第5話:霧の森の死に損ないのパントマイム
王都グランゴルドを後にした一行が辿り着いたのは、地図にない場所――「霧の森」だった。
ここは、白亜の王都とは対極にある。視界はわずか数メートル。湿った空気は重く、肌にまとわりつく。だが、それ以上に重苦しいのは、森そのものが「死」を拒絶しているような、粘り気のある静寂だった。
「ちょっと待ちなさいよ。この霧、なんなの? アタシの完璧なメイクが、湿気でドロドロのホラー映画仕様になっちゃうじゃない! これじゃ『霧の森の賢者』じゃなくて『沼地の化け物』よ!」
ヒカリは扇子をバタつかせ、目の前の白い壁を仰いだ。
その後ろでは、サエキが古いイタリア製のコーヒーミルを回し、豆を挽く音を霧の中に響かせている。
「やれやれ。ヒカリ、霧というのは、世界が『描画』をサボっている証拠でもあるんだ。見えない部分は存在しない。それは、僕らが自分の記憶の隅を思い出せないのに似ているね。……ああ、この豆は少し湿っている。僕の心と同じようにね。」
「アンタ、その豆も比喩も一回ゴミ箱に捨ててきなさい! 湿ってるのはアンタの根性よ!」
【PARTY STATUS:霧の森・入り口】
* ヒカリ: Lv.4 / NPCになるまで、あと 98日 [状態:メイク崩れへの憤怒]
* サエキ: Lv.6 / NPCになるまで、あと 87日 [状態:やれやれ]
* ハルカ: Lv.7 / NPCになるまで、あと 24日 [状態:霧による思考停止]
* クニオ: Lv.7 / NPCになるまで、あと 63日 [状態:拙者の気配が消える予感]
* タツヤ: Lv.5 / NPCになるまで、あと 81日 [状態:画角が白飛びして萎え]
「……あの、ヒカリさん。」
ハルカが、震える声でヒカリの服の裾を引いた。
「さっきから、あそこの木の根元に……ずっと同じ動きをしてる人がいませんか?」
霧の向こう。一人の男が、地面を這うようにして何かを探していた。
彼は、3歩進んでは立ち止まり、首を左右に振り、また3歩戻る。その一連の動作が、寸分違わず繰り返されている。
「……あれは、第2段階ね。『定点観測』。自分の居場所をシステムに固定されちゃった、哀れなデータの成れの果てよ。」
ヒカリが近づくと、男は顔を上げた。その瞳は濁り、焦点はヒカリを通り越して、はるか彼方の「無」を見ていた。
「……鍵、がない。鍵、がない。鍵、がない……。私は、門を開けなければならないのに。……あ、こんにちは。今日はいい天気ですね。」
男の声は、録音されたテープのように抑揚がなかった。
「いい天気? アンタ、この真っ白な蒸し風呂の中を指して言ってるの? 脳みそまで結露してるんじゃないわよ!」
ヒカリが罵倒を浴びせるが、男は反応しない。
「……鍵、がない。鍵、がない……。あ、こんにちは。今日はいい天気ですね。」
「……無駄だよ、ヒカリ。」
サエキが悲しげに首を振った。「彼はもう、話しかけられた瞬間の『挨拶』と、自分に与えられた『紛失』という役割しか残っていないんだ。比喩さえ通じない。彼は、ただの『背景』だ。」
その時、森の奥から不気味な笑い声が響いた。
霧が渦巻き、巨大な花の化け物――「迷妄のアルラウネ」が姿を現す。
「……あはは! また新しい『ノイズ』が迷い込んできた! 苦しいでしょう? 迷うのは辛いでしょう? さあ、私の一部になりなさい。何も考えず、ただそこに咲き続けるだけの、綺麗な『お花さん』にしてあげるわ!」
アルラウネから放たれた香しい胞子が、一行を包み込む。
その瞬間、クニオの頭上に赤いエラーログが走った。
【警告:クニオの自意識ゲージが急落】
