0,プロローグ①
○0.プロローグ
強い人だった。強くて乱暴で傲慢で、気高くて、…優しい人だった。
天真爛漫という言葉は彼女にあるような言葉だ。寄り道ばかりで目的地になかなか辿り着けない悪癖も、人の物が欲しくなる性分も、今となっては楽しい思い出でしかない。
彼女の浅い呼吸と連続的に聴こえる電子音が耳を通り抜ける。ここ数日で見慣れてしまった白い部屋で彼女は、優しく微笑む。
『悠理。お願いがあるの。』
『何?』
自分に出来ることなら何でも叶えてあげたかった。自分に差し出せるモノなら何を求められても良かった。
コンプレックスだと言っていた癖のある髪も、今はニットキャップに隠されて見えない。
俺は、彼女の頬に触れる。暖かな温もりと柔らかな感触に、頬から伝わる脈打つ拍動に、心が締め付けられる。
窓の外から冷たくなり始めた秋風が流れ込む。どうしてそんな顔で笑えるのだろう。こんなにも寒くて苦しいのに、身が凍え泣きたくなる。
彼女の腕が絡み、抱き寄せられる。抱きしめ合って、2人の体温で温め合って…、風に導かれるように彼女は口を開いた。
『ねえ、…』
「っは、はぁ。」
目を見開いた先には、見慣れた自室の天井があった。
久しぶりに視た夢を振り払うように、ゆっくりと唾を飲み込む。
「はぁ、はぁ…。」
荒い呼吸が治まらない。茹だる様な暑さの中、ベッドから体を起こす。傍に置いておいたペットボトルを手に取り、温い水をあおる。
頭がぼんやりと揺れ、軽い頭痛がした。
「くそ…、本格的に熱中症だな。」
頭を押さえて立ち上がる。ベッドも衣服も汗に濡れてしまっている。時刻は午前11時。
いつの間にか切れてしまっていたクーラーをつけなおして、シャワーとシーツの交換を完了する頃には、時刻は30分を回っていた。
パソコンから伸びたコードに繋がれたスィナヴィクト本体の端のランプが点滅している。
スィナヴィクトとは、感覚導入型ゲームデバイスの第3世代機で先月発売されたばかりの最新機種だ。本体から無線で繋がっているヘルメット様の端末を被ることで、仮想世界に入り込んだ様な感覚でゲームをプレイすることが出来る。
「ランプの点滅は確か、なんかの連絡が来たとかだっけ。」
どこかに放り投げてしまった説明書にそんなことが書いてあったような、なかったような気がする。実際、スィナヴィクトを起動させたこと自体まだキャラクタークリエイトをした時の1度しかないのだから、このあたりの不手際は仕方のないことだといえる。…筈だ。
「なんて、自分に言い訳しても意味ないか。」
今まで使っていた感覚導入型ゲームデバイスの第2世代機は、スィナヴィクトを買うためにオサラバしてしまっている。
前のと使い方なんてほぼほぼ一緒だろ、とろくに説明書を読みもしなかった。ってか、ゲームに入ってしまえば、どっちみち説明書なんていらないし。
時刻は11時40分。ちょうど良い頃合いとみて、昼飯にカロリーをメイトして、スィナヴィクトを装着する。
「プレイ オン。」
起語を受けたスィナヴィクトに導かれ、意識が暗闇へと沈んでいった。
《welcome》
次々に浮かび上がり、消えていくゲーム開始の謳い文句を適当にスルーしながら、先だってインストールされている【セフィロト2】のパッケージマークを選択する。
《yue》←
1つしかないプレイヤーネームが浮かび上がり、前作【セフィロト】からデータを引継ぎ作成しておいたキャラクターに自身の容姿が変化していく。
