パーセンテージ
昼休み、俺と理素は屋上へ行き、昼食を取る。
彼女は頑児さんがつくったお弁当を食べる。理素のおとうさんは家事全般が得意で、料理も上手い。
俺は昨日までは、コンビニのおにぎりとかパンとかを食べていた。
今日はちがう。
貴舟さんがお弁当をつくってくれたのだ。
ローストビーフ、鰆の西京焼き、煮卵、ほうれんそう、ソラマメ、ミニトマトが入っている。
その上、たけのこごはん。
どこかの料亭のお弁当かと思ってしまった。
「美味しそうですね……」
理素の声は抑揚がないが、いくぶんか羨ましそうな響きが感じられた。
俺はローストビーフを半分彼女にあげた。いつもくれるから、お返しだ。
理素はハンバーグを分けてくれた。
頑児さんのハンバーグは、挽き肉が硬めにぎゅっと握られていて旨い。
「このローストビーフ、半端なく美味しいです……」
理素が口の前に手のひらを添えて、ため息を洩らす。
その料理は貴舟さんの手づくりだ。昨夜、牛のかたまり肉をオーブンでじっくり焼いていた。いい匂いがキッチンから漂ってきた。
ローストビーフは手間と時間のかかる料理だ。
初めて俺にお弁当を渡すから、気合いを入れてつくってくれたのだと思う。
絶品弁当を心ゆくまで味わってから、俺たちは食後の会話を始めた。
「めちゃくちゃ美味しかった……」
「本当に美味しかったです……」
最初はふたりとも感嘆するのみだった。
炊き込みごはん、鰆、煮卵も理素に分けてあげたのだが、どれも本格的な味だった。
「義母はアナウンサーをしていたんだけど、料理番組のアシスタントの仕事も長くつとめたんだって。だからひととおりのものはつくれるって言ってた」
「アシスタントではなく、料理長クラスなのではないでしょうか」
「そうだね……」
おとうさん、いい人と再婚したね。
おかあさんには悪いけれど、料理の腕は義母に軍配を上げざるを得ない。
「ところで、今朝の話のつづきなのですが、授業中に絵さんのことばを思い出そうとしたんです」
授業中にしちゃだめだろうと思うが、人のことは言えないし、これでも理素は成績抜群なのだ。
「仮想現実技術はどんどん進歩して、いずれはAIの力も借りてさらに進歩し、いつか必ず現実とまったく変わらないレベルのVRが生まれる。そこには自然があり、都市があり、人間が生きている。そこで暮らす人は、自分がVRの中にいると気づくことはできない」
おかあさんは晩年、よくVRについて語っていた。
「VRの中にもVR技術は存在し、VRの中のVRを生む。VRの中のVRの中にもVRがあり、VRの中のVRの中のVRの中にもまたVRがある。それが無限につづくと考えなければならない。ひとつのVRの中には何人ものVR生成者が存在し、ひとりひとりが多数のVRを生む。VRは増えつづける……。そうおっしゃっていました」
確かにそんなようなことを言っていたが、小学生の俺にはよくわからなかった。
俺の心に強く焼きついているのは、誘拐事件直後に言われた「たぶんこの宇宙はシミュレーションゲームよ」ということばだけだ。
「大元の宇宙、基底宇宙はひとつだけ。その他の無数の宇宙はすべてVR宇宙だと考えられる。だからわたしたちもVR人間である確率が高い。99.999パーセント。正確に言えば、99と小数点以下に無限に9がつづくパーセンテージで、わたしたちはVR人間」
理素は記憶力がいいな……。
「人間は世界を脳内でしか認識できないから、この宇宙が基底宇宙かVR宇宙かを判定することは原理的にできない。でも確率的にこの宇宙はVR宇宙であると考えなければならない。だからと言って悲観する必要はない。基底宇宙にいるか、VR宇宙にいるかは、人間のしあわせには関係ない。わたしたちはこの宇宙の中でしあわせになることだけを考えていればいい」
「うん。そんなこと言ってたね」
「今朝の話に戻ります。絵さんのことばが正しかったとしたら、宇宙は八十億程度ではなく、無限にあることになります。そして私には、絵さんがまちがっていたとは考えられません」
それはどうだろう。おかあさんは優秀なVR研究者だったと思うが、万能だったわけではない。
「絵さんの生前、私はあの方のお話を完全には理解できませんでした。ただ聞き、ただ記憶していました」
「え、丸暗記していたの?」
「はい。今思い返してみて、理解できたように思います。この宇宙が基底宇宙である確率は、0と小数点以下に無限に0がつづき、その後に1がひとつのパーセンテージです」
「無限の後かあ……」
俺には無限を想像することはできない。
「根本的に問題なのは、基底宇宙が消滅することです。無限に存在するVR宇宙のひとつが終わるのは、たいしたことではありません。しかしその宇宙で暮らしている人間にとっては、問題です。わたしたちの宇宙が終わるのは、わたしたちにとって問題です」
理素はすらすらとVR宇宙について語る。
おかあさんと高校生の理素が議論したら、話が噛みあったかもしれない。