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Lyrical Despair  作者: イリス
Princess of star
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魔法の光を追いかけて



 6時限目が終わるやいなや、現国の柚野美穂(ゆずのみほ)に3回連続教科書忘れの罰則として職員室に呼び出され、いまいち威厳に欠ける説教を受けた挙句に、真新しいバインダーのチョップを食らった来生恭也(きすぎきょうや)が教室に戻ってきたのは掃除も佳境の頃合だった。

 じゃんけんに負けた女子生徒がちりとりの中身をゴミ箱に捨てていて、机も大よそ半分はすでに並べられていた。恭也はこのまま教室の隅か廊下でサボろうと、180度ターンしたところで誰かに襟首を引っつかまれた。

「どうだったか?ゆずのん愛のお説教タイムは」

 ゆずのん とは他でもない柚野美穂に生徒がつけたあだ名である。お説教に愛もクソもないだろうが。

「どうだったも何も、バインダーで頭ぶん殴ることはないだろ。大木でもやらないよあんなの」

「だろうなぁ。大木だったら鉄拳制裁だろ?」

 そう言って和人(かずと)はシャドウボクシングの真似をする。恭也は「だろうね」と苦笑しながら適当な壁にもたれかかった。

 しかし彼女のバインダーチョップは、大木の鉄拳に匹敵する威力があるのではというのが今の恭也の意見である。命中する寸前に急制動をかけていたので、大して痛くは無かったのだが、振り下ろした瞬間の風を切る音のすごさは半端なかった。バインダーを普通に振ったんじゃあんな音は出ない。もしもあそこで急制動をかけられなかったらどうなっていただろうかと思うと、何となく寒気がする。新品の水色バインダーが頭蓋骨をかち割り、恭也の脳みそと血しぶきが職員室中に盛大に飛び散る。B級ホラー映画みたいな光景の中で端正な顔立ちを返り血で赤く染めた彼女が立っていると想像すると不気味極まりない。

「二人とも机運ぶの手伝ってよ」

 教室の出入り口前で雑談していたところを睦月明菜(むつきあきな)に見咎められて、和人は嫌々ながらも後ろに押し込むように下げられた机をもとの配置に並べなおし始めた。恭也は頭の中を血飛沫だらだらの自分と、その返り血を浴びて艶やかに笑う柚野と、スプラッターな光景と化した職員室の妄想に染めつくしたまま立ち尽くしている。

「何やってんのよ、さっさと」

「え、あ。なに?」

 またいつものボケ癖か と呟き

「別に。とっとと掃除手伝って」

「ああ、うん」

 恭也は気のない返事をして掃除に加わる。なるべく楽なように、尚且つサボっているようには見えないように無駄な工夫を凝らして掃除を適当に済ました。その後終礼もそこそこに乗り切って、校門までの道中で和人と雑談して真っ直ぐ家に帰った。




第1話 魔法の光を追いかけて -Lyrical encounter-




 家に帰ると、妹の美凪(みなぎ)が既に帰っていた。部活はどうしたのかと尋ねると、部長の個人的な都合で早めに終わったと答えられた。美凪は彼氏とデートだからって部活を終わらせることないのに 自分だけとっとと帰ればいいのにと憤慨していた。

「だったら自主練でもしろよ」

 すると夕方のワイドショーを見ていた美凪は目をむいて

「だってみんなも帰ろうっていうんだもん。射場で一人淋しく自主練なんてできっこないでしょ」

 美凪の所属する弓道部は1年生3名に2年生4名、3年生がたった1人という弱小極まりない部活動である。飯嶋中学の敷地が割りと広く、何より古い学校というせいか立派な弓道場が体育館の隣にあり、そこで細々と活動を続けている。部員数が少なく、その競技の特性上、的中数の競い合いこそあれどレギュラーの座を争うようなことはないので、部員は全員試合に出場することができる。しかし、土台地味なだけに学校内での知名度は弁論部なみに低く、弓道部の存在はおろか、弓道場が学校の中にあることすら知らないという生徒は決して少なくは無い。運動部にしてはイメージが地味なのと、その活動がひどく細々としていて、グラウンドでランニングをするようなことも無いから、仕方が無いというのが恭也の意見であるが、部員本人たる美凪としては、己が部活が軽視されるのは我慢ならないそうだ。