これは、【セフィロト】を制作しているゼクスの運営から届いた特権だった。
『yue様
いつも【セフィロト】をプレイして頂きありがとうございます。また突然のメールをお許し下さい。
連絡させて頂いた理由についてですが、ゼクスの運営本部としましては【セフィロト】のサービス終了後に発売となる【セフィロト2】のクローズドαテストにyue様をご招待させて頂きたく考えております。
【セフィロト2】クローズドαテストの際、前作【セフィロト】でのキャラデータから、3つだけ引継ぎプレイをすることが可能です。
8月1日から1か月間の【セフィロト2】クローズドαテストのテスターとして了承頂けるのでしたら、下記【yes】を不可の場合は【no】を選択して下さい。』
当然のように【yes】をタップする。【セフィロト2】は絶対にやるつもりだったし、初回版は競争率が激しすぎて購入できなくても、第3陣くらいでプレイできたらな、と思っていた。
ポーン。と再び電子音が響き、メールが届く。
『yue様
【セフィロト2】のクローズドαテストの件、ご了承頂きありがとうございます。
今回の【セフィロト2】クローズドαテストでは、ゼクス運営本部による独断と偏見によりプレイヤーの方々からテスターを選出させて頂いております。また新機種スィナヴィクトに関しまして、【セフィロト2】をインストールさせて頂いた機体をお送りいたします。課金という形でスィナヴィクト本体をご購入頂きますことをご了承ください。』
「…うおぃ!スィナヴィクト自腹かよ。」
無課金勢で通してきた自分としては、何か詐欺にあったような思いもしないでもなかったが、先行して【セフィロト2】が出来る魅力に勝てるわけもなかった。
それから、送られてきたスィナヴィクトとクローズドαテストの詳細を確認して今に至っている。
1つ大きな溜息を吐ききって、気持ちを切り替える。
黒髪黒目の狐獣人【yue】となって、目の前の扉のドアを開けると、様々な小物が置かれた雑貨屋の様な小部屋に出た。そこは前作の【セフィロト】のキャラクリエイトするための部屋に似ていた。
ポーン。 と電子音が鳴り、ギルド間のlineトークに書き込みがされたことを告げる。見るとずいぶんと未読が溜まっている。しかも、ギルドメンバー全員がそろっている。つまりクローズドαテストの招待を【己が尾を咬む蛇】の15人全員が受けていたことになる。
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ギルド【己が尾を咬む蛇】
―ここまでが未読メッセージです。-
1.ロード:
祭り以来だな、全員揃っているのは。
7.ミリー:
Yueがまだだし、ってかマジ遅くない(; ・`д・´)
8.ショコラーデ:
もう、始まるしね。
9.シェラ:
そういえば、今回のαテストは、どれくらい招待されているんだ?
7.ミリー:
【7人の魔女】からは、あの7人全員招待受けたって、シーファちゃんが言ってた。
11.エス:
【軍団】からは総団長と第1と第8師団長の3人だけだったらしい。
7.ミリー:
人数だけアホみたいにいるのに。(/ω\)
14.Mist:
生産職、戦闘職関係なく、特に変わり者のトッププレイヤーばかりが計500人程みたいだな。
4.Yue:
やっほー。やっぱウチは全員招待されてたか。
3.クク:
当然。
7.ミリー:
当たり前だし、ってかyueログインすんの遅くない?
