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段階的な終了

 朝起きてスマホを手に取ると、「サービス終了のお知らせ」ということばが表示されて、すぐ消えた。

 昨日と同じように、「長らくのご愛顧どうもありがとうございました。宇宙2.0はまもなく終わります」という文章がつづいた。

 その後映し出された文字は、「味覚サービスは終了しました」。


 ああ、そういうふうに終わっていくのか、と思った。

 俺は、あるとき突然、自分を含む宇宙が消滅するような終了を予想していた。

 どうやらそうではないらしい。

 サービスは五感をなくしていくという形で、段階的に終わっていくのだ。

 それってひどくないか。第三次世界大戦が勃発して、どかーんと終わるよりひどくない?


「味がしない……」 

 朝の食卓で、目玉焼きを口にした美舟が言う。

「そんな……この不思議現象、人間の感覚を侵食していくのか……?」

 おとうさんが呆然とする。

「えっ、次は視覚? 聴覚? 嗅覚? 触覚? そんなの嫌……どれも失くしたくない……」

 貴舟さんはフォークを握ったまま、全身を震わせている。

 

 俺は味のしないパン、卵、サラダを口に運び、咀嚼する。味気ないとは、まさにこのことだ。

 食感はわかる。味覚ではなく、触覚だからだろう。

「キーくん、どうしてなにげなく食事をつづけてるのよ?」

 美舟は頭のおかしい人を見るような目を俺に向ける。

「味がしないとしても、お腹は減っているし、今日の行動のエネルギーを摂取しておく必要はあるだろう? 今すぐ全サービスが終了するわけじゃないみたいだから」

「その冷静さが変だって言ってるの! わたしたちはスマホの表示どおりに味覚を失くしたのよ? 異常よ!」

 俺だって完全に冷静でいるわけじゃない。騒いでもしょうがないと思っているだけだ。

「そうだね。でもこれが俺たちの宇宙だ」

「狂ってる……この義兄は狂ってる……」

 美舟は目玉焼きを残したまま、食べようとしなかった。


「鍵、おまえはこの世界をVR宇宙だとでも思っているのか?」

 さすがにおとうさんは、おかあさんと連れ添っていただけあって、理解しているようだ。

「そうだとすると、説明がつくよね。今のところ俺には、この現象を説明できるのは、VR宇宙仮説だけだと思ってる」

「なんなのよ、VR宇宙って?」

 美舟が立ちあがって叫ぶ。


 俺は理素から聞かされたVR宇宙仮説を家族に説明した。

「……というわけで、ひとつ上のVR宇宙が、俺たちのVR宇宙を終わらせようとしていると思うんだ。それですべての怪現象が説明できるでしょう?」

「トンデモ仮説だわ。そんなことを信じろって言うの?」

 美しい同級生は、まだ俺の頭を疑っているようだ。

「信じられないわ。わたしの生きている実感は、わたしが現実に生きている証拠よ!」

「でも味覚を唐突に失っちゃったじゃないか。これはVR宇宙仮説の傍証だよ」

「わたしの……生きている実感……」

「人間の五感は、目、耳、鼻、舌、皮膚という各種センサーから入力した情報を、脳内で再生して得られるんだ。生物の感覚って、全部情報なんだよ。VRで再現可能なんだ。というよりVRそのものだったんだと考えざるを得ない。俺たちの宇宙は情報だけでできていて、実体はないんだ」

「でも情報が宿るには、なんらかの実体が必要でしょう? スマホとかパソコンとか電波とか電流とかそんな何か」

 そう反論してきたのは、貴舟さんだった。

「実体があるのは基底宇宙だけです。最初に生まれた宇宙には、物質があると思います。すべてのVR宇宙の基盤です」


「そういうことだったんだな……。ずいぶん前に、絵から同じような話を聞かされたよ。そのときは、俺の女房はずいぶんとユニークな女なんだな、と思っただけだったが……」

 おとうさんはなんだかさばさばとした表情になっていた。

「真実也くん、こんなバカな話を信じるの?」

「信じざるを得ないな」 

「私は信じないわよ。テレビ局に出勤するわ。もっとまともな説明をできる人がいるにちがいない」 

 貴舟さんは、バン、と両手でテーブルを叩いた。そして朝食を放置して、手早く支度を済ませ、玄関から出て行った。

「俺も出勤するよ。VR宇宙仮説について、職場で意見を交換したい」

 おとうさんも家を出て、後には俺と美舟が残された。


「ねえ、わたしは新しい家族を受け入れて、楽しく生きていくつもりだったのよ……。わたしたちはこの先五感を失って、死んでしまうの……?」

「VR身体が終わることを、死ぬと表現して差し支えないのなら、そうだね。俺たちはまもなく死ぬんだ」

「どうしてあなたはそんなに冷静でいられるの?」

「たぶん誘拐事件のときに、真っ当な感覚を失ってしまったからだろうね」

「怖くないの?」

「うん。別に怖くはないよ。痛いのは怖い。でも痛くはないからね」

「自分が消えることに対する恐怖はないの?」

「ないね。五感が消えても、自分が残っているとしたら、むしろその方が怖い。五感の消失とともに、自意識が消滅してほしい。ひとつ上のVR宇宙のVR技術者に望むのは、そのことだけだね」

「やっぱりわたしの義兄は狂ってる……」

 美舟はついに朝食を取らず、食卓から離れた。

「今日は一緒に登校する?」

「おことわりよ。わたしはひとりで行く。頭がおかしい人の話はもう聞きたくない」

 彼女も急いで支度して出かけていった。

 俺は急ぐ必要を感じなかった。

 ことここに至っては、高校なんて遅刻したってかまわない。通勤通学ラッシュに揉まれる必要はないだろう。


 スマホが鳴った。

 理素からのメッセージが届いている。


『宇宙が終わる前に、もう一度私たちが捕まっていた洋館へ行き、鍵を探したいです。つきあってもらえませんか』

『もちろんつきあうよ』

『ありがとうございます』

『どこで待ち合わせする?』

『鍵くんの家の前に来ています。道で美舟さんとすれちがい、怪訝な目で見られました』

『義妹には、俺も怪訝な目で見られたよ』

『何かあったのですか?』

『VR宇宙仮説を話した』

『信じたくない人には、その話は嫌がられます』

『まったくそのとおりだったよ』


 俺も外出の準備をした。何を着るか迷ったが、無難に高校の制服を身につけた。

 リュックサックにミネラルウォーターのペットボトル、ビスケット、チョコレートなどを詰めた。

 玄関を開けると、理素がいた。彼女も制服を着ていた。

「鍵をください」

「鍵はないけど、俺ならあげるよ」

 俺たちは小指を絡ませた。

「行きましょう」

 理素は先頭に立ち、駅に向かって歩き始めた。

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