 ちなみに恭也は部活に入っていない。飯嶋中学は少なくとも1年生の一学期の間は何らかの部活に入るように校則で定められているが、実際に部活に入る生徒は1年全体の3分の2ぐらいであり、残りはそれを無視して部活に入っていない。しかし遠瀬市に放課後に遊びに行けるような施設が潤沢にあるわけではなく、校区が異様に広いので友人の家に遊びに行くのも一苦労である。ということで、友人のいる部活に後から入部してくる者も少なからずいる。

「あ、そうそう。さっきお母さんから電話があったんだけど、今日帰り遅くなるって」

「なんで」

「高校の頃の同級生の結婚式なんだって。晩御飯はカレー作っといたから、それ食べるようにと」

 そういうことは朝のうちに伝えておけよと、その場にいない母に向かって仏像のような気持ちで思う。

 美凪はテレビに視線を移し、画面の右上の文句を読み上げる。

柳野(やなぎの)基地に新型米軍機配備」

「それがなんて?」

 恭也は畳の上に腰を下してテレビに注目する。

『・・・この米軍機、F-22はアメリカ空軍でもF-15の後継機として交代が進められており、専門家の間では北部勢力に対する牽制ではないかという見方を示しています。アメリカのこの動きを中国政府は我が国に対する示威行為に当たると述べ、各国でも批判の声があがっており、これに対するアメリカの表明はまだ出ていません』

 画面が仏頂面(ぶっちょうづら)のキャスター二人から街頭インタビューのVTRに移り変わる。

『やっぱり不安ですねぇ。こんな時期に、ねぇ』『基地が家の近所にあるってだけで不安なのに、これ以上不安を増やして欲しくないっすね』『戦闘機を持ってきたってことは軍備増強ってことですよね。もしかして戦争でも始めるつもりじゃないかって』

 街頭インタビューのVTRから、横断幕をもった集団による抗議活動らしき映像に変わる。

『こちらのVTRは柳野基地周辺の住民による、新型戦闘機配備反対活動のものです。ご覧のとおり、軍備増強反対と書かれた横断幕を手に街中で抗議を連日続けており、一部の地域では警官隊との衝突もあり、3名の方が軽傷とのことです。続きまして、えー先ほど入りました、永原容疑者の警察の取調べで』

「柳野基地って、乙山(おとやま)の向こうの基地でしょ?」

「じゃないの?でもここから基地までって結構距離あるじゃん。別にこっちに落ちてきたりしないって」

 だよねー と言いながらテレビ画面左上の時刻表示を見ると、美凪は目の色変えてリモコンを操作してチャンネルを変え始めた。恭也はよっこらせと立ち上がって二回の自分の部屋へと向かった。制服を適当に脱ぎ散らかして、着古した部屋着に着替えて椅子の上にふんぞり返る。時計は5時32分を指している。5分早いから正確には27分。5時半からは美凪が好きな大河ドラマが始まるので、その間テレビは美凪によって占拠される。この時間帯に見たいテレビがあるわけではないので、正直どうでもいい話なのだが、ことあるごとにテンションを引き上げてエキサイトするのはやめて欲しい。

 机の上に投げ出すように置かれた本に目が留まった。

 文庫本より一回り大きく、少し厚い。その本の題名を『魔法は実在するか』という。本の内容も同じようなもので、魔法の歴史と様々な現象の考察と科学的な見解、様々な作品で見られる魔法の扱いなどを堅苦しく述べた論文みたいなものだった。

