異端者
世の中には色々な人間がいる。
魔法云々に興味の強い恭也然り、演歌マニアの和人然り、大小含めれば変わり者は多いものである。
しかしそうした中にも殊更奇怪な人間がいる。
飯嶋中学は3年2組の出席番号21番。校内において並ぶもの無きその奇人は、間違いなくそうした人間に分類されるだろう。
彼女について語ると、頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群、家事万能と実に高性能な人間である。全国偏差値71の優れた頭脳と、100メートルを11秒で走る運動神経、15歳にしてグラビアアイドルに匹敵する魅力的な肢体、大和撫子を絵に描いたような整った顔立ちを備え、そう言った点だけを見れば誰しもが心奪われる存在だ。
しかし天は二物を与えずと言うように、致命的ともいえる問題点が彼女にあった。
変人の領域に余裕綽々で達した性格である。
常識を遥かに逸脱した言動、年齢にそぐわない破天荒さ、そして中学3年生の少女とは思えない変わった趣向の持ち主である彼女を奇人といわずして誰を奇人というのだろうか。
無論、学校の教員達も日々重ね続ける狼藉に頭を悩ませている。数多くの学校から推薦が次々と届く程の成績と警察沙汰ギリギリの線を全速力で駆け抜け続ける行動とをはかりに掛けては担任と進路指導が心労に苦しんでいるらしい。
そして来生恭也は彼女の奇抜さに付き合わされては鬼教師の説教の巻き添えを食らっている。
第3話 異端者 -Lylical Eccentrics-
学校の門の真正面に何故か朝礼台が腰を据えていた。
登校してくる生徒達は眉をひそめながらも気にせず朝礼台の脇を通り抜けていく。そんな中で恭也は一人、その犯人を即座に見破っていた。
また先輩か――――。
彼女の異常性に慣れた今となっては、この程度の事では驚きもしない。この校門ド正面の朝礼台よりも、去年の秋に起こった浅間山荘in屋上事件の方が遥かに驚きである。思えばあの事件の発端はといえば先輩の―――――
「にょはははははっはははははははっはっはあはははあははははは」
――――こういう恥知らずさが原因なのだ。
奇怪どころか変態丸出しの笑い声を校門から昇降口までの道のり中に響き渡らせながら、声の主が登校中の群衆の波へと真っ直ぐに突っ込んできた。そしてその場にいる何十人もの中から恭也ただ一人の姿を一瞬で見つけ出すと、即座に方向転換をして恭也へと向かって来た。恭也のすぐ横をすり抜ける直前に彼女は恭也の制服の襟首を掴む。
「ななにを うぉぉ?!」
なにをするんですか と言い切る間もなく、100メートルを11秒の勢いに任せて引っ張られ、へっぴり腰で先輩に続く。半ば引きずられているような格好で恭也は朝から異常なテンションに溢れる先輩の顔を見る。
可愛いというよりも綺麗という形容が似つかわしい顔立ちに満面の笑顔が浮かんでいる。少なくない数の男子生徒がこの笑顔に騙され、彼女の本性を知った後に絶望するという事態が毎年初夏の今頃ぐらいに起きている。
そんな事を考えていると、後ろから極道にいる方が似合いそうなドスのきいた声が聞こえてきた。何度もよろめきながら後ろを振り向くと、鬼教師の異名をとる体育教師で生徒指導部の大木基也34歳独身が文字通りに鬼の如き形相で迫っていた。そのあまりの迫力に、恭也を含める多くの生徒達が恐怖に顔を顰める。だが追いかけられている先輩本人はそれを見てバカ丸出しの笑い声をあげる。どうやらこの人の頭に恐怖というものは無いらしい。
「せ、先輩」
息も絶え絶えに必死に叫ぶ。その声が聞こえたのかどうかは分からないが、彼女は振り向かずに前を向いたまま
「おはよう来生くん。すまんが少し人質に、いや身代わりでもいいか―――になってくれ」
この人はまた一体何をしたんだ と思う。
