第519話
「…広」
キッチンはまだ、現代的な空間だった。
オーブン機能も備えた電子レンジに、家庭的なトースター。
可愛らしい筒型の電気ポットは、家にあるものとよく似ていた。
ポテトチップスのロゴが入った段ボールの上に朝日新聞が積み上げられ、壁には「スポンジボブ」のポスター。
食器用洗剤はど定番のキュキュット。
それだけでも十分、親近感が湧いた。
廊下に出たとたんに、木の香りがした。
その時点でなんとなく、普通の家とは違うなって思った。
私の家も木でできてるけど、壁紙は貼られてるし、床はワックスが塗られてるから、すぐ近くに木があるっていう感じはしない。
壁から天井にかけて、見渡す限りの木で覆われていたこの家は、森の中みたいに、新鮮な空気が漂っていた。
余計な装飾がなく、憮然とした佇まいで、隙のない静観とした造形が、家の隅々にまで広がっている。
ここは寺か?
空間の色は、木の断面そのものだ。
毎年正月になると、近くの神社に初詣に行くけど、本殿の中はそのほとんどが剥き出しの木であしらわれていて、毳毳したデザインの要素が一切無い。
「デザイン」と言えば、仏教とかの日本建築的な趣きがそれに当たるのだろう。
そういう趣き高いというか、シンプルな中にある研ぎ澄まされた鋭い表情が、廊下を出た先にあった。
とにかく、厳粛だ。
家の空間にしては、やけに。
それ以外に言葉がなかった。
床の上を歩けば、キシキシ音が鳴るし。
まっくろくろすけが出てくるんじゃないか?
そう思いながら歩いた先で、襖が開いた。
仕切りのない大広間が、助走もつけずにやって来た。
横一列に並んだ大窓。
障子を開け、カーテンを全開にすれば、柔道の試合でも開催できそうなほど、広々とした明るい間取りが広がった。
机も、タンスもない。
あるのは畳と、吊り下げられた八角照明灯。
と、立てかけられた竹刀。
竹刀??
「なんで竹刀が…??」
「ああ、これ?」
壁に立てかけられた竹刀は、握り手の部分が黒ずんでいて、ずいぶんと使い古されてた。
カーテンを開けた先に伸びた光が、畳の上を走り、部屋の隅っこに置き去りにされた訝しげな竹刀の刀身を照らす。
奇妙な光景だった。
飾り気のない殺風景な広間の一角に、ポツンと、それが立っているのが。