 なぜこんなものが恭也の机の上にあるのかと言うと、他ならぬ恭也自身がこういう魔法に関するものが好きだからである。いつから魔法に興味を持ち出したのかは分からないが、幼い頃はもし仮に本当に魔法があったらというのを空想するのが楽しかったのだ。

 しかし中学生になって、現実的に物事を考えるようになった辺りで次第にそういうこともしなくなっていった。魔法を空想することが、自分でも子供っぽいと思うし、強くなってきた自尊心がそのことを恥じるようになったからである。

 今となっては魔法自体が馬鹿馬鹿しいと思う。本だって処分しようと思ったが、勿体無いと思って何冊かは残していて、暇で死にそうなときか、眠れぬ夜の睡眠薬代わりになっている。確か昨日の夜に退屈しのぎにラジカセで音楽を聴きながら適当に読んで、夕食だと母に呼ばれたときに机に放り出してそのままにしていたと思う。

 本を手に取り、パラパラとページを捲ると、すぐに本を閉じて本棚になおした。

 昔は魔法云々の本があった所は漫画本が収められている。






 もう6月の末といえども今夜はやけに暑かった。今朝だってテレビで天気予報士が気温は例年より4.3度も高いと、何か凄いことでも見つけたかのような自信に満ち溢れた顔で宣言していた。その天気予報が見事に的中した今夜の家の中は当然の如く暑いわけで、2階の恭也の部屋では80年代頃の旧型の扇風機が室内の熱気に対して果敢に挑戦を挑んでいて、ついさっきまでは真正面で恭也が死人のように転がっていた。

 現在、恭也は自分部屋のベランダでうちわ片手に手すりの上に寄りかかりながらすずんでいた。風があるだけ部屋の中よりはマシだろうと外に出てみたら驚くほどに涼しく、5分ほど前からベランダで過ごしていた。

 気の早い虫の音色とけたたましい(かえる)の合唱を聞きながら、アイスが食べたいなぁと思いながら、恭也は相変わらずベランダで涼み続ける。

 ふと見上げてみると、月がやけに明るい。いつもだったら黒い紙に丸く切り抜いた黄色の紙を貼り付けたような月が、今夜はとても控えめな太陽のように光り輝いている。

 その輝きの美しさにしばし見惚れていると、すぐに奇妙な胸騒ぎを感じた。いいことが起きるような予感ではない。かと言って、悪いことが起きるような予感でもない。何か、よく分からない、形容し難い胸騒ぎがただ恭也の全身の中で暴れまわっていた。

 視線を月から下へと落とし、辺りを見回してみる。

 何も変りは無い、至って平穏かついつも通りの夜の風景が広がっている。

「気のせい、か」

 誰とも無しにそう呟いて再び月を見上げた。


 月がドーナツになっている。


 思わずそう思ってしまった。そう思えるくらい、月のど真ん中に黒い物が見えた。月食には見えないし、遠くて確証は無いが、飛行機とかでも無さそうだ。視力1.5の目を一心に凝らして謎の物体の正体を確かめようとするが、月明かりが強すぎて、逆光になっているために、その表面の様子をうかがい知ることは出来ない。はっきりしているのは、物体は飛行しており、それなりの距離に在って、ごく僅かに移動しているということだった。少しずつ、しかし確実にその大きさが大きくなっていることから、方角的にこちらの方向に移動していると判断した。

が、様子を見ているうちにその保留の判断が揺らぎ始めていた。

 確かに移動はしている。しかし飛行機などのように地表に対して平行に飛んではいない。徐々に高度を落としており、その針路は明らかにこっちに向いていた。つまり、その物体は恭也の視点では月をバックに飛行しており、その正体は月食でも飛行機でもなく、見つけた時はそれなりに離れた位置にあって、確実にこっちへ向かって降下している。

 恭也は脳みそがそれらの結果を算出し終えても、それらを全て迅速に理解することは出来なかった。

 月をバックにしているのはともかくとして、正体不明の物体がこちらへ真っ直ぐ落下してくるなんて、当たり前だが産まれてこの方一度も経験したことは無い。したがって、こういう時はどういう対処をすればいいのか全く分からなかった。

