第74話
「あんたは今、出来事には「理由」があるって言うたな?あんたが事故に遭ったのも、「理由」が。せやったら、あんたが今考えとることはどうやねん?世界のためとか、未来のためとか、どっから生まれた感情や?私にはわからん。世界がどうとか。どうあるべきとか。そんなん想像するだけでも頭痛いわ。でもな、自分に正直にいようとは思ってる。苦しい時は苦しいって言うし、嬉しい時は嬉しいって言う。そういう1つ1つの感情の先に、「自分」があるって思ってる。せやから、それ以外のことはなんも知らんねん。隣の人間の尻拭いまでできへん。自分っていう人間もまだなにかもわかってへんのに、人に物を言うことなんてできん。私はバカや。1人やと、まだ何も出来ん大馬鹿もんや。だから、自分のことで精一杯なんや。精一杯、歩いて行くしかないって思っとるんや」
明日に向かってなにができるか、考えたことはない。
そんな時間はなかった。
少なくとも、私の中では。
朝起きて、学校に行って、部活をして。
この須磨という街で、いろんなことに挑戦した。
いろんな人に出会った。
自転車を漕いで街に出かければ、海風が横から吹いてきた。
磯の匂いや、雲ひとつない空。
炎天下の日差しや、真冬の冷たい空気。
春のウグイスの声や、積乱雲の向こうに見える、秋の背中。
気がつけば朝になってた。
また気がつけば、夜になってた。
そんな繰り返しの中で、あっという間にここまで来た。
後ろを振り向く時間なんてなかった。
それが良いとか良くないとか言ってるんじゃなくて、自分が「生きてる」って振り向いて考えられるほど、私には余裕がなかったんだ。
今日という1日があることが、なによりもかけがえのないことだと思うから。
「…だから、私が言いたいんは、人の「未来」なんて、そんなん考える前に、今を必死に生きるべきなんやないかと思う。そりゃ、私にはわからんことがたくさんあるよ?あんたに意見を言おうと思っとるわけちゃう。ただ、あんたの言ってることは、自分を「捨ててる」ようにしか見えんのや。その先に見えるもんが、どんなに価値があるもんかは知らんが、なんもかんも責任を負う必要なんてないんとちゃうか?あんたはあんたなりに、今を精一杯生きれば」
亮平は口を噤んだ。
と思ったら、「そうやな」って、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で呟いた。
私は俯いたままの亮平を見てた。
その様子は、私の言葉に対して“どんな反応をしているか”の形容ができない顔をした印象だった。
怒っているわけでも、悩んでるわけでもない。
その表情は私の知っている「亮平」の中にはない。
まるで見知らぬ他人のように、初めて見る表情のパターンというか、新鮮な顔つきが、そこにあった。
そしてその顔のまま、私に言った。
「お前の言う通りかもしれん。でもな、俺はもう、充分自分のために生きてきた。今度は、誰かを助ける番や」
私は、それ以上はなにも言えなかった。
“言えなかった”というのは、ほとんど反射的な反応に近かった。
どんな言葉を返せば良いのか、わからなかったんだ。
亮平の言葉の思惑や、視線の使い方。
会話の中で生まれた両者の感情や、心臓の音。
その全ての要素をまとめて、何か一つの「答え」を出そうと思っても、私には触れられない「時間」や「距離」が、2人の間を挟んで有ると思った。
ただうなずくしかないと言うか、解析できないものがあるというか、新しい本や教科書を開いて、初めて見る単語の前に、硬直するというか。
なんだかそんな手に負えないものが目の前にある気がして、どんな言葉を使えば良いのかもわからなくなって、仕方なく水を飲み干し、なすすべもなく沈黙した。
時計を見たら、もう夜の11時を回ってた。
今日は一旦帰れ、ということで、私は家に帰ることになった。