「いや、何のことは無い。ただ職員室にアンテナを設置していたところを発見されてしまったのだよ。ただ見つかっただけなら良かったが時間が不味かった。どうやらやましい事をしていたのではと勘違いされてしまったらしい」
アンテナって何のだよ。ていうかやましいことしてるのはいつもの事でしょ と思う。
「電波の範囲が思いの他広くなくて、単体では殆ど役に立たなくてな、仕方なく職員室西側に補助のアンテナを設置しようと思ったんだが―――――もう撤去されていることだろうな」
こっちは息を切らせて走っているのに先輩はほとんど途切れることなく長々と喋る。本当にこの人は人間なのだろうか。頭をハンマーでかち割ったら歯車やらネジやらが出てくるんじゃないだろうか。
「鶴ヶ崎ぃぃぃ来ィ生ぃぃぃぃぃ!!」
大木の表情ももはや人間の面影を残していない。
何故か巻き込まれた恭也が後の身に起こるであろう惨劇を予想して顔を引き攣らせているのを尻目に、先輩は恭也諸とも土足のまま校舎に上がりこみ、そのまま一階の女子トイレへと恭也を引きずりまわしながら逃げ込んだ。
女子トイレに入ることに抵抗を感じるが、人間の姿を放棄した大木の牙から逃れるには他に無かったし襟首を掴まれて走られては振りほどきようが無かった。
運が良かったのか、女子トイレは無人だった。
個室にでも隠れるのかと思ったが、そうする気配も無く、ようやく女子トイレの中で立ち止まった。
恭也は朝っぱらから汗だくで息も絶え絶えになりながら両膝に手をつく。先輩も流石に疲れたのか、壁に背中を預けて薄く瞼を閉じて呼吸を整えている。
廊下の方から大木の馬鹿でかい足音がして思わず身を強張らせるが、すぐに足音は走り去っていった。
どうやらうまくまいたらしい。
それを聞いて安心した恭也は、適当に壁にもたれて先輩を見る。15歳とは思えないような大人びた外見の彼女がじっとりと汗をかいて呼吸を激しくしている様は相当に艶かしい。14歳のごく普通の青少年たる恭也は思わずそれに見とるが、すぐにジロジロ見ているのを一人で恥ずかく思って視線を外す。
「朝から走るのはやはり健康にいいな。お陰で今日は普段の3倍は頭が回りそうだ」
そう言いながら腰につけたウエストポーチからレシーバーを取り出し、イヤホンを両耳にはめ込む。
「なんですか、それ」
「レシーバーだ。さっきのアンテナの発する電波を受け取るためのな」
先輩はトイレの床に躊躇いも無く座り込んで、右手でレシーバーを操作し、左手の人差し指を左耳のイヤホンに当てながら答える。イヤホンに指を添えるのは彼女の癖だった。
「アンテナって何のアンテナですか。また宇宙人の発する毒電波とか言うんじゃ―――」
「今回は少しスケールが小さめだ」
「じゃあなんですか」
「ああ、やっぱりメインは撤去されている」
無茶苦茶残念そうな顔をしながらうな垂れる。こういう所だけは歳相応のところが見受けられる。
よく見たら珍しく女の子座りをしている。ここは便所の中だということを忘れないでほしい。
「よし、バックアップの方は見つかっていないようだ」
「一個じゃなかったんですか」
「自作した小型のものだ。小さい分、隠すのは楽だが少々性能が劣る」
アンテナわざわざ自作したのかよ と心の中で突っ込む。それと同時に小学2年の夏休みの工作でラジオ工作キットか何かで、アンテナを作ったときの事を思い出した。拙い出来のアンテナで何処かのラジオ局の英会話が聞こえてきた時の感動は今でも覚えている。
「むぅ、この距離でこの感度なら上出来だな」
と、一人で呟きながらレシーバーに向かって笑顔を向ける。恐らく、今の彼女もあの時の自分と同じような気持ちなのかもしれない。
「それで、何を発信するアンテナなんですか?」
「聞いて驚くな、来生くん」