 恭也は目を擦ってその正体をもう一度確かめようとする。

 距離が近くなっているのだろう、大きくなるが徐々に早くなっていく。

 さっきまでは逆光でシルエットしか見えなかったのが、徐々にそのディティールが大まかではあるが、分かるようになってきた。そんなに大きくは無い、人間と対して変らない大きさ。と言うよりも、人間と同じ大きさ。

 違う。人ではない。あれは



「人っ?!!」



 これは夢か幻かと疑いを持つ暇も目をこする間もなく、恭也は真っ直ぐ自分めがけて落ちて来る人間を受け止めようと、両手を広げる。

 しかし、受け止める姿勢をとるのがほんの少し遅かった。

 文字通り、胸に飛び込むようにして恭也に人間が激突し、胸が圧迫されたことで肺に詰まっていた空気が一気に吐き出され、強烈な衝撃でバランスは跡形も無く打ち砕かれ、膨大な運動エネルギーによって恭也の身体は後方の自室の中へと吹っ飛ばされた。

 2mほど宙を舞い、床に激突したかと思ったら、まだ生き残っていた運動エネルギーに因る慣性で、更に床を1mほど滑走した。

 そして恭也の身体は散々痛めつけられた挙句、壁に叩きつけられた。

 物体の激突、床への落下、壁との衝突の3つの衝撃と、肺が空っぽになったことで軽い酸欠状態に陥った恭也の意識は尽く遠のくが、昇天する直前に何とか旅立とうとする意識を引き止めることに成功した。

 しかしそれでも意識は朦朧(もうろう)としており、しばしそのまま壁に寄りかかったまま宙を眺めていた。

 程なくして恭也の意識は完全に復活し、辺りをゆっくりと見回す。自分が今いるのは自分の部屋であり、その床の上で壁に寄りかかっているのを今更ながら理解した。

 そして、最後に理解したこと。

 ついさっきまで自分がいたベランダと、自分が今いる場所との中間辺りで何かがうつ伏せになって倒れている。

 髪が長い。ブロンドのとても綺麗な長い髪をしている。よく分からないが、身長は140cmぐらいだろう。

「・・・ん・・・・・」

 小さく(うめ)きながら人間は身体を起こす。

 顔面をぶつけたのだろう、小さな両手で鼻を押さえながら、きょろきょろと辺りを見回す。

 そして恭也の存在に気が付いた。

 鼻を押さえるのも忘れて、くりくりした青い瞳を見開いて恭也を見つめている。

 見慣れない、妙な格好をした金髪蒼眼の女の子だった。

 腰ほどまである長い綺麗なブロンドの髪。白くて、離れていても分かるほどきめ細かな肌。幼さ全開のあどけない整った顔立ち。くりくりとした、鮮やかで透き通るような蒼色の瞳。その見目麗しく、可愛らしい容姿は正しく小さな天使のようだった。そして何処かの民族衣装と軍の制服を足して二で割ったような純白の服を身に(まと)っている。少なくとも、日本では見慣れない服装であるのは確かだった。

 とても現実の存在だとは思えない。

 女の子は状況を全く飲み込めていないのだろう。さっきから周りを見回すのと恭也を観察するのをランダムに繰り返している。

状況を飲み込めていないのは恭也も同じだった。

 何が何だかさっぱり分からない。ついさっきまで理解できていたはずの状況が頭の中からボロボロと流れ落ちていく。

 自分は何でここにいるのか。どうして壁にもたれて床の上に転がっているのか。そして目の前になんで女の子がいるのか。全てが理解不能になってしまっていた。

 混乱して視野狭窄(しやきょうさく)を起こした視界を縦横に巡らせて、自分が今いるのは自室であるのを理解する。

 そしてその当たり前の事実に焦った。

 両親は外出中で家にはいないのだが、美凪は一階のリビングでバラエティー番組を見ている。普通の一般住宅で二階で騒ぐ音など一階でテレビをつけていてもまる聞こえで、不審に思った美凪が部屋を見にくる可能性もある。

