表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
顔のない男  作者: 輝血鬼灯
15/20

14.歪んだ望みとたった一つの顔

 これから自分が何をするのか、エミールは聞かされていない。見取り図を眺めただけとも思えずやけに王宮内に詳しいファウストに腕を引かれて、この宮殿に暮らしていた頃は足を向けたことのない区画へと足を踏み入れる。

 その頃にはもう王宮の三か所の門から襲撃を開始したレジスタンスの部隊たちへの対応に追われて、王宮は蛻の殻となっていた。実際にそう見えるのは廊下やホールだけで、使用人たちの一部は各々の部屋やレジスタンスが踏み込みそうもない調理室などに閉じこもっているのだろう。人目はないが、人の気配は完全に消えたわけではない。

 それでもやはり直接は人目につかないおかげで、ファウストたちは堂々と内部を歩くことができる。

「ここは」

「博士」

 ある一室の前で立ち止まり、ファウストが中に声をかけながら、返事を待たずに部屋の中へと踏み込む。誰かの私室らしいその部屋には、白衣の男がいた。

「おやおや、これはこれは」

「ヨハン博士」

 白衣の男はヨハンというらしく、ファウストに名を呼ばれて立ち上がる。博士、と呼んだファウストの声がだいぶ冷たいのに対し、ヨハンと呼ばれた男はどことなく嬉しそうな様子だ。

 黒髪に黒い瞳の、容姿に関しては何の特徴も見当たらないような人物だった。背恰好も中肉中背で、年齢はよくわからない。二十代と言えばそうかもしれないと思うが、四十代と言われても違和感がない。瞳の部分を隠すほど長い前髪が多少鬱陶しく、その奥の瞳はどこか危ういような、底の知れない光を放っている。

 エミールは彼を見た瞬間、誰かに似ていると思った。この、簡単に相手に自分の真意を掴ませないような感じはどこかで……。顔立ちに見覚えはなく、これまで会ったこともないはずの相手だが、誰かと印象が被るのだ。地味な黒髪黒眼だが、これがもっと別の色彩なら――そこまで考えて、エミールは彼が誰と似ているのか気づいた。

 メフィストだ。

 あの赤毛の美女と、目の前の男は雰囲気がどこか似ている。

「珍しいことだな、王子殿下と私の作った愛しい子が一緒にここに姿を現すなど……何の用だい? ファースト」

「俺はファーストではなく、今はファウストだ。博士、あんたに頼みがある」

「頼み?」

「率直に言うと、死んでくれないか?」

「ファウスト!」

 突然のファウストの発言に、仰天したのはエミールだ。いきなり押し掛けてきていきなり死ねとはどんな話だろう。

「この男があんたのクローンである俺を作った男だぞ、殿下」

「え?」

 ファウストの言葉に、エミールは硬直する。

「三年前、ストーカーからあんたの髪を受け取って、俺を製作した男。狂気の科学者ヨハン。金さえ払えばどんな鬼畜な依頼もこなしてのけるあんたが死ねば、世界の一部は間違いなく平和になるな」

「その一部とは、君のことかね? ファウスト」

「そうとも言うな」

 ファウストはマスクに手をかけてそれを外し、素顔をあらわにしてエミールを一瞥する。これまでの爛れた皮膚から一変してエミールとまったく同じ顔を取り戻したファウストの《顔》に、エミールは言葉を失った。

「博士、あんたが死ねばもはやこの世に俺の秘密を知る者はいなくなる。だから、死んでくれ」

「ふふふ。そうだね」

 ファウストの勝手な言い分にも怒る様子を見せず、ヨハンは穏やかに笑った。形容としてはそうなるが、この状況でそんな表情を浮かべられること自体が不気味でならない。

「でも、ねぇ、ファウスト。何故君はそうまでして、エミール殿下の《顔》に執着するんだい?」

「決まっている。それが、俺が俺の《顔》を手に入れる唯一の方法だからだ」

「そう、でも確か君の名は、《顔のない男》というものではなかったかね? 国内最大派閥のレジスタンスのリーダーさん」

 年中宮殿に詰めているくせに耳の早い科学者は、ファウストをそう呼ぶ。

「《顔のない男》ということは言いかえれば、どんな《顔》でも選べるということじゃなかったのか? 殿下ではなく殿下のコピーでもない他の誰かになって、お前自身の《顔》を」

「そんなものは詭弁だ!」

 ヨハンの言葉はファウストの絶叫に遮られた。いつも冷静でいるように見えて、彼はいざというときに激情を制御できない。

「ならば納得しろというのかこの現実を! エミールのコピーとして生み出され、顔に硫酸をかけられたことを! 後から都合の良い後付けで、その理不尽を納得して見せろというのか!」

