自転車チェイス <前編>
第4話 自転車チェイス -Lyrical Blast- <前編>
来生美凪は鶴ヶ崎聡美の事が嫌いだ。
理由ははっきりとはしないが、とにかく好きになれない。しいて言うならば、彼女の常識外れな行動が理解できず、正常の人間とはかけ離れた言動を受け入れきれないからだと思う。
今年から兄に続いて飯嶋中学に入学して、1年3組の37番になったばかりの頃は少なくとも中学校生活にそれなりの希望を持っていたし、聡美に関することも『ちょっと変わった3年女子』という程度しか知らなかった。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、それはある意味で希望の入っていないパンドラの箱だった。
『ちょっと変わった』では済まされない変人っぷりを遺憾なく発揮しながら校内を駆け巡る鶴ヶ崎聡美と、彼女に首輪をはめられた家畜のように引き摺り回される我が兄の姿を目にした日には、呆れの言葉すら出てこなかった。
冷静になって考えてみたら、聡美の事が好きになれないのは、彼女の奇行そのものではなく、彼女に引き摺り回されている兄の方に理由があるのかもしれない。
兄が中学に進学してからというものの、自分に兄は構ってくれなくなったし、休日返上同然に何処かへと出かけて行くことが多くなった。泥塗れになったりずぶ濡れになったりして帰ってきたことも決して少なくは無い。
大好きな兄を奪われたことが悔しい。
短絡的にいうとそうなるかもしれないが、美凪本人としてはそうではないと確信している。
聡美が運動神経抜群にして頭脳明晰であることに嫉妬しているわけではない。
聡美が端正な顔立ちに美しい肢体を生まれながらに有することを妬んでいるわけではない。
聡美がどんな事でも平然とやってのける行動力を持っていることに憧れているわけでは絶対にない。
明確な理由があるわけではなく、はっきりとした自分の気持ちが分かるわけでもなく。
そんな不安定な心を抱えた美凪にとって、ミリアは一種の精神安定剤に近い存在だった。
小動物みたいなミリアの一挙一投足を眺めているだけで、不思議な安堵感を覚えるようになっていた。なんにでも興味を示すし、動作の一つ一つがちょこちょこしていて、見ていて可愛いのだ。
ミリアはぶんぶん稼動している扇風機の真正面に座って、高速回転する羽を必死に目で追おうとしている。
扇風機の羽はヘリのローターより単位時間当たりの回転数が多い。そんな話を随分前にテレビで聞いた気がする。ミリアの目がローターより速く回るとは思えないが、目を回したりしないか心配であると同時に、それを密かに期待しているが、3分ほど経過した今でもその気配は一向に無い。むしろ3分間もぶっ続けで扇風機にメンチを切れる方に感心する。
4分が過ぎた頃、ミリアより先に美凪が音を上げ、その辺に転がっていた週刊誌を広げながら畳の上に寝転がる。
広げてすぐに目に飛び込んできたのは、二流芸能人のスクープだった。ラフな服装で何処かの街中を歩く当人と、そのすぐ隣に目のあたりに黒い横棒の入ったウェーブの女性が写った写真がでかでかと載っている。
正直、どうでもいい。パラパラとページを捲り、適当なところで捲るのを止める。ゴリラとチンパンジーの顔を足して2で割ったみたいな顔の、変な髪型の婆さんと、モノクロながら頭の光沢が見て取れるぐらいに禿げ上がった頭の爺さんが、厳しい書体で書かれたVSと言う文字を挟んで相対している。
どうやらUFOか何かに関する議論を書いているらしい。ゴリラ婆さんはUFO否定派であり、光沢爺さんは肯定派であるようだ。
父が学生だった頃のB級ホラー映画を観て以来、美凪は宇宙人は苦手であり、それと付随するようにセットで付いてくるUFOもあまり好きではない。キャトルミューティレーションやアブダクションとかがテーマの映画だっただけに尚更だ。
気分が良くないので、さっさとページを捲る。
見開きいっぱいに夜月を映したらしい写真が載っている。
写真が写真なのでほとんど真っ黒で、右上のあたりに満月の白がぽっかりと穴を開けている。
何が写っているのか興味を惹かれた美凪は、怖いもの見たさに近い気分でその写真をまじまじと見る。月のすぐ横に、発光物体らしきものが写っていた。ご丁寧にも矢印で示され、編集者のコメントが逐一書かれている。
星にしては輝きが強い。
そしてその発光物体の少し右―――デジカメで撮影した映像を無理矢理引き伸ばしたらしく、画質が荒くてはっきりとは見えないが、月側の空間、幾何学的な紋様みたいなものがうっすらと写っているように見えないこともない。でかい長丸の円が、それを大雑把に囲っており、小型のUFOが超高速で飛び回ったものの軌跡ではないかと言っている。
雑誌を閉じ、ため息を一つ吐く。
まあ大体こんなものだろう。
物は言いようとはよく言ったもので、それらしいものにそれらしい理屈を付ければ本当に見えなくも無い。が、こうもボケボケの写真では返って胡散臭さが割増しだ。下手な合成でも誤魔化しが利くし、ただのノイズだと言っても間違いなく通じる。
寝転がったままの体勢で左手をちゃぶ台の上を這わせてテレビのリモコンを探す。
するとその時、呼び鈴のなる音がした。
その音にミリアは驚いて飛び上がり、玄関のほうを向く。美凪は面倒臭そうに起き上がり、玄関へと向かう。その間にもしつこいぐらいに呼び鈴が猛連打されていた。
