侍女にしてくれた方に心から感謝している。
「…また、アリーセさまと…?」
疲れた様子の私に、リアナが気遣うように声を掛けた。
私は微笑みを浮かべ、「ええ、そうなの」と頷く。
「お義姉さまもよくもまあ、あんなに毎日小言を言えるわね。感服するわ」
「感服してはいけませんよ、アルベルティーナさま。…アリーセさまもご結婚なされば落ち着くのでしょうけれど…」
「そうね。お義姉さまもご結婚……」
言いかけて途中でやめた私をリアナは不思議そうに「アルベルティーナさま?」と声を掛ける。
しかし、私はそんなリアナの呼びかけが耳に入らなかった。
お義姉さまは旦那様の姉。ということは旦那様よりも年上である。
アリーセお義姉さまと旦那様の間には二人いて、その二人は両方とも嫁いでいる。
少なく見積もってもお義姉さまは二十六歳であるはずだ。
噂によると、お義姉さまは『あらさあ』らしい。
『あらさあ』とは今巷で流行っている言葉で、「あれよあれよという間に、あの人を奪い合っていたライバルたちも結婚し、いつの間にか婚礼適齢期を過ぎて売れ残り、独りさみしい人生をあゆんでいる人」の略なのだとか。
主に三十代を目の前にした独身女性に使われる言葉であるらしい。
とにもかくにも、お義姉さまはすでに適齢期を過ぎている。
だけれど、お義姉さまは美人だ。性格はアレだが、とにかく美人なのだ。
美人でありさえすればいい、と言ってくれる男性が、国中を探せばいるに違いない。
お義姉さまに結婚して嫁いで頂き、私は一人楽しい新妻ライフを過ごす。
新妻なのに一人楽しいとは、という問題はこの際遥か彼方に投げ捨てて置く。
口うるさいお義姉さまさえいなくなれば、私は幸せに暮らせる。ついでにお義姉さまも結婚して幸せになれればもっと良い。
どうやらお義姉さまは結婚に対してまだ希望を捨てられずにいるらしい。結婚できるとなれば喜んでくれるだろう。
なんて完璧な作戦なのかしら…! と自画自賛する。我ながらよくできた作戦だ。
私も幸せ。お義姉さまも幸せ。まさに一石二鳥な作戦である。
突然にこにことし出した私に、リアナがぎょっとした顔をした。
「ねぇ、リアナ」
「はい、なんでしょう」
「確か…お茶会の招待状が、届いていたわね?」
「え…えぇ…届いておりますが…」
「そう。そうなの…では、そのうちの一つを選んで出席すると伝えてちょうだい」
「えっ? アルベルティーナさま、一体どうされたのですか…? 『お茶会なんて面倒くさいから行かないわ』と昨日まで仰っていたではありませんか…!」
「気が変わったの」
ふふ、と笑みを浮かべる私にリアナは困惑した顔をしつつも、「畏まりました」と頭を下げた。
※「あらさあ」の意味は、三十代の方に喧嘩を売っているわけではありません。
あくまでこの話の世界では、という意味です。
ご不快にさせてしまったら申し訳ありません…。