 今すぐにでもこの場から立ち去りたい、この状況の全てを投げ出して逃げ出したくなる衝動に駆られる。自分の身にこんな事が起こるはずが無いと、理性の全てが事実を否定し、現実に対する一切の逃避を始める。

 しかし「誰だお前どこから来たとっとと出て行け」なんてことも言えない。こんな小さな女の子にそんな酷いことはすべきで無いと、奇跡的に生還した良心が声も枯れよと叫んでいる。

 とにかくこの沈黙を何とか打開しなくてはならない。

 そう思って、腹をくくって女の子に声を掛けた。

「あ、あの さ」

 とどまることを知らない焦りと興奮で思わず声が裏返ってしまう。それを誤魔化すように大根役者みたいな咳払いをして、喉に張り付く粘っこい痰を取り除いて声の調子をさりげなく整える。

 一方、話しかけられた側は、飛び上がらんばかりに――いや、本当に飛び上がって驚いた。

 何もそこまで驚くことは無いだろう。

 だが、理由は知らないが空から落下した挙句に気が付いたら見知らぬ男の部屋の床の上にうつ伏せになって倒れていて、気持ちの整理もつかぬまま、これまた見知らぬ男に声を掛けられれば、驚くなという方が無理な話かもしれない。

 そんな風に驚きたいのはむしろ恭也の方なのだが。

「・・・・大丈夫?」

「ぃひゃっ?! だ、だだ大丈夫です!全然平気です!!」

 長い髪を翻らせて首をブンブン振りながら、「ちいさなおんなのこがすきなおにーさん」が聞いたら一発で鼻血か唾液をたれ流すか、人目もはばからずに悶絶でもしそうな、悲鳴同然の声を上げる。

 女の子が叫ぶだけ叫んだ後、形容しがたい長さと雰囲気の沈黙が流れ、その間に遠くから蛙と気の早い虫の声が聞こえてくる。

 この子は誰なんだろう。

 やっとそう思った。

 とにかく、女の子の正体をはっきりさせたかった。

 何故空から落ちてきたのか、何処から来たのかを知る為にも、この女の子の正体を予備知識として知っておくべきなのだ。

 その容姿は少なくとも日本人のものでは無い。服装も普通の日本のものではない。教科書でもテレビでもこんな服は見覚えが無いが、ただ見覚えが無いだけでどこかの国の流行の服か、民族衣装なのかもしれない。

 深呼吸をして息を整える。

「君は、誰なの?」

 怯えている女の子に、自分自身が怖気(おじけ)づいていることを悟られないように優しく穏やかな口調で問いかける。

 女の子は少し怪訝(けげん)そうな顔をしたが、すぐに答えた。

「み、みり ミリア・ラーファイム  です」

 緊張しているのか、それとも怯えているのか。恐らく後者の方だろうが、蚊の鳴くような声でどもりまくりながら言った。

「あ、あの ここ・・・何処ですか?何で私、ここにいるんですか?」

 小動物のような、怯えきった声と顔で恐る恐る尋ねられた。

 質問したいのはむしろこっちの方なのだが、恭也はきっちりと女の子の質問に答えた。

「あぁ、ここは俺の部屋で 君がここいる理由は・・・落ちてきたんだよ、空から」

 女の子はまだよく分からないらしく、首を(かし)げている。

「で、どういう訳か俺にもろにぶつかって、気が付いたらここまで吹っ飛ばされたんだ」

 完全に理解できた訳ではないようだが、大まかなところは理解できたらしい。恭也自身も何が何だかさっぱり理解できてないので、説明を聞いても全て理解するのは不可能なのは言うを待たない。