ドアスコープを覗くのも面倒で、無防備にもチェーンもかけず、ドアスコープで誰が来たのか確認しないまま鍵を開けて扉を開ける。
聡美の満面の笑みが美凪を迎えた。
「こんばんは美凪くん」
扉を閉め、素早い動作で鍵とチェーンロックをかける。
聡美の顔など見たく無いし、声も聞きたくない。一気に最悪な気分に陥らされ、胃のあたりがキリキリと痛む。とっとと自室に篭って無駄にでかいヘッドホンで音楽でも聴いて、聡美が諦めて帰るのを待っていたい。
が、扉を盛大にノックされ、呼び鈴連打攻撃に5秒たらずで耐え切れなくなった美凪は、チェーンを外して鍵を開け、扉を3センチだけ開ける。すると、突然その3センチ隙間に聡美の指が滑り込んで来て無理矢理扉を開けようとする。反射的に防衛本能が働き、両手で扉を開けられまいと引っ張るが、腕力は聡美の方が上であった。両手で扉を押さえる美凪をものともせずに、利き手と反対の腕だけで扉を開けられてしまう。
チェーンロックは外さない方がよかったかもしれない。
「返事もせずにいきなり扉を閉めるとは感心できんな。それとも何だ、アレか。人様に見られては不味いようなものでも」
「何か用?」
聡美の長広舌が始まる前に遮り、早く帰らせるためにさっさと用件を尋ねる。
「来生くんに用事があって来たのだが、靴が無いところを見るとまだ帰ってきていないようだな。悪いが美凪くん、一つ言伝を頼まれてくれると嬉しいのだけれど」
「なに」
そこで聡美は右手で顎をさすりながら視線を中に泳がせて考え込み、
「今度の土曜日に定食屋『岩清水』に10時――――に?」
時刻を途中まで言いかけたところで、聡美が何か奇妙なものを見つけた様に言葉を止めた。聡美は美凪の後ろ、廊下の奥の方を見ている。美凪は怪訝な顔をしながら後ろを振り向く。廊下の中ほどで、ミリアが何故か右半身を壁にくっ付けて立っている。
「あの、えっと」
二人とも自分の方を見ているので、怯えて思わず狼狽する。
そんな気も知らず、聡美は透き通るような白い肌に金髪蒼眼の少女をまじまじと観察している。かと思ったら、美凪の両肩に手をのせ、愛嬌たっぷりの笑顔を見せる。
「来生くんにこう伝えたまえ。今度の土曜日に定食屋『岩清水』に10時集合。復唱を」
「土曜に岩清水に10時集合。で?」
「詳細は電話にて追って連絡するのでそのつもりで。以上」
はいはい と呟きながら肩に掛かる聡美の手を乱暴に振りほどき、扉を閉めて鍵をかけた。
3度目の呼び鈴連打は無く、ドアスコープを覗く頃には既に聡美の姿はなかった。
やっと帰ったこれで一安心だ と思う一方で、珍しいなと思う。
聡美は連絡を取るときに、電話という文明の利器を使うことを嫌っている。なんでも、電話という大衆的な通信手段では容易に盗聴されやすく危険であるらしい。彼女は大真面目にそう言い張っている。どこのスパイのつもりか知らないが、いい年した女の子がそんな事を言ってて恥ずかしくないのだろうか。誰が好き好んで変人女子中学生の電話内容を盗聴したりするものか。
「今の誰ですか?」
「お兄ちゃんの先輩」
学校の先輩 とは言いたくなかった。あんな奴が自分の先輩であると認めるのだけはどうしてもできない。
成績も、容姿も、行動力も、どれをとって見ても自分のほうが劣っている。それに加えて兄は家族である自分よりも、他人である聡美の方を見ているような気がする。それこそ彼女の方が立場が上であると認めれば、もはや自分に対抗できる手札が無くなってしまう。
それだけは絶対に嫌だ。聡美に負けるのだけは絶対に認めたくはない。
だって――――
だって、私は聡美の事が嫌いなんだから。
『岩清水』は飯嶋駅前の商店街の中ほどに店舗を構える定食屋である。
安く、美味く、そして多くをモットーとしており、近隣の腹を空かせた連中達にありがたがられている。最も人気のメニューは、店主一押しの一品・豚カツ定食らしい。そしてその店主、一之瀬芳正は頑固一徹を絵に描いたような頑固親父である。その性格は『岩清水』のメニューが実にストイックかつシンプルである所に顕著に表れている。定食一筋30年の肩書きに相応しく、その味は天下一品の一言に尽きる。が、この店を語る上ではもう一つ重要なことがある。
量がすごい。
とにかく、すごい。
ご飯は常に大振りの茶碗に山と盛られ、先述の豚カツは一切れ一切れが異様にでかい。テーブルに並べられたのを遠目に見る限り普通の定食なのだが、傍に何らかの比較対象を置くと、その巨大さに驚きを通り越して呆れるどころか笑ってしまう。もはや何かの冗談のようにしか思えない。
常連のサラリーマン笹山良太郎46歳は「店長の豪快なところが、あの馬鹿でかいおかずを作り上げた」と語る。
そんな『岩清水』の利用者は、運動部に属する学校帰りの男子や、腹の容量に自信のある巨漢どもばかりであり、女性の客は滅多に見かけられない。並ですら他店の大盛に相当する量を、普通の女性がもりもりと食べれる訳が無いのが主な理由であり、店の油っぽい雰囲気が女性にあまり受けないというのもある。
しかしそれでも聡美はここでから揚げ定食を、ご飯大盛で食べている姿を頻繁に目撃されている。
一つに、彼女自身の性格があまり女の子らしくないというのがある。そしてもう一つに、彼女がよく食うというのがある。
聡美は、腹の中に虫でもいるのかと思いたくなるくらいに大食いである。