 赦してはいけない罪もある。

 幸せになることと、自分を幸せだと思いこむために赦してはいけないことを赦すのは違うだろう。

 ファウストはそう思っている。

「俺は赦さない」

「だから、不幸になってもいいと」

「ああ」

「真実を求め続ける代償に、不幸になっても構わないと。だけれどやはり君は矛盾しているよ、ファウスト」

「それでも、俺は……」

 エミールは、何か言わなければと思った。

 けれど言葉が出てこない。俯いた唇を噛みしめるファウストの横顔を見つめていると、いつも喉奥で詰まってしまう。

 そうこうしているうちに、ヨハンが事態の急変を告げた。

「ファウスト」

「逃げるのか?」

「いや、これは聞いておいた方がいい情報だよ。君の連れの一人だろう少年が一人、撃たれた」

「撃たれた?」

「リューが!?」

 王宮内部に潜入したメンバーは三人だけ、ここにいる二人でないとすればリューだけだ。

「待て、貴様に何故それがわかる」

「私は趣味で王宮中の監視カメラの映像をここに送られるようにしていてね。特に研究室は私のテリトリーだ。誰かが足を踏み入れればすぐにわかるようにしているのだが……王弟閣下が出張ったようだ」

 ヨハンがほら、と示した部屋の奥には大きめのモニターがあった。その画面を見れば、そこには確かにリューの姿がある。

それを見てとった瞬間、エミールはファウストを振り切って駆け出した。

「殿下!」


 ◆◆◆◆◆


 リューが破壊を命じられた施設は、王宮のもっとも奥深い一画にあった。まるで人の眼から隠されるように、隠し通路を使わなければ入れないその場所では、数百年前なら違法として摘発されただろう怪しげな実験が行われている。

 とはいえ貴族から見てみれば人権などないような貧民街の人間や一部の平民たちの「それ」を人の眼から隠すのは、今ではただ単に晒すのが見苦しいからという理由でしかない。

 証明を絞られた薄青い空間。暗い通路に並ぶ、幾体ものホルマリン漬けの死骸。

 人間もある。動物もある。その中間としか言えないようなものもある。

 集められ改造された人間と動物のなれの果て。あるいは新たに遺伝子を弄って生み出されようとした生物や、クローン人間もここに並んでいるらしい。

 薬品の独特のにおいだけではなく、その光景に胸が悪くなりリューは口元を押さえた。ここは嫌だ。長くいたくない。全身の感覚がそう訴えていた。

けれどある意味では、自分をここに配置したファウストの采配は的確かもしれない。こんなものをエミールには見せたくない。

(兄さん)

 心の中で、自分だけに向けられるエミールの特別な笑顔を思い浮かべて勇気を奮い立たせる。誰にでも愛想よく振る舞うエミールだが、浮かべる笑顔は他の人間相手とリュー相手とでは違う。

「帰るんだ。僕は」

 リューは渡された爆破装置を、手早くあちこちに設置していった。

 自分も一歩間違えれば、きっとこの仲間になっていたに違いない。並べられたホルマリンの等身大カプセルを見ながらリューは考える。

 孤児だったリューは貧民街で死にかけていたところを拾われ改造されたが、その改造が失敗していたらきっと、今ここに並んでいるものたちと同じようにサンプルの一つとして保存されていただろう。あるいはそんなことすらなく、ただゴミとして破棄されたか。

 だが実際のリューは肉体の強化手術に耐え、研究所に暗殺者として飼われることになった。この国の全ての研究は王宮に繋がっているから、大本はやはりここだろう。この施設を破壊すれば、少しでも非人道的な人体実験を減らすことができる。

 孤児として生きるのも肉体を改造された暗殺者として生きるのも、リューにとってはどちらも同じことだった。未来に光などなく、ただ死にまつわる苦痛が嫌で人を殺していた日々。

 けれど今は違う。

 エミールに出会って、自分は変わった。変わりたいと思った。

「電気配線はアロイスさんの指示通り、向こう……――ッ!?」

 与えられた指示を思い出して動き出そうとしたリューは、突如として聞こえてきた足音に身を震わせた。素早く相手の姿を目視すると、排除に努めようと武器に手をかける……はずだった。

