第20話:溶け出した『ノイズ』と、新たな狂気
第20話:溶け出した『ノイズ』と、新たな狂気
【重要アイテム:氷解の魔法瓶】を「雪の村スノーラ」の中央広場にある凍りついた大噴水へと叩きつけると、ガラスが砕けるような乾いた音とともに、高彩度のエメラルドグリーンの液体が世界に解き放たれた。
シュウウウ、と、ゲームの安っぽい効果音じみた音が鳴り響き、村を覆っていた永久凍土がみるみるうちにドロドロの泥水へと変わっていく。不自然なほど七色にギラギラしていた氷彫刻たちが形を失い、ただの水たまりになっていく光景を、ヒカリは凍えそうな指先を派手な羽扇子で隠しながら、冷徹な目で見つめていた。
「なによ、氷が溶けたら溶けたで、ただのぬかるんだ泥田んぼじゃない。せめてもう少し風情のある溶け方をしてちょうだいよ。アタシの繊細な審美眼が腐りそうだわ」
「……あ、あ、頭が、ピピピッて、軽くなりましたぁ!」
ハルカが、泥水を跳ね上げながら機械的なステップを踏む。彼女の頭上の数字は変わらないが、その瞳は変わらずカメラのレンズのように無機質だ。
「氷が溶けたら、次は温かいココアですかぁ? それとも、世界がまるごと、イチゴ味のゼリーになっちゃうんですかぁ!」
「ハルカ、あんたのその頭の中身が一番ゼリーに近いわよ。少しは言葉に生気を取り戻しなさいな」
ヒカリが毒を吐くが、ハルカはただ決められたインターバルで首を傾げるだけだ。その横では、ダグラスが【NPCまで あと 1日】という絶望的な数字を掲げたまま、一歩も動かずに直立不動の姿勢を保っている。泥水が彼の高級なアイアンアーマーを汚しても、彼はそれを拭おうともしない。「汚れを気にする」という、非効率なノイズはすでにデリートされているのだ。
「やれやれ……。お見事、って言いたいところだが、お次のお出ましだぜ、姐さん」
サカズキがシルクハットの庇をつまみ、泥水の奥、完全に溶け去った巨大な氷柱の跡を指差した。
そこには、永久凍土の核として何百年も封印されていたかのような、一人の男が倒れていた。
アイロンのきいた清潔なシャツを着て、上質なバックパックを背負った男――ではない。
そこにいたのは、ボロボロの白いタキシードを着て、頭にはなぜか「ハトの剥製」を乗せ、手には半分錆びついたマイクスタンドを握りしめた、異様にキザな男だった。
「……ん、んん……。ここは……どこだ……? 私は……マイクの前で、愛を囁いていたはずだが……」
男がゆっくりと立ち上がり、泥水をドラマチックに手で払いのける。その無駄に整った骨格と、どこか昭和の哀愁を湛えた瞳が、ヒカリのレーダーに一瞬で引っかかった。
「……ちょっと、なによあの骨格。無駄に横顔のラインが黄金比じゃないの……。あのハトの剥製さえ乗せてなければ、一級品の鑑賞物として美術館に寄託できるレベルのイケメンよ……」
ヒカリの乙女モードのスイッチが、絶望の最中でカチリと音を立てて入る。声のトーンが微かに跳ね上がった。
「おっと、目が覚めた途端に、美しいレディたちが僕を囲んでいる。やあ、僕の名前はカズノリ。この世界の、冷たい静寂を破るために生まれてきた、一介のホスト、さ」
カズノリと名乗った男は、錆びたマイクスタンドをスタンドマイクのように斜めに傾け、カメラ目線でウィンクを飛ばした。その瞬間、彼の頭上に半透明のステータスウィンドウがポップする。
【新パーティーメンバー:カズノリ(職業:ホスト)】
【NPCまで あと 95日 [状態:現実の営業スマイルを継続中]】
「ホ、ホスト!? なによそれ、この剣と魔法の世界で一番いらない職業じゃないのよ!」
ヒカリの扇子が、カズノリの鼻先へ鋭く突き出される。
「あんた、その整った顔に謝りなさい! 顔が良いのに中身がそんなスカスカな営業夜の蝶だなんて、宝の持ち腐れもいいところよ! ここは魔物がうようよいるデスゲームの戦場なの! 『シャンパン入ります!』なんて叫んでる暇があったら、カチカチガードの一発でも唱えてみせなさいよ!」
「フッ、手厳しいね、マダム。だが、僕の言葉は、どんな冷たい鎧も溶かす最高級のドン・ペリニヨンだ。見てごらん、僕の情熱で、このスノーラの雪すら溶けてしまった。……あぁ、僕の胸の鼓動が、チクタクと、まるで壊れた時計のようにうるさいな」
カズノリは自分の胸に手を当て、切なげに眉をひそめる。その芸風は、あまりにも過剰なハイテンションと、計算のできない自己愛に満ちていた。
「……おいおい、姐さん、またとんでもない『雑音』を拾っちまったな」
サカズキが、ポケットの中でダイスをジャラリと鳴らしながら苦笑する。
「このクソゲーのシステムも、粋な真似をしてくれる。ダグラスが石像になりかけてるってのに、次に送り込んできたのは、剣も握れねえ色男ときたかい。だが、まあ……」
サカズキはカズノリの頭上の数字【95日】を見つめ、目を細めた。
「人間臭さって意味じゃあ、合格点だ。まだシステムに脳みそを洗われてねえ、生身のバカの匂いがするぜ」