連日、一番奥の席を『秘密の会議場』と称して陣取り、恭也と共に次なる奇行の計画を立てているのだが、男である恭也はいつも並盛りなのに対して、女の聡美はご飯をいつも大盛にして、更にそれを苦もなく平らげてしまうから、店員の兄ちゃんによくからかわれている。
学校でもいつも何かしらの食べ物を摂取しており、それでよくもまあ太らないものだと不思議に思うのだが、彼女の日頃の行動がアレだけに、エネルギーの消耗が激しいのだと思う。もしかしたら、あの豊満な胸に吸収されているのかもしれないと考える者も決して少なくは無い。
そして本日6月29日土曜日も、聡美は『秘密の会議場』を陣取って、恭也と会議をすることになっていた。
6月28日金曜日。
聡美が来生家を訪問してから25分ほどして恭也は帰ってきた。
「ただいま」
返事は無い。
玄関には美凪の学校指定のスニーカーがあるところを見ると、少なくとも美凪は帰ってきている。菜月は多分、買い物に行っているのだろう。スニーカーを足だけで脱ごうとしていると、階段から人が降りてくる足音が近づいてきて、ミリアがひょこっと顔を出した。
「おかえりなさい、です」
「あ、ああ。ただいま」
「さっき恭也さんの先輩が来てましたよ」
「先輩?」
聡美の事だとすぐに分かった。自分ちに来る先輩といえば彼女以外に心当たりは無いからだ。
「それで、なんて?」
「えと、定食屋のなんとかっていう所に・・・確か・・・12時?11時、に・・・?」
伝言を預かったのならちゃんと覚えておけよ と思う。
「ああ、いいよ。後で電話して聞いてみるから」
必死に思い出そうとするミリアを制し、スニーカーを脱いで階段を登ろうとしたところで美凪と出くわした。眉間に微かにしわを寄せ、口をへの字に曲げて、妙に不機嫌そうな様子だった。
「土曜に『岩清水』に10時集合だって。お兄ちゃんの先輩が」
ああ、わかった と呟きながら、美凪の横をすり抜けて階段を登ろうとしたら、今度は電話が鳴った。子機に一番近い位置にいるミリアが、対処に困って、おどおどしながら恭也を見る。恭也はミリアに子機を取るように頼み、それを受け取り、通話ボタンを押して電話に出る。
「もしもし」
案の定、聡美からだった。
『その声は来生くんか。美凪くんからは話は』
「聞いてますよ。土曜の10時に『岩清水』に集合でしたっけ」
『その通り』
「で、今度は何を話し合うんですか。また心霊写真でも――――」
と、皮肉を込めて尋ねようとしたら、
『いや、UFOに関するものだぞ今回は』
途中で割り込まれた。
『聞いて驚け、今回は学校のグラウンドのど真ん中にミステリーサークルを描くぞ』
驚けといわれても、もはやこの程度では驚く気にもなれない。ついこの間、心霊写真を求めて校舎中をカメラ片手に歩き回り、おまけに学校のあちらこちらに蝋燭を置いて回り、季節外れもいいところの出来事に、全校を震撼させたばかりだからなお更だ。
『何かね、そのつまらなさそうな顔は』
電話で相手の顔が見えるわけが無いが、実際にその時恭也はつまらなさそうな顔をしていた。
「そうですか。じゃあそろそろ切りますよ」
『待ちたまえ、まだ肝心なことを伝えてない』
何なんだよ、と一瞬思った矢先に、そうだよな、と一人で納得する。
『明日はミステリーサークルの図案を出してもらおうと思う。紙と筆記用具その他は私の方で用意しておく』
「そうですか、分かりました。じゃ」
耳から子機を離し、電話を切り、ホルダーに直す。
心霊写真の次はミステリーサークルと来たか。昨日の今日では学校側も大変だろうと、心の中で両の掌を合わせる。
自室に向かおうとすると、ミリアが後をついて来て鞄を持とうとするが、今日は荷物が多くて重いので遠慮したのだが、それでもミリアは恭也に部屋までついて来た。なんとなく犬みたいだと思う。
「なあ、ミリア」
「なんですか?」
「着替えるから、ちょっと部屋から出ててくれないか?」
そろそろ覚えてほしい。
6月29日土曜日。
『秘密の会議場』の卓の上には、並盛の豚カツ定食と大盛のから揚げ定食を中心とした料理が並んでいる。
前者は恭也のもので、後者はもちろん聡美のものである。後者にはそれに、半熟卵、天ぷら盛り合わせ、餃子が加わって卓の半分を占領している。聡美はこれを普通に食べてしまうから驚きだ。そしてもう半分は恭也の豚カツ定食と、スケッチブックが2冊といくらかの筆記具が置かれている。スケッチブックから破り取られた紙には、様々な幾何学図形が描かれており、赤いサインペンで"没"と書かれた物もあれば、無い物もある。
それらを挟んで座る恭也と聡美は、ただ今ミステリーサークルの図案について話し合い中―――という訳ではなく、なかなかいい案が浮かばず、お互い話し合うことに段々と飽きてきて、聡美が持ってきたトランプでページワンをしていた。
二人はページワンと称しているものの、そのルールは"オンリーワン"に近い。"ページワン"の宣言は必要ではあるが、"ストップ"の宣言は不要で、宣言しなかった場合のペナルティも無い。山札がなくなった場合は、場のカードをシャッフルする。
「魔法は実在するのか」
聡美は右手でトランプの札を持ち、余った左手で恭也が持ってきた本の表紙を細い指でなぞりながら呟いた。
「先輩はどう思います?」
「あった方が面白いな」
「面白いかとかじゃなくて、実在するかどうかですって」
表紙をなぞっていた指で、頭をちょいちょいと掻き、
「いいかね、来生くん。そもそも魔法が実在するか否か疑われるのは何故かね?」
「非科学的だからでしょう?」
