第481話
父は、「時間」は「流動性を持つゼリーのようなもの」と言っていた。
一般的には、ゼリーと呼称されるもの、——いわば『ゲル』は、分散系の一種で、ゾルと同じく液体分散媒のコロイドに分類されるが、そのうちで固体状のものを指す。
日本語で「凝膠体」と呼ぶこともある。
ゲルは、流動性を持つゾルとは異なり、分散質のネットワークにより高い粘性を持ち流動性を失い、系全体としては固体状に分類される。
ゾル状態からへゲル状態へ転移する場合を「ゲル化 」、転移点を「ゲル点」と呼ぶ。
ここで注目してもらいたいのは、「流動性」を持つ「ゲル」という点である。
液体が流動性を失う場合、——つまり「ゲル化」とは、端的には接着剤が液状からゼリー状に変化凝固することを指す。
父が言っている「流動性を持つゼリー」とは、単に液体としての性質を失っていないということを言っているのではない。
いわば、「接着剤が液状からゼリー状に変化凝固する」までの過程に対して、液体と固体の臨界上にある物質間の流動性を、あるひとつの時間間隔の中に閉じ込めることができる、という点を指していた。
「時間間隔の中に閉じ込める」とは、すなわち過去から現在、あるいは現在から未来にかけて「時間」が「凝固」しない状態を作り出すことができるということであり、この意味で『時間』とは、常に“決定的な1秒を持たない”という考え方を、1つの「場」として拡張し、考えることができるようになる。
“時間は凝固しない”
これを別の言い方に置き換えれば、
「運命という確定性は世界の中にはない」
と言い換えることができる。
「運命」とはなにか。
その理論的な体系や形式にあるものを、様々な分野の科学者や研究者たちは議論してきた。
私の父もその1人だった。
研究室のホワイトボードに、
『決定されているのに予測できない未来』
と書かれた言葉の背景には、世界観を覆した数学理論の知識と数式が、20世紀末に生まれたという経緯があったからかもしれない。
1961年、エドワード・ローレンツにより、簡単な微分方程式から作られる天気予報の気象モデルの数値計算結果がカオス的な振る舞いをすることが発見された。
1963年、この結果はテント写像により引き起こされるカオスとして発表された。
後にこの「カオス的な振る舞い」と言われた言葉は、1975年、ジェイムズ・A・ヨークとリー・ティエンイエンにより『カオス』と呼ばれるようになった。
カオス、——すなわちカオス理論(英: chaos theory、独: Chaosforschung、仏: Théorie du chaos)とは、力学系の一部に見られる、数的誤差により予測できないとされている複雑な様子を示す現象を扱う理論のことを指す。
『カオス力学』ともいう。
20世紀に生まれたカオス論は、科学の世界に大きなショックを与えていた。
「決定論的でも、予測不可能なものがある」
カオスの持つこの特徴は、私たちの身近にも大きな影響を与えている。
100%当たる天気予報はない。
蝶の羽ばたきが竜巻を起こす。
従来では考えられなかった世界像を提示した、カオスの世界。
父の研究の根本に根ざしているものの1つに、カオスの定義、あるいは特性として第一に挙げられる“初期値鋭敏性”がある。
これは先ほどに述べた「運命」という決定論的考え方にも、大きな影響と学術的批判意見を与えている特性であった。