8.ショコラーデ:
αテスト開始10分前にログインする奴は、そういないでしょ。
7.ミリー:
学校のテストだったら、冷や汗もんだよ。(-ω-)/
8.ショコラーデ:
ミリーとキファ以外、みんな社会人よ。
7.ミリー:
そ、そだった。(;°д°)
1.ロード:
そんなことよりyue。【セフィロト2】でまたギルドを組まないか、って話をしていたんだよ。
5.アウラ:
まー、あの森集合って感じでいいんじゃね。
14.Mist:
そうね、干渉されるのは皆嫌だろうしね。
7.ミリー:
賛成ー。ソロが楽で良いよ。
4.Yue:
いいよー。
6.グロウス:
同意。
15.ルトルス:
同じく。
2.メローネ:
ふふ、もうギルドを立ち上げるのは決定事項みたいね。
9.シェラ:
反対する者もいないだろう。
13.リオ:
ってか、100年経って森がどうなってるか。。。怖いんだけど。
7.ミリー:
キファとか罠仕掛けまくってたしwww
10.キファ:
ミリーも森に魔獣追加してたでしょ。あれもう蠱毒みたいになってたからw
7.ミリー:
いや、yueがギルドホームの周りに【暴虐の樹王】並べて植えて、グリーンベルトみたいしてたのがおかしいんだよ(。-Δ-)
4.Yue:
いや、種蒔いただけだから、育ててたのククだから。
3.クク:
【始祖の種】楽に採取できて良かった。
12.アネモネ:
樹王の菜園、圧巻だったな。
8.ショコラーデ:
www
13.リオ:
止める奴が誰もいなかったしね。ロードも地味に毒霧の濃度上げてたでしょ。
1.ロード:
ギルマス特権でその日の気分によって変えていたな。【呪術師の隠里】を占領してギルドホームにした際に出来るようになった。
14.Mist:
被害者は私だな。
7.ミリー:
そっか、Mistって14番目だもんね。(。-`ω-)
2.メローネ:
よく突破できたわね。貴女がギルドに入った時って、【紫煙の森】の魔改造もほぼ完成していたでしょうに。
14.Mist:
…地獄だった。【狼王】を見つけた時は焦ったな。
1.ロード:
そんなのまで放っていたのか。
7.ミリー:
自慢の子です。強かったでしょ?
14.Mist:
逃げ切った。
13.リオ:
【狼王】から逃げ切るとか…、ありえないでしょ。
14.Mist:
そうか?ここには案外出来そうな者が、私以外にも何人かいると思うが。
13.リオ:
…。否定できないのがなんか悔しいわ。
7.ミリー:
あ、でも、【セフィロト】サービス終了前に私の子達ほとんど森に放っちゃったんだよね。100年後の世界なら回収出来るかと思って。( *´艸`)てへぺろ
4.Yue:
完全に魔窟やないかww
8.ショコラーデ:
あほかー!生産職のことも考えなさいよ。森の突破とか絶対無理じゃない。
15.ルトルス:
同じく(泣)
5.アウラ:
なあ、誰が1番にホームに着けるか勝負しようぜ。
11.エス:
え、話聞いてた?
12.アネモネ:
また先着順でギルドメンの席位番号決めるの?
3.クク:
めんどくさい。
1.ロード:
席位はそのままで良いだろう。ある程度ホームに人がそろった時点でギルドを立ち上げる。追い付いてきた奴を加入させて行けば良い。
6.グロウス:
同意。
15.ルトルス:
同じく…(苦)
7.ミリー:
おっけー。(*´з`)
2.メローネ:
それって、私とロードはある程度早めにホームに着かないといけないってこと?それとも、誰か他の人がギルドマスターをやるのかしら?
11.エス:
他の奴にやらせたら、崩壊する。
3.クク:
ギルマスとサブマスは、ロードとメローネ。これは決定事項。
だから、早く来て。
13.リオ:
ってか、ミリーが最初に行って魔物のコントロールしなさいよ。私達近づけないわよ。
7.ミリー:
Σ(゜д゜lll)ガーン
4.Yue:
頑張れww
13.リオ:
ロードとメローネの2人が揃ったら、立ち上げたら良いんじゃない?その頃にはミリーも着いてるでしょ。
7.ミリー:
言外のプレッシャー。ガク(;´・ω・)ブル
8.ショコラーデ:
そろそろ始まるわよ。「11:57」
7.ミリー:
わ、わーい。あと3分♪ガク (;´・ω・) ブル
5.アウラ:
おいyue、アネモネそれとキファ。お前ら勝負だからな!!
11.エス:
最初に森を突破した人から、ホームの整備しておけよ。100年経ってるんだから。
12.アネモネ:
私色に染めても良いのか?
13.リオ:
やばい誰か、アネモネより早く着いて!!
