ある護衛の男の話
その日は突然だった。
俺はいつも通りにダンカの旦那の家の前で形ばかりの護衛任務をしていた。
正直このスラム一帯を仕切っている旦那にたてつこうとする奴なんていやしねえ。勿論よその集落の奴らが攻めてくる可能性はあるが、そのレベルになったら俺一人じゃどうしようも出来ねえ。
旦那は心配性だなぁと、ぼんやりしながらどうでも良いことを考えていると突然声がかけられる。
「おつかれさん。中にいるおっさんなら死んでるぞ? 」
「っ!?」
子供の声が聞こえてきて、咄嗟に後ろを振り返る。月明かりに照らされて黒髪黒目で薄気味悪いガキが片手にナイフを持って立っていた。歳の頃は10歳くらいか? なんにしても今は旦那しか家にいないはずなのに、どこから現れやがった。
あまりの異常事態に全身が硬直する。それを見たガキは何を思ったのか、ニヤニヤしながらこっちに向かって手を振ってきやがった。気味の悪さに鳥肌が立つが、舐められないよう手に持つ斧を突き付け、威圧的に問い詰める。
「誰だお前はっ!? とうやって中に入った!? 」
恐怖からか動揺からか。斧を持つ手が震える。
「あー、そうゆうの大丈夫だから。とりあえず、魔術使えるよな? 見してくれないか?」
カラン。深夜独特の空虚な空間に乾いた音が鳴り響いた。
俺はこのガキから目を離していなかった。いや、目を離せる余裕がなかったと言うべきか。それなのに次の瞬間には手に持つ斧は根元から断たれ、切断された先端が地に落ちる音がするまで、その事に気付くことが出来なかった。
「なっ…… クソがっ。」
とにかく意味が分からなかった。夢か現実かも分からないまま、心が恐怖に支配されていくのを感じる。
なんなんだよ。このガキは……
俺はこのガキから離れたい一心で、勢いよく後ろへと下がる。半ばやけになりながらもガキの要望通りであり、最後の頼みの綱である魔術を発動する。
「くらいたけりゃくらいやがれ。炎弾っ!」
こいつは旦那にも見せていない、俺のとっておきだ。
五つの炎で出来た球体がガキへ向かって飛んでいき周囲を明るく照らしていく。
この光景を見て俺は自身を取り戻す。
そうだ! 俺には魔術の才能がある。これまでだってどんな奴も俺の炎の前に這いつくばらせてきた。旦那だって俺の力を認めて護衛にだって選んでくれてる!
……あれ? あのガキ、旦那をどうしたって言ってたっけ……
炎弾で照らされたガキの表情が見えて背筋が凍る。
「……しょぼすぎだろ。」
心底つまらなそうな顔をして俺の炎弾を一瞬で切り払い、炎は虚空へと消えていった。
またしても理解のできない光景と恐怖で俺の頭の中はパニックになった。今のはただ炎が消えただけではない。術者の俺だから分かる。魔術が切り払われていた。
そんな現象、見たことも聞いたこともない。
「魔術を切り払うぅ……?
おっ、お前…… いったいなんなんだよ!?」
「俺か? 俺はセンカ。以上。自己紹介おわり。これで俺とお前は友達だな。
ところでさっきの炎は遅いしショボいけど何の意味があるんだ? あんなもん斬っても全然面白くないんだけど。他には何かないのか?
……うん、なさそうだな。じゃあ来世ではもっと面白い魔術を見せてくれよな。楽しみにしてる。」
センカと名乗るガキの自己完結した語りを聞いた俺は無意識に自分の最後を感じ、咄嗟に集落の出口に向かって走りだしていた。とにかくここから離れたくて仕方がない。脇目も降らずに走り続ける。
背後からあのガキの気配が遠ざかっていくのを感じ、集落の出口でもある路地裏へあと数mまでたどり着いた。少しだけ希望を感じた時、背後から甲高い音が響いた。
見たくない。振り返りたくない。
その音が死神の声だと確信した俺は、静止する感情と葛藤しながらも背後を確認する。
視界に広がるのは見たこともない景色だった。一筋の風により、集落のすべてが宙に巻き上げられ、細切れにされている。そこには人も物も強さも弱さも関係なく、ただ終わりを映し出していた。
ふと、この光景から昔にスラムで起きた伝染病を思い出す。死体と腐臭で満ちた惨状は地獄絵図と言うほかなく、その場から逃げ出すことしかできなかった。
あぁ、今回は逃げ遅れたんだな。そんな思いが胸中に湧き上がってくると同時に風に掬われていき、意識が暗闇の底へ落ちていった。