やおら立ち上がって、ふふんと鼻を鳴らし、胸を張る。こういう風な、普通は冗談でもやらないような事を素でやるから凄い人だと思う。
しかし彼女がここまで自信を持つということは相当すごいことなのではと興味をそそられる。やはり宇宙からの怪電波か、あるいは警察の無線連絡か、軍の極秘回線とかかも知れない。最後のはありえないだろうが。
「職員室に仕掛けた盗聴器が捉えた音声だ」
「・・・・は?」
盗聴器を職員室に仕掛けたって、この人は何を考えているのか。
「高感度非指向性マイク内臓の超小型盗聴器を前々から職員室内のあちこちに仕掛けておいたのだ」
「まさか、職員会議の内容とかを盗み聞きしようと?」
「無論だ。場合によっては有益な情報が手に入るかもしれないぞ」
流石の恭也もこれには呆れた。
有益な情報といっても、どうせ誰々が問題起こしたとか、今度の行事はこうするとか、この生徒の進路が云々とか、そういうのだろう。試験問題の一部が断片的に聞こえる可能性は無きしにもあらずだが、この人にしてみれば試験問題の内容など微々たる物だろうし、その他の情報も興味の無いものばかりに違いない。
それでも面白そうと思ったらやる。それが彼女の行動指針である。
そう結論付け、苦笑いを浮かべながら
「試験関係のが聞こえたら教えてくださいよ」
「聞こえたらね。ところで来生くん」
イヤホンを耳から外しながら先輩が何かを言いかけたと同時に、古臭いチャイムの音が廊下から聞こえてきた。先輩は撤収準備をする手を止め、恭也は首を廊下のほうに向ける。しばしの沈黙の後、恭也は先輩が何を言おうとしたのか尋ねた。
「・・・なんですか?」
「いや、なんでもない。そろそろHRだ。遅刻しないよう急ぎたまえ」
そう言ってイヤホンをレシーバーの本体に適当に巻き付けて、ウエストポーチの中に突っ込む。
キビキビとした動作で立ち上がり、スカートの裾の折れ曲がりを直す。そして女の子らしからぬ大股で歩いていき、女子トイレから出る一歩手前で立ち止まり、首を廊下に出して安全確認をする。首を廊下に出したままの体勢で、親指をグッと立てた右手を恭也の鼻先に突き出す。
クリア―――安全が確認された。
廊下は幸いにして無人だった。男子である恭也が女子トイレから、それも校内で有名人である先輩と一緒に出てきたところを目撃されたら堪ったものじゃない。
静寂が満ちている中に上階の喧騒が遠く聞こえる。
「さて、ここからが正念場だ。いかにして大木に見つからずに教室へとたどり着くかだが」
「冗談でもそんな事言わないでください」
クラス担任ではない大木はHRの時間帯は遅刻やサボりを取り締まるために校舎内を巡回している。もしも見つかれば、あの逃走劇を再び演じなければならない。先輩なら逃げおおせるだろうが、運動神経が並の恭也ではまず逃げ切れない。大木は野球部の顧問でもあり、地域のマラソン大会では毎年、サッカー部顧問の下谷と首位争いをしている事で有名なのだ。
先輩が先を行き、その2歩後ろを恭也が続く。身長は殆ど一緒なのに、一歩一歩がやたらと大きいので4歩おきに駆け足にならなくては追いつけない。そのくせ足音を消そうとしているので、足取りが妙に慎重で、ものすごく怪しい歩き方になっている。潜入中の工作員にでもなりきっているのか、壁に張り付きながら屈んで歩いているので尚更怪しい。
断っておくが、彼女は大真面目である。
無事に階段までたどり着き、恭也が腰を叩こうとすると
「やっばい」
先輩が階段の手前で急に立ち止まって、そう呟くので何がやばいのかと思って顔を上げると、そこには鬼―――もとい、大木の姿があった。どうやら2階へと向かう途中だったらしい。
瞬く間に周囲の空気に緊張が走り、大木と先輩(と恭也)が相手の様子を伺う肉食動物のように睨み合う。
