第60話
亮平のお母さんの顔を思い出す時、私は海の色を思い出す。
それはただの海の「色」ではなくて、背が高い空の下の、真っ青なオーシャンブルー。
いつも笑顔が絶えない人だなって思ってた。
まるで春の季節に咲く桜の花みたいに、やさしい風の中に揺れる朗らかな暖かみを持つ人だった。
亮平の家に遊びに行ったときは、いつもその帰りに、一緒に風の岬まで歩いた。
バス停の名前が「風の岬」になってるように、神戸の海の海岸の端に、その岬は存在した。
その岬がある海岸は、私と亮平が、子供の頃によく遊んでいる場所でもあった。
亮平の家からは20分ほど。
私の家からは40分はかかる。
だけど、この場所が好きだった。
明石海峡大橋が見える、瀬戸内海の大海原。
海が好きだった私は、理由もなくこの場所に来ては、よくその景色を眺めてた。
亮平ママも同じだった。
いつか言ってくれたことがある。
「私も海が好きだ」
って。
理由はわからない。
だけどなんとなく、私と同じような気持ちなのかなとも思った。
海を見ているとどこか、遠い場所に行ける気がする。
世界でまだ知らないことがたくさんあって、いろんな場所で、いろんなことが起きている世の中でも、それよりもずっと遥かなところで、私たちの想像もできないような広い世界が、続いている。
そんな果てしない壮大な冒険心をくすぐるような、水平線の景色。
…きっと、そんな気持ちを、心のどこかで抱いているのかなって。
8月、真夏の日差しが須磨の街と海の「青色」を照らす朝、亮平のお母さんは亡くなった。
37歳だった。
その日、亮平から誘いがあった。
「風の岬」に一緒に来てほしいと。
葬儀の後に私たちは3人でそこに向かうことにした。
学校に向かうときと同じように、自転車に乗って。
「なんでまた、風の岬に?」
アキラと綺音は、私にそう聞いてきた。
「さあ。でも、思い出の場所やからやない?」
「え?そうなん?」
「思い出というか、私も亮平も、あそこにはよく行ってたしな。小学生の頃はとくに」
「へー」
「その時は、もう1人の女の子もおった」
「もう1人の女の子」というのは、キーちゃんのことだ。
私の親友で、亮平と同じく、幼馴染。
私たちは小学生の時に、ほとんど毎日のようにつるんでいた。
キーちゃんは卒業と同時に海外に引っ越してしまって、高校でこっちに戻ってくるまでは会うこともなかったが、小学校を卒業するまでは、ほとんど毎日のようにつるんでいた。
キーちゃんと亮平と私は、当時少年野球のクラブに所属してて、よく海岸で、キャッチボールをしていた。
風の岬の海岸も、私たちにとっては絶好のキャッチボールスポットだった。
「でもちょっと遠くない?海岸なら他にもあるのに」
「まあ、そうやけど、あそこが1番多かったかなぁ」
「なんで?」
理由はわからない。
でも、なぜか「風の岬」を選んでた。
誰にでもあるんじゃないかな。
街で一番好きな場所や、心が休まる景色。
岬の先端に立ち、背伸びをすると、まだ見たこともない景色が見える気がしたんだ。
だから2人を連れて、この海岸沿いの風や波の音に耳を澄ませながら、いつも、なにかを探してた。
亮平が、葬儀の後この場所に来たのは、亮平ママから、遺灰の一部は海に流してくれって頼まれていたからだった。
風の岬はその名前の通り、神戸でもいちばん風が吹く場所だった。
だから、遺灰を海へ運ぶのに、適した場所なのだと思ったのかもしれない。
この岬なら、きっと、遠くの海まで運んでくれると思ったって、その時に言ってた。
“遠く”へ——。
その「言葉」はきっと、亮平自身の願いだったのかもしれない。
亮平は、ずっと亮平ママの退院を願ってた。
いつか2人で歩ける時間が来ること、その2本の足で、この街の一番綺麗な海の景色を、一緒に眺めたかったってこと。
だから、晴れた午後の空の下で、神戸の「風」がどこまでも遠くへ母親を連れて行ってくれることを、願っていたのかもしれない。
「…おかんは言ってた。形あるものはいつか無くなるって。無くならないものは、形がないもの、「風」のようなものだって」