「その通り。科学的に考えて、人間が遥か遠くにいる人間と通信機器も一切なしに会話はできないし、重力に逆らって物理学者発狂必至な超機動が出来る筈がなく、殺人級のビーム兵器紛いの破壊光線を豪快にぶっ放すなどあり得ない」
「ですよねー」
相槌を打ちながら、場にハートの9を出す。
「それが何故だかわかるかね」
いつもなら、その後も講義が続くため、質問されるとは思っていなかった恭也は思わず狼狽する。
そして恭也が答える前に、聡美は講義を続けた。
「それに該当する入出力器官が無いからだ」
「入出力器官?」
「つまりあれだ、入力器官とは所謂、五感の事。ハートのJだ」
何となく分かった。目があるから物が見え、耳があるから音が聞こえ、鼻があるから匂いが分かる。外部の情報を得るにはそれらを取り込むための何らかの媒体が必要になる、ということだ。
ハートのジャックを出して親になった聡美はクラブの3を切り、恭也は山札からカードを一枚ずつ引いていく。スペードの3、ダイヤの10、クラブの5。
「そして出力器官、これは唯一つ、筋肉だ」
「筋肉?でも声なんかは――――」
クラブの5を出し、それに対してエースを出した聡美が親となる。
「声は声帯という筋肉が動くことによって発せられるものだろう?身体を動かすのも無論、筋肉の収縮による。つまり人間の出力は筋肉によってのみなされている。ようするに五感という入力器官があるから外部の情報を取り入れることができ、筋肉という出力器官があるから何らかのアクションを起こせるということさ」
なんとなく話が見えるようで、さっぱり分からない。
「デンキウナギという生物を知っとるかね、来生くんよ。ダイヤの5」
「体内で電気を作るウナギでしょう。知ってますよ。ダイヤの10」
「如何にも。そいつが何故体内で発電を行う事が出来るかと言うと、あいつの体内には"発電板"という発電器官があるからだ。なんでも筋肉が変化したものらしくてな、頭がプラスで尾がマイナス。発電板一つあたり0.15ボルトなのだが、数千個の発電板が一斉に発電することで最高で約800ボルトも発電するらしい」
発電板なるものは初耳である。
「デンキウナギは発電板を持っているから発電できるし、ホタルはルシフェリンとか何とかいう発光物質を持っているからあの黒光りするケツを光らせることができる」
聡美は左の人差し指を恭也の鼻先に突きつけ、
「だとすると、もし魔法が現実に存在するのなら、人間の腹の中に魔法行使の媒介となる何らかの器官があるというのがスジだろう?」
ああ、と恭也の頭の中で話が一本に繋がると同時に、その顔に理解の色が広がっていく。
つまり、現実に魔法が存在し、尚且つ人間がそれを行使することができるのならば、身体のどこかにそれを司る臓器ないし、何らかの器官があるはずだ。しかし、解剖学の進んだ現代に至って、人体はおろか地球上のあらゆる生物の体内に、それに類するであろう器官は一切発見されていない。
いや、まだ一つだけ――――
「じゃあ脳とかは?」
「確かに生物の体内の器官において、唯一完全に解明されていないものは脳ミソだけなのだが、その点においても望みは薄い。それこそ霊魂やら精神やらの超現実的なものを引き合いに出せば万事解決だが、科学においてはそういった非科学的なゲテモノはタブーもいい所だ。非現実的な事象の解明に非科学な根拠を引っ張り出す輩はいないだろう?」
つまり聡美は、科学的に考えて魔法はあり得ないと思っているのだろう。なんとなく、ブルーな気分になる。そんな恭也の考えを読み取ったのか、
「科学的にはあり得ない。まあ逆に言えば非科学的にはあり得るということだ」
「結局、どっちなんですか」
聡美はから揚げを一つ、箸で摘み上げ、顔の前で円を幾重にも描きながら答える。
「その時々で面白そうな方に、な」
遠い目つきでダイヤのキングを出す。
面白くて興味がある事だけが行動指針となる聡美にとってしてみれば、それはある意味で正解なのだろう。少なくとも、魔法の存在如何など、普通の人間にしてみれば、信じたところでどうこうなるような問題でも無い。常人から二歩外れた聡美とて、それは大差ないのだろう。
ため息を吐きながら、ダイヤのエースを場に出し、ページワンと宣言する。
「むう、手札の枚数からすると来生くんの方が有利だな」
恭也は残り一枚。聡美は三枚。
「今日こそは勝ちますよ」
「どうだろうかね、勝負はまだついてない」
聡美はジョーカーを出し、親になるや否や、追い討ちといわんばかりに、クラブのエースを出す。
「ページワンだ」
その宣言を受けた恭也は山札から6枚も引いたところで、ようやくクラブのジャックを引き当てる。
親となった聡美は最後にダメ押しのハートのエースを場に出し、恭也は呻きともつかない声を漏らしながら椅子にふんぞり返る。
「今度は勝てると思ったんだけどなぁ・・・」
「本日の来生くんの戦績は0勝3敗。もう少し頑張りたまえ」
嬉しそうに笑いながら、恭也の豚カツ定食からカツを一切れ失敬する。買った方は相手の料理から一つを貰うという約束だった。
まったく、よく食う人だと恭也は表情から思いっきり呆れる。
「時に非科学といえば、昨晩の特番を観たかね」
「ほんの少しだけ観ましたよ。UFOがどうのって話でしたっけ?」
聡美は豚カツをもごもごと咀嚼し、ごっくりと喉を鳴らして飲み込んで口の中を一発で空にし、
「あれでな、先日ここ遠瀬市で起きたUFO目撃事件が取り上げられていたぞ」
UFO目撃事件について恭也ももちろん知っていた。