先に動いたのは先輩だった。無謀にも大木の左手側をすり抜けようと突っ走り、大木はすぐさま左足を軸に90度回転しつつ、先輩の腕を掴もうと利き手である右手を伸ばす。が、間一髪のところでそれを避け、100メートルを11秒の脚力で2階の廊下を生徒達の間をすり抜けながら走っていく。そして大木は毎年マラソン大会で首位争いの速力で生徒達を押し退けながら追いかけていく。
そんな光景を恭也は腰を叩きながら見つつ、ひっそりと苦笑していた。
世の中には色々な人間がいる。
彼女は全国偏差値は71で、100メートルを11秒で、魅力的な肢体、整った顔立ちを備えた超人である。
その一方で、常識を遥かに逸脱した言動と、年齢にそぐわない破天荒さと、そして中学3年生の少女とは思えない変わった趣向をも備えている。
数多くの学校から推薦が次々と届く程の成績と警察沙汰ギリギリの線を全速力で駆け抜け続ける行動とをはかりに掛けさせては担任と進路指導が心労に苦しんでいる。
飯嶋中学は3年2組の出席番号21番、鶴ヶ崎聡美。
校内において並ぶもの無きその奇人は、間違いなくそうした奇怪な人間に分類されるだろう。
「で、また付き合ったのか」
和人が弁当の包みを開けながら、呆れ顔でそう言う。
「付き合ったってか、巻き込まれたんだって」
自分の鞄の中身に手を突っ込んで弁当を探す。それらしい物を指先が探り当て、鞄の中から引っ張り出すと、ウエストポーチが出てきた。
聡美と大木の第二ラウンドを見送った後、さっさと教室に退散しようとした時、足元に彼女のウエストポーチが落ちていたのに気が付いた。恐らく万が一、大木に掴まった時に没収されるのを避けるために恭也に託したのだろう。
あの後、HR開始ギリギリに教室に着き、2時限目が終わった頃に返しに行こうと思ったが、忘れてそのままにしていたようだ。
「なんだそれ」
と、和人はそれを箸で指差す。
「先輩のだよ、鶴ヶ崎先輩」
「なんでお前が持ってんだ?」
「ほら、大木から逃げてったって言ったろ?その時に持ってろみたいにさ」
「何が入ってんだ?」
そう言って箸を持つのと反対の手でウエストポーチを取ろうとするが、恭也はそれを退ける。
勝手に中身をいじって壊したりでもしたらまずい。恭也は以前、聡美に付き合わされたときにトランシーバを一つ壊してしまったことがある。怒られるのではないかとビクビクしながら謝ったが、予想に反して怒られることは無く、むしろ全くの普段どおりの様子で、気にするなと言ってくれた。とはいっても二度も壊したりしたら流石に怒るに違いない。中身があんなでも一応は先輩だし、中身があんなのだからこそ怒らせたくないのだ。何をされるか分からない。
「レシーバとかだった気がする。なんか職員室の会話を盗み聞きするんだってさ」
「盗聴すんのか?」
「らしいよ」
目を丸くする和人に苦笑しながら返す。
しばし和人は硬直した後、荒っぽく息を吐いて、二段弁当の上段の中身の卵焼きを一つ頬張る。
「なんだかんだ言うけどよ」
ぎろぎろした喉仏をごっくりと動かして口の中身を一発で空にする。
「やっぱお前もそういうの好きなんだよな。ああいうバカっぽいことすんの」
確かにそうかもしれない。
なんだかんだで彼女に振り回されつつ、それを楽しんでいる自分も心のどこかに居るのは確かだ。
心霊スポットで写真を撮りまくるのも、買い漁った花火をバラして自作花火を作るのも、近所の山林に一週間山篭りをするのも、真夜中の学校のグラウンドのど真ん中で一晩中UFOを呼んでみるのも、どれも普通に考えたらあまりにバカバカしい事だったが、何故か無性に楽しかった。
いつも三歩先を大股で歩く聡美の後姿がものすごく楽しそうだったのもあるかもしれないが、やっぱり自分はああいうのに憧れていたりしていたのだろう。現実から一歩離れた世界に。
現実から一歩離れた世界――――――
「ミリア」
「あ?」
