ショートストーリー2船はまだ浮いているか?
ショートストーリー2船はまだ浮いているか?
「まずいぞ」
楠木茂は葉巻の煙を吐いた。楠木造船の社長室は天井が煤けている。
「体調がすぐれませんか?」
「葉巻の味の話しじゃあない。銀行が査察に来る」
「いつです?」
野辺庄九郎は、葉巻の煙の直撃に瞬きもせず聞いた。貨物船の海技士だったが、沈没した責任を被せられ失職した所を楠木社長に拾われた。楠木造船で一級海技士の資格を取って外洋航路で経験を積み船長の資格を得ている。
「しげる第88しゃうん丸の試験運航の日だ」
しゃうん丸は自動運航船の試験船で、名前通り社運を掛けた無人船だ。
「無人は無理ですね。自動離着桟は問題ないんですが…給排水機モーターのコントロールがバグってます」
楠木社長は葉巻を灰皿に押し付けて消した。
「バグってますと!銀行の奴らに言えると思うのか?庄九郎!」
「新規融資は取り消し。融資分も回収…」
「楠木造船はあえなくお取り潰しだ!そうなれば、自動運航船の技術開発は停滞する。停滞ならまだしも、消えるかもしれん。この次の技術も消えてしまう。それは有ってはならんのだ!。人類文明の致命的損失だ!」
「消えやしませんよ。社長。焦らないでいきましょう」
楠木社長は落ち着こうと深呼吸した。
「バグは…治るのか?」
「治りません。ですが。要は銀行の査察が終わるまで船が浮いてれば良いんでしょ?」
楠木社長はしぶしぶ頷いた。
試験運航当日。
しゃうん丸には、如月銀行の監査部が本社で電子帳簿を調べた後、乗り込んできた。
操舵室には、緊急時用の舵輪と操舵装置以外何も無い。国交省の担当官と報道関係者は楠木社長が巧みにシャットアウトした。
だが、庄九郎は監査部に紛れ込んでいる行川に気付いた。
「黒のスーツとスカートがお似合いで。スクープ編集部からいつ?如月銀行さんに?」
「査察顧問です。自動運航船に詳しいと言う事で依頼されました」
フリージャーナリストの行川は、自動運航船の偽装や疑惑を暴くスクープを連発している。
「カメラも本業も忘れずに?」
行川の一眼レフを見る。
「如月銀行さんには了承を得ています」
「判りました。ご自由にご覧下さい」
下手な専門家より強敵だ。
桟橋を離れる離桟は問題ない。
問題は、事故などの浸水時に排水したり、船が転覆しないようにバランスを保つ為に給水する給排水システム。
給水し過ぎたり、排水し過ぎたりする。
このモーターの電源は元で庄九郎がOFFにした。だが、メインシステムはバグでこれをonにする。システムから切り離せば良いのだが…。
「庄九郎さん。これは切り離せません。舵やスクリューのコントロールも出来なくなります」
マックスシステムズのSE桜井には首を振られた。onになったら沈没するか転覆する前に船底に行ってOFFにするしかない。
スマホに通知が出る。OFFは停止。oninは給水。onoutは排水。dangerは沈没の危険。
「いやぁ~。楠木造船さん。素晴らしい離桟でした。帳簿も綺麗でしたし、これで我々も安心してお取り引きを継続する事ができます。なにせ世界初の自動運航船ですからね!」
「ありがとうございます。公開試験運航が楽しみです」
ポン。
スマホが鳴った。画面を見る。
onin
「…失礼」
行川が庄九郎の表情を伺う。
庄九郎は、ゆっくり操舵室を出る。行川が付いて来ない事を確かめて、¨関係者以外立ち入禁止¨のハッチから点検孔に入る。
貨物の無人船に船室は無い為、甲板から下には点検孔の梯子とキャットウォークしかない。
梯子を2つ駆け下って、給排水モーター室に入る。液晶モニターでパスワードを打ち、選択肢から元電源をOFFにする。
「よし」
甲板に戻ると行川が話し掛けてきた。
「船長。何かトラブルですか?」
「電話です。社内連絡です」
「そうですか…下の方で海水を吸うような音がしましたが?」
「そうですか?今も?」
「止まりました」
「バランス調整でしょう。ご心配要りません」
遠くに漁をしている漁船が見える。
船は進路を変える。さっそくアピールしに操舵室に向かい、漁船を回避すると拍手が起こる。
「どうです行川さん。完璧でしょう?」
「そうですね。無人の自動運航船が就航すれば、人手不足だけでなく。ヒューマンエラーによる事故や座礁を減らせる。素晴らしい技術です。欠陥の無いシステムなら」
行川が微笑む。彼女を信用させれば成功したも同然だ。
ポン
「…電話です。失礼します」
表示はonout。
液晶パネルでOFFにする。戻ろうとすると
ビーウン
ビーウン
と警報音が鳴る。
液晶パネルは赤になり
Flooded Emergencymode
onout
「浸水?エマージェンシーモードで排水?」
液晶を切り替えて、浸水箇所を見る。5mの裂傷が右舷で発生している。
キャットウォークと梯子で該当箇所に向かう。傷も浸水も無い。
甲板に上がり、舷側から喫水線を見る。どんどん水面から船が上がって来ている。バラスト用の海水を排水しているのだ。
積み荷を載せていない船は傾き始める。
急に喫水線が沈み始める。傾きを補正する為に給水を始めたのだ。
庄九郎は時計を見る。
もう桟橋に戻る時間だ。
甲板を走って船首に向かう。
桟橋が遠くに見える。
庄九郎は再び点検孔から給排水モーターに戻った。
液晶パネルを見る。
Capsizing allinmode
「転覆?オールイン!やばい…」
転覆を防ぐ為に、貨物スペースに注水するのがオールインモードだ。
庄九郎は解除コマンドを打つ。
日本語の表示が出る。
警告
この操作は当該船の安全に深刻な脅威となります。当システムは外部からの入力を只今から拒否します
「くそっ!こうなったら早く降ろすしかない」
庄九郎は梯子を駆け上がり、操舵室に行く。
「皆さん。六本木ダブルアーククラブでお食事の用意をしています。下船の用意をお願いします」
如月銀行の監査員は笑顔になる。
「ダブルアーククラブですか?さすが楠木造船さん。さすがです」
桟橋に着桟する。喫水はどんどん下がっている。もはや、舷側の階段は展開できない。ついに、桟橋と甲板が同じ高さになった。
「素晴らしい。高さを合わせてくれるんですか?階段を降りると膝にくるんですよ」
何の疑念も無く、桟橋に横付けしたリムジンに監査員は吸い込まれた。
行川は気付いていたが、パーティーの花は銀行員達に引っ張られ、庄九郎が後ろから体ごと乗りながら押し込んだ。
桟橋が遠ざかり見えなくなる。
六本木ダブルアーククラブに到着する。
庄九郎は電話を掛けた。総務課の新入社員が出た。
「そこから。桟橋は見えるか?」
「はい。見えます」
「船はまだ浮いているか?」
「…待って下さい?野辺さん!それで納得できるんですか?」
「それが仕事って奴だ。覚えとけ。いつか役に立つ。で?船はまだ浮いているか?」
ショートストーリー2船はまだ浮いているか?
2021年6月27日
武上 渓