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雪月花の時  作者: 橘 花香
孤王
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07 迷霧

 ベルタは不思議な側室(ひと)だった。


 普通、側室は正室を疎むものである。そして、正室の子である俺をも、普通は憎むはずだ。もし自分に子どもが生まれたとしても、正室に子がいるなら、その子が王位を継ぐことになるからだ。誰もが自分の子は愛しい。だからこそ、俺は多くの人から憎まれる存在なのだと、幼心に冷静に理解していた。


 俺はそんな大人の事情を幼い頃から理解していただけあって、冷めた子どもだった。正室……俺の母が与えてくれる玩具を壊して遊ぶような、そんな子どもだった。


 正室であった母は、ただ父に気に入って貰えるように、寵愛を受けられるように、必死だった。遠い南国の果実が美容に良いと聞くとすぐ取り寄せ、遠い北国で獲れる獣の肝が滋養に良いと聞くとすぐ獲りに行かせた。そんな母の姿を、俺は滑稽だと思っていた。父に会えば、過保護なほど気を使い、ひたすらに寵愛を受けようとする。父がだんだんと母に興味を失いつつあるのを、俺はただ見ていた。母もそれを薄々気づいていたのだろう。だからこそ、傾国の美女として名高いベルタが側室になったと聞いた時は、気が狂わんばかりに荒れ狂った。


 そんなある日のことだった。俺はいつものように家庭教師から抜け出し、庭を歩いていた。いつもは誰にも出会わないはずの秘密の場所。薔薇の花が生い茂る茂みの下。そこでまた、玩具を壊して遊んでいたその時に、声をかけられた。


 顔をあげて、驚いた。

 ベルタは、本当に綺麗な人だった。金色の髪は、日の光など比べ物にならないくらいに眩しく煌めき、凪いだ海の色を思わせる碧の瞳は、見る角度によっては抜けるような空の色や、朝と夜の合間のような、深い藍色や、湖にうつる木々の翠のように、何色へと変化した。一度も日に当たったことがないのではと錯覚するほどに白く滑らかな肌に、まるで彫刻のように整った顔立ち。ここまで綺麗な人がいるものだと、幼い俺は畏敬にも似た感情を覚えた。


 彼女は、俺の名前を知っていた。問われるがままに、俺は自分のことを話していた。俺は人から嫌われている。そう彼女に伝えると、彼女は心の底から悲しんでいるようだった。彼女は、平和を守るためにここに来たのだと語った。だから、俺を幸せにしなければならない、となぜか力強く宣言された。


 それから毎日、彼女と秘密の場所で会った。彼女はいつもお菓子を持参し、そして俺に昔話をした。祖国を救った英雄と、魔女の話。俺は夢中になって続きをせがんだ。


 そして季節が移ろって、薔薇の花がすっかり枯れ、肌寒くなった頃、彼女は笑って言った。


『続きは春になってから、ね』


 その時、彼女のお腹は膨らんでいた。彼女が慈しむようにお腹に手を添えるのを見るのが楽しみだった。だからこそ、彼女に会えないのはさみしかったけれど、お腹の赤ん坊のためなら仕方ないと思った。何しろ、俺のきょうだいである。俺は、さみしい思いもありながら、春にまた会う約束をした。今度は三人で。


 しかし、それきり彼女に会うことは叶わなかった。春になって、秘密の場所でひとり待った。夕方になっても、次の日にも、その次の日にも、彼女は来なかった。そしてそれが一月たち、半年が経ったころ、俺はやっと悟った。彼女はもう来ないのだと。


 彼女の噂は良く聞いていた。母親が、よく陰口を叩いているのを聞いていたから。噂に聞く限りでは、彼女はますます父の寵愛をうけているらしい。それなら、きっと彼女は大丈夫だ。


 それなら、なぜ来てくれないのだろう。彼女は、俺を幸せにすると言ったはずなのに。


 それからますます、俺は冷めた子どもになった。何事にも興味を示さなかった俺が唯一興味を示したものは、剣術だった。剣術を始めてから、彼女の記憶はだんだんと薄れていった。


 彼女が死んだと、そう母親が言っていた。身内に殺されたのだと、母親が言っていた。


 意味のある言葉として聞こえなかった。その事実をやっとのことで理解した時、俺は怒りにも似た感情に包まれた。なぜ死んでしまった。なぜ、俺との約束を反故にしたまま、死んだのだ。忘れたつもりだったのに、自分は今もこんなに彼女のことが忘れられなかったのだと、俺は愕然とした。