【第2段階:定点観測への移行を開始】
「……拙者……。刀を、振る理由……何だったでござるか……。ここに、座っているだけで……十分な気が……。拙者は、門番……拙者は、門番でござる……。」
クニオがその場に膝をつき、彫刻のように動きを止めた。
「クニオ! アンタ、そんな安っぽいアロマで自分を売るんじゃないわよ! 門番? アンタのその貧相な体で何を守るつもりよ! 自分の尿意くらい自分で守りなさいよ!」
ヒカリが叫ぶが、クニオの視線は動かない。
アルラウネが嘲笑う。
「無駄よ! この森では、『意志』こそが最大の毒。諦めれば、こんなに楽なのに!」
「楽? 冗談じゃないわよ! 楽な人生なんて、死んでから墓の中でじっくり味わえばいいの! アタシたちがここにいるのは、不自由で、面倒で、最高にやかましい『人間』でいるためなのよ!」
ヒカリは扇子を天に掲げた。
「アンタのその鼻に付く香水、アタシの怒りで吹き飛ばしてあげるわ! 食らいなさい! 『カゼキリバッサリ』!」
真空の刃が霧を切り裂き、アルラウネの触手を切断する。
「キャアア! な、なにこの風……重い! 怨念がこもっているわ!」
「怨念じゃないわよ、これは『執着』よ! 生きることへの、みっともない執着!」
ヒカリはサエキを睨みつけた。
「サエキ! アンタ、いつまでパスタのアルデンテについて考えてんのよ! あの比喩まみれの頭を少しは戦闘に使いなさい!」
「やれやれ。僕の出番だね。……『コオリカッチカチ』。……その饒舌な花びらを、沈黙の中に閉じ込めよう。」
サエキが詠唱すると、アルラウネの根元から氷が広がり、その動きを完全に凍結させた。
動きを止めた魔物に向かって、ヒカリがトドメの一撃を放とうとしたとき――。
「……ヒカリ……さん……。ハッピー……じゃ、ない……。苦しい……。」
ハルカが、虚ろな目で自分の首を絞めていた。NPC化の浸食が、パーティー全体を飲み込もうとしている。
「ハルカ! 自分の首を絞めていいのは、鏡を見て自分の顔に絶望した時だけよ! こんな花っ面に負けてんじゃないわよ!」
ヒカリはハルカの頬を思い切り叩き、そのまま魔法を叫んだ。
「『シャキッポックリ』! 目を覚ましなさい、このバカ娘!」
強烈な蘇生魔法がハルカを直撃する。
「……はっ! !? 今、私、死んだおじいちゃんと一緒にゲートボールしてた気がします……!」
「ゲートボールなんて100年早いわよ! さあ、仕上げよ! 全員、自分の『嫌な記憶』を全部ぶちまけなさい! それがこの世界のシステムを壊す、一番のバグなのよ!」
ヒカリの怒号に呼応するように、クニオが刀を抜いた。
「……拙者! 拙者は、昨日食べた干し柿が……少しだけ酸っぱかったことを、一生恨んで生きる男でござる! 拙者の恨みには及ばぬ!」
「……やれやれ。僕も、昔捨てた古い靴の片方が、今どこにあるか気になって眠れない夜を思い出したよ。」
5人の「不合理な負の感情」が、アルラウネの結界を内側から粉砕した。
絶叫と共にアルラウネが消滅し、霧が晴れていく。
唐突にファンファーレが鳴り響く。
「テテッテッテー!」
ヒカリたちの足元から、毒々しいほど鮮やかな光の柱が立ち昇った。それは「祝福」というよりは、上空の巨大なサーバーから「強制アップデート」を叩き込まれているような、暴力的な光だった。
「な、なによこれ! 視界の中に『Lv UP』なんてデカい文字が出てきて……邪魔よ、消しなさい! アタシの付けまつげにフォントが引っかかってるじゃないの!」
ヒカリが苛立ちをあらわにするが、光は容赦なく彼女たちの肉体を浸食していく。
ヒカリ(Lv.4 → 5)
魔力が 15 アップ!
