第37話
「母さん、すぐそこのバーガーショップに寄ってよ」
梨紗が言ったこの言葉の一字一句が、聞き慣れたメロディーのように聞こえる。
それがきっと「偶然」じゃないことが、目の前に広がる全ての情緒の中で感じられた。
「イチゴショートケーキパイ」
誰に言った言葉でもない。
これはほとんど反射的に出た言葉だ。
この言葉にいち早く反応した梨紗が、綺麗な相槌を打った。
「そうそう!それが食べたいんよ。お姉ちゃんも買う?」
梨紗が今、何を食べたいか。
次の交差点で車がどこに向かうか。
そのことがどんなに身近に感じられても、この目前の世界が「過去のもの」であるということを信じたくはなかった。
それは単純に、自分の「意識」のずっと奥側で、私自身の「現在」がどこにあるかを、見失ってしまうかもしれないと思ったからだ。
ここが夢の世界だろうが、死後の世界だろうが、そんなことはハッキリ言ってどうでもいい。
ただ、自分が今こうしてここにいるということ、いるべき場所にいないかもしれないということ、ついさっきまであったはずの「日常」が隣に無いことが、こんなにも怖いなんて…
高校に入学してから交換した、新しいクラスメイトの連絡先。
春先に切ったはずのショートヘアー。
新調したはずのスマホケース。
部活中にコケて擦りむいたはずの、額の傷。
全部、「ここ」に無い。
今ここにあるのは、過去に残してきたはずのものたちばかりで、もう二度と会うことはないと思っていた「時間」だ。
久しぶりに会った友達の顔を見るかのように、1秒先の世界が懐かしい。
そんな奇妙な感覚に囚われるのは、きっと人生でも初で、普通に生きてたら味わえないと思える経験が、記憶の中にある「時間」を通して伝わってくる。
家に帰って、私は電話をかけた。
「ちょっと出かけてくる」と二人に伝え、ダッシュで、ある場所に向かうことにした。
「出かけるって、どこに!?」
パーティーはどうするのかと聞いてきたが、それどころじゃ無い。
私が電話した相手は、亮平だ。
この今の状況を整理しようと努めてきたけど、控えめに言ってどうしようもない。
亮平が未来から来たっていうこと。
そのことを信じようとは思わないが、今の今まで、私の「記憶」になかったものが、あいつだった。
いつもの日常の中で感じるような新しい色や時間が、今、あいつの中にあるような気がした。
見覚えのあるこの「2013年」の世界の中で、一際異彩を放っていた、「未来から来た」という謎の発言。
実際は「何言ってんだこいつ」って、思った程度だけど。
亮平は家にいると言った。
だから私はあいつの家に行くことにした。
この異常な事態から、一刻も早く脱出したいという本能にも近い感覚に促されて、走る。
あいつに会えばなにかわかるかもしれないと思った。
ほとんど無意識の中で、足を動かしていた。
夕焼けの見える空の向こうで、何かが始まる予感がしたのは、きっと「偶然」なんかではなくて、もっとずっと、必然に近いものなんじゃないかと思った。




