第61話
亮平も、私や亮平ママと同じように、この「風の岬」の向こうに見える明石海峡大橋や、海の景色が好きだった。
少し遠いけど、それでも、休みの時間を使ってここに来る価値は十分にある。
あそこから見える世界の「色」は、世界の全ての「青」を凝縮したかのような透き通った瑞々しさを、地平線の向こうまで広げていた。
きっと、亮平も思うことがあったんじゃないかな。
この場所からなら、どこにでも行ける気がするって。
まだ見たこともない景色が、広がっているんじゃないか、——って。
まるでここが、心の故郷であるかのように。
母親が亡くなって、亮平は剣道の成績を落とすようになった。
秋の大会では優勝したけど、その後の大会では予選すら勝ち上がれなかったし、普段の練習も気持ちが切れてるというか、どこか、“らしく”なくなっていた。
そんな亮平に見かねて部活の終わりに話を聞きに行った。
どうしたの?って。
どうもこうもないのだろうけど、いつも、手にできたマメが擦り切れるくらい竹刀を振っていたから、力なく素振りする姿を見てて心配になったんだ。
「大丈夫か?」
「なにが?」
「なにがって、最近全然やる気ないやん」
「そんなことないで」
そんなことは、ある。
理由はわかっていた。
亮平が今までなんのために頑張ってきたか。
お母さんのためでしょ?
でも、だからこそ、疑問に思う部分があった。
「今の亮平の姿見たら、母さん悲しむと思うけど」
「悲しむ?そんなアホな」
「なんでそう思うわけ?」
「お前こそなんでそう思うんや?おかんはもうおらん。悲しむことも、喜ぶこともない」
自暴自棄になっているから、そんな言葉を吐いたのか、それともただのネガティヴキャンペーンなのか、それは私にはわからなかった。
だけど、わからないからって、黙って聞いているわけにもいかなかった。
「「おらん」って、どういう意味?」
「そのままの意味や」
「はあ?」
私が疑問に感じたのは、亮平の「言葉」じゃない。
亮平の信じてきていたものを私は知ってた。
昔から、本当に大切なものは「結果」じゃないんだってこと。
「形」があるものじゃないってこと。
初めて公式戦を目にした後の会場で、亮平が私に言ったことを。
「剣道は『間合い』が大事なんやで!一歩前に進む勇気!どや、カッコええやろ」って、歯に衣着せぬセリフ。
亮平の心を支えてきたもの、それを全部蔑ろにするかのような態度を見て、なに言ってんだコイツって、思った。




