第656話
「よっしゃ!ほな行くで!」
下駄箱に上履きを投げ入れ、チャイムが鳴った校舎を出た。
部活の前にひと汗かこう。
月末恒例の50m走対決。
どうせ私が勝つんだろうが、一応形だけでもね?
体をほぐし、制服を着たまま、スタートラインに着いた。
亮平はまだ来ない。
入念にストレッチしてやがる。
「はよして?」
「まあ待てって」
そんな入念にしなくても、結果は変わらないって。
もし私が負けたら、今度の夏祭りで、亮平の食べたいものを奢らなきゃいけない。
あと、夏休みの宿題も。
本気でぶつかってきてほしいから、勝った時の報酬は大きめに。
そのせいかやる気満々で、エネルギーに溢れてた。
ウィダーインゼリーを一気に飲み干し、ほっぺたをパンパンと叩く。
最初の頃はやる気なかったくせに、私に負けたことがよっぽど悔しかったのか、だんだん遊びじゃなくなってきた。
元々真剣勝負ではあったけど、彼の方がね?
私はいつでも準備万端だ。
いつでも、足を動かせる。
コンビニのおにぎりの取り合い。
水切り石の飛距離。
屋上から飛ばした紙飛行機。
カラオケの得点。
少しは手加減しろって言われるけど、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだ。
なんのために過去に戻ってきたと思ってる。
恩着せがましい言い方かもしれないが、あんたを助けるためだ。
キーちゃんに言われた。
亮平は、あの日からずっと後悔してると。
亮ママにまだ言えてなかった言葉があった。
間に合うはずだった時間の中に、手が届いていない距離が。
その「時間」をずっと胸に抱いたまま、竹刀を握り続けることができなくなって…
亮ママのバイクに乗っていたのは、アクセルを踏んだ先に、あの日に届く何かがあると思ったから。
きっとそういうことなんだって、教えてくれたんだ。
きっと亮平は、頭の中ではわかっていた。
どれだけ強くアクセルを踏んでも、もう、間に合わないっていうことを。




