第6話「新しい“出会い”はすぐそばに──」
第6話「新しい“出会い”はすぐそばに──」
翌朝。駅のホーム。
いつもより、世界が少し静かに感じた。
(……もう、同じ車両に乗る意味もないのに)
でも、習慣って怖い。気がつけば、私はまた同じ扉の前に立っていた。
ドアが開く。
乗り込む。
彼のいたポジションを、自然と目で探してしまう自分がいた。
(もう、終わったんだってば)
──そう言い聞かせた、そのとき。
「……あれ? 作倉さん……ですよね?」
えっ。
声の方を見ると、スーツ姿の若い男性が立っていた。
黒髪に、笑うと目尻が下がるタイプの、どこか“親しみやすさ”を感じさせる顔。
「え……あ、はい……?」
「やっぱり。○○商事さんの、美里さん……ですよね? 二週間くらい前、合同会議で名刺交換したんです」
「……あっ! あのときの……! すみません、すっかり……!」
「いえいえ、僕も覚えてもらえてないかなって思ってたんで」
彼はにこっと笑って、こう付け加えた。
「毎朝、同じ電車なんですね。……ちょっと、うれしいです」
(……え?)
「……あの、名前、聞いてもいいですか?」
「もちろん。川嶋です。川嶋晴人、営業部です」
「作倉です。えっと、美里っていいます」
──自然だった。
昨日までの痛みが、ふっと軽くなるような、優しい空気だった。
「駅、同じ方向ですか?」
「……はい、たぶん」
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
そう言って、彼は一歩だけ、私の隣に寄った。
なんでもない朝。なんでもない会話。
でも、不思議なことに。
心が、少しだけ温かくなっていた。
夜・自室
婚活ノートの、新しいページを開く。
【新たな出会い】川嶋晴人さん(営業/笑顔◎)
【第一印象】話しやすい、自然、肩の力が抜けた感じ
→明日も会えたら、今度は“こちらから話しかけてみる”
「……始まるかどうかは、わからない。でも」
私の物語は、まだ終わってない。
むしろ、ここからが本当のスタートかもしれない。
第7話「コーヒーと名刺と、はじまりの昼休み」
昼休み、社内のエレベーターを降りた瞬間に、偶然──いや、これはもう“運命”と呼んでもいいのかもしれない。
「……あっ、美里さん!」
振り返ると、川嶋くんがいた。昨日、電車の中で再会したばかりの、あの笑顔。
「あ……こんにちは」
「こんにちは。えっと、ここってオフィス近いんですね?」
「うん、歩いて3分くらい。川嶋さんは?」
「うちもそのくらいです。あ、これ、名刺……前のがヨレてたから、ちゃんとしたやつ渡したくて」
「え、わざわざ? ありがとう……!」
名刺の端に、やわらかく折り目がついていた。多分、今日の朝からポケットに入れてたんだろう。
(……なんか、かわいい)
ビル下のカフェにて
「よかったら、一緒にコーヒーでもどうですか? テイクアウトで」
「えっ……あ、はい!」
(は、初のランチタイムカフェ!?)
カフェのカウンターに並びながら、二人とも少し緊張していた。
「このあたり、よく来るんですか?」
「うん、たまに……コーヒーより、パン目当てかも」
「へぇ、甘いの好きそうですね」
「見えます?」
「なんか、笑ったときに、そういう雰囲気ある」
「え、なにそれ……ちょっとズルい言い方」
「すみません。職業柄、営業スマイル得意なんです」
「ずるいなぁ……でも、嫌いじゃないです」
カップを受け取り、外に出る。少しだけ風が強くなっていた。
オフィス前・別れ際
「じゃあ……そろそろ戻らなきゃ」
「ですね。また、お昼とか……時間合えば、ぜひ」
「うん。誘ってもいい?」
「もちろん。逆に、誘ってくれると嬉しいです」
ふたりの間に、一瞬だけ静かな空気が流れた。
「じゃあ、また明日……同じ電車、同じ時間に」
「はい。……楽しみにしてます」
川嶋くんは軽く会釈して、風の中へ歩き出した。
カップを手に持ちながら、私はその背中を、少し名残惜しく見送った。
夜・自室
婚活ノートに、今日も記す。
【進捗】川嶋くんと昼休みにコーヒー
【内容】名刺交換(再)、甘いものの話、さりげない誘い
→「また明日」=合言葉に
【気づき】頑張らなくても、自然に笑える相手がいた
「……杉本さんのこと、忘れようとしてるんじゃなくて……
ちゃんと、“今”を見ようとしてるのかも、私」
コーヒーの余韻と、はじまりの鼓動。
恋はまだ、静かに息をしている。
第8話「週末の誘い、勇気のワンクッション」
金曜日の朝、通勤電車。
川嶋くんは、いつもどおりの時間に、いつもどおりのやさしい笑顔で電車に乗ってきた。
「おはようございます、美里さん」
「おはようございます。……週末、ですね」
「ですね。なんか、やっとって感じです」
ふたり並んで、いつもの窓際。
車窓を流れる朝の街並みが、いつもよりちょっとだけ色を持って見えた。
(今日、言うなら……今しかないかも)
昼休み・社内チャット
気がつけば、スマホを何度も確認している自分がいた。
(聞いても、いいよね……? 誘っても、変じゃない……よね?)
