22話 魔の三角地帯
コンビニからの帰り道は街灯が多い比較的大きな道路を歩くようにしている。コウヤっちにはいつも大丈夫とは言ってはいるが、やはり用心に越したことはない。五分ほど歩くと私のマンションが見えてきた。あの角を曲がって数十メートル行けば到着だ。
最後の角を曲がり路地へと入ると、街灯の数も減りぐっと暗くなる。するとマンションまで後わずかという所でいきなり背後から車のヘッドライトが照らされた。思わず振り返ると強烈な光で目が眩んだ。車はゆっくりとこちらへ向かって来ている。
私は立ち止まり邪魔にならぬよう壁へと体をくっつけた。徐々に近づく車。ハイブリッドカーかEV車だろうか? エンジン音が非常に静かだ。早く行って欲しいと思いながら、私はライトが目に入らぬよう顔を下に向け、車が通り過ぎるのを待った。
やがて車が私の真横へと来た瞬間、突然急停止した。パワーウィンドウがゆっくりと下り、中から一本の手が伸びてきた。
「やっぱりメアリーじゃない!? あなたこんな遅くになにウロウロしてるの!?」
「母さん? 母さんこそなんでパトカーなんかに乗ってるのよ?」
真横に停まったパトカーの後部座席には母さんが乗っていた。少し怒ったような表情で私の顔に小さい懐中電灯を当てている。
「ちょっと眩しい!」
「眩しいじゃないわよ! こんな時間になに一人で出歩いてるの! この前危ない目にあったばっかりだっていうのに」
「ちょっと日下部さん。近所迷惑なんで少し声落として……」
運転席の警察官が後を振り向きながら人差し指を口元に立てた。
「あら、ごめんなさい」
母さんは手で口を押さえちょっと気まずそうに首をすくめた。ちょうどその時、後ろから一台の黒い車がやってきた。
「もう家はすぐそこだからここで降りるわ。送ってくれてありがとう」
バタンとドアを閉めるとパトカーはすぐに走り去って行った。後ろで待っていた黒い車も少し間を置いて走って行く。すれ違いざまに運転席の男がこちらをちらりと見ていた。
「なんでパトカーに送迎してもらってるの? 職権乱用だよ?」
「いいのいいの。今日は遅くまで現場だったから。たまたまこっち方面に移動するパトカーに同乗させてもらっただけよ。あー疲れた」
そう言いながら母さんは仕事用の大きなバッグを私に手渡してきた。
「ちょっと、重っ! か弱い娘にこんなもの――」
「ほらほら、帰るわよ。それよりまたあなた愛しの彼に会いに行ってたんでしょ? そんなにしょっちゅう行くなんてまるでストーカーじゃない」
「コンビニに買い物行ってるだけなんだからいいのよ」
母さんがエントランスにカードキーをかざしドアを開けた。
「私は目的じゃなくて動機のことを言ってるのよ。だいたい彼女がいる人なんでしょう?」
「それがね~ついにコウヤっちは彼女とは破局したのよ」
私がニマニマと笑いながらそう言うと母さんは呆れた表情で首を横に振った。エレベーターに乗り込み9階のボタンを押す。
「まったく、人の不幸を喜ぶなんてこの娘は……。じゃあお付き合いすることになったの?」
「それがまだ再告白はしてないんだ~コウヤっちもちょっとしばらくゴタゴタしそうだし」
家へと帰りつくと母さんがホットココアを作ってくれた。二人でテーブルに座り熱々のココアをいただく。
「「ズズズー」」
ほうっと軽く息を吐いて母さんが口を開いた。
「それで? そのゴタゴタってのは何か、聞かせてくれるんでしょ?」
私は簡単に今のコウヤっちの状況を伝えた。別れた原因は《《元彼女》》の怜奈さんが彼の弟と浮気をしていたから。そして彼女はコウヤっちとではなく弟と別れ話で揉め、挙句に弟に襲われてしまった。近々、彼女は不同意わいせつ罪で被害届を出す予定。その他、脅迫罪などでも訴えるか検討中だという。
「なにそれ……とんでもないバミューダトライアングルね」
さすが母さんね。ワードチョイスが素晴らしいわ。
「そういえばコウヤっちが次住む所を探してるらしいのよ。しばらくうちに住んでもらうってのはどうかな? 使ってない部屋あるし」
「まだお付き合いもしてないのに何言ってるの。それに彼も気を遣うでしょうよ」
「大丈夫よ! コウヤっちなら母さんとも気が合うわ」
「一体何を根拠に……」
「ほら、コウヤっちは発明家でしょう? パパだって発明の真似事みたいなことしてたじゃない? きっと母さんはそういう人と気が合うのよ」
「あの人が作ってたのはガラクタばっかりよ。それに離婚してることをお忘れなく」
「ちっ、覚えてたか」
「当たり前でしょう。じゃ、お風呂入るわね」
そう言って母さんはさっさと風呂場へと向かった。でも私は諦めない。コウヤっちとの同棲計画はスタートしたばかりなのだ。
私は月曜だけ休みを貰い、次の日には会社に出ていた。こういう時は仕事をしていた方が気が紛れる。コーヤは物件探しをするらしく、今日は早くから起きていた。
仕事の前に一緒に朝食をとるなんていつ振りだったろう? あえて二人共大事には触れず、他愛もない話をしていた。別れてからそんな日常が戻ってくるなんて皮肉なものだ。
でも今はこんな状況だ。穏やかに何事もなく過ごせる訳がない。ある程度予想はしていたが、昼過ぎ頃からコーヤのお母さんからひっきりなしに電話がかかってきていた。おそらく天助くんのことだろう。
あまりに酷かったので一度電話に出て、仕事が終わり次第掛け直すと伝えたがまったく会話にならなかった。半ば叫んでいるような声で捲し立てられ、一方的にずっと喋っていた。スマホから聞こえてくる悲鳴のような声に、周りの人たちがちらちらこっちを見てくる。私は慌てて電話切ってそのまましばらく放置していた。
すると15時を過ぎた頃、受付から内線が掛かって来た。
「新田さんに面会希望のお客様がお見えなんですが」
思わず眉間に皺が寄る。まさか会社にまで乗り込んでくるとは思ってなかった。
「なんておっしゃる方ですか?」
「椋木様というご婦人の方なんですが――」
私は盛大に溜息をついた。嵐というのは忘れてなくてもやってくるものだ。