「なんで空から落ちてきたんだ?」

「え、えっと・・・それは・・・」

 言葉に詰まっているところを見ると、女の子自身も何故自分が空から落ちたのかよく分からないのか、それとも何か言えないような事情があるのかもしれない。

 女の子は散々、何を言うべきか考えた挙句、意を決して恭也に向き直った。

「信じてはもらえないと思うんですけど」

 そこで気持ちを落ち着かせるように深呼吸をして



「私は魔法使いなんです」



 ウソだ。



 何のよどみも無く純粋にウソだと思った。

 魔法だなんて、そんな非現実的なものが存在するわけが無い。魔法は存在しない。だから魔法使いなんて者も存在しない。

 必死に自分に言い聞かせるように恭也はそう思った。

 だが、これには否定し難い事実がある。女の子が空から落ちてきたということである。

 翼も無ければジェットも無い人間は空を飛べない。しかしさっきの女の子の落ち方からすると、本当に飛んでいたようにも思える。普通なら真上から垂直に落ちるはずだが、女の子は恭也の胸に飛び込むように―――放物線を描いて飛んでいた物体が落ちる角度で降下していた。大砲で撃ち出されたか、誰かに投げ飛ばされたのならば話は別だが、そっちの方が魔法の存在以上にありえないと恭也は思う。

 証明するだけの根拠にはまだ乏しいが、現実味のある仮説としては十分だった。

「本当なんです。本当に魔法使いなんです」

 すがるようにして女の子が言う。どうやら恭也が半信半疑であることを見抜いたらしい。女の子は、信じてください とかを繰り返しながら、肩から提げていたポーチの中を探りだす。魔法発動の媒体となるアイテムか何かでも取り出すつもりなのだろうかと思ったが、ポーチから取り出したのは某魔法学園の眼鏡の少年が持っているような指揮棒でも、何処かの魔砲少女が持っている凶器まがいのステッキでもなかった。

 磨き上げられた、女の子の瞳と同じ色の仄かに煌く蒼色の小さな宝石のついたペンダントだった。

 それを首に提げて立ち上がったかと思うと、そして右手を人差し指を立てた状態で目の高さほどに掲げ、そのまま意識を集中させるかのように薄く目を閉じた。

 何が起こるのかと恭也が女の子の、これまた幼さ丸出しの太短い指先を注目していると、ペンダントの宝石が内側から仄かに輝き、そして指先に青く輝く球体が発生した。最初は小さなスーパーボールほどの大きさだった球体が徐々に大きくなり、大き目のソフトボールほどの大きさにまでなった。

 恭也は女の子の指先でフラフラと浮いているその奇妙な球体に目を奪われていた。

 何が何だかさっぱり分からない。

「これだったら、信じてくれますよね」

 女の子はちょっとだけ自身ありげな調子で言った。



 魔法の球体の輝きが、目の前でそれを支える女の子が、自分の部屋で繰り広げられる事象が

 全てが現実に自分の身に起こることだとは思えない。



 優位は尽く逆転していた。

 知らず知らずのうちに恭也は何故かその場に正座をしていた。

 ミリアと名乗った女の子は青く輝く球体を消して、恭也の正面に見よう見まねの下手くそな正座をしている。

「それで、本当に君は その 魔法使いなの」

 小さく頷く。

「どこから来たの?」

 ミリアは少しだけ躊躇って、何かを言おうとして口を開きかけた。が、またすぐに口をつぐんで考えごとを始めたと思ったら

「その、別世界っていったら分かりやすいでしょうか。つまり、違う世界から来てしまったわけで」

「別世界から一体何のために?」

 まさか世界征服や侵略じゃないだろうなと、ベタ過ぎる展開を想像してしまう。

 そんなことを考える一方で、いつの間にか何事も無かったかのように冷静さを取り戻している自分に少し驚く。ついさっきまで思考もろくに出来ないほど混乱しきっていた頭が今ではミリアの言葉に対して適切な疑問を生成し、それを正確に出力している。

「ここに来てしまった訳は、私もよく分からないんです」

 つまりはこういうことだ。ミリアは異世界からやってきた魔法使いで、何らかの事情があってこの世界に来た。だが彼女本人も自分が一体何故、この世界にいるのか分からない。もしかしたら本人には自覚は無いが、何か悪いことをしてしまい、相手がその腹いせにと別世界に放り込まれたとか、何かの魔法の実験に失敗したとか。ミリアが本物の正真正銘の魔法使いである以上、彼女が異世界から来た人間だとしても別に驚くことも疑うことも無い。それに彼女がこの世界に来た理由も、科学的に考えればあまりに荒唐無稽(こうとうむけい)なものだとしても、十分に可能性はある。

「帰る方法は?」

「わからないのです」

 お約束過ぎる展開にすこし呆れてながら、恭也の中で決意の色が広がる。

「・・・・・よし」

「方法を探してくれるんですか?」

「いや、俺は――――」

 ミリアの目を見ると、そこには期待と希望を込めた輝きの色が広がっていた。

 それを見て、恭也の決意は(ことごと)く揺らぎはじめる。何も分からないままこの世界に来てしまい、そこで最初に出会ったのは恭也だったのだろう。見知らぬ世界に行く当ても知り合いもいるはずはないだろう。今のミリアの中で唯一頼れる存在は他ならぬ恭也だけだ。

 それなのに自分は彼女の期待を裏切り、この非現実から現実へと逃げ出してしまおうとしている。だがそれは決して間違った選択ではない。見ず知らずの、それも異世界の人間と迂闊(うかつ)に関わるのを拒むのは真っ当な考えだ。むしろ何か変な期待をして関わろうとする方がよっぽどおかしな考えに違いない。

 だが、目の前で目を輝かせている女の子を、この漆黒の夜空の中に放り出すなんてことは少なくとも今の恭也にはできなかった。行く当てもない。知り合いも頼れる者もいない。今のご時世、こんな小さな女の子が一人で生き抜くなど不可能なのは、14年そこらしか人生を過ごしていない恭也だってそれぐらいの現実は重々承知していた。

 恭也はミリアの両肩を掴んで、柔らかな笑顔を作る。

「君は元の世界に帰りたい?」

 ミリアは頷く。

「・・・俺は、君を元の世界に帰す方法は分からない」

 行く当てもない。知り合いも頼れる者もいない。

「でも、きっと帰る方法はあるはずだ」

 守れる術を持たず、守ってくれる人もいない。

「だから―――その方法を探すために」

 自分ひとりの力でミリアを守れるだけの力も、元の世界に帰る方法を探すだけの頭も自分が持っているかどうかは正直自信が無い。

「しばらく俺の家に泊まって、元の世界に帰る方法を探そう」

 ミリアの瞳から、顔全体に喜びの明るい色が一気に広がる。

「ありがとうございます!」

 そう言って恭也の胸に飛び込んで、彼女なりに力いっぱい抱きついてくる。




 空から落ちてきた女の子の姿が、衝突の衝撃が、妖しいほど輝く月の光が、現実とは思えない。

 それでも今自分の胸に抱きついている蒼い瞳の異世界からやって来た魔法使いの温もりは間違いなく現実のものだ。


 全てが 夢のように虚ろで、全てが現実のようにはっきりしている。



 青白い月の輝きはいつしか夏の雲に覆われて、もう見えなくなっていた。





 という事で、初投稿作品『Lyrical Despair』第1話でした。


 本作自体は別の投稿サイトで連載していたものですが、システム的にこちらの方が便利である事と、人が多い事から、こちらへ移転しました。

 ご覧頂いたとおり私はセリフよりも情景・心理描写を主としています。どうしても堅苦しい文章になってしまうので手軽に読むにはあまり適さないかもしれませんね。

 まだ初めてで、ここのシステム周りがよく分からないので、文章力ともども学んで生きたいと思います。

 評価や感想をいただければ幸いです。


それでは、次回をどうぞお楽しみに。



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