第109話
ボコッ…!!!
力で勝てないなら、相手の弱点を突くしか無い。
無防備だった男の下半身を思いっきり蹴り上げた。
と、同時に、男は床に倒れてものすごい勢いで悶絶した。
「ぐあああああッ…!!」
ザマーミロ!!!
ふざけた真似ばっかりしやがって。
抑えきれない感情のまま息遣いが荒くなる。
フー、フーッという呼吸を抑えつつ、爆音を立てて暴れている心臓を宥めようと必死になった。
「…何すんねんッ!」
「何すんねんやないわ!なんなんアンタ!」
「…うぅ」
悶絶している男を見下ろしている傍ら、部屋の中を見渡した。
見渡したところで何かが得られる訳じゃなかったけど、状況の整理に役立つものがあれば何でもよかった。
…でも、役に立ちそうなものはない。
そんな矢先だった。
部屋の隅に置かれた高級そうなウッドデッキの上に、写真が置かれているのが見えた。
一際特別に飾られた一枚の「写真」。
『7月7日』と書かれた付箋が添えられ、その横にクエスチョンマーク。
ウエディングドレスを着た女性と、スーツ姿の男性が写ったその写真は、おそらく結婚式場か何かでの記念写真だろう。
男性は、今目の前にいる男に違いない。
でも、女性は…?
…見たことがある…
…どこかで…
「いくらなんでも股間を蹴り上げることはないやろ」
うわ!と声を上げ、いつのまにか背後に回っていた男にビビる。
もう一度蹴って息の根を止めようとしたが、今度はうまい具合に躱されてしまった。
「朝から暴れ回るな!」
「近づくな変態!」
「変態っておま…。実の夫に向かって言う言葉ちゃうで、それ」
…
……
………は?
「なんて言った?今」
「ん?なにが?」
「…今なんて言った?」
「変態?」
「違う!そのあと!」
「あと?あー、…夫ってやつ?」
夫?
…おっとっと?
いや、こんな状況でお菓子の「おっとっと」なんて言うはずないし、夫って言ったよね?
確かに今。
「それどう言う意味?」
「…まさか離婚したいとか言わんやろな」
「……誰と?」
「お前しかおらんやろが」
男が何を言っているのかが、ずっとわからない。
そこで私はフッと思った。
それは「写真」を見た後の記憶の“残像”が、頭の中を横切ったからだ。
あの花嫁衣装の女性…
どこかで…
その「どこか」とは、自分でも予期していないほどに唐突に、脳の中枢を刺激した。
“刺激した”という言い方は誤りかもしれない。
どちらかと言えば、もっと自発的な信号というか、忘れていたものを思い出すときのような、脳からの指令。
男の人と同じように、その「女性」は大人びた顔をしていた。
大人びた…、顔を…。
あの顔の輪郭。
表情。
コンプレックスだった、——目の大きさ。
私の中にある遺伝子が呼応するかのように、写真の向こうにいる女性は、身近なものに思えた。
限りなく0に近い、時間と空間との「距離」の先端に。




