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雨上がりに僕らは駆けていく Part1  作者: 平木明日香
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第602話



 …そんな時だった。



 「なにしとんねん、こんなとこで」



 静寂の中に届いた音が、微かに空気を揺らした。


 予期していない方角からの振動に、耳が引っ張られる。



 「…え、何で…?」



 振り向いた先にいたのは、亮平だった。


 驚いたんだ。


 こんなとこで何してんだ、って思って。



 「何であんたがここに…」


 「それはこっちのセリフや」



 自転車を押して歩いてきてた。


 彼は息を切らしてた。


 …ってか、そんなことはどうでもいい!


 状況が整理できないんだが…



 「それより、相手はどこや!?」



 …相手??


 何言ってんだあんた。


 今、私たちは忙しくて…




 ハッと思って後ろを振り返った。


 フードの男が、早川さんのすぐ近くまで…


 やばいッ



 そう思った矢先だ。


 茂みの中から現れたキーちゃんが、男の前に立ちはだかった。



 「通さないよ!」



 高く響いた声。


 静かな路地の真ん中で、空気が“動く”。




 男はキーちゃんが現れるや否や、歩みを止めた。


 バス停に座ってる早川さんは、なにがなんだかという様子だった。


 今がチャンス…?


 キーちゃんが足止めしてくれてる間に、早川さんの元へ


 そう思ったのも束の間、男はポケットからナイフを取り出した。



 「どけ!」




 男の声色は、冷静さのカケラもなかった。


 歩みを止めた右足が、重心を乗せたように傾き、キーちゃんに向かってナイフを突き立てている。


 いてもたってもいられなかった。


 だから走って向かおうとした。


 なりふりかまってなんていられなかった。



 …ガシッ!




 体が何かに引っ張られる。


 動かした足が地面に吸い付くように減速した。


 何…!?


 見ると、私の右手を掴んでる亮平の手があった。


 その刹那だ。


 手を掴み、私を静止した勢いのまま、その反動で飛び出した彼の体が、電灯の下に傾く私の影を追い越していった。



 「そこで待ってろ!」




 今日の月は綺麗だ。


 振り切られた彼のスピードの向こうで、街の上に浮かぶ月が、青白い輪郭を漂わせていた。


 目で追う。


 視界の外に漏れ出していかないように、現実の速さに追いつこうとする。



 …だけど、あっという間に彼は坂道を登って、男の立つ場所へ一直線に遠ざかっていった。



 「…なんだ、お前」


 「そいつが電話で言ってた奴か!?」


 「う、うん」



 亮平の声に、振り向いたキーちゃん。


 遠くからだと、うまく聞き取れない。



 「どけ、ガキ!」



 怒鳴るように亮平に向かって、男が叫んでいる。


 亮平は怯むどころか身構えて、キーちゃんに「逃げろ!」と叫んだ。



 「あとは任せろ!」



 男と正対しながら、両足を地面に広げた。


 つま先に落ちた体重。


 シワでよれたジャージ。


 

 竹刀を持ってなくてもわかった。


 戦うつもりだ。


 ノーモーションで構えた間合い。


 一瞬のうちに過ぎ去っていく残響。



 構えた亮平の前で、男は姿勢を低くする。


 右手はすでに届く距離にある。


 光と影の境目に揺れる、視線。


 小刻みな息遣いが、2人の間にはあった。


 どっちが先に動けるか、それさえもまだわからない距離の果てに。



 

 …亮平も早く逃げないと!



 しかしその声は、届かない。


 遠ざかっていった彼を追うように動かした足の先で、男が亮平に向かってナイフを振った。



 「どけ!」



 大きなモーションに反応しながら、すぐさまナイフを避ける。


 その隙に男は早川さんのところに行こうとしていた。


 が、踏み出した右足の支点が地面に触れる一歩のタイミングで、体の軸がまだ地面に残っていた亮平の左手が、短いフックの軌道を辿りながら、男の(みぞおち)に入った。



 「はよ行け!千冬!」



 早川さんを連れて離れようとしているキーちゃんに、「走れ!」と言った。


 キーちゃんはただ頷き、急いで離れた。


 男は無我夢中でナイフを振り回し、亮平に向かって何か言っていた。


 グラついている。


 だけどダメージはそこまで多くない。


 …すぐに姿勢を整えて、ナイフを前に突き出した。



 とにかく走ったんだ。


 キーちゃんと合流し、その足で亮平の元に向かった。


 私たちだけが逃げたって、意味ない。


 だから…



 「はよ逃げろ!」



 綺音は早川さんの手を握って坂道を下っている。


 アキラは立ち止まったままだったが、キーちゃんが「早く!」と声をかけ、彼なら大丈夫だからと説得していた。


 亮平は、近づく私に声を荒げた。


 「走れ!」と、何度も。



 「くっ…そ。どけよこのクソガキ!」



 亮平は一歩下がり、間合いを間違えないように立っていた。



 …無茶だ。


 相手は大人だ。


 中学生がどうこうできる相手じゃない。


 早く逃げよう!


 そう訴えかけたが、聞く耳を持たなかった。


 

 男は亮平に向かって突進した。


 一気に間合いを詰め、押し倒そうとでも言わんばかりに、両手を広げて掴みにかかった。


 広げた両手が亮平の全身を捕まえにかかる。


 それでも、向かってくる体に反転しながら、亮平は地面を蹴った。


 左足だ。


 亮平の真骨頂。


 剣道でもよく見る、あのステップ。


 相手の「先」をつき、そのスピードに逆らわないように、向かってくる重力の方向を見定める。


 相手がブレーキできない絶妙のタイミングで足を動かし、体と体が接触する一歩外へ、——「後の先」へとダイブする。


 加速する「時間」の先端に近づいてくる一瞬の境界を越えて、切り返した半歩先の領域。


 一歩遅れればしがみつかれて、右手を自由にさせてしまうギリギリの最中に、亮平は“先手”をついていた。


 先に動いていたはずの男の体が、途端に静止した。


 男の進行方向に対して反転した亮平が、移動しながら左手を掴み、そのまま背中に回って左半身の自由を奪った。


 右手を動かしてナイフを当てようとするが、左肘を後ろに回され、体重をかけられていたためか、思うように動けないようだった。


 そしてそのまま膝を折られ、地面に押さえつけられた。



 「じっとせぇ!」



 早く逃げろと促されるままに、急いで坂道の下で3人と合流した。


 早川さんは気が動転して、なにが起こってるのかの説明を私たちに求めた。


 だけど、私たちも状況をうまく説明できない。


 今は早川さんの身の安全を確保できたことで、警察が早く来ることを願った。


 坂道はカーブになっているから、亮平の様子をこちらから伺えない。


 このままここでじっとしてるべきなのか?


 犯人を取り押さえてはいたけど、万が一形勢が逆転していたら…?

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