10話 からくり時計
天助は軽い笑みを浮かべながら僕らのテーブルまでやってきた。
「こんばんは。怜奈さんもお久し振りです」
「うん……久し振りだね天助くん」
その関係を知っているからこそ気付く微妙な間。一瞬、二人が示し合わせてこの店に来たのかと思ったけど、怜奈の反応を見る限りどうやらそれは違うようだ。必死に動揺を抑えようとしているが顔色はどんどん悪くなる。
「天助もここで食事? 奇遇だね」
怜奈の様子を見たからか、僕の頭は妙に冷静だった。
「うん。ちょっと会社の上司の娘さんと食事をね。接待みたいなもんだよ」
直に弟の顔を見るのは本当に久し振りだ。休日にも関わらず、天助はびしっとスーツを着こなしていた。立派な会社に就職し、きちんと親に仕送りもしている。昔よく母は天助に小言を言ってたけど今や僕がその立場。実家に帰れば肩身が狭い。これじゃどう見ても弟の方が僕より怜奈にお似合いだ。
ちらりと怜奈を見ると、テーブルの上のワイングラスを指で挟み、それをじっと凝視していた。どうやら天助と目を合わせないようにしているようだ。すると天助はわざとらしく笑いながら彼女の顔を覗き込んだ。
「怜奈さん顔色悪いですよ? 今日も飲み過ぎました?」
「えっと……そうね。 ちょっと飲み過ぎたかも」
少し引きつった笑顔で彼女は言葉を返した。このまま慌てる彼女を見てやろうかと思ったけど、やっぱりやめておいた。なんだか僕も惨めになりそうだ。
「ほんとに具合悪そうだね。そろそろ帰ろうか?」
「うん、ごめんね。天助くん、私たち先に帰るね」
「いえいえ僕の方こそお邪魔しました。じゃあお気をつけて」
軽い会釈をして、天助は店の奥へと消えていった。
店を出てからも、怜奈は本当に気分が悪そうだった。あれから急に口数が減った彼女はタクシーに乗るとすぐに、僕の肩に持たれながら目を閉じた。何度か彼女のスマホがピコピコッと鳴っていたが、彼女がそれを見ることはなかった。
家に帰るとすぐに彼女はシャワーを浴びた。まだ22時を回ったくらいだったが、彼女は早々に自分の部屋へと向かう。
「ごめんね。ほんとに今日は疲れちゃった」
「気にしないで。明日は仕事なんだし早く休んでよ」
「うん。おやすみ、コーヤ」
「うん。おやすみ」
彼女が寝静まった頃、僕もシャワーを浴びて自室へと向かう。その途中、テーブルにぽつんと置かれた今日買ったばかりのバッグが目に入った。まだ開封はされておらず白い紙袋に入ったままだ。
「ということは、明日が最後のお勤めか……」
僕に怜奈の秘密を教えてくれたあの黒革のバッグ。あの時『ナクト』を使ってなければ、きっと今でも僕は怜奈と天助の関係に気付いてなかっただろう。
昼間の怜奈の様子を思い出すと、あの映像は嘘だったんじゃないかと思ってしまう。昔のように明るく笑う彼女は、やっぱりかわいくて僕の一番大切な人だ。告白したあの時からその想いは変わっていない。
でも正直言うと、日々の暮らしに忙殺され、その気持ちを忘れてしまっていたことも事実だ。怜奈の浮気があってからそれに気付くなんて、それこそなんて滑稽なんだろう。彼女ばかりを責めるのはお門違いのような気がした。
ふと、リビングに掛けてあるからくり時計が止まっていることに気が付いた。振り子は動いていたがこれはただの飾り。時計の針が7時あたりで止まっていた。本当に今日は今までの総まとめみたいな日だな、と思いながら僕は時計を自室へと運んだ。
十年前のクリスマス。僕が怜奈に告白した日にプレゼントしたからくり時計。当時僕らはまだ仲の良い友達程度で、告白するのに僕はかなり勇気がいった。思えば一生懸命作ったこの時計が最後の一押しをしてくれたのかもしれない。
「なんだ。電池が切れてただけか」
作業台に載せ、とりあえず電池を替えてみたら時計はあっさり動き出した。念のために仕掛けがちゃんと動くかどうか、時刻を12時に合わせる。
オルゴールの音色と共に時計の中央がぱかっと開く。すると二つの人形が両端からからくるくる回りながら現れる。左が怜奈で右が僕だ。人形が中央近くまで移動すると右の人形が片膝をついて指輪を差し出す。左の人形が頷く動作をすると後ろからハートが現れるという仕掛けだ。
初めてこれを見た時、怜奈はすごく喜んでいた。その反応を見れただけで、頑張った甲斐があったなと、僕は大満足だった。
毎日見ているはずなのに、改めて冷静に見てみるとなんだかすごく小っ恥ずかしい。若者が恋にかけるエネルギーはかくも羞恥心を消し去るものなのか。
「せっかくだから、恋に恋する十年前の僕でも見てみるか」
僕はナクトを手に取り、2013年の12月25日に日付を合わせた。
「確か夕暮れ時に告白したから……午後4時過ぎくらいか?」
時間を16時10分に合わせてみる。『ナクト』を時計に押し当てると真っ黒な画面がしばらく続く。おそらく時計はまだプレゼント用の箱の中なんだろう。そのまま5分ほど待つとぱあっと光が差し込み僕の手が伸びてくる。
次の瞬間、『ナクト』の画面がオレンジ色に塗り替わる。
そこには十年前の僕と怜奈の姿があった。