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顔のない男  作者: 輝血鬼灯
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16.どうか愛していると告げて

 王宮内部とは言っても研究棟は彼にとっては未知の区画だ。それでも迷えばまた走って引き返せばいいという気持ちで、ただ、ただ、駆ける。

 途中であったギルベルトと、本当に久しぶりに兄弟として正直な気持ちを話し合った。彼もこの国の在り方については、これまでも疑問を感じていたという。

 だが今は、リューのことが優先だ。

 無事に迷うことなく目的の場所へと着いた。

「リュー!」

 そこで見た光景は、エミールにとって認めたくない最悪の事態だった。。

 血だまりの中で誰かが倒れている。その誰かが、近づくうちに自分の大切な《弟》だと確信する。

 周りに並ぶホルマリン漬けの異形たちなど目に入らない。王宮の凝った装飾が入った部屋とおどろおどろしい研究室のアンバランスの気味悪さなど、目の前の悪夢に比べればなんでもないことに思えた。

「リュー? ……リュー!?」

 淡い茶髪も華奢な肢体も、徐々に広がりゆく血だまりに濡れている。肌は血の気を失くして真っ白で、青い瞳も瞼の下に閉ざされていた。

 人形のように閉じられていた瞼が、エミールの呼びかけに応えて僅かに震える。まどろみから覚めるように、ゆっくりと瞳を開いた。

「兄、さん……?」

「リュー!」

 認めたくことないことだが、医療の知識が全くないエミールにも一目でわかってしまった。こんな華奢な少年の体から流れ出したとは信じられないほどに、出血量が多すぎる。銃で撃たれた痕は一か所ではなく、急所ではなくとも数と合わせて考えれば十分な致命傷だ。

 こうして会話できるのも、もはや長い時間ではない。

 それでも無様に足掻かずにはいられないエミールは、血だまりに濡れることなどかまわずにリューのすぐ傍らに膝をつく。懐から取り出した通信機で、アロイスを呼ぼうとした。医者であるという彼ならば、きっとこの子を救ってくれるとそう信じて。

 その通信機を取り出した手を、他でもないリューが止めた。

「もう、何、しても……無駄だから」

「リュー……」

「ごめんね、兄さん。約束……守ってあげられ、なくて」

 医師を呼ぶために、一度はリューの手を引きはがそうと少年の指に自らの手を重ねたエミールがハッと目を見開く。

 ――私と一緒にいてくれ。

 ――ずっと私と一緒に生きると約束してくれ。

 この作戦が始まる前、エミールはリューにそう懇願した。リューが何と答えたのかも覚えている。

 ――うん……僕は、いるよ。ずっと兄さんと一緒に。僕だけは。

 僕だけは、他の誰がいなくなっても。僕だけはずっと傍に。

 口にされた時は嘘の欠片もなかったそれを、今リューは嘘にしようとしている。

 エミールを置いていこうとしている。

「ごめんね……」

「駄目だ……駄目だリュー! 逝くな!」

 逝くな。逝かないでくれ。

 開いたはずの瞼が今にも閉じようと微かに揺れ続けながら、リューはあえてエミールの嘆きに答えずに、最期の言葉を口にし続けた。

「ごめんね、兄さん……僕、ずっと、嘘ついてた……本当は兄さんが、王子だって、知ってた……僕は……」

 伸ばされたリューの手を、エミールは両手で握りしめるようにした。通信機が床に落ち、血だまりで赤い水はねを作る。

「改造人間、で……王弟ゲオルグに飼われた、暗殺者、だったから……兄さんを殺すはずだったから……」

 言う間にも血だまりは広がっていく。床に膝をついたエミールのズボンの布地に冷たいそれが吸われていく。

「ごめんなさい……そして、ありがとう……あなたにとって、僕が本当の弟じゃなくても……たとえ誰かの身代わりだったとしても……嬉しかった……」

 もはやリューの口調はうわごとのような調子で、目の焦点もぼやけてきている。

「リュー!」

 エミールは叫ぶが、それも少年の意識を僅かに引き留めるに過ぎない。それでもどうしてもこれだけは伝えておかなければならないと思うことを、多少の早口でもいいからと続けた。

「リュー、リュー……! これだけは聞いてくれ! 私もお前に嘘をついていた」

 段々と語気が荒くなる。だが逆にエミールの頭の中の一部分はやけに冷静で、じんと痺れていくようだ。

「お前が弟に似ていると言ったのは嘘なんだ。お前はギルベルト王子とは全然似ていない。私はお前が、お前だから好きだった、最初から……本当に、本当に好きだったよ、リュー!」

 継承権を争う立場とはいえ、仮にも弟であるギルベルト王子と敵対しているという事実はエミールの悲しみの一つだった。リューを拾った際に咄嗟についた嘘は、しかし後にリュー自身の行動によって意味をなさなくなっていった。

