消えたオムライス
「おはよう、今日はお休みだから朝からだけど……オムライスでいいよね?」
狭い部屋だからよく聞こえる、同じ大学の彼女の声。 土曜日だから講義はないので、10時に起きても構わないのだ。
既に台所に立つ彼女は俺よりも早く、目が覚めていたようだった。
「ああ、頼むよ。ありがとう」
俺は半身を起こすとまだ、寝ぼけ眼のままそう返事をする。
「……ふぅ、よいせっと」
立ち上がる時に反射的に溜息すら、出てしまう。
「朝から溜息? 幸せが逃げるよ?」
首だけこちらを向き、言う彼女。
「お前がいりゃ、俺は幸せだから問題ないさ」
俺は言い返す。
「何それ? 厨二?」
「さぁね」
……とはぐらかしたものの、頭が痛い。
俺は歯磨き粉のチューブを握りながらも、色々とこれから、向き合うべきものが沢山あると感じて頭を抱える。
総じて認識するならば、自分は、子供だった。まだ俺にとって色々世界では、考える必要のある事が沢山あると分かった。
昨日の夜、俺は考える事があり、昨夜の深夜まで長い付き合いの友人と相談のチャットをした後、そのまま寝てしまった。
未来に向けてやる事があるとはいえ、なんとも辛い。 このままどうすればいいのやら。
……相談とは何かって? あれだよ、あれ。
この東京で結婚してやっていくには、どれくらいのペースで金を溜めていけばいいのか、など。
だけど先輩の答えはフリーであるとはいえ辛辣で、お世辞にも俺が期待していたような明るい話ではなかった。
今の東京は、一人で金を溜めるには辛いぞ、と。
「んー? どうしたの? 仏頂面で」
その時、彼女がこちらに何か考え込んだ事があったのか聞いてくる。
「ん、いや、なんでもない」
……うーむ。
俺はやはり、今のままではまずい。研鑽をしなければならない。
チャット仲間と相談をしていて分かった事だが、今の時代、東京でやっていくには相当の根気がいる。
玉川を越えれば家賃は下がるが、せめて妥協して町田か北に移って埼玉か……家賃もあるし、住民税、それを考えたら手取りがあっても多少の節約が必要だ。
それに加えて、趣味もやりたいという事が俺の希望だ。
だが、実家暮らしでもなければ、大学を出てそこそこの男が300万を溜めるなんて事はまず難しいとの事を喰らったのも確かである。
それが、きつい現実だ。
俺の大学は世間的に見れば4流、Fランクよりはマシとはいえ胸を張れる物ではない。
あぁぁ……就職活動……どうするか。
実際問題俺は親のコネで地元に戻るという手もあるが、彼女とは離れたくは無い。
母や親父は反対しているが、結婚相手への干渉は親父にだってされたくはない。
俺は、昔から人に決定権を握られて生きてきた。だから、此処くらいは俺の我を通させて欲しいものだ。
彼女は次の3月の卒業の時に、プロポーズを待ってくれると、去年の6月に約束をしてくれた。
……見た目が好みで、料理美味い、絵も上手い、音楽出来る、服についてもいい。こいつと一緒になれるならば、実家と縁を切ってさえも構わない。
非の付け所がない、完璧だ。 好きだからだ。 他に何か、理由があるというのか。
俺は、よろよろと立ち上がり、風呂場を兼ねた粗末な洗面所へと入り顔を洗いにいく。
とはいえ、あれだ。 今年は就職活動も……しなければならないし、色々と大変だ。
相手方も卒業をしたら、結婚の為に金を溜めなくちゃならないし、色々出来るように考えなくちゃ。
28になるまでには金を300万溜めて、結婚して。32になったら賃貸の家をグレードアップして。
歳を食う前に、色々やりたい事がいーっぱいあるんだ。
日曜日の休みには美術館に行って。夏や冬のコミケにも一緒に出したいな。 その為には自分自身の研鑽が尚必要だ。
俺は力一杯楽しむって事を、あまり許されなかった人間だから。
「上手くできたよ。味変えたの・・・分かるかな?」
戻ってくると古臭いコタツもどきのテーブルに、オムライスの皿が二つ置かれて、ハートやらしょぼんやらが書かれていた。
「……隠し味、か? うーん、分からないな」
「そう? 駄目だなぁ、ちょっとね、パルメザンチーズを入れてみたの」
「あー、パルメザンか、なるほど。 確かに美味いなこれは、出来ればお代わりしたいくらいだよ」
「おいしかった? そう? また作ってもいいけど卵2個使うからたまに……ね?」
彼女は嬉しそうに、微笑んだ。
あぁ、この世界が、全てだ。
この時が続くのならば、俺は、何一つ他に望まない。
夢だって、諦めて見せよう。 だから、これが、 続きますように……。
…
……
………
…………
……そして、数ヵ月後。
「オムライス作ってやったんだけどね、それをガキみたいに喜んでさぁ、本当、笑っちゃうよね」
そこには変わってしまった、『元』彼女と、知らない男が居た。
これが現実か。 ……俺から世界を奪ったのは、何処のどいつだ?