5日前の6月24日の午後9時32分に、遠瀬市の南東上空にて、未確認飛行物体が市内の住民によって目撃された。目撃者の証言によると、月を背景にした無数の青白い光、あるいは幾何学図形らしきものが十数秒間だけ出現していたという。図形は発光物体が出現してから数秒後に出現し、それからおよそ4秒後には消滅し、小さな点のような光がわずかに残り、やがて消えたと一様に語っている。それは明らかに飛行機や自然現象の類では無いのだが、今まで報告された数々のUFO目撃証言とは全く異なる、前例の無いような内容であり、週刊誌や夕方のワイドショーでも度々顔を出している。
一つ付け加えると、その夜の月は今までに無いほどに明るく輝いていたらしい。
恭也の心臓が、確かに、はっきりと跳ねた。
丁度あの日―――6月24日はミリアが空から飛んできた日だった。時間も大体9時半だった気がする。ミリアの出現とほぼ同時刻に起きた謎の光の目撃事件。この二つの出来事には何らかの関連があるのかもしれない。月をバックにしていたのも、空から現れたのも、起きた時間も、
――――全てが尽く一致する。
あの日の光は、ミリアが別世界からこの世界に現れたキーに違いない。そのキーさえ分かれば、ミリアをもと居た世界に帰らせることができるかもしれない。
「どうした来生くんよ、もしもし応答せよ」
デコピンをくらった恭也は我に返って、思わず頓狂な声を上げる。
「最近、君の身辺で何か奇妙な出来事は起きてはおらんか?」
「え、いえ、最近は特に何も」
そうか と聡美は呟いて、丼に大盛りのご飯を食いにかかる。
恭也はミステリーサークルの図案の書かれたB4判のPPCプリント用紙を数枚手に取る。
どこの遺跡から引っ張り出してきたかのような奇妙極まりないのもあれば、子供の落書きのようなものもある。素人が作るのは絶対に不可能なものから、シンプルすぎて逆につまらなさそうなものまで、全く多種多様な図案が、これまた多様な画材で描かれている。その大半は聡美が描いたものであり、恭也が知恵と想像力を絞って描いたものは4枚に満たない。半分だけでいいから聡美のような想像力と発想力が欲しい。
「なかなかいい図案も浮かばんものだな」
丼に顔を埋めたままの聡美がそう言う。
「どっかの地上絵のようなものもいいが、それだと一手間掛かるからな。一般的な円形の方がまだ楽だろう」
「なんかどれも魔法陣みたいですね」
「円の中に適当な幾何学図形を描いてりゃなんだってそう見える」
だろうね と思う。
「でも本気でやるんですか?学校のグラウンドの真ん中にミステリーサークルを描くなんて」
「無論だ。もしかしたら我々の描いたミステリーサークルに件のUFO共が興味を示してやって来るかもしれないではないか」
丼の上から覗く聡美の目は極めて大真面目だ。やっぱりこの人の発想力は欲しくない。
「来生くんの身辺には何かこう、奇抜な発想のデザイナーとか、常識外れの視点を有する者とかは居ないのか?」
奇抜な発想も常識外れな視点も既にあんたは持ってるでしょ、と思う。無自覚とは得てして恐ろしいものである。
「あ、でもそう言うのならミリアに頼んでみたら――――」
心の中で思った事がそのまま口から言葉として出てきてしまった。
聡美は丼の白米を口の中にかき込む動作を止め、そのままの体制でしばし硬直する。一気に硬度を増す空気に、遅まきながら恭也はとんでもない事を口走ってしまったことに気が付いた。
「ミリア?」
丼を静かにテーブルに置き、囁くように呟く。
「どっかにいたな、そんな名前のAV女優が。確か86ぐらいのDカップ」
何でそんなのを知ってるんだと思うが、気にしないでおく。
それで適当にオチがつくのかと思ってほっと息をつこうとした矢先に
「で、そのミリアとかいう者に頼んでみたら何だと?」
聡美を相手にして、話を適当に誤魔化すこのなど自分の話術では出来るはずがない。かといって、何から何まで一切合切吐く訳にもいかない。あらゆる意味で最危険人物である聡美に、真実を伝えてはならないと、今までの聡美と関わってきた記憶とそれに基づいて培われた思考がそう判断していた。
何よりも誰よりも、この人にだけは絶対に話してはならない知られてはならない。
「た、ただの知り合いですよ」
「なるほど、あの金髪の娘か」
はっきりと腹の底が冷えるような感じがした。
それを見透かしたかのように、聡美は狐みたいに目を細める。
「つまりなんだあれか。親戚か何か知らんがホームステイにでも来た娘を預かっとるとか」
すかさず乗る。
「ええ、そうなんですよ。この間、家に来たばっかりで」
目を見開き、いきなりものすごい勢いで聡美が立ち上がった。あまりの勢いに座っていた椅子がひっくり返る。
机に散乱していた図案達と画材を5秒と掛からずにかき集め、ケブラー繊維のバッグに放り込んで肩にかける。そして弓手で恭也の襟を、馬手でレシートを引っつかんでレジへと向かい、手早く精算を済ませる。
「行くぞ来生くん!!」
そう威勢良く叫びながら自分のマウンテンバイクに跨り、状況を飲み込めない恭也を放ってペダルを勢いよくこぎ始めた。
行くって何処へ と尋ねる間もなく、恭也は急いで自分の自転車のチェーンロックを外し始めた。
田舎と都会の中間に位置する遠瀬市の南東には、遠瀬駅を中心とした市街地がある。
そしてそこには、毎日閑古鳥の鳴くような無駄に大きな図書館や、有名な楽団を招いても恥ずかしくないほど立派な市民ホールなどが建っている。