思わず頭に浮かんだ一つの人物が、瞑想の淵より無意識に声に出てしまった。それすらに気が付かない恭也は、二段弁当の下段に詰められた白米を丼でも食うみたいにかき込んでいた和人の素っ頓狂な声に現実に引き戻された。恥ずかしさで顔が真っ赤になっていくのがはっきりと感じられる。
「どうしたんだよ、熱でもあるんじゃねえの?」
そう言って額に伸ばされた和人の左手を、やめろよと振り払う。和人は左手を引っ込め、卵焼きの隣に並ぶウインナーに箸を突き刺し、恭也は鞄の中からようやく自分の弁当箱を探り当てる。弁当箱は鞄の中で横に寝た状態になってしまっていて、蓋を開けると見事に中身が左側に寄っていた。
弁当を食べ終え、例のウエストポーチを返そうと3年2組の教室に行ってみたが、教室には聡美の姿はなかった。
彼女は普段から昼休みは教室で過ごしたりはせず、学校のあちこちで奇行を繰り広げている。そうでなければ教室以外の何処かでゴロゴロしている。どうせゴロゴロするなら教室ですればいいのに、と言ったことがあるが、教室は騒がしくてゆっくりできないと自信満々に言われた。だからといって屋上に変な旗立てたり、理科室の実験器具で味噌汁作って遊ぶのはおかしいと思う。
たまたま通りかかった委員会の先輩にウエストポーチを聡美の机に置くように頼み、すぐに教室に戻ることにした。
階段を上り、踊り場に差し掛かったところで、聡美に出くわした。
「あの、先輩。今朝のウエストポーチ、先輩の机に置いておきました」
「ああそうか。丁度、君の教室に取り返しに行こうとした帰りだった」
『先輩の机に置いて』と言ったあたりで聡美がほんの一瞬だけ嫌そうな顔をしたように見えたが、気のせいだろう。
聡美は後頭部をポリポリと掻きながら、
「なら早速、試してみようか」
「俺にも聞かせてもらえます?」
「別に構わないけど」
そう言って恭也のすぐ脇を通り抜け、階段を下りて教室へ向かう。かと思ったら突然、階段の真ん中で立ち止まった。
「少しここで待っててくれ。すぐに戻る」
恭也は言われた通りその場で立ち止まり、聡美はそれを確認した後に振り返り振り返り、教室へと走っていった。
いつものことだった。彼女が教室へ何かを取りに行く時、恭也は必ずどこかで待つように言われる。何度も振り返って恭也がついて来ていないか確認するあたり、何か理由があるものと思われるが、彼女の事だから『易々と人目には触れられてはならない重要なものがある』とかなんとかじゃないか と思う。
聡美はすぐに戻ってきた。階段と教室がそこまで離れていないとはいえ、20秒ほどしか経っていない。
ウエストポーチを腰に巻き、いつものように大股で廊下の真ん中を闊歩する聡美の後ろを、恭也は5歩ごとに駆け足になりながら続く。
教師に見つかるとまた面倒なことになるので、昇降口から一度外に出て保健室の裏へ向かった。
聡美は壁に寄りかかりながら適当に腰を下ろし、ウエストポーチの中からレシーバーとイヤホンを引っ張り出す。その様子を恭也は立ったままで見ていたが、からかっているのか無意識なのか、下半身が特に無防備なポーズで座る聡美をジロジロと見ているのも少々気に障るので、適当に右往左往しながら聡美が準備し終えるのを待つ。
聡美は楽しそうな顔でレシーバーのチャンネルを操作している。
「よし、聞こえたぞ来生くん」
恭也は聡美の傍にうんこ座りをして、片方のイヤホンを右耳に突っ込む。
ノイズは殆ど無く、職員室内の喧騒がはっきりと聞こえた。
「どこのですか、これ」
「瀬場のデスクの後ろにある電気のスイッチの中。
瀬場――――瀬場幹。大木と同じく体育担当であり、今年の春に飯嶋中学に転任してきた男である。
聡美はまたレシーバーを操作し始める。
英語の芹沢の甲高い声がよく聞こえるあたり、恐らくは彼女のデスク近辺の盗聴器が拾った音だろう。聡美いわく、彼女のデスクの横にあるでかい植木の底に仕掛けているらしい。数学の杉山とおばさんくさい世間話をしている。恭也と聡美はお互いの顔を 見合わせてはニヤニヤしながらその会話を聞いている。
しばらくして、聡美がレシーバーを操作し始めた。
ノイズが晴れた先には正体不明の音が規則的に、やけに近くに聞こえてきた。一体何の音かと
「多分、プリンタの横のだな」
言われてみれば確かに、職員室の端っこに置かれている一世代昔のモノクロレーザプリンタの印刷音に聞こえなくも無い。何故こんな所に設置したのか。全くもって理解できない。まさかこれで印刷された試験の内容が分かるとか言うんじゃないかと思ったが、別にそういうつもりは無いと、断固として否定している。
再びレシーバーのチャンネルをいじる。
耳障りなノイズが徐々に遠くなっていき、再び職員室内の音声が鮮明になってくる。
かと思った矢先に突然、猛烈な爆音がイヤホンから響いた。それと同時に、さっきまで聞こえていた職員室内の喧騒がぱったりと止み、しばしの間の後に乾いた失笑が微かに聞こえた。
なんですか、今の と訊こうと恭也が口を開きかけたが、先に聡美が
「大木の屁だ」
と、顔を物凄く苦々しげに顰めながら呟いた。
なんとなくそんな気はしていたが、実際にそうだと分かるとイヤホン越しにこっちに臭ってきそうだ。
流石の聡美も気分が悪くなったのか、さっさとレシーバーを操作してチャンネルを変える。
イヤホンがみたびノイズを吐き出す。
さっきと比べて調整が難航しているのか、ノイズの大きさや音程が頻繁に変わる。1分ほどして、ようやく人の声と思しき声が聞こえてきた。が、ノイズが酷すぎて何と言っているのか聞き取れない。宇宙人の声です、と言っても納得できるかもしれない。それからまた1分ほどで、まだ端々にノイズが混じっているものの、ようやく日本語として聞き取れる域にまで達した。
「なんか調子悪いみたいですね」
返事は無い。真剣な表情でイヤホンの出力する音声に耳を傾けており、さっきまでの楽しそうな表情の面影はなかった。よほど重要なものなのだろうか。もしかしたら教頭の席にでも仕掛けたものかもしれないが、なにもここまで真剣になる事は無いと思う。
「どこに仕掛けたんですか?」
「柚野美穂のデスク」
柚野美穂24歳独身。今年の春から教員としてのスタートラインを切った新米教師であり、以前恭也の頭にバインダーチョップを見舞ったその人だ。就任式のときにステージに上がる階段で派手に転び、全校の笑いを取ったのはあまりに有名である。
「バックアップも2つとも問題なし、か」
そういえば、さっき聞いた5つにはバックアップをつけてはいなかった気がする。何故ここだけ2つもバックアップを備えているのか気になったが、聡美の事だから初っ端からヘマをやらかした彼女が気に入ったからかもしれない。
盗聴器の調子を確認して満足したのか、聡美は耳からイヤホンを引っこ抜き、レシーバーをポーチの中に適当に突っ込みながら立ち上がった。
それと同時に昼休み終了の鐘が鳴った。
「さて、目的も果たしたし、丁度昼休みも終わった頃だ。何か面白いことでも聞こえれば、録音しておくから楽しみにしておきたまえ」
とは言われても、実の所もうどうでもよかった。内容は思ったよりも普通のことばかりで、期待していたほどのものでは無かったからだ。文字通り期待外れだったのだ。
恭也は適当に相槌を打ちながら立ち上がり、珍しく普通の歩幅で歩く聡美の後を追う形で昇降口へと向かった。
というわけで、『LyricalDespair』第3話でした。
年明け間も無くは色々と忙しかったので、元旦から4日も過ぎてようやく更新できました。
現在は6話を執筆中ですが、どうにも行き詰っています。話自体は出来上がっているのですが、文章がうまくまとまらないんです。はい。
それでは、次回をどうぞお楽しみに。