 それからは、衝動のままに彼女の元へと向かった。母の止める声など聞こえなかった。たくさんの人が集まっていたそこで、泣いていたのは彼女の息子だった。一目で分かった。彼女と同じ瞳の色をしていた。無我夢中で、彼に近づいて、持ちかけた。


 ――復讐しないか、と。


 彼は……イシアはそれを承諾した。

 それからだ。俺たちが暗い路に迷い込んだのは。


 それからしばらくして、父が死んだ。母は気が狂ったように泣き叫んだ。俺は涙の一つも見せなかった。彼も同じ。俺も彼も、父を親として、人として見ていなかったから。どこか遠くに存在する「王」という人物としか見ていなかったのだ。


 間もなくして、俺は国王になった。まだ成人もしていなかった。遠くにあったはずのその地位に座ったところで、王というものが近くに感じられるはずがない。王になりたくはなかった。けれど、王になることでたくさんの力を得られるようになるというのなら、俺はそれを利用してやろうと思った。なぜなら、ベルタの復讐がしやすくなるから。それだけだった。


 俺に敵意を持つものは、母が片っ端から潰していった。父を亡くしてから、母はそれこそ憑き物に憑かれたかのように、俺を溺愛した。俺を王にするために。俺の地位を確固たるものにするために。惜しげもなく権力を、富を使った。そんな母に感謝の念などなく、俺はただ冷たくあたった。


 俺の母親はベルタだったのだ。俺の本当の母のような権力などなく、皆に疎まれていても、俺に昔話を語るその瞳はいつも光り輝き、楽しげで。そして心から俺のことを慈しんでいた。俺は忘れた振りをしながらも、ベルタを慕い、待ち続けた。ただ『母親」の愛が欲しかった。


 ――ベルタが願った平和。ベルタが平和のために死んだのなら、俺は平和を壊してやる。


 彼に大公の地位をやり、そして俺自身が彼の後見者となった。彼に剣術の稽古をつけたのも俺だった。母が雇った暗殺者の術を俺も習得し、彼に教えた。


 しばらくしてから、彼をベルタの実家に派遣し、殺させた。その時に、彼は実家の者から何かを聞かされたのだろう。ベルタは、血族から疎まれていたから。その時はたかが血族の恨み言だと、たかをくくっていたが、その頃から俺と彼の関係はどんどん悪化していった。


* * *


 魔女の住む森を燃やせ。


 そう命じたのは他ならぬ俺だった。そう告げた時のイシアの顔を、俺はきっと一生忘れない。


 ベルタが死に、俺が王になり、彼と俺は、ベルタの復讐という暗い絆で繋がっていた。暗い絆が強くなればなるほど、彼の瞳が光を失ってゆくのを、俺はただ見ていた。きっと、俺の瞳もそうなっていったのだろう。


 しかし、ベルタの仇をとったその日、イシアの暗い瞳には、もっと暗い闇が生まれた。俺の瞳も同様に暗いものだと自覚していたが、彼の瞳は俺の比ではないほど暗いものになっていた。あの日、イシアの瞳に生まれたものはきっと、ベルタへの憎しみ、そして俺への憎しみの感情だったのだろう。それから、イシアの瞳はいつも暗い光を宿していた。


 それなのに、魔女と出会ったという彼の瞳は、見違えるほどになっていた。俺とイシアは同じだと思っていた。『母親』を亡くし、これからも絶望の中で生きていくのだと思っていた。イシアが俺から離れていくことも、俺を憎むことも、仕方ないことだと割り切っていた。今までイシアが自ら手に入れたものはなかった。イシアが必要としていたものは、すべて俺が与えてやった。たった一人の肉親で、たった一人の仲間だった。だから、イシアは絶対に俺を裏切らないと確信していた。


 それなのに、魔女の住む森を燃やせと、そう命じた時にイシアの顔に現れた感情は、ただ魔女の身を案じるものだった。イシアは、魔女を欲しいと願っている。


 表情を変えることはなかったが、俺は内心動揺していた。変わらないものなどないと、良く言われるが、それは俺とイシアの関係には当てはまらないと思っていたからだ。


 終わりが近付いている。

 すべての終焉が近づいている。


 俺は夜の闇を見ながら、以前は待ち望んでいたそれを、ただ恐れていた。




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