その昔、この街は炭鉱で栄え、高度経済成長のインフラの整備と並行して娯楽産業が発達し、それは大層な賑わいを見せていた。しかし輸入石炭の増加に続いて、石油エネルギーへの転換に伴い、燃料や加工材料としての国内の石炭の需要は大きく低下し、経営不振に陥った炭鉱は廃業・閉山。労働人口の減少とともに、かつての勢いは急速に衰えていった。
市内には今でも当時の坑道や、巨大なエレベーターが残されており、特に後者に関しては遠瀬市内で最も高い建造物として認知されている。炭鉱で栄えていた頃から操業し続けている銭湯『湯処』の立派な煙突がそれに次ぐ高さを誇り、今日も元気にてっぺんからもくもくと白煙を吐き出している。
かつての輝きが消え失せながらも、地域住民の活気にあふれる市街地の更に先には、遠くに高層ビルの陰が聳え立っている。その逆の、真反対の北西は見事な緑の続く田園地帯が広がる。その田園地帯と市街地との間には周囲の山地が出っ張ってきたような小さな丘があり、そこでは上り坂と下り坂が連続するために、徒歩や自転車などでは一苦労だ。
来生家から駅前までは、この峠を越えていかねばならず、今朝も自転車でここを通過して『岩清水』に向かった。
恭也は必死に後を追うが、急いでいるのか今日はずいぶんと早くこいでいる。ただでさえ、こっちは食後で辛いというのに、聡美は平然とした調子でペダルをこいで、ぐんぐんと進んでいく。
恭也は締め付けられるようなわき腹の痛みと胃がせり上がって来るような吐き気に顔を顰めながら、30メートルほど先を行く聡美の背中を見失うまいと目を見開く。名前を呼べば少しは待ってくれるかもしれないが、声を出す余裕などこれっぽっちも無いし、そもそも今の状態の聡美に止まれと言っても無駄だというのは自明の理だった。
それにしても、さっきあれほど食ったばかりだというのに、まるで平気なそうに自転車を飛ばしているのには驚く。あのでかいケブラー繊維のバッグだって、物を詰め込み過ぎていて、決して軽くは無いはずだ。頭の方はともかく、運動面で女の聡美に負けるのは、男としては悔しいというか自分が無性に情けなくなる。だが、いかに聡美の足が速かろうと、体力自体はこっちの方が上のはずだし、この連続する坂にあっては彼女といえども辛くないはずが無い。そのうち疲れて自転車を押していくだろう。そうなればこっちも追いつける。
男女の違いって奴を教えてやる。
と、何やら間違ったベクトルで自分を鼓舞するように考えながら、延々とペダルを踏み続ける。
しかし一向に聡美が疲れる気配が無い。上り坂でスピードは落ちはしているものの、ペダルをこぐペースは殆ど変わりない。
逆にこっちが段々と疲れてきた気さえ――――いや、事実疲れてきた。上り坂で否応なしに重くなるペダルに対抗するための立ちこぎは、座ってこぐのと比べて如何せん体力を使う。
やがて恭也の15メートル先の坂の頂上に着き、その先に待ち構えているものすごい角度の下り坂をを猛スピードで走り抜ける。これでしばらく楽になる と、坂を下る体勢を取ろうとした時には既に聡美は坂の中ほどに差し掛かっていた。息をつく間もなく恭也は自転車を急発進させて坂を下る。全身を突き抜けるように流れていく気流が心地いい。
一方の聡美は、坂の先のT字路を後輪を猛烈に横滑りさせながらノンブレーキで右折しようと、捻じ切らんばかりの勢いでハンドルを切った。バイクレースで見るような角度にまで車体を倒し、スピードにグリップ力が負けた後輪がアスファルトに黒線を残しながら横滑りしていく様子から、恭也は一瞬だけ聡美がコケたのかと思った。
コケはしなかったものの、バランスを崩したらしく、ブレーキの甲高い音と共に急速に速度を落として行き、左のつま先で地面を軽く小突いて傾きを修正する。減速している間に恭也は坂を下り切り、ブレーキをキーキー言わせながらノロノロと右折する。それでも聡美に追い付くには十分だった。
「どこ行くんですか」
すると聡美は眉を顰め、『何言ってんだこいつは』といった顔をして
「一つに決まっとろうが」
「決まってるって、まさかやっぱり」
「おうよ。他ならぬ来生くん、君の自宅だ」
何処かで随分と気の早いセミが鳴きだした。
「先輩、もしかしてミリアに会うつもりですか」
「無論だ」
T字路の先、広大な緑の田畑とその先に霞む山群、そして彼方の空を聡美は自信たっぷりな顔で見据え、不敵な笑みを浮かべる。
「いろいろと訊かねばならんことがある」
真上から照りつける日差しを浴びて、聡美はふふんと笑う。
蝉の声が近づいてくる気がした。
「行くぞ来生くん、覚悟はいいかね」
ここ俺んちと呟きながら鍵を開ける。
「ただいま」
「お邪魔します」
すぐ後ろの聡美が、いきなり淑やかに言ったので思わずびっくりした。
靴を脱ごうと足元を見たとき、美凪の靴があるのを確認した。居間の方からは微かにテレビと思しき音が聞こえる。
「して、海の彼方よりやって来た異邦人とはどこかね」
いちいち声がデカい。聡美を家に連れてきたところを美凪や母に見られたりなんかしたら、ややこしい事になりそうだし、なにより人ン家なのでやめてほしい。
案の定、居間の方で人が動く気配がして、そこから美凪が出てきた。聡美の姿を見るや否や、思いっきり嫌そうな顔をして恭也を睨み付け、恭也はその剣幕に思わずたじろぐ。一瞬だけ脳裏に「兄の威厳」という言葉がよぎるが、一歩後退りし、挙句に顔を引き攣らせては威厳もクソも無い。
