行き倒れの代償
「思ったのだけれど」
「なんでしょうか、お嬢様」
「ナギが追跡して、それを後で教えてもらえばよかったんじゃない?」
たとえ見つかったとしても、ワンとなけば「なんだ、ただの犬か」でスルーされるだろうから、追跡に最適ではないだろうか。
男を尾行してアジトを突き止めたナギに場所を教えてもらって、それを村の人に教えてあげれば、それでおしまいだったのでは?
わざわざ危険を冒す必要はなかったような……とナーガを見れば白々しい笑顔を向けられた。
それで私は察してしまった。
天啓を受けたかのように久しぶりにアハ体験した。
これはつまり、初めての対人戦!おめでとうございます的な……。
地球では獅子は子供の成長のためには谷にも落とすと言われていたけれど、まさかそれを羊、いや執事にやられるとは!
……まだ見ぬバカ息子と一度くらいとことんまで話してみたい。
きっと今の私の気持ちを一番わかってくれるのは彼のような気がする。
私の妄想の中のバカ息子は、背はあんまり高くなくてちょっと小太り、くせ毛でくりんくりんの金髪巻き毛でちょっと卑屈な笑みを浮かべているくせに緑の瞳は傲慢に輝き、そばかすのある頬で鼻は低めの平凡な顔立ち。
きっと彼がそばにいたら、無言で私の肩に手を置き、目を合わせることなくゆっくりと首を横に振ってくれただろう。
同情するが、あきらめろ……という妄想バカ息子の心の声が聞こえたような気がした。
うん、病んでるね、私、ははははは……はぁ、泣きたい……。
「水の匂いがする」
「もう少し行けば湿地帯に入ります」
腐った緑と水の匂いにむせかえり、咳が出そうだ。
あの男はどこまで行くのだろうか。
つらつらととりとめのない事を考えながら湿地帯を進んでいたら、泥だらけの死体を見つけた。
『一応、息はある』
ナギがそういうのだから、生きてはいるのだろう。
迷彩色になっている泥水を吸ったローブが広がっていた。
「……ナギ、悪いけど追跡、お願いできるかな?」
『任せておけ』
ナギは音もなく走り出す。
体重か?体重なのか?
いや待て落ち着け、ウルバルだってこの湿地帯を音もなく歩いている。
一番音を立てているのは私だ。
「ってウルバル、何やってんの!」
襟首をひっつかんでウルバルは倒れている人物を持ち上げた。
上半身がエビぞりになって持ち上がるが、襟首をつかんでいるので絶対に喉に服が食い込んでいるはずだ。
お前が止めを刺してどうする!
あたふたとウルバルの手をべしっと叩いて離させると、救出するはずの相手は顔面から泥の中につっこんだ。
「窒息ではなく溺死が好みか」
「ちっがーうっ!ナーガ、ひっくり返して!」
慌ててうつ伏せの体を仰向けにしようと手をかけたが、泥水をすった体はびくりともしない。
ウルバルの見た目はどちらかと言えば細身なのだが、どこにあんな力があるんだろう。
彼はナーガと違って人族のはずだけれど。
水を吸った衣服の重さをものともせずにナーガは面倒くさそうにうつ伏せから仰向けにひっくり返した。
「うわぁ、泥だらけ」
私がそう呟くと、ナーガが指をパチンと鳴らした。
すると淡い光が泥人形を包み込み、ふわりと光が光って消えると同時に汚れも消えた。
何度見ても便利な魔法だが、せっかく綺麗になってもローブがまた泥水を吸い始めている。
慌てて治療魔法を使って治す。
その様子をウルバルがじっと見ているものだから、なんだか緊張してしまった。
「女の人だったんだ……」
よくみれば胸のふくらみがある。
ゆっくりと目を開けて私たちに気が付くと、その人は驚愕のあまり目も口も丸くさせていた。
「えっと、ここはどこ?」
「魔の森の湿地帯でございます」
ナーガが質問に答えた。
「私はカーリー」
そういいながらカーリーはゆっくりと立ち上がり、手足を軽く動かしながら不調がないか調べていた。
「助けてくれてありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、赤毛のポニーテールが大きく揺れた。
ちょっと釣り眼だがわりと美人さんである。
ネコ耳が似合いそうな人だ。
そりゃ私と比べたら圧倒的美人だけど、私の中の基準は正統派美女、聖女千葉さんなのだ。
外国人の彫りの深い顔立ちの美人さんは見ていると胸やけがするので、マイルドな美人である千葉さん一択なのだ。
「あのう、女の人がここで何を?」
問いかけるとカーリーは言いにくそうに私を見た。
「実はこの先に悪い人たちがいまして。あ、私は冒険者なのですが……」
女の人がソロで冒険者ってすごいと思った。
彼女の話では、護衛任務中に口説かれたが拒否したところ、乱暴されそうになったので反撃したら捕まり、娼館に売られる直前になんとか逃げ出したのだが力尽きて行き倒れたそうだ。
「なるほど。君の護衛していた奴は裏で奴隷の売買に手を染めていたわけか」
