第13話「あなたの隣に、私はいられる?」
第13話「あなたの隣に、私はいられる?」
駅前のスタバで、私たちは向かい合っていた。
金曜の夜、人が多いわりに、周囲の声は耳に入ってこなかった。
川嶋くんは、いつも通りやさしく微笑んで、チョコレートスコーンを半分に割って私に差し出した。
「……よかったら、どうぞ」
「ありがとう。……あのさ」
私は、スコーンを受け取りながら、ゆっくりと視線を上げた。
「ひとつ、聞いてもいい?」
「うん。どうぞ」
「……“まだちょっと好きかも”って、こないだ言ってたよね。指輪の人のこと」
「うん」
「……それってさ。私が聞くの、失礼かなって思ってたんだけど……でも、やっぱり聞きたいの」
彼の手が、わずかに止まった。
「私たち、別に付き合ってるわけでもないし、恋人でもない。……ただ、こうやって時々会ってるだけの関係」
「うん……そうだね」
「でも、それ以上に進みたいって思ってるの、たぶん私の方だけじゃなくて、
あなたにもその気持ちがちょっとはあるって……勝手に期待してたから」
「……うん」
「だから、聞きたいの。“その人”のこと、本当はまだ引きずってる?
それとも、“今のあなた”の隣に、私はいられる?」
沈黙。
コーヒーの湯気が、ゆっくりと揺れていた。
数秒後──
川嶋くんは、手元のカップを一度置いてから、目を合わせてきた。
「……ごめん。ちゃんと答えなきゃって思ってたのに、言葉にできなくて」
「……うん」
「正直に言うと……“忘れられない”ってより、“覚えてる”って感じ。
ただ、それが“好き”なのか、“記憶の残像”なのか……最近、少しずつわからなくなってきた」
「……」
「でもね、美里さんといると、自分が“新しくなれる気がする”んだ。
あの人のことを思い出さない時間が増えて、
代わりに、“今この時間を大事にしたい”って思えるようになってる」
美里の胸が、少しだけふっと軽くなった。
「まだ不安はある。でも、もし“前に進む”っていうのが、誰かと一緒に“これから”を作ることなら……
俺は、美里さんと、作ってみたいと思ってる」
「……」
私の目に、じんわりと熱いものが浮かんでくる。
「……それって」
「うん。“今の俺の隣にいてほしい”ってこと」
駅の改札前・別れ際
「……答えてくれてありがとう」
「聞いてくれてありがとう。正直、勇気いったよ」
「私も。ほんとに」
ふたりで笑ったあと、川嶋くんが、ポケットに手を入れてから、すっと右手を差し出した。
「じゃあ、これからは、ちゃんとつなごうか?」
「え?」
「“手”。ずっとつなぎたかった」
「……うん」
私の手が、彼の手に重なった。
さっきまでの“ぐらつき”が、ほんの少しだけ“確信”に変わる。
夜・自室
婚活ノートに、そっと記す。
【本日の記録】
聞いた:「私は、あなたの今になれてる?」
答え:「今の俺の隣にいてほしい」
進展:はじめて手をつないだ。ちゃんと、自分からつないだ
【思ったこと】
恋は、怖い。でも、怖さの向こうにしか、本当の答えはない。今回だけは、逃げなかっちだ
翌朝・土曜日の午前中
久々に何も予定のない休日。
ベッドの上でスマホをいじっていた私は、ふとした気まぐれでインスタを開いた。
(……川嶋くん、アカウント持ってるのかな?)
彼のフルネームで検索してみる。
──出てきた。投稿数は少ないけれど、間違いない。
「へえ……旅行の写真多いな」
一枚一枚を眺めていると、数年前の写真に、見覚えのない女性の横顔が何枚か写っていた。
「……あの人、かな」
そう思いながら、タグを追う。
そして、そこから彼女のアカウントへ。
数秒後──画面の中の、最新の投稿が目に入った。
SNS投稿(元婚約者)
? ̄タミ代官山】
「ここ、やっぱりお気に入り。3年前も来た場所。
でも、今はもう1人じゃない。」
→ 写真には、男性らしき人の手とマグカップが映っていた。
「……あ」
言葉が出なかった。
でも、脳内では勝手にストーリーが走り出す。
(“今はもう1人じゃない”……つまり、新しい恋人がいるってこと?
でも“3年前も来た場所”って……)
私の胸に、ざわざわとしたノイズが広がった。
(もしかして……この場所って、川嶋くんと来た……?)
(“今はもう1人じゃない”って言葉、あえて書いてる……? 何かを見せつけたいのかな)
カフェ・午後/亜紀と合流
「……見ちゃったんだ、SNS」
「うわ、それは……キツい」
「笑ってたよ。あの人、すごく自然に、幸せそうに」
「で、川嶋くんは?」
「なにも言ってない。SNS見てるなんて言えないし、そもそも、私たち……まだ“付き合ってます”って言ってないし」
亜紀はストローをくわえながら、静かに言った。
「……じゃあ、そろそろハッキリさせなきゃね。“私たち、どういう関係ですか?”って」
「……言えるかな、私」
「言えなかったら、またずっと“画面の向こうの彼女”に振り回されるよ?」
夜・自室
婚活ノートを開く。
【今日の記録】
・元婚約者のインスタを見てしまう
・今はもう1人じゃない=新しい彼氏?