「おお、美凪くん。元気そうで何よりだ。来生くんの話によると何でも外国人の親戚の娘が滞在中らしいのだが」
「ミリアのこと?」
「ああそう、それだ。今おるかね」
「二階。お兄ちゃんの部屋」
ある意味で一番言ってほしくない事を真っ先に言われた。恭也の視界の端で確かに聡美の口角が僅かに上がる。
「あの、先輩」
「お邪魔するぞ!来生くんと美凪くん!!」
普段通りの叫びとともに靴を脱いで、家に上がりこんだ。恭也も急いでスニーカーを脱ぎ捨て、聡美の脇をすり抜けて大急ぎで階段を駆け上がる。吹き飛ばすような勢いで部屋のドアを開けると、ベッドの上で犬みたいな風体でうつ伏せになって寝ていたミリアが跳ね起きた。その拍子にミリアは壁に頭を思いっきりぶつけてしまい、頭を抑えながらその場に崩れるようにうずくまる。結構大きな鈍い音がしたので、かなり痛いだろう。
「極楽往生ぅぉ!」
聡美が後ろで意味の分からんことを叫びながら階段を駆け上ってくる。
恭也はそれを完璧に無視して、頭を抑えてベッドの上で悶えるミリアの側に駆け寄る。
「ミリア」
顔を上げたミリアの目尻に涙が浮かんでいる。やっぱり痛いらしい。
気が付くと聡美がすぐ側にまで来ていた。見慣れない人物の出現に、ミリアは体を緊張させ、すぐさま恭也の陰に隠れようとする。
「大丈夫・・・と思う。別に変な人じゃない・・・はずだから」
「何だその私が危険で変な人であるかのような口ぶりは」
本当に無意識らしい。危険過ぎる。
「来生くん、やはりこの娘が件のミリアとやらか」
ミリアの後頭部をさすって、こぶが出来ていないか確かめながら頷く。こぶは出来ていないようだ。
聡美は何の前触れも無く、いきなり立ち上がって、
「お初にお目にかかるな。姓は鶴ヶ崎、名は聡美!飯嶋中学は3年2組の出席番号21番っ!我々はこの世の数多存在するあらゆる森羅万象の真実を追い求め、それを白日の下に晒さんと日夜邁進し続ける者であるっ!!」
機関砲の如き勢いで言い終わるや否や、何処からともなく煮干の小袋をミリアに突きつける。ミリアは『よく分からないが、目の前に差し出されたのでなんとなく』といった感じにそれを受け取る。どういう思考回路で導き出されたのか、それを友好の意思表示と取り、無駄に素晴らしい笑顔を向けて小袋を持ったままのミリアの手を両手で握った。
ミリアは右手を握られたまま、よっこらと立ち上がって、おずおずと頭を下げる。
「み、ミリア・ラーファイム です」
極端にどもったりはしなかったが、あからさまに彼女を警戒して怯えていた。
「来生くんよ、この子は一体何に怯えとるんだ?」
「先輩が大きな声出すからですよ」
「小動物かこいつは」
その指摘もあながち間違いではないかもしれない。
「それで、先輩」
用件を思い出した聡美は部屋の隅に立てかけられた折りたたみ式の座卓を部屋の中央に広げる。傍らにバッグを置き、床の上に胡坐をかき、手招きで恭也とミリアを呼んで席につかせた。
「ミリアくん。私と来生くんは我々の通う飯嶋中学のグラウンドのど真ん中にミステリーサークルを描かんと画策している。つい先ほどまでその会議をしていたところだ。しかしなかなかいい図案が浮かばなくてな、来生くんの提案で君に助言ないし図案を出してもらいたいと思うのだが」
いまいち飲み込めずにきょとんとしている様子のミリアに恭也がもう少し分かりやすく説明する。
「先輩が――――この人が、学校のグラウンドにミステリーサークルを描こうって言ってて、どんなのを描こうか思いつかないから、ミリアに何か訊こうって思ったんだ。えっと、ミステリーサークルって言うのは」
「英国を中心に穀物が円形に倒される現象とその跡。円形のみならず、複数の円が組み合わされたものや、幾何学模様のものもあり、2000年以降は人やグレイタイプの顔や、時空云々の説明図らしきものも確認されているそうだ。1980年代に謎の現象として注目され、宇宙人・マイクロバースト・プラズマ・心霊現象などの様々な原因仮説が示されたが、製作者自身の自白と超常現象懐疑派による検証で人為的なものだというのが有力になりつつある。夢が無いなまったく。ちなみに英語ではクロップ・サークルと呼ばれているとか」
更に訳が分からなくなったミリアは眉をハの字にして、目で恭也に訴えかける。
そんな事をされても、こればっかりは分かりやすい説明は出来そうにない。自分もよくわからないのだ。
そんな困惑する二人をよそに、聡美はバッグの中から白紙のB4判PPCプリント用紙を5枚と極細油性ペンを取り出し、ミリアの前に提示して「何か描いてくれ」と顎をしゃくった。
ペンを手に取ったものの、どういうのを描けばいいのか分からないミリアは、眉をハの字にするのに加えて、目を潤ませて恭也に訴えかける。恭也は岩清水での話し合いに参考資料として持ってきた本のページを適当にめくって、どこぞの国の魔術で使われるらしい魔法陣の図解をミリアに見せた。
「術式構築図形を描けばいいんですか?」
「なにそれ」
ミリアはPPC用紙に何かを描き始め、
「文字と図形を組み合わせることで、魔術式を具体化させる図です。魔力適正の低い人や高位魔法を発動させるときは頭の中で術式を構築するのが難しいので、図に示した術式を基に魔法を発動させることが出来るんです」
さっぱり分からない。
おそらくは、ミリアの元々住んでいた世界の魔法に関する知識なのだろう。適正だの高位魔法だの、まるで意味の掴めない単語だらけなのだが、式やら構築やら、なんとなく科学的な感じがする。
