第3話:ハッピーの檻と、バケモンの鉄拳
「ねえ、見て。あの子、もう目が『NPC』になってるわよ。アンタたち、ぼーっとしてないで、あの幸せボケした顔を物理的に叩き起こしなさい!」
王都グランゴルドの白亜の正門前。ヒカリは扇子をバサリと閉じ、前方でフワフワと浮き足立っているハルカを指差した。
数時間前まで、彼らは血なまぐさい湿地帯で泥にまみれていたはずだった。しかし、王都へ近づくにつれ、世界は不自然なほど「磨き上げられた」姿に変容していった。空は一点の曇りもないデジタルブルー。石畳はワックスでも塗ったかのように輝き、道ゆく人々は皆、同じ角度で会釈を繰り返している。
その「完璧な調和」という名の毒に、真っ先に当てられたのが、パーティーのムードメーカー(自称)のハルカだった。
「……ああ、なんて素敵。戦わなくていい、怒らなくていい……。私、ずっとここにいた気がします。魔王様なんて、そんな怖いこと忘れて、みんなで美味しいハーブティーを飲んで過ごしましょうよ……。あ、幸せ……ハッピー……」
ハルカの頭上に、不吉な赤いウィンドウがポップアップする。
【システム警告:メンタルの摩耗を検知】
【ハルカ:第1段階「ルーチン化」から第2段階「定点観測」へ移行中】
「やれやれ。彼女の心は、まるでお風呂に入れたばかりの角砂糖のように、この世界の『平穏』というお湯に溶け始めてしまったようだね。」
サエキは上質なバックパックの紐を締め直し、愛用のコーヒーミルをゴリゴリと回した。その無機質な音だけが、不気味なほど静かな王都の入り口で、唯一の抵抗のように響く。
「サエキ、アンタの比喩は相変わらずオシャレすぎて、逆に殺意が湧くわね! 溶けてる場合じゃないのよ! クニオ、タツヤ! あんたたちも鼻の下伸ばしてないで、ハルカの腕を掴みなさい! 今すぐよ!」
侍のクニオは「……拙者も、この門番殿の左右対称な立ち姿に、武士道の究極を感じていたところでござる」と焦点の合わない目で呟き、タツヤはタツヤで「ここ、自撮り映えしすぎでしょ……承認欲求が満たされる……」とスマホ型の魔導具を無心でタップしている。
「どいつもこいつも、この『清潔な地獄』に魂を売るつもり!? 冗談じゃないわ。アタシが一番嫌いなのはね、自分の不細工な感情に蓋をして、借り物の笑顔で取り繕うことなのよ!」
ヒカリはドスドスと地響きを立てるような足取りでハルカに歩み寄り、その胸ぐらを掴み上げた。
「……はあ。ヒカリさん、そんなに怒らなくても。ほら、見てください、あの雲。あんなに綺麗……」
「うるさいわよ、このデータの残骸が! あんたのその顔、鏡で見てきなさい! 100円ショップの安物の造花みたいな顔してんじゃないわよ! あんたの魅力はね、空気も読まずに『お腹すいたー!』って叫んで、アタシに『うるさいわねこの豚!』って言わせる、その生々しい図太さだったはずよ!」
「目を覚ましなさいッ!!」
ヒカリの右ストレートが、ハルカの頬にめり込んだ。
デジタルの火花ではなく、湿った、生々しい「肉の音」が響き渡る。
「……いっ、痛いいいいい!?」
ハルカが地面に転がり、涙目で頬を押さえる。その瞬間、彼女の頭上に表示されていた「ハッピー」という文字列が粉々に砕け散り、どす黒い「自意識」の数値が急上昇した。
【システムエラー:記述外の暴力によりルーチンが中断されました】
【ハルカ:NPCになるまで、あと 12日まで回復 状態:ブチギレ】
「な、ななな、何するんですかこの化け物! 乙女の顔を殴るなんて、それでも人間ですか!? この鬼!」
「ふん、やっといい声で鳴くようになったじゃない。そうよ、その『理不尽への怒り』こそが、アンタがまだ生きてる証拠なのよ。ほら、立ちなさい。その痛み、忘れるんじゃないわよ。データには痛覚なんてないんだから。」
ヒカリは鼻を鳴らし、扇子で自分を仰いだ。
ハルカを「門番B」というモブキャラに固定しようとしていた王都の不可視の圧力が、ヒカリの放った「ノイズ」によって一時的に霧散していく。
「……やれやれ。痛みによる覚醒か。それは少しばかり野蛮だが、この完璧すぎる無菌室には、君のその『泥臭い平手打ち』が一番の特効薬だったようだ。」
サエキが差し出した、淹れたてのコーヒーをハルカがひったくるように飲む。
「苦っ! ……苦い……。でも、なんだか、やっと呼吸ができるようになった気がします。……私、さっきまで何を……」
「アンタはただの『幸せな置物』になろうとしてたのよ。おめでとう、一回死んで、今生き返ったわ。……でも、喜んでる暇はないわよ。」
ヒカリの視線の先。王都の巨大な門が、音もなく左右対称に開いていく。
中から現れたのは、一糸乱れぬ動きで行進する黄金の騎士たちと、その中央で冷徹な光を放つ、あまりにも整いすぎた顔の男。
「……来たわね。この世界の『良心的顔をした独裁者』。あんな左右対称な美男、アタシの審美眼が『ニセモノ』だって叫んでるわよ。」
ヒカリは、自分の中に残る「現実世界での孤独」と、それを守るための「武装としての毒舌」を強く意識した。この王都は、自分たちの個性を、傷を、汚れを、すべて「なかったこと」にして飲み込もうとしている。
「みんな、いい? これから行く場所は、ゴミ一つ落ちてない代わりに、心も落ちてない場所よ。自分の欠点を、恥を、しっかり抱えときなさい。それを捨てた瞬間、アンタたちの名前は『村人A』に書き換えられるんだから!」
ヒカリが先頭に立ち、白亜の街並みへと踏み出す。
その背中は、どんな勇者の甲冑よりも頑強で、そしてどこか寂しげな「バケモノ」の威厳に満ちていた。
【PARTY STATUS:王都グランゴルド・正門前】
ヒカリ: Lv.3 / NPCになるまで、あと 98日 [状態:審美眼の暴走]
サエキ: Lv.5 / NPCになるまで、あと 85日 [状態:やれやれ]
ハルカ: Lv.6 / NPCになるまで、あと 12日 [状態:ヒカリへの恐怖で覚醒]
クニオ: Lv.6 / NPCになるまで、あと 45日 [状態:門番への憧憬]
タツヤ: Lv.4 / NPCになるまで、あと 78日 [状態:バズりへの未練]
NPCになるまで、あと:98日。