→“過去”は、まだ彼にリンクしてるのかも
【自分の気持ち】
「手をつないだ」だけじゃ、私はまだ“恋人”じゃない
→この関係が、ちゃんと名前を持つ前に、不安に飲み込まれたくない
ページのすみに、小さく書いた。
“付き合おう”って言葉、今こそ、欲しい。
第15話「ちゃんと名前をつけてくれますか? ――画面の中の、あの指輪」
深夜0時を過ぎたころ。
部屋の灯りはもう落としていたのに、私はスマホの画面から目が離せなかった。
(もうやめようって思ってたのに……)
でも、どうしても気になってしまう。
彼が「もう終わった」と言っていた“元婚約者”の存在。
どこかで引っかかってる。「あれは思い出で、未練じゃない」──そう言われても。
だから私は、タップした。
──元婚約者のSNS。
さかのぼる。スクロールする。無言で、ひたすら。
そして──見つけてしまった。
投稿内容(3か月前)
? ̄タミ箱根温泉】
「ひとり旅のはずだったけど、結局ひとりじゃなかったみたい。
このネックレス、まだつけてるよ。
“あの人”に返せないから、今はお守りってことにしてる。」
→ 写真には、細いチェーンに“男物の指輪”が通ったネックレス。
ベッドの上に置かれ、わざとらしく背景に“旅館の布団”が写り込んでいた。
私は、スマホを持った手をぎゅっと握った。
(……これって……)
──「婚約指輪」だったんじゃないの?
彼が言ってた、「ネックレスに通してた指輪」。
「もう終わってる」「忘れたい」「捨てる」って言ってたあの指輪が、
3か月前までは、彼女の手元にあったってこと?
じゃあ、私に見せたあの“処分する”って言った指輪は──
まさか、もう一度戻ってきただけなの?
(嘘……?)
心臓の音が耳の奥でうるさくなった。
同時に、喉の奥が、きゅっと締まる。
翌朝・カフェ/亜紀と合流
「……は? “3か月前”? それ、つまり“別れてない”ってことじゃん」
「違うかもしれないけど……でも、日付は、嘘をつかないよね」
「うわぁ……マジで言葉が信じられなくなるやつ」
「ねえ、亜紀。
私、怒っていいのかな。まだ“恋人”じゃないのに、こんなふうにモヤモヤしてるのって、おかしい?」
「おかしくないよ。だって、ちゃんと気持ちでつながろうとしてたじゃん。
だから、“事実”がずれてるなら、それはもう、裏切りだよ」
「……聞いていいかな、これも」
「うん。むしろ、聞かなきゃだよ。
“あの指輪、ほんとに3か月前に返してもらったやつ?”って。
──“もう気持ちは残ってない”って言ったなら、今度こそ、行動で証明してもらいなよ」
夜・自室/婚活ノート
【発見】元婚約者のSNS:ネックレスに指輪/日付は3か月前
→彼の言葉とタイムラインが食い違ってる
【不安】私に向けられた“優しさ”が、“曖昧さ”のカモフラージュだったら?
【決意】今度こそ、“聞く”。
私は、“彼女”じゃないかもしれないけど──“都合のいい存在”では絶対にいたくない。
ページの端に、こう書いた。
嘘は、どんなに小さくても、“好き”の土台を腐る
第16話「恋愛初心者の私には無理かも──ガーン、という音がした夜」
「これ……見て」
カフェのWi-Fiに接続しながら、私はスマホの画面を亜紀に見せた。
「これが、3か月前の投稿。あの指輪。男物のやつ。ネックレスに通して、
“返せないからお守りにしてる”って」
「はあ~~~……」
亜紀がため息とともに、カフェラテを置いた。
「これ、もう確信犯じゃん。彼女、あえて見せてるよね。わざと」
「……だよね。私、考えすぎじゃないよね?」
「うん、考えるのが普通。……てか、逆に考えないほうが怖いわ」
私は紙ナプキンをぐしゃっと握った。
「なんか……しんどい。
彼を責めたいわけじゃないけど、信じたいわけでもない。
“傷つきたくない”って思ってたのに、
“好きになっちゃった”から、もう後戻りできない」
「美里……」
「……やっぱり、私には恋愛なんて無理だったのかも」
「……ガーン、って音がした?」
「うん。心の中で、バカでかい音で」
夜・自室/独白風
ベッドの中で、天井を見上げながら思った。
(これが、恋のリアルなんだ。
ドキドキして、笑い合って、手つないで、幸せだったくせに──
一個、なにかズレが出ただけで、全部信じられなくなる)
(“付き合ってるわけでもない”っていう立場が、こんなにも不安定だなんて)
(……恋愛初心者の私には、荷が重すぎたのかもしれない)
スマホの画面が、隣に置かれたまま光っていた。
通知は──ない。
婚活ノート(いつもより短く)
【今の気持ち】
信じたい。でも、信じきれない。
たぶん、今の私は“自信”がなくて、
“恋人”っていう立場じゃないことに、ずっと怯えてる。
【結論】
……ガーン。
ページの下に、ちょこんと書いた。
※明日、何もなかったように笑える自信、今はゼロ。