「何の話をしとるのかね」
我に返ると、目の前で聡美が頬杖をついて怪訝な顔をしていた。
「なななんでもないですよ」
沈黙の中、聡美は怪訝な顔で二人を疑い、恭也とミリアは腹の底が冷えるような状態が続いたが、やがて聡美は紙が捲くれ上がるほどの息を鼻から吐き出して、ミリアが描いた円と幾何学的図形と紋様が組み合わさったような図を指し示し、言った。
「描き終わったかね」
「え、ぁあ はい」
差し出された紙を受け取り、顎を手で撫でながら真剣な眼差しでそれを凝視し始めた。ミリアはその様子をまるで担任に提出した作文か何かを採点されている様な風情でそれを見守っている。どれほどの時間が過ぎたのか、聡美は顔を上げ
「よし、これでいこう」
と言って机の上に身を乗り出し、にっこりと笑う。その拍子に卓の上に乗っかった胸が大変艶かしい。まったくけしからん肢体だ。恭也は自分の視線が思わずそこに集中してしまうのをどうにも抑えきれない。そろそろ1年ぐらいの付き合いになるのだが、こればっかりはどうにも耐え難い。本能に刻まれた救いようの無い男の性だ。
「ただの魔法陣みたいな感じだが、本当に何かが起きそうな感じがまたいい。いいセンスじゃあないか、ミリアくん」
左手を伸ばしてミリアの頭をわしゃわしゃと撫でる。ミリアが少しだけ嬉しそうな顔をした気がした。
かと思ったら、それから3秒もしないうちに手を離して、すっくと立ち上がり
「よし、行くぞ来生くん」
バッグの紐を肩にかける。
「え、ちょ 先輩、もう行くんですか?」
「もう用件は済んだでしょ」
「いや、でも」
なんだ といった顔をした聡美を見上げながら、横目で気まずそうに隣のミリアを見やる。ミリアは気にしている様子は無いのだが、彼女が把握できるような説明もろくにせず、ただ図案を一枚描かせてそれで用が済んだと立ち去るいうのは、なんとなく心が痛んだ。
その意思を汲み取ったのか、聡美は肩にかけたバッグを下ろし、再び床の上にどっかりと座って大儀そうに胡坐をかく。右手を卓の上に乗せ、ぐいとミリアの鼻先に自分の顔を突き出し
「よし、図案を描いてくれた礼として、君にミステリーサークル作成現場に同行する権利を与えよう」
冗談じゃない。ミリアをそんなわけの分からないものに付き合わせるわけにはいかない。万が一、見つかったりでもしたら恭也は自分自身のことだけでなく、ミリアを連れ出したことを含めたダブルパンチを食らう羽目になる。それだけは何があろうと断固御免こうむるし、聡美と変に仲良くなったりして、ミリアまで変な事に興味を持ち出されてはたまらない。
それにミリアが自分に素性について問いただされたりしたら、ミリアのことだから絶対に言い逃れきれない。それだけは絶対に避けなければならない。
「いくらなんでもミリアを連れて行くのはまずいでしょう?」
「機密保持のために部外者の参加は避けるべきだ、と」
そこでしばし考え
「ならこうしよう。ミリア・ラーファイムはミステリーサークルの図案を制作したという時点を以って、部外者ではなくなった。つまり我々の関係者だ。同志だ」
これなら文句無いだろう と、自信たっぷりの表情を見せる。
「そういう問題じゃなくて」
「なに、安心したまえ。万が一見つかりでもしたら私がなんとかしてやる」
「あのですね、先輩」
何があろうとミリアの参加を頑なに拒もうとする恭也に業を煮やした聡美は大げさにため息を吐き
「私はあくまでも、同行する『権利』と言ったぞ。ミリアくん本人が行きたいと思うかどうかは、それはまた別の話」
確かにそうだ。ミステリーサークル制作現場にミリアが行くかどうかは、権利が与えられた本人が決めるべきだ。しかし、それでもミリアを引っ張り出したくは無い。ミリアに同行する権利を与えて欲しくは無い。
恭也が何も言い返せずに押し黙り、聡美が勝ち誇ったような笑みを浮かべる中、ミリアがおずおずと右手を上げた。
「い、行きます」
蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた。
それを受けた二人は魚のように目を真ん丸くしてミリアを見合わせ、何故かそれに怯えたミリアは、そろりそろりと上げた右手を下ろし、蛇に睨まれた蛙のように身を堅くする。長い長い沈黙と共にそのままの状態が続き、聡美の叫びに近い声がそれを破った。
「行くぞ来生くん、ミリアくん!」
バッグの紐を掴み、座卓をひっくり返してしまいそうな勢いで立ち上がる。
恭也は岩清水の店前で発せなかった言葉をそのまま口にする。
「行くって、何処へ」
「材料と道具の調達だ!」
いつになくハイテンションな聡美は、部屋のドアを荒々しく開いて、ドタバタと階段を駆け下りていく。恭也はすぐさま立ち上がって、後を騒々しく追う。一人残されたミリアも慌てて立ち上がって部屋を出る。
恭也の部屋を出る直前、ミリアは自分の胸元を、その小さな手でぺたぺたと撫で回した。
半分もないどころか、ほとんど平地だったのが無性に悲しくて、ちょっとだけ肩を落とした。
という訳で『LyricalDespair』第4話でした。
第6話をようやく書き終えました。次回の更新はおそらく第7話を書き終えるころになるので、またしばらく間があきます。続きを早く読みたいと思ってくださる方には申し訳ありませんが、出来るだけ早めに書き上げるようにします。
それでは、次回をお楽しみに。