「久しいな、リューディガー」

 現われた男の姿は、リューの知る者だった。最初からこの広い空間の奥に潜んでいたのか、リューが入ってきたのとは逆の方向からゆっくりと歩み寄ってくる。

 その男の名を、リューは呼んだ。

「王弟、ゲオルグ殿下……」

 暗殺者だった少年のかつての主は、底知れぬ笑顔を浮かべた。


 ◆◆◆◆◆


 リューはエミールに一つだけ黙っていたことがある。リューは彼が王子であることを、最初から知っていた。

 何故ならリューが拒絶して逃亡した最後の仕事、その暗殺の標的こそが、クルデガルド王国第一王子エミールだったのだから。

「ああ、まさか今になって、こんなところでお前に会おうとはね」

 王弟の姿を見た瞬間、リューの全身に震えが走った。武器も何も持っていない一見無防備な相手に、彼らしくもなく怖気づいて一歩後退する。

「どうして、ここに……」

「どうしても何も、私は最初からここにいた。後からやってきたのはお前の方だよ、リューディガー」

 リューを本名で呼ぶと、男は一歩二歩と歩を進めてきた。更に後退するリュー。

「外でクーデターが起こったと聞いたが、まさかここにお前が来るとはね。ヨハン博士の……いや、ファウスト博士の研究室の存在など、たかがレジスタンスがよく知っている」

 ファウスト、と聞いて一瞬焦ったリューだが、よく言葉の意味を考えればそれは絵の中の女神を作り出すために狂ったと言われる科学者の方だろう。彼の知るファウストではない。

 ではここがあの狂科学者の実験室なのだろうか。そんなことを悠長に考えている暇はリューにはなかった。

「ここなら一時的な避難場所に最適だと思ったのだが、まさかお前が来るとはね。だったら話が早い。お前なら、私を手伝ってくれるだろう?」

 ゲオルグの腕が、リューに向かってゆっくりと差し伸べられる。

「ねぇ、私の可愛いワンちゃん。お前は優秀な猟犬だった。私の元から逃げ出しさえしなければね」

 その言葉に、リューの脳裏にかつての記憶が一気にフラッシュバックする。リューを自分の犬だと呼んで憚らず、暗殺の仕事がない日には鎖付きの首輪をつけて檻に閉じ込めていた男――。

「!」

 ほとんど反射的に拳銃を抜いてゲオルグに狙いをつけていた。

「来るな!」

 ゲオルグが一瞬だけ目を瞠る。

「僕はもう、あなたの言うことを聞く気はない!」

「そんなことを言わないでくれ。この仕事が終わったら、ようやくお前にもいい思いをさせてあげられるのに」

「嘘だ! あなたには、僕をどうやって苦しめるかという考えしかないはずだ!」

 この男の下に仕えている間、リューは彼の愛玩動物だった。たとえ飢え渇くことになろうと、あんな惨めな思いは二度としたくない。

 ましてやゲオルグはエミールの敵だ。

「ほう、逆らうか。今私につけばもっといい思いができるぞ、リューディガー。北方の警備隊が到着するまでレジスタンスの襲撃を乗り切れば、奴らが国王である兄上もその息子ギルベルトも勝手に殺してくれるのだからな。私の手を汚すまでもなく」

「そんなことにはならない! この国には兄さんが……第一王子エミール殿下がいる!」

 エミールの名を出すと、ゲオルグの瞳がこれまでとは違い不機嫌に揺れた。

「エミール、ね。宮殿から逃げ出した第一王子。あれもまた私にとっては不愉快な存在だ。兄とギルベルト王子を殺しても、エミールが残っている限り私に継承権は回ってこない」

「そうだ、だから」

「そうだね。ではエミールを殺すとしようか」

 事も無げに言われたその言葉に、瞬間、リューの視界は怒りで赤く染まった。

「そんなことは――!!」

 彼を守るのは自分だ。誰にも傷つけさせはしない。

 そのためにリューは躊躇ためらいもなく、かつての主に向け引き金を引いた。

 その瞬間だった。

「――ッ!?」

 四方から「何か」によって、リューの体は撃ち抜かれた。


 ◆◆◆◆◆


 長い長い廊下をエミールは走っていた。勝手知ったる王宮だ。ヨハン博士の研究室で見た映像から、リューがどこにいるのかはすぐにわかった。

 だが、その場所に辿り着くまでにはまだ十分距離がある。

 正面突破の部隊が城内の警備や注意を全て引きつけてくれたおかげで走るのに不都合はないとはいえ、リューの元に辿り着くまではまだ随分時間がかかるだろう。

 自分以外誰もいないとすっかり油断しきっていたエミールは、曲がり角で誰かと激しく衝突した。

「うわっ!」

「すまない!」

 反射的に謝ってしまい、そんな場合でも立場でもなかったとすぐに気づく。慌てて姿を隠そうとしてももう遅いし、第一この廊下のどこに隠れられるような場所があるのか。

 そして混乱するエミールに更なる驚愕を与えたのは、ぶつかった相手の存在だった。

「兄……上……」

「お前……ギルベルト?!」

 目を丸くしてそこに立っていたのは、紛れもないこの国の第二王子だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