ウルバルの結論に私はあっけにとられた。
奴隷の売買なんてテレビの向こう側の話でしかなかったのに、ここでは現実なのだ。
いや、日本にいた時だって世界のどこかではそういった事はあったが、私には関係ない話だし身近ではなかったのでスルーしていただけだ。
そう考えると、物騒だと思っていたこの世界も実は元の世界と大して変わり映えがしないのだなと思える。
「フラれたからってその相手を奴隷にして売り飛ばす神経がわからない」
私の呟きにウルバルが苦笑する。
カーリーもちょっと困ったような顔で笑った。
「貴方はとてもいい子なのね」
子ども扱いされました、はい。
「お嬢様。体面を気にする者はそこまでするのです」
「ええ~。気にしすぎじゃないの?」
「彼らは病気なのです。崇め奉られ、自分よりも下の者は己に媚びへつらうものだと心の底から信じている哀れで愚かな生き物なのです」
「哀れで愚かだとは思うけど、行動が過激すぎじゃない?」
「己に媚びない者はゴミ同然。ゴミはゴミ箱へ。他に押し付けるか、他に使い道があるならそっちへ回すだけなのでございます」
3Rかよっ!リデュース、リュース、リサイクル……。
こんなところで裏社会の3Rに遭遇するとは夢にも思わなかったよ。
驚きに非たる間もなく、カーリーのおなかが盛大になった。
……おなかが減って動けなくなったんだね。
わかるよ……。
私は袋からオレンジに似た実を取り出してカーリーに与えた。
「おおぉぉぉぉ……」
感涙しつつもしっかりと受け取って皮もむかずに食らいついた。
ガツガツと喰らうさまを眺めつつ、私はもう一つ取り出す。
「貴女は女神様かーっ!」
ものすごい大げさな事を口走りながらひったくるように私から身を受け取るカーリー。
カーリーの勢いに引き気味のウルバル。
ナーガは意に介さずといった感じで周りを警戒している。
「ありがとうございますっ!貴女は命の恩人です!」
ん?なんかこの流れは嫌な予感が……。
「王様に一つ献上すれば伯爵の地位と領地だって望めますし、女性ならば王太子以外の王族との結婚だって可能とも言われるオチミズの実ですよっ!絵でしか見たことなかったのに実物を食べられるなんて……」
すっげーリアルな解説をありがとう。
王太子妃にはなれないあたりがめっちゃ現実的で怖いよ。
でもそっかぁ……伝説クラスの果実でしたか……。
立場による価値観の違いって怖いね。
王族すらも欲しがる果物をほいほいと二個も気軽にふるまわれたら……金に換算しても庶民には一生どころか五代ほどかかってもかえせるかどうかの価値だ。
一生タダ働きでもいいって思ってもおかしくない。
生涯忠誠を誓って尽くすんで代金は勘弁してくださいと考えるのが普通だろう。
私からすれば、家の裏山に勝手に這えてる木の実って感覚なんだけど。
「困ったときはお互い様、遠くの親戚より近くの知人って言葉もありますから、お気になさらずに」
「そんなっ!無理ですっ、気にします!そこまで図々しくできていなんですっ!」
必死な感じが怖いんですけど。
私の横でウルバルが大きなため息をついた。
「お嬢さん。命を救われただけでなく、高価な物を無償で振舞われた負い目を彼女は感じている。彼女の好きにさせたらいい」
「負い目?」
カーリーはこくこくと頷いている。
「親切にされすぎてどうしていいのかわからないし返すものもないので、とりあえずお嬢様にお仕えして少しでも恩を返した気になり罪悪感を消したいという小心者の気概でございます」
気概と言っていいのだろうか?
高価な物だとわかっていても口にせずにはいられなかったくらいに空腹だったカーリーの気持ちを考えると、洞窟での生活を思い出して切なくなった。
「家無しだし一文無しの貧乏人だからお給金は払えないし、執事のナーガがいるし、短期限定だけどウルバルもいるから……」
なぜかナーガがドヤ顔し、ウルバルもこくりと頷く。
「女手は必要ありませんか?」
「……」
正直に言おう。
女子トーク、飢えています。
私の動揺に好機をみたのか、カーリーは揺さぶりをかけてきた。
「たわいのない話、女性ならではのトーク、噂や小話、おしゃれや流行の話など、私を話し相手にっ!こう見えても元貴族令嬢の冒険者です!一般人から王侯貴族の生活に詳しく礼儀作法もどんとこいです!それに男性には話しにくい女性ならではのお話も、私がいれば問題ありません!」
女性ならではの、は胸に響いた。
トイレ事情はもとより生理や出産、結婚事情。
ナーガやウルバルには聞けない話がカーリーとなら話せる。
そう思うと私の心はあっさりと彼女の提案に傾いてしまった。
「……じゃ、じゃあカーリーの気が済むまでならいいよ」
「ありがとうございますっ!」
カーリーの目が輝いた。
なし崩し的に私の周りは賑やかになっていく……。
だけど、なんだか私の心はちょっぴり温かった。




