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雪月花の時  作者: 花橘 しのぶ
孤王
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09 斑雪

 時が過ぎるのは早い。

 俺がリベリア地方の反乱軍の相手をしている間に、いつの間にかイシアが旅立つ日が近づいていた。リベリア地方の者には悪いが、そこをすべての終わりの地にしようと思っている。そのために、首謀の男らを遊ばせて時間を稼いでいるので、俺以外の者は、俺が鎮静に手を焼いていると思い込んでいるようだ。リベリア地方の者たちは、俺が最初に思った以上に手強いが、俺が本気になればすぐひねり潰せる程度だ。その癖、ここ最近は調子に乗って強気な策ばかり仕掛けてくる。俺は民からは冷血非道の王と名高い。彼らは、そんな俺を追い詰めた気になっているのだろう。……馬鹿な奴らだ。俺の眼中には、リベリアの者などない。俺はただ、この世を思う存分引っ掻き回したい。そのために、彼らが良い引き立て役になってくれるのを願うだけだ。


 * * *


 イシアが出発する日に合わせて、俺も久しぶりに帰城した。出迎えるメイドや大臣たち。メイドも大臣も、大きくわけて二つのパターンしかない。俺に敵意を向ける者か、何とか俺に擦り寄ろうとする者。そのどちらかだ。俺を溺愛していた母が暗殺されてからは、俺に向けられるそれらの感情がいっそう大きくなった。母が死んだ悲しみはなかったが、その点だけは、母が生きていればと思った。



 城の中は常に陰気くさく、気が滅入る。俺に刃向かって殺された人々の怨念が渦巻いているようにも感じるのだ。いつもは戦場に赴き、剣をふるえば、その時だけは怨念から解放されるような気がしていたのに、このところはどこにいてもつきまとわれているような気がしてならない。城下町では、餓死者が増え続けているらしい。それを知ったところで、俺が何をするつもりはないが、彼らの怨念も俺に取り憑いているのだろう。厄介なことだ。


 正装に着替え、謁見の間に行くと、そこには約束通りにイシアがいた。


 俺が与えた鎧を纏い、俺の与えた剣を腰に帯びるイシアは、外見だけ見れば、魔女の住む森を焼く、ひいては魔女を殺す決意が固まったのだと騙されそうになる。はっきりとした口ぶりで、遠征の挨拶をするイシアを、イシアの補佐官のイリナも、こわばった面持ちで見つめていた。


「しばし、人払いをしろ」


 イシアの挨拶を聞き終えた俺が口を開くと、イシアは静かに俺を見つめた。イシアは、俺が何を言いたいのか、きっと分かっている。


 速やかに人が払われると、俺はイシアに手記を手渡した。


「魔女は、化け物だぞ」


「これは……?」


 怪訝そうに、イシアは眉を寄せる。


「英雄の兄の書いた手記だ。それを見れば分かる。魔女を説得しようなどと考えない方が良い」


「拝見しても、よろしいですか?」


「ああ」


 しばらくの間、イシアは黙って手記を読んでいた。その顔には何の感情も浮かんでいなかった。


「どうだ?」


「……中々に、興味深いですね」


 読み終わったイシアは、少し困惑したように言った。今まで信じていた物語の裏側が秘められた手記である。最初は俺も困惑を隠せなかった。


「魔女を殺す気になったか?」


「それは、まだ分かりません。あちらに赴き、説得してからです」


「ベルタは、言っていたな。魔女は、その優しい心根で英雄を支えた、と。それは真実だと言い切れるか?」


「はい。私も、彼女に救われましたから」


 イシアは、俺を見つめて言い切った。なにがそこまで彼を変えたのか。イシアの瞳には、強い意志が灯っていた。どこかで見たような瞳だとしばし逡巡して、俺は狼狽した。イシアの瞳は、記憶の中にあるベルタの瞳と同じだった。


 濃い紺の瞳に隠された、意志。

 イシアが、遠い所に行ってしまう。それをいま正に実感した。追うことさえ出来ない場所。もう手の届かない場所に、イシアはいる。


「……もう良い。行って来い」


「はい。行って参ります」


 イシアが礼をして、出てゆく。

 その後ろ姿が、約束をして消えてしまったベルタの後ろ姿と重なった。


 この親子は、俺の一番近くにいながら、一番遠くにいたのかもしれない。


 イシアもベルタも、なぜそこまでして自らの身を穢し、そして死のうとするのだろう。




 ――なぁ、イシア。お前は覚えていないだろう。

 ベルタの亡骸に縋り付き、泣くお前に俺が言った言葉を。


『俺が守ってやる』


 俺が守りたかったのは。俺が初めて守りたいと思ったのは、小さな弟(おまえ)だった。

 母(ベルタ)を亡くした俺たちの間には、家族の絆が出来たと、俺はずっとそんな幻想に浸っていた。俺とお前に暗い絆が結ばれてゆく中で、家族の絆も強くなっていったのだと、俺はそう思っていた。


 違った。


 なにもかもが違ったのかもしれない。俺はお前を俺が守らなければいけない小さな弟だと勘違いしていたのかもしれない。お前はもう、俺の手から離れていっていたのに。

 もう戻れない。そんな予感はしていた。それでも、それはこれほどまでに早く、そして打ちのめされるものだったのか。


 なぁ、イシア。俺はもうお前を弟だとは思わない。お前が初めて守りたいと思ったものが、魔女であるならば、それをベルタのように、英雄のように守り通せば良い。


 俺は変わらない。遠い昔から、変われない。この最後の復讐を終えたら、何かが変わるだろうか。イシアを失った俺は、そうすることで変われるだろうか。




「宰相」


 小柄で、いつも怯えている名ばかりの宰相を呼ぶ。


「イシアの後をつけろ。もし俺の命令に背くような行為をした場合は、すぐに捉えろ。抵抗した場合は、魔女共々殺しても構わない」


 窓の外では、初雪がひらひらと舞い落ちていた。

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