15.ルトルス:
同じく!!(恐)
10.キファ:
なんであたしまで。脳筋女だけでやりなさいよ。
5.アウラ:
ああん!?誰が脳筋女だコラ!!
4.Yue:
あ、俺今回、男でやるから。
3.クク:
!
7.ミリー:
(;°口°)!!
9.シェラ:
ふぁ!!
8.ショコラーデ:
説明要求。
10.キファ:
どゆこと。
13.リオ:
ちょ、意味不なんですけど!!性別変更できない筈でしょ!?身体スキャンしてんだから!
4.Yue:
ゲーム機本体の設定で性別いじれたんよ。実は。スィナヴィクトでは無理だったのん。
12.アネモネ:
あわわわwわ
13.リオ:
燃やす。
4.Yue:
男で黒髪狐獣人でいくから。
5.アウラ:
ふっざけんな!てめぇコラ【天狐】!!!
10.キファ:
ぶっころ。
9.シェラ:
Yue…。あの話は忘れてくれ。頼む。
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「さて。」
Line機能を閉じて、ステータスを見直す。
『yue lev.1』
(選択)
○【スキル:戦鬼の魔眼lev.1】
(Flavor Text)戦鬼の眼球。莫大な戦闘経験を蓄えたその目は、戦の全てを見通す。
(条件)スキル【立体視】【索敵】【第六感】をアイテム【魔眼】に封じることで完成したスキル。称号:【戦鬼】を所持していることで使用可能となる。
○【称号:戦鬼】
(条件)鬼神、5大鬼将を含む全鬼族mobの単騎討伐
(Flavor Text) 果てしない数の敵を打ち滅ぼし、戦い抜いた修羅となった恐るべき者に送られる称号。その存在は鬼神からも畏怖される。
(効果)全ステータス20%上昇、鬼族に対するクリティカル率増大(超)、鬼族に対するテイム不可、未開放:xxx、未開放:xxx
○【召喚獣:黒使蝶lev.1】(名前:ガーベラ)
属性:【幻】
(Flavor Text)世界樹の洞から目覚めた神獣。黒色の群体、姿は幻に包まれている。
(スキル) 群体lev.1 物体化lev.1 【幻】lev.1 未開放:xxx
ステータスといっても、STRやAGIなんかは種族を決定した際の初期値で変更不可だし、実際には選択した【セフィロト】時のyueとしてのデータの引継ぎが上手くいっているかの確認だ。
「やっぱ、総伝の称号持っていきたかったな。」
【セフィロト】では銀髪狐獣人の女性アバターを使用し、武器に【槍】と【小太刀】を使っていた。その内、【槍】スキルは【称号:流水流槍術 総伝】と武術系の最高ランクまで獲得していた。
ただ、【スキル:戦鬼の魔眼】を引き継ぐ為には、【称号:戦鬼】が必要な為、引き継げる3つの内2つが埋まってしまっていた。
「ガーベラは外したくないしな。」
【召喚獣:黒使蝶】のガーベラは【セフィロト】のかなりの初期時から使ってきた相棒といっていい存在だった。最初は弱過ぎてどうしようかと思ったが、level上げと進化をしていくことで特殊な技能が際立つようになっていく。
最終進化形態からのスタートだが、今回のクローズドαテストでは1か月という短い期間の為、あまり使い物にならない可能性がある。
最初にスタートダッシュをかけるなら、【召喚獣:黒使蝶】ではなく【称号:流水流槍術 総伝】や、【称号:小姫流小太刀術 秘伝】、ユニーク魔術【毒】や他の称号などを選択するべきだ。
「うーーん。やっぱ愛着には負けるわ。」
ステータスを変更せずにウインドウを閉じる。時刻は11時59分。あと1分でゲームが始まる。あの【セフィロト】から100年後の世界。ドキドキせずにはいられない。
カウントダウンをするように時計を見続ける。永遠にも感じられた1分が終わり、デジタル表示は12時を示した。
「…え?」
とたんに、足元が割れ仮想世界の小部屋が崩れていく。
体の自由が利かず、意識は闇の中に消えていった。
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