To:川嶋晴人
Sub:お疲れさまです!
Message:
あの、急なんですが……明日、お昼よかったらご一緒しませんか?
──入力して、送信ボタンに指を置く。が、動かない。
(こわい……返信がなかったら……嫌だったら……)
──そして、スマホを閉じた。
「はぁ……」
オフィスビル前
夕方、ビルのエントランス。
川嶋くんがいた。
「……あっ、美里さん!」
「川嶋くん……!」
「ちょうど連絡しようとしてたんです」
「え?」
「明日、お昼どうですか?」
(……え?)
「いや、実は今日の朝から迷ってて。誘おうと思ってたんですけど、社内で声かけるのって、ちょっと緊張するというか……」
「え、それって……」
「だから今、会えてよかった。……一緒に行ってくれます?」
「──はいっ、ぜひ!」
思わず声が弾んだ。
(なんだ。おんなじじゃん、私たち)
「じゃあ、駅前のパスタ屋、どうですか?」
「うん、大丈夫。……ありがとう、誘ってくれて」
「いえ……実は、けっこうドキドキしてました」
「私も……ほんとは、お昼にメッセージ書いてました。でも、送れなかったの」
「えっ、それ本当ですか?」
「うん、下書きフォルダに残ってる(笑)」
ふたり、顔を見合わせて笑った。
金曜の夜風は、ほんの少し冷たかったけど、心は不思議とあたたかかった。
夜・自室
婚活ノートを開いて、今日の記録を書く。
【進捗】週末ランチの約束、成立
【相手から】「誘おうと思ってた」→嬉しすぎて泣きそう
【学び】勇気出すのが怖いのは、相手も同じ
→次は、ちゃんと“送信”できる自分になりたい
ページの隅に、ちいさく書いた。
明日の服は、白のカーディガンに、あの淡いベージュのスカート。
「……明日、ちゃんと笑えますように」
第9話「パスタと偶然、そしてはじめての“また今度”」
〈AM 9:10〉自宅
鏡の前で、私はカーディガンを3回着て、3回脱いだ。
「いや、これ暑くない……? でも白、柔らかく見えるし……」
床には、ベージュのスカートとデニムとワンピースが散らばっている。
(誰も私の服に注目なんてしてないってわかってるけど……“今日の私は、ちょっと違う”って思いたいんだ)
結局、最初に決めた白のカーディガンにベージュのフレアスカートで玄関を出た。
〈AM 11:59〉駅前の時計台
「……来てるかな」
スマホの時間を見た瞬間。
「作倉さん!」
「あっ……!」
振り返ると、川嶋くんが小さく手を振っていた。
「ごめんなさい、待たせました?」
「いえっ、私も今来たところで!」
──言った! 定番のセリフ! けど……ウソじゃない!
「白、似合いますね。今日の服装……すごくいいと思います」
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
(え、待って、さらっとそういうこと言えるタイプなの? それとも天然?)
〈PM 12:15〉駅前パスタ店「TRATTORIA LUNA」
「この店、ずっと気になってたんですよ」
「私もです。前を通るたびに、いい匂いしてて」
「ピザも美味しそうだけど……パスタ、行きますか?」
「はい!」
ふたりして「カルボナーラください」と言った瞬間、笑ってしまった。
「気が合いますね」
「ほんとに」
席につくと、川嶋くんはテーブルに肘をつかないようにしながら、まっすぐ私を見た。
「作倉さんって、落ち着いてるように見えるけど……緊張してます?」
「え、わかります?」
「はい。僕もです。たぶん」
「……じゃあ、よかった」
「え、なにが?」
「私だけじゃないってわかったから」
(気取らずに、こうやって笑い合えるの、いつぶりだろう)
〈PM 1:10〉食後のアイスティー
「これ、もしかして……“デート”って思っていいんですか?」
川嶋くんが、ティースプーンをカランと鳴らしながら言った。
「え?」
「いや、変な意味じゃなくて……ちゃんと“誘った”の初めてだったので」
「……私も、です」
「じゃあ、“デート”ですね」
「……はい。デート、です」
(文字にすると恥ずかしいけど、口に出すと、ちょっとだけうれしい)
〈PM 2:30〉駅前
「じゃあ、今日はここまでで」
「……うん。楽しかった」
「僕もです。また……来週、電車で?」
「はい。また、電車で」
そして──川嶋くんが、ふと立ち止まって言った。
「……それだけじゃなくて、またどこか、行けたらいいなって。今度は、映画とか」
「……うん、“また今度”、楽しみにしてます」
夜・自室
婚活ノートを開く。
今日は、ちょっとだけ文字が多くなった。
【初デート】駅前パスタ/服装褒められる/同時カルボナーラ発言/緊張共有
【会話ハイライト】「デートって思っていいですか?」「また今度」
【記録】この一歩が、私の過去全部を“無駄じゃなかった”に変えてくれた日
【次】映画? 昼じゃなく、夜だったら……どうする?
ページの隅に、小さく書いた。
あとで、“白いカーディガンの日”って呼ぶかも。