毒舌のキレが 10% 向上!
代償として「10歳の誕生日に、お母さんにもらったリボンの色」のデータを消去しました。
「……あ、あ、ああ……。」
ハルカが、光の中で恍惚とした表情を浮かべながら、膝から崩れ落ちた。
「すごい……さっきまでの筋肉痛が……アルラウネに吸われた気だるさが、一瞬で消えていく……。なんて気持ちいいの……。」
「ハルカ、ダメよ! その快感に慣れちゃダメ!」
ヒカリがハルカの肩を掴んで激しく揺さぶる。
「いい? 今、アンタの脳みそ、誰か知らないプログラマーに勝手に掃除されてるのよ! 体が軽くなった分、アンタの中の『生身の重み』が削られてるんだから!」
サエキもまた、光の柱の中で古いペーパーバックを見つめたまま、凍りついたように動かなかった。
サエキ(Lv.6 → 7)
洞察力が 8 アップ!
比喩の難解さが 20% 増加!
代償として、「初恋の相手が、別れ際に何と言ったか」の記憶を消去しました。
「……やれやれ。僕の心にある、一番美しいはずの『欠落』が、今、滑らかなデジタル補完で埋められてしまった。」
サエキが虚空を見つめ、乾いた笑いを漏らす。
「悲しいね。知性が上がるたびに、僕は自分が『人間として傷つく方法』を忘れていく。このパスタの茹で加減を気にする情熱さえ、いつか『効率的なエネルギー摂取』という記号に置き換わるんだろう。」
ヒカリは、消えかかっている光の余韻を振り払うように、激しく扇子を広げた。
【クエスト:迷妄のアルラウネを撃破】
【獲得アイテム:真実の灯火】
霧が晴れた場所には、先ほどの「定点観測」をしていた男の姿はなかった。
ただ、地面に一振りの錆びた剣が落ちているだけだった。
「……あいつ、消えたわね。データが削除されたのか、それとも……。」
ヒカリは、拾い上げた『真実の灯火』をじっと見つめた。
「彼は背景になったんだよ、ヒカリ。でも、僕らが彼に話しかけたその一瞬だけは、彼は確かに『こんにちは』と言った。それはプログラムかもしれないけれど、僕らへの最後のSOSだったのかもしれないね。」
サエキの比喩が、今日だけは少しだけ、ヒカリの胸に刺さった。
「……なによ。しんみりしちゃって。アタシたちがやることは一つよ。このクソみたいなゲームのエンディングを書き換えて、開発者に『このバケモノ!』って言わせてやること。そうでしょ?」
ヒカリは扇子を閉じ、背筋を伸ばした。
だが、視界の端に浮かぶパネルは、冷酷に現実を突きつけてくる。
【PARTY STATUS:更新】
* ヒカリ: Lv.5 / NPCになるまで、あと 97日 [状態:次の獲物を物色中]
* サエキ: Lv.7 / NPCになるまで、あと 86日 [状態:やれやれ]
* ハルカ: Lv.8 / NPCになるまで、あと 22日 [状態:現実逃避中]
* クニオ: Lv.8 / NPCになるまで、あと 60日 [状態:拙者の意志は固い(多分)]
* タツヤ: Lv.6 / NPCになるまで、あと 79日 [状態:バッテリー残量が気になる]
「……97日。アタシの賞味期限、どんどん短くなってるじゃない。……ねえサエキ。もしアタシがNPCになって、同じことしか言わなくなったら、アンタどうする?」
サエキは、ミルで挽いたコーヒーを丁寧にドリップしながら、ふっと微笑んだ。
「その時は、毎日君に違う種類のパスタを茹でてあげるよ。君が『これ、アルデンテじゃないわよ!』って、バグった定型文を突き破って怒り出すまでね。」
「……ふん。アンタのパスタなんて、伸びきった人生と同じくらい不味そうね。」
ヒカリは歩き出す。霧の晴れた先には、次なる絶望、あるいは希望の街が待っている。
NPCになるまで、あと:97日。




