27話 櫂を失くした舟人は
僕は由良と二人三脚には出なかった。体育祭の三日前、僕は足を捻挫して走れなくなってしまった。由良は僕の代わりに天助と出ることになった。
「ごめんね。なんかせっかくエントリーしたんだから出てくれって言われて……天助が一番頼みやすかったから」
結果二人は見事一等賞。美男美女カップルの誕生と学校ではしばらく話題となった。
「なんかみんな変な勘違いしてるよね。こうちゃんは噂なんて気にしてないよね?」
天助との話題が出る度に由良は困ったような顔をしたが、それでも彼女は今まで通りに接してくれた。
そんなある日、由良に数学を教えて欲しいと言われ僕の家で一緒に勉強することになった。その日学校は休みだったけど僕は塾があり、彼女には家で待っててくれと伝えていた。でも塾側でトラブルがあったようで、結局受講せずに帰ることになった。
あの時早く帰ることを由良に伝えていれば、もしかしたらあんな事にはなっていなかったかもしれない。小さな歯車は少しずつ狂い始めていた。
部屋の前に行くと中から話し声が聞こえた。ただならぬ声の雰囲気に僕は思わず足を止めた。
「ダメだよ天助……こういうのやめよう?」
「まだ諦めきれないの? 何度も言うけど兄さんは恋愛なんてこれっぽっちも興味がないんだよ?」
「それでも私は……」
「由良ちゃんはずっと待ってたんでしょう? いくら待っても傷つくだけだよ?」
「でも……」
「おれを兄さんだと思えばいい。こっちを見て……愛してるよ由良」
静かに聞こえてくる男女の生々しい音。何が起きているのかくらい僕でもわかる。
僕はゆっくりとドアを開けた。
ベッドの上では由良と天助が裸で抱き合っていた。声が漏れ聞こえぬよう、二人は深く唇を重ねている。目の前の出来事に思考が停止する。声は出せず足も動かない。体中の血の気が引いていく。そのくせ心臓の鼓動はどんどん激しくなっていった。
僕の存在に先に気付いたのは下になってる由良だった。驚いた表情で僕の方を見た。彼女はみるみる青褪めていき何か叫んでいる。でも僕には何も聞こえなかった。
ほんのわずかな時間がとてもとても長く感じた。気付けば僕は家を飛び出していた。なにも考えずただひたすらにどこまでも走っていた。
その後、由良とは一度も話をすることがなかった。
頭をぶんぶんと振って過去を追い出す。一度大きく息を吐いて僕はドアノブを回した。何年振りかに入った部屋は物置状態で、荷物があちこちに積んであった。高そうな着物も何着か置いてある。
僕は荷物をかき分けて自分の机に座る。窓からはかつて由良が住んでいた家が見えた。
「由良ちゃんのこと思い出してた?」
声の方へと振り返ると、そこには天助が立っていた。仕事を抜けて来たのか、びしっとスーツを着ている。部屋の中をゆっくりと進みながら窓の外を見ていた。
「あの時の彼女は見ていられなかったよ。兄貴が冷たく突き放すから……ちょっとくらい話を聞いてやればよかったのに」
天助はわずかに笑みを浮かべていた。積まれていた段ボールに腰を下ろすと足を組んだ。
「あれはおまえが邪魔したからだろ? 僕が知らないとでも思ってるのか?」
「おー怖い怖い。兄貴がそんな乱暴な言葉を使うなんて――あんまり調子に乗るなよ」
天助が突然真顔になった。僕の方を睨み足を小刻みに揺らしている。
「由良が死のうとしたのは兄貴のせいだろ? 付き合う勇気もなかったくせに随分偉そうだな」
あの出来事の後、人が変わったように塞ぎ込んだ由良は自殺を図った。幸い未遂に終わったが更に精神を病んでしまった。事情を知った彼女の両親はちょうど転勤の話があったらしく、そのまま何も言わず遠くへと引っ越していった。
「あれは僕ら二人の罪だよ、天助。なんで由良の気持ちを弄んだ?」
「弄んだなんて人聞きが悪いなぁ。おれは純粋に彼女が好きだったよ」
「怜奈のことだってそうだ。おまえは本当に怜奈のことを大切にする気があったのか?」
「当たり前だろ。兄貴といるよりおれと一緒になった方が彼女も幸せだろ? わかってくれてると思ったんだけどな~」
天助はへらへらと見下したように笑った。生まれて初めて人を殴りたい衝動に駆られた。
「どうしておまえはそんなに僕に絡んでくるんだ?」
その一言で天助は急に立ち上がり、僕の胸倉を激しく掴んできた。
「おいっ! 自惚れんなよカスがっ! おれより下の人間が、なに上から目線で言ってんだよ!」
唾を撒き散らしながら大声で罵ってくる。荒い息遣いが顔にかかった。僕もすぐさま立ち上がり天助の腕を振り払った。
「これ以上、僕らの所為で誰かが傷つくのはもう見てられない。不幸になるのは僕たちだけで十分だ」
僕は天助を押しのけドアへと向かった。振り返ると弟は机に両手をついてわなわなと震えていた。
「被害届は提出する。母さんにもそう言っといてくれ」
ドアを閉める手に思わず力が入る。過ぎ去った日を後悔するのはもうやめよう。そして僕たち兄弟が犯した罪はきっちりカタをつけようと僕は心に決めた。
「メアリーせんぱ~い、知ってましたぁ?」
ほんわかと間延びした声がカラクリ同好会の部室に響いた。私の目の前にはピンクの髪をくるくるさせながら、くりくりとした目で頬杖をつく真綸が座っていた。彼女はなぜかニッシーの彼女だ。
「その男を落とすテクニック、私に披露しなくていいから。で、なんの話?」
「もぅ。先輩は冷たいな~。実はですね、日本国内の殺人事件の五割以上は親族間で起きてるらしいですよ。こっわいですよねぇ」
「まあ仲悪くなったら身内ほどやっかいなものはないからね。まろんのとこは大丈夫?」
「うちは五人姉妹ですけど、ちょ~仲良いですよ」
こんなのが後四人もいるのか。家に行ったら目にピンクの靄がかかりそう。
「それで、ニッシーはどこ行ったの?」
「なんかゴキブリチェイスマーカーガンを改良するんだって、はりきってどっか行きましたよ」
「あなたよくその名前覚えられたわね……」
「今度私にも作ってっておねだりしちゃいました♡」
「あんた達お似合いだわ……じゃあ私は帰るから。出る時戸締りしてね」
「は~い」
部室を出ると、もう陽が傾きかけていた。学生はほとんど残っていないのか、キャンパス内もがらんとしていた。大学から最寄りの駅までは少し距離がある。私はいつもの道を一人で歩いていた。
小さな公園を過ぎたあたりで背後から来た黒い車が私を追い越してすぐ停車した。エンジントラブルかなにかだろうか? 私は気にせずその横を通り過ぎる。だがその時突然、太ももに激しい痛みが走った。バチバチバチという音が聞こえる。これはきっとスタンガンだ。
筋肉が硬直し私はその場に倒れた。体がしびれたように麻痺し動かすことができない。カツカツと近付いて来る誰かの足が倒れた私の目の前で止まった。
そしてどこか見覚えのある男が私の顔を覗き込むとニヤリと笑った。