 周囲からはまるでごっこ遊びのように見えていたのだろう、彼ら「兄弟」の日々。

「私が愛しているのはお前だ。お前がお前だから愛しているんだ! 誰かの身代わりでもなければ、私にとって都合のいい人間だからじゃない!」

 エミールは誰よりも大切な《弟》に告げる。取り繕いのない本心を。

「だって僕は、改造人間で……あなたを殺すはずの暗殺者で……」

「そんなこと関係ない。関係ないんだ。リュー、愛している。お前は私の弟だ」

 エミールは両手で、リューの血の気を失った手のひらを握りしめる。

「お前に出会わなければ、僕は生きてはいなかった……!」

 今にも閉じようとしていたリューの瞳が、それを聞いて一瞬だけ光を取り戻す。薄青い目からぽろ、と思い出したように涙がこぼれた。

「兄さん……僕の兄さん、だ……」

「そうだよ、お前の兄だ。お前だけの兄だ」

 エミールの頬にも、透明な光の筋が走った。その雫は滑らかな頬を伝い落ち、足元の紅い血と混じってすぐに見えなくなる。

「兄さん……」

 リューの震える唇が、言葉とともに最期の息を吐きだした。苦痛を感じるなどという段階をとっくに通り越した身体だからか、顔には自然と笑みが浮かんでいる。

「大好き」

 目元に溜まった硝子玉のように透明な涙の粒を押し出すようにして、すっとリューの瞼が降りる。

 その粒が雫となって頬を幾つも滑る頃には、彼はもう息をしていなかった。


 ◆◆◆◆◆


 監視カメラを相当小まめに確認していたのか、まもなく王弟ゲオルグはホールで待ち構えていたファウストを追うようにそこへ現れた。

「エミール……?」

 いるのはレジスタンスの人間だと思っていたのだろう。甥である第一王子と同じ顔のファウストに彼は驚いた顔を見せる。

「残念ながら俺は殿下じゃない。王弟ゲオルグ閣下」

「だがその顔……」

「文句は美形すぎる殿下に言ってくれ。あの顔が憧れなもんでね」

 言うと、ゲオルグは納得したように笑いだした。

「なるほど。数年前から行方不明になった王子と同じ顔に整形すれば、確かに利権を握ることは容易いだろうな。国の仕組みを一から作りかえるよりもよほど簡単だ」

 まさかファウストがエミールのクローン人間だとは思いつかなかったようで、ゲオルグはファウストの顔立ちについてそう解釈した。

 二人が今いるのは、王宮で舞踏会などが行われる際に使用されるホールだ。音楽などの効果を考えて、少し大きめの声を出せばよく響くように作られている。おかげで話をするのにも多少の距離をとることができる。それを踏まえて二人は向かい合った。

 かたや国王の弟であり、切れ者だが欲深く淫蕩で傲慢とも知られる王弟閣下。

 かたや妾妃の子である第一王子と同じ顔を持つ、現在この王宮にクーデターを仕掛けているレジスタンスの頭領。

 ホールは多数の人間が集まるというその性質上、リューが撃たれた研究室のようなレーザー銃を仕込まれてはいない。それでももちろんゲオルグの懐には銃があり、それはファウストも同じである。二人はあえて武器を手にはせず、まずは口を開いた。

「この状況でまだるっこしい話をしている暇はないな。率直に行こう。レジスタンスのリーダー君、私と取引をしないかね?」

「取引?」

 ゲオルグの言葉に、ファウストは片眉を吊り上げた。怪訝というよりは、不愉快を示す所作だ。

 しかし王弟はそんな様子を気にした風もなく続ける。

「そうだ。いくら君がエミールに成り変ったところで、本物ではない以上必ずどこかに無理が出るはずだろう? そのぐらいならば、本物の王族を仲介にした方がいいのではないか?」

 ファウストの顔を見てエミールの名を呼び、その後彼が証拠も示さずエミールではないと言った言葉を疑いもせずにあっさりと信じた男は、そんなことを言う。

「へぇ。面白い意見だな。詳しく聞かせてくれよ」

「私と手を組む気はないか? 国王と王太子を殺し、私を玉座に立てる気があるならば、私は君たちに最大限の便宜を図ろう」

 ぬけぬけとそう言った男の口元は歪に歪んでいる。笑っているのだ。

「そうだなぁ。やはり国の体制を一から変えるなんて無茶が多いし、確実を期待するなら王族の名を維持したまま俺たちレジスタンスに有利な政治をしてもらう方がいいよな。だが」

 ゲオルグの申し出に心を惹かれるような素振りを見せておきながら、ファウストは意味深なところで言葉を切る。

「王族の傀儡が必要ならば、別にあんたでなくたっていいわけだ」

「だが、君たちにもともと敵意を持っている現権力者を脅して使うよりは使いやすいだろう?」

「それはそうだな。だがどうせならもっといい案があるんだ。最初から俺たちに敵意を持っていないどころか、俺たちに協力的な相手を味方に引き入れるとかな」

 ゲオルグの顔が苛立ちに歪む。

「それは、エミールのことかね?」

 甥の名前を忌まわしげに吐き捨てて、不愉快を隠しもしない表情でゲオルグは続けた。

「あんな子どもに何ができるという。妾妃の腹から生まれた第一王子の存在など、国民は顔も知らないではないか」

「そうだな。嫌われ者として有名な国王や王弟とは違ってな」

 何を言っても無駄だとようやく悟ったのか、ゲオルグは話の中のエミールや兄国王ではなく、目の前のファウスト自身に向けての敵意を明確にし始める。

 一方、ファウストの方でも目の前の男に対する嫌悪感が湧いていた。こういった権力欲をあからさまにするお貴族様は嫌いなのだ。特に目の前の男の気障な態度を見ていると、ゼップルを思い出してしまって嫌になる。

 もっとも見るからに脂ぎった中年親父だったゼップルと違い、エミールの仮にも叔父であるゲオルグは、彼と似てはおらずとも顔だけは二枚目の美形であるが。

 改めて考えるまでもなく、エミールのような態度は貴重だったのだな。そんなことを思っていたファウストの耳に、ゲオルグからの反撃が届く。

「そういう君は、何故そんなにもエミールの肩を持つのかね? 君がそんな顔をしているということは、エミールを殺して成り変わるつもりがあったんじゃないか?」

 何故リューとエミールとレジスタンスリーダーという奇妙な取り合わせの三人組が揃って王宮に潜入したのかまでは知る由もないが、ゲオルグはまるで頭の回らない人間というわけでもない。まさかファウストの顔はクローン人間故あれが地顔だとは思っていない彼の読みは、ファウストがエミールを殺して王子という存在に成り変わるつもりだと考えている。

「私なら奴よりももっと上手くやれるぞ。いや、今までだって、上手くやってきたんだ。君たちの組織がろくに正体を調べもせずに信用していた情報屋の中に、私の子飼いの者が何人いたと思う?」

 この王弟は、変革を望む反乱軍さえ利用して兄のものである玉座を狙っていたらしい。

 彼が読んだファウストの思惑はあながち間違ってもいなかった。

 エミールを殺して、その存在に成り変わる。それこそがファウストの復讐の目的だった。王子という立場が死ぬほど恋しいわけではないが、「エミール」という存在自体にとって代わりたかったのだ。

 だというのに。

「俺はエミールの肩を持つつもりなんかないぜ。ただ公正な意見を述べているだけだ。あんたはクズだってな」

 素早く銃を抜き、ファウストはゲオルグ相手に銃口を向ける。弾かれるようにゲオルグも己の懐に手をやった。お互いに銃口を向けた臨戦態勢になる。

 何故自分はこの王弟を利用せず、エミールの弁護などしようとしているのだろうか。ファウストは自分でも不思議にも思うがまったくもって答が出ない。

 もちろんただ単純に本当にゲオルグが気に入らないということもある。復讐心を抜きにして冷静な評価をくだせと言うならば、多少軟弱でもエミールの方がよほど立派な人物だと自分は判断するだろう。

 ゲオルグとここで協定を結んだとしても、恐らくファウストだけでなく、テオドシウスたちのようなレジスタンスメンバーが望んだ世界は手に入らない。狡猾なゲオルグは一度玉座についてさえしまえば自分の腰巾着である貴族たちを使って、ファウストとの約束など簡単に反故にするだろう。

 けれどファウストがこの王弟を嫌いエミールの肩を持つ理由は、恐らくそれだけではないのだ。

 ゲオルグにも指摘されたとおり、本来ならファウストはエミールを殺してその存在に成り変わるつもりだった。そこは変えていないつもりだ。しかし以前のように単純な憎悪ではもう動けなくなっている。

 リューのことだってそうだ。エミールの目の前で引き裂いてやればどれだけ胸がすくだろうかと考えた少年には別の任務を割り振って、《兄》が殺されるところを見せないようにしてしまった。

 何をやっているのかと自分でも思う。簡単に前言を撤回するなんて無責任だとも思う。

 それにすでに、奪われた《顔》の代わりに復讐鬼の仮面を張り付けたファウストはもはやその仮面をはずすことができなくなっていたのだ。ずっと、その仮面を外すことが怖かった。……今日までは。

「俺は――」

 銃を構えたまま、ファウストが決定打を口にしようとした、その瞬間だった。

 王弟の背後に何かが動く気配がした。反射的に銃を撃つと、向こうも応戦してくる。

 鏡の後ろから飛び出した銃弾が、ファウストの手から拳銃を弾き飛ばす。指先を紅い血が伝った。

「おや、よく気づいたな。確実に不意を衝くつもりだったのだが」

「くそっ! こんな単純な手にひっかかるとは……」

 ファウストは唇を噛みしめる。

 マジックミラーの仕掛けられたホール。その隙間から現れた王弟の部下たちの姿に、武器を手放した彼は戦慄した。

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