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雨上がりに僕らは駆けていく Part1  作者: 平木明日香
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第486話



 このように、「時間」が「波」の性質を持つ場合、「時間」とは確率的に見て常に有限の値を保っていることが、1つの「力の向き」に対して導出することができる。


 もちろん、「時間」を「波」と同じ性質のものとして捉えるために、この具体的な説明をしたわけではない。


 これはあくまで1つの参考のために使用してもらいたい「事項」であり、「時間」の凝固性の議論、及びその特異性について説明しやすいように用いた例えであるということに、留意しておきたい。



 父が言っていた「流動性を持つゼリーのようなもの」とは、今話した「波」の性質である、



 『力が伝わる方向が決まれば、その方向に対して振動する幅が確率的に見ても有限である』



 という点を、時間という立体的な構造の中に置き換えて、分解し、考えたものである。


 凝固してしていない状態であり、また、凝固できる状態でもある。


 この境界に「ゼリー」という形状や性質が存在するならば、「時間」がある一点に於いて“必ず静止する”タイミングを持つはずである、と考えていた。


 が、「時間」に「境界」を見つけることは、そう容易いものではなかった。


 ビデオの中の出来事のように、静止ボタンを押せば、その「出来事」、——つまり過去や現在という断片的な事象が、“世界から切り取られるわけではない”。


 時間とは絶えず変化しているものであり、あらかじめ「ここからここまで」という境界を決定論的に導出することが、量子力学的に不可能だったからだ。


 研究を進めていくうちに分かったことは、時間は99%の凝固性を持ちながら、また同時に99%の流動性を持っているということだった。


 これは簡単に言えば、「今」というこの瞬間に於いてサイコロを振れるタイミングは一回でありながら、未来に対して“どの目が出るかを計測することは”、実質的に「有限ではない」というものであった。


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