「誰がバカよ。……でも、まぁ、いいわ。その顔が泥で汚れるのは忍びないから、アタシの文化保護の対象にしてあげるわ。カズノリ、あんた、魔物が来たらそのマイクスタンドで殴るくらいの根性はあるんでしょうね?」
「もちろんさ、マダム。僕のステージの邪魔をする無粋な観客には、手痛いお仕置き(物理)が必要だからね」
カズノリが微笑んだ、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……と、泥水の底から、再び不穏な振動が這い上がってきた。
溶け去った氷の魔女の城の跡地から、結晶化された光の触手が、ダグラスを目がけて猛スピードで伸びてくる。魔王軍の残滓による、最後の執念のプログラムデバフ――【システムの強制上書き】だ。
「……危険を感知。……防衛対象を保護します」
【あと 1日】のダグラスが、自動人形のように前へ進み出ようとする。話しかけられていないにもかかわらず動いたのは、彼の「最強の盾」としてのルーチンプログラムが、肉体を強制的に駆動させたからだ。
「ダグラス、止まりなさい! もうあんたは動いちゃダメよ!」
ヒカリが叫ぶが、ダグラスの耳には届かない。彼の視界にはすでに、エラーログの赤文字しか映っていないのだ。
その時、新入りのホストが、無駄に美しいステップでダグラスの前に割り込んだ。
「待たせたね、頑固なビッグガイ。ここは僕のオンステージだ。……いくよ、ノドモトツマール!」
カズノリがマイクスタンドを天高く突き上げると、不自然なほどのピンク色の光球が、伸びてくる光の触手を包み込んだ。
ボフッ、という、これまた間の抜けた音がして、システムの触手はその動きを完全に封じ込められた。喉に何かが詰まったかのように、プログラムの詠唱が物理的に停止したのだ。
「な、何よその、嫌がらせみたいな魔法……!」
「フッ、僕の接客術さ。おしゃべりなクレーマーには、言葉を失ってもらうのが一番だからね」
「やるじゃねえか、ハト男!」
サカズキがすかさずダイスを投げつける。出目は「6と6」。
「ゾロ目だァッ! 物理法則を無視して、一気にバッサリいかせてもらうぜ! カゼキリバッサリ!」
サカズキの放った真空の刃が、沈黙した触手を根元から綺麗に切り裂き、ポリゴンの塵へと変えた。
スノーラの村に、今度こそ本当の静寂が訪れる。だが、それはNPC化の静寂ではなく、ただの「戦いの終わり」の静寂だった。
「テテッテッテー!」
容赦のないファンファーレが、泥だらけの4人の頭上に降り注ぐ。
【カズノリのレベルが上がった!】
【魅力が 50 アップ! / 発言の予測不能度が 40% 向上!】
【代償:カズノリは『初めて指名をもらった日に、お客様から貰った安物のライター』の感触を忘却した!】
「……あぁ」
カズノリが一瞬、手元を見つめ、奇妙そうに首を傾げた。
「何か、大切な『火の温もり』を忘れた気がするな。……でも、まあいいさ。僕のハートは常に、マダムたちの愛で燃え盛っているからね」
失われた記憶の痛みに気づくことすらなく、彼は営業スマイルを崩さない。その狂気を、ヒカリは胸が締め付けられるような諦念を込めて見つめていた。
「なによそれ……。レベルが上がって、人間としての『泥臭い思い出』が消去されるなんて、やっぱりこの世界は救いようのないクソゲーだわ」
ヒカリは羽扇子をバサリと閉じ、まだ動かないダグラスの分厚い胸板を小突いた。
「おい、筋肉ダルマ。新入りがあんたの代わりに一仕事終えたわよ。……何か言うことはないわけ?」
ダグラスはゆっくりと視線をヒカリへと向けた。その頭上の数字は、いよいよ【あと 1日】のまま、点滅を始めている。
「……新規メンバーの戦闘行動を確認。効率的な戦略配置を推奨します」
その声には、感謝も、安堵も、恐怖もなかった。
ヒカリは自虐的な笑みを浮かべ、泥水を踏みしめて歩き出す。
「やれやれ、サエキの言ってた通りね。強くなるほどに、アタシたちはからっぽの人形に近づいていく。……でもね、カズノリ。あんたのその無駄にうるさい『ノイズ』、魔王の城に辿り着くまで、アタシがしっかりキープしてあげるわ。賞味期限が切れて、ただの背景になる前に、その綺麗な顔をたっぷり拝ませてもらうからね」
彩度が高すぎるスノーラの泥濘のなかを、5人のパーティーは次の街へと進み始める。ヒカリの背中には、どんなシステムの仕様にも迎合しない、孤独な美学の光が、怪しく、そして確かに灯っていた。
【自意識モニター:スノーラ出国時】
ヒカリ: NPCまで あと 48日(進行。カズノリの骨格を評価しつつも、仕様への嫌悪感が持続中)
ハルカ: NPCまで あと 19日(安定。泥遊びに夢中でシステム侵食を一時的に忘却)
ダグラス: NPCまで あと 1日(臨界。次のエリア「学術都市周辺」への侵入と同時に、完全な定型文移行の危険性大)
サカズキ: NPCまで あと 81日(進行。失われた『揚げパンの味』の代わりに『給食の牛乳』を思い出そうと苦闘中)
カズノリ: NPCまで あと 94日(安定。レベルアップの代償を『ただの二日酔い